今はもう、主(あるじ)もいない、とあるドイツの古城の地下室__。
姿形も判然としない暗闇の中で、円卓を取り囲む様にして、彼らはいた。

「アダムより生まれしものは、アダムに還ろうとする。」
不意に、年老いた男の声が、闇の中から湧いた。

「だが、彼らはことごとく『仕組まれた子供たち』に阻まれた。」
「さよう、それが使徒として生まれたものの宿命であり、我らのシナリオでもある。」
最初の声に呼応するように、次々と湧きあがる声。

しかし、いまだその姿は、闇にまぎれて定かではない。

「では、その『仕組まれた子供』が、アダムより生まれし者ならば。」
「そしてそれが、我らの僕(しもべ)であるならば。」

一拍の間を置いて、老人たちの声が一斉に唱和した。
「我らは、この世の王たらん。」

しばしの静寂__。

やがて、円卓の一方より、低い声がぼそりと言った。
「ネルフは、うまくいっておらぬようだな。」

やや甲高い声が、それに応じる。
「当然だ。碇ゲンドウにはあれで、それなりのカリスマ性があったのだ。
 いくらその妻とはいえ、学者ふぜいに何ができる!」

「かといって、自滅する様にも見えