レイの退院祝い会も、宴たけなわとなり、各々が思い思いにしゃべる様になってきた。

シンジは、アスカに明日の買物のことで、相談(というよりは指示)を受けている。
レイが病院で検診を受けた帰りに、レイの私服を買いに行くことの相談だった。

最初は、レイもその会話に入っていたのだが、しだいについて行けなくなった。
自分の服を買う話なのに、である。
なにしろ、自分で服を買ったことがないレイは、自分がどういうものが似合うのかなど、さっぱりわからなかったのである。
会話に入らなくなったレイは、手洗いに立った。

手洗いから出てきたレイは、廊下にいるカヲルと出くわした。
カヲルは、手洗いが空くのを待っていたのだろうか。
「ごめんなさい。」
レイは少し顔を赤くして、その前を通りすぎようとした。

「綾波さん、少し聞きたいことがあるんだけど。」
カヲルは、レイに微笑みかける様にして言った。

「なに?」
「綾波さん、どうして力を使わないんだい。」

「力・・・?」
「そう、そのくらいの傷、細胞を再生させればすぐに治るはずなのに。」
「・・・言っている意味が、わからないわ。」

「小動物を捕らえて取りこんでもいいし、そういう機会が得られないのなら、
普通に肉を食べて再生の材料にしてもいい筈だが・・・。」
「あなた、何を知っているの。」
レイの瞳に、警戒の色が宿った。

「そんなに、警戒してもらっても困るな。
言わなかったかい。『君はぼくと同じ』だと。
大丈夫、だれにも言わないよ。
君に不都合なことは、ぼくにとってもそうだからね。
そう言えば、今日のパーティで、君は肉料理に一切手をつけていないね。」

「肉・・・きらいだから。」
「そうなのかな。
君は、なにかを恐れて、無理に菜食主義を通しているように見えるが。」

「そう?わからないわ。」
「自分では気付いていないのかい。
それとも、あえて気付こうとしていないのか・・・そうか、そういうことか。」

「なんのこと?」
レイは不審な表情で尋ねる。

「いや、悪かった。忘れてくれ。」
カヲルは、すまなさそうな顔で言った。
「シンジ君とのこと、うまくいくといいね。」

そういうカヲルを見て、レイは小首をかしげたが、そのままリビングに戻ることにした。
その後姿を見て、カヲルはそっとつぶやいた。
「リリス・・・君は、本気でヒトになろうとしているのか。」

それから、ふっと自嘲をこめた笑みを浮かべる。
「ぼくも、ヒトに戻れるといいんだけどね。」




--- 人 身 御 供  第十二話 ---
    


カヲルが席を外している間に、ユイは隣に座っているミサトに耳打ちしていた。
「カヲル君を、本部まで送る前に少しだけの間、カヲル君と二人だけで話をさせてくれる?」
「それは、かまいませんが・・・。」
「彼なら、もう大丈夫よ。少なくとも敵ではないわ。」
「そう、ですか。」
「あなたにとっても、ね。」

「・・・・・・・・・。」
ミサトは複雑な心境のようである。何か、迷いがあるらしい。
「そんなに難しい顔しないの。せっかくの美貌が、だいなしよ。」
「はあ。」
ユイにそう言われ、ミサトは肩の力を抜いた。



カヲルが戻ってきた。

「あ、ちょっと、カヲル!」
アスカが声をかける。
「おや、名前で呼んでくれるのかい、惣流さん。」
「いいから、ちょっと、あんたの意見を聞かせて。」

「なにかな。」
「明日、レイの服を買いに行くんだけどね、
このシンジが、
『レイには絶対ボーイッシュな服装は似合わない』
と言い張るのよ。
あたしは、いろんなバリュエーションがあった方がいいと思うんだけど、
あんたは、どう思う?」

「だってさ、カヲル君。
ジーンズの上下を着ている綾波なんて、想像できるかい。」
シンジの言葉に、
「綾波さん自身は、どう思っているのかな。」
「私? わからないわ。」
「レイに聞いてもだめよ。服なんか、選んだことなどんないんだから。
それに、あたしはジーンズの上下だなんて言ってないからね。」
「おやおや。」

ミサトは、そんな彼らを黙って見ている。
子供たちは、すっかりカヲルを受け入れているようである。
自分も、あのようにカヲルを受け入れることができるだろうか、と思う。

「で、どうなの。あんたの意見は。」
「う〜ん、ぼく自身、つい最近まで自分で服を選んだことなどなかったからねぇ。
でも、惣流さんのいうように、ひとつの形にとらわれずに、
いろんなパターンに挑戦したほうがいいと思うよ。」
そういうカヲルは、紺の地に複雑な模様が入ったポロシャツを着ている。
結構似合っていた。

「あんた、その服、自分で選らんだの?」
「まあ、日本に着いてから、初めて買ったものだけどね。」
「初めてにしては、けっこういいセンスしてるじゃない。
ほら、シンジも見習いなさいよ。
『美的感覚』というものは、経験だけじゃ養われないの。
工夫と向上心が、大事なのよ!」
話が、また変な方向にかわりそうだった。

そうこうしているうちに夜も更け、退院祝い会はお開きになった。



カヲルを、ユイとミサトで、本部まで送っていくことになっていた。

カヲルも泊まればいいのに、とシンジたちは言った。
ところが今日は『レム睡眠時シンクロ実験』とかいうものを行う予定となっており、これは外せないのだという。
ミサトもまた、昨日早退した関係上、徹夜で片付けなければならない仕事があるという。

そういうわけで、本部までの道行きはミサトが二人を乗せて運転し、
帰りはユイが一人でミサトの車を運転して戻ってくることになった。

「じゃあ、行きましょうか。」
ユイが声をかけると、
「あ、すみません。ちょっち、仕事に必要なものを準備しなければいけないので。
先に、駐車場の方へ行っててください。」
ミサトが、焦ったように言う。
「もう、しょうのない人ねぇ。じゃあ、カヲル君、行きましょう。」

「はい。
それじゃ、シンジ君、綾波さん、惣流さん、おやすみなさい。
今日は、楽しかったよ。」
カヲルの言葉に、シンジたちがお休みの挨拶を返す。
その間にミサトは、いったん自分の部屋に戻った。



部屋の扉を後ろ手に閉めると、ミサトは小さくため息をつき、その扉にもたれた。
カヲルのことで、気持ちの整理ができないでいた。

今日の「退院祝い会」の前に、ミサトはユイの執務室に呼ばれた。
まず、
「悪いけど、今日のパーティでは、アルコール類は遠慮してくれない?」
と言われた。

「は?」
耳を疑う。

「あなたに内密で、頼みたいことがあるの。
禁酒についてのお膳立ては、私のほうでするから。」
「ええ〜っ!! そんなぁ!」
つい、大声を出してしまうミサト。

そして、これは極秘だが、と前置きされた上で、
『カヲルは、ゼーレによって使徒にされているかも知れない』と告げられた。
そして、なんらかの目的でゼーレから派遣されているのであろう、とも。

だが、ユイはそうだとしてもカヲルを味方に引き入れるつもりである、と言った。
「危険じゃないですか!」
ミサトは反対した。

「危険は承知のうえで、カヲルを救うためにも、説得しなければならない。
もとは人間の筈であり、使徒化を未然に防げなかったのは、自分にも責任がある。」
と、いうようなことをユイは言った。

そのうえで、万一に備えてミサトに待機してほしい、とユイに頼まれた。
説得に失敗し、カヲルが本性を現すようなことがあれば、
他のチルドレンを守るために、カヲルを撃たなければならない。
ミサトは、承諾するしかなかった。

「冗談じゃないわ、まったく。」
再度、ため息をつくとミニスカートを15センチほど捲り上げた。
そこに現れた小型のホルスターから、手のひらにおさまりそうな、これも小型の拳銃を抜く。至近距離から撃てば、これでも充分殺傷能力はある特殊なものだ。

弾数を確認するとミサトは拳銃を元に納めた。
ユイの言葉が思い出される。
     ・
     ・
     ・
「あなたは、カヲル君の正面に座ってちょうだい。
あなたが、本当に危険だと思ったら、あなたの判断で撃ってもらってかまわない。
そういう事態にならないことを祈るけど、万一のときは一瞬の判断の遅れが命とりになるわ。
ATフィールドを展開されたら、銃など役にたたないかも知れないのよ。
逆に、フィールドさえ張られてなければ、レイがそうであるように、
最低でも重傷を負わせることはできるわ。」

「レイ? レイもカヲル君と同じだというのですか!」
「ATフィールドを張れるという意味ではね。
その意味でいくなら、私もそうだけど。」
「???」
ミサトは混乱した。それなら、レイもユイも使徒ではないか!

その様子を見て、ユイは微笑んで言った。
「人間にも、程度の差はあるけど、ATフィールドを張れる者がいるのよ。
人類は、18番目の使徒・・・聞いたことはない?」

「・・・あります。」
ミサトは、加持が消息をたった後、そこまでは調べていた。

「正確にいうと、群体としてしか生きられない、できそこないの使徒ね。
その中でも、より使徒に近いのが、『チルドレン』と呼ばれる者なのよ。
だから、チルドレンやその近親者の中には、訓練や生まれもった才能で、
ある程度のATフィールドを張れる者がいるの。
昔、サイキックと呼ばれた人たちの多くが、そうらしいわ。」

「わかりました。
・・・それで、もしフィールドを張られてしまったら、どうするのですか。」

「なんとか、気をそらした上で、私とレイとで、フィールドを中和するわ。
あとは、あなたにお願いすることになってしまうわね。
そうならないよう、願うけど。」
「はい。」

「それから、もうひとつ。
私たちで手に負えなくなった場合や、彼が逃亡をはかった場合に備えて、
腕利きの保安部の人間をいつでも踏み込めるように、
マンションの周囲に待機させてちょうだい。
気休めにしかならないでしょうけど。」
     ・
     ・
     ・
結果的には、ユイが説得する以前に、
カヲルはゼーレに不信を抱いていたようであり、
シンジたちの真摯な姿を目の当たりにして、ネルフに帰属することとなった。
ユイの目論見どおり、いやそれ以上の展開となった。

ミサトはほっとすると同時に、やりきれなさを感じていた。
この先、自分はカヲルに対して、どの様に接していけばいいのだろう。
ユイの口ぶりからして、カヲルは十中八九、使徒である。
自分は長年、使徒への復讐を心の拠り所としてきた。
だが、ゼーレによって無理やり使徒に変えられた者は、
復讐の対象となるのであろうか。

『シンジ君じゃないけど、【自分が納得する道を選ぶ】しかないわね。』
果たしてそれが何なのか、
ゆっくり考えるしかないのだろうな、とミサトは思った。

『そろそろ、行かなくちゃ。』
ミサトは、部屋を出て、ユイたちの後を追うことにした。



ユイとカヲルは、駐車場に向かってゆっくりと歩いていた。
「赤木博士から聞いたんだけど、お母さん、なくなったそうね。」
ユイが尋ねる。

「ええ、もう5年になりますが。」
「そう・・・。」
「母のことを、ご存知なんですね。」

「ええ、ゼーレにいた頃にね。
キョウコさん・・・アスカちゃんのお母さんとともに、『聖母候補』と呼ばれたわ。
チルドレンを生む可能性が高いということでね、集められたの。
それぞれが得意分野を持っていたので、
表向きは『研究員として招かれた』ということに、なってはいるけど。」

「交流とかは、あったんですか。」
「仲は良かった、と思うわ。
少なくとも、『リアルチルドレン』の話を聞かされるまではね。
キョウコさんは、半ば面白がっていたけど、
カグヤさんは、真剣にリアルチルドレンの生みの親になろうとしていた。
そのためには、なりふりかまわなくなっていった・・・。
そんなカグヤさんの力になれなかったこと、申し訳なかったと思うわ。」

「あなたのせいではないと思いますよ。
今日、いろいろ聞いた話で、そう思いました。
むしろ、ぼくと母は、ゼーレに騙されていたのではないか、と考えています。」

「妹さんのことを、聞いてもいいかしら。」
「サクヤは・・・ゼーレでの実験中の事故に遭って、消えました。」
カヲルは、『使徒化に失敗した』とは言わなかったが、ユイに与えた衝撃は充分だった。
「そんな・・・!」

ユイは、絶句して立ち止まってしまう。
そんなユイを振り返るようにして、カヲルは言った。
「母は、そのことで心を痛めてなくなりました。
実験の内容は、今は言えませんが、人間として許されないものであったと思います。」

「ごめんなさい。」
「どうして、あなたが謝るのです。」
「私が、もっと早くゼーレと対決していれば、そんなことには・・・。
カグヤさんも、サクヤさんも救えたかもしれない。」

「同じことですよ。
それに、ぼくは母を恨んでいます。
妹を、そんな目に合わせたのは、母の身勝手から起きたことですし。」
「カヲル君・・・。」

「すみません、あなた方はいい人たちであるとは、思います。
ですが、これまでぼくが心を許せたのは、妹のサクヤだけだったのです。
ですから、母のことは気にやまないで下さい。
ぼく自身、母のことでは気持ちの整理がつかないのですから。」

ユイは、カヲルの複雑な想いを垣間見たような気がした。

「これからどうするかは、ぼくが自分で考え、自分で結論を出さねばならないと思っています。シンジ君が、そうであったように。
斜にかまえたような態度をとるかも知れませんが、もう少し待っていただけますか。」
「わかったわ。」

そこへ、ミサトが追いついてきた。
3人は、ミサトのルノーに乗りこみ、本部へと向かった。



ユイは、カヲルとミサトを本部に残し、予定どおり一人で戻ってきた。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
シンジ一人が出迎えた。

「あら、レイちゃんとアスカちゃんは?」
「今、ふたりともお風呂に行ったところなんだ。」
そう言いながら、シンジは食器を拭いている。
パーティの後片付けは、あらかた終わっているようだ。

「そう。じゃあ、私も入ろうかしら。」
「ちょっと、三人は無理じゃないかなぁ。(汗)」
「そうかな。まあ、なんとかなるでしょ♪」
そういうと、ユイは着替えを用意すると、お風呂場の方へ行ってしまった。

「お邪魔するわよ〜。」
「あら、おばさま!?
・・・って、ご、ごめんなさい。いえ、その、す、すみません!」
アスカのあわてふためく声がする。

「う〜ん、おばさまかぁ。
まあ、たしかにおばさんだものね。
いいわよ、アスカちゃん、その呼び方で。」
ユイは、笑いながら言う。

「はい。」
「じゃあ、私も入らせてもらうわね♪」
「え・・・あの・・・。」
「どうぞ。」
アスカは一瞬、躊躇したようだったが、レイがあっさりと招き入れた。
「ありがと。」
そういうと、ユイは浴室に入っていった。

『か、かあさん。ちょっと強引じゃないかな。(汗)』
シンジは少し心配したが、やがて浴室から屈託のない笑い声が聞こえてきて、
いらぬ心配であったと、思い直した。

あれが、ユイのキャラクターなのであろう。
『とうさんの前でも、ああだったのかな。
だとすると、あのとうさんも、かあさんの尻にしかれていたのかな。』
シンジはそう思ったが、ちょっと想像ができなかった。

それからしばらくして、三人はお風呂から上がってきた。
すっかり打ち解けた、リラックスした雰囲気である。
口数の少ないレイにしても、ユイと並ぶと母と娘の関係のように見える。

そういえば、レイはユイに良く似ている、とシンジは思った。
髪と目の色は、もちろん違う。
髪の質は、ユイの方が柔らかそうだ。
それ意外について、レイの顔をもっといたずらっぽくした上で、
少し大人びた感じにすると、見分けがつかなくなるのではないか、
とシンジは思う。

『他人の筈なのに、ここまで似ているものなのかな。
ひょっとすると・・・。』
自分とレイは父親が違う兄妹で、母親は同じユイなのだろうか。
レイの父親は事情があっていなくなり、ただひとり事情を知るゲンドウが、
やむなくレイを引き取ったのではなかろうか。

そこまで考えて、シンジは矛盾に気付いた。
『父親が違うなら、ぼくとレイが同い年のわけないじゃないか!』
じゃあ、やっぱり他人のそら似かぁ。
・・・シンジが考え付くのは、そこまでだった。



「渚カヲルから、連絡がこないのはどういうことだ?」
キール・ローレンツは、苛々した口調で言った。
お馴染みの周囲を闇に囲まれた、ゼーレの定例会議の席上である。

低い声がそれに応じる。
「まずは、碇の息子と親交を暖めた上で、
絶望の淵に突き落とすということではなかったのか。
今はまだ、信用を得るための準備段階ということではないのか。」

「それにしても、もう五日も定時連絡がないというのは、おかしい。」
「ふむ・・・。」
しばし、沈黙が流れる。

「やつめ、裏切ったか?」
「それとも、感付かれて消されたのか。」

「いや、消されてはいない。
つい先程、監視員からの報告があった。
夕方から外出していたが、作戦部長の車に同乗して、
ネルフ本部に戻ってきたということだ。」
キールが、そう告げる。

「と、なるとやはり、裏切ったのか、
なんらかの事情で動きがとれなくなったと、考えるべきだろうな。」
「こんなことなら、碇のときと同様に、鈴をつけておくべきだったな。」

「鈴か・・・。」
キールは、しばし考えると言った。
「今からでも遅くはない、鈴を送るとしよう。」

「碇のときのように、鳴らない鈴では困るぞ。」
「こちらが弱みを握っていれば、問題あるまい。」
「あてがあるのだな。」

「うむ。我らが開発費を援助した日本の戦自の特車部隊に、
パイロットとしては役に立たなくなった元少年兵がいる。
その者の両親は、我らと戦自との連絡員でもある。
特務を与えれば、いやとは言えまい。」

「両親を人質か。だが、少年がネルフに入りこむのは容易ではないぞ。」

「ネルフに潜入するのではない。
チルドレンたちが通っていた学校が、来週から再開されるらしいのだ。
チルドレンといえど、学童だ。
義務教育である以上、登校することになるだろう。」

「転校生ということで、接触させるのか。」
「そうだ。もうひとつ言うならば、元少年兵といっても、男ではない。
名を霧島マナという、女子生徒だ。
警戒されることは、あるまい。」
そういうと、キールは不敵な笑みを浮かべた。



その晩、レイは夢を見た。
漆黒の天を頂いて、只ひとり大地に立っている夢だった。
膝から下は、白い霧のようなものが漂っていて、地面は見えない。

自分の他には、だれもいない。
ただ目の前の、自分の胸の高さには、
手のひらに収まりそうなくらいの、赤い球体が浮いていた。

そのとき、自分は白い薄衣のようなものを着ていることに気付いた。
自分は、こんな服など持っていなかった筈だ。
まるで、女神か妖精のような感じの服だった。
そのことで、ああ、これは夢なのだ、とわかった。

それでいながら、たまらなく淋しかった。
誰でもいい、「他人」の存在が欲しかった。
他人の意思を感じたかった。

そして、自分の求めるものが、目の前の球体の中にあることに気付いた。

思わず、球体に向かって手をさしのべる。
球体を両手で包むように、手をかざす。
すると、暖かい光の粒のようなものが、球体からあふれ出し、
自分の両手に流れこんできた。

レイは、満ち足りたものを感じた。
『おかえりなさい、私の子供たち。』
理由もなく、そんな想いが、ふっと胸に湧いた。

流れ込む光の粒のそれぞれから、ヒトの意思のようなものを感じる。
もう、自分はひとりではない、そう思ってレイは微笑んでいた。

そのときだった。
「・・・勝手すぎるよ!」
頭の中で声が響いた。
レイには、その声がシンジのものに思えた。

同時に、光の粒から流れ込む意志が、どのようなものであるかを悟った。
それは、恐怖であり、絶望であり、怨嗟であった。
世界が、悲しみで満ち満ちていくのを感じた。

「そんな・・・!」
レイは絶望した。こんな筈ではなかった。そんなつもりではなかった。

ぶしゅううううぅぅぅぅぅ・・・。
レイの首筋から、鮮血が噴き出した。
そして、そのままゆっくりと、レイは後ろに倒れていった。



「いやぁぁぁぁぁ!!」
レイは、大声を出して飛び起きた。
びっしょりと、汗をかいていた。

「レイちゃん、どうかしたの!」
部屋が一番近いユイが、レイの悲鳴に真っ先に気付いて駆け付けた。
続いて、
「綾波、大丈夫!?」
「ちょっと、レイ。どうしたっていうのよ!」
シンジとアスカも駆け付けてきていた。

ユイは、シンジとアスカを見て、同意を得るように頷くと、レイの部屋のドアを開けた。
三人が部屋の中に入ると、レイがベッドに蹲るようにして泣いているのが見えた。
「どうしたの、レイちゃん。」
ユイがやさしく声をかける。

「綾波・・・。」
シンジが、つぶやくように言った。
その声に、レイは反応して顔を上げる。

「碇君!」
レイはシンジに抱きつき、肩をふるわせて号泣した。
「どうしたの、綾波。 ねえ、どうしたの。」
シンジは、見たこともないレイの感情の発露に戸惑いながらも、
そっとレイの肩に手をまわした。

「よっぽど、怖い夢でも見たのかしらね。」
アスカがそう言ったが、ユイは少し違うのではないかと思った。

「ねえ、シンジ。
今夜は、レイちゃんと一緒に寝てあげたら。」
ユイの言葉に、
「えぇ〜〜! さすがに、それはまずいんじゃないですか、おばさま!」
アスカが叫ぶように言う。
「間違いがあったら、どうするんですか!」

「シンジなら、大丈夫よ。」
ユイは微笑んでみせた。

「でも、万一・・・。」
「そのときは、私が責任をとるわ。
それよりも、今のレイちゃんは、非常に不安定だわ。
彼女が、一番信頼している人が、ついててあげないと。」

「むぅぅぅ・・・。」
しぶしぶ、アスカは認めた。
しかし、理性では納得しても、まだなにか、わだかまりを捨てきれないようだった。

『レイは今、変わろうとしているのではないか。』
そう、ユイは思った。
このところ、レイは何らかの感情を見せるようになってきた。
その感情の出し方が、まだうまくいってないがために、
何かがきっかけでそれが一度に出てしまうのではないか。

そのきっかけが、カヲルの不用意な一言であったということは、
さすがにユイもわからなかった。



ゲンドウは初号機の中で、ぽつり、ぽつりと自分の過去について、
語っていた。
かたわらには、例の子供がいる。
ユイが「初号機の意志そのもの」と呼んだ、紅い目をした子供である。

ゲンドウの語る内容は、ユイとの出会いの思い出から、
初号機にとりこまれるの間に自分がしてきたことだった。
それはある意味、懺悔といってよい内容だった。

それを、子供は身じろぎもせず、黙って聞いている。

ゲンドウが意識を向けても子供が逃げなくなってから、
ずっとその様なことを続けていた。

なんの前ぶりもなく、子供はゲンドウの前に現れ、
しばらくの間、ゲンドウを見つめている。
そして、ゲンドウは子供に話し掛ける。
その間中、子供はゲンドウの話を聞いており、
話し終えるとまた、黙ったまま姿を消す。
たまに、ゲンドウが微笑みかけたときは、子供も微笑んで返す。
そういうことの、繰り返しだった。

今回も、ゲンドウは語り疲れて、話を終わらせようとしていた。
語り終われば、子供は姿を消すはずだった。

だが、ゲンドウは、異常に気付いた。
子供は、ゲンドウの方を見ていなかった。
その体が、震えているように見えた。

「どうした。」
ゲンドウが、声をかける。

返事はなく、子供は大きく目を見開いている。
その震えが、大きくなる。

「どうした、何かいるのか。」
ゲンドウは、初号機の外を「表示」してみたが、何の姿も見えない。
それなのに、子供はそちらの方を向いて震えているのである。

「何が、見え・・・。」
ゲンドウが尋ねかけたときに、子供の姿はふっと消えてしまった。

「何かが来るのか、何かを予知したとでもいうのか・・・。」
残されたゲンドウは、ひとりそうつぶやいていた。





あとがき

ゼーレが、動き出そうとしています。
学校が再開されるようですが、果たしてなにをしかけてくるのでしょうか。

そして、レイの見た夢は、何を意味するのか。
初号機の中の「子供」は、何に怯えているのか。

「約束の終局」に向けてまた、新しい展開が始まります。
それでは、次回をお楽しみに。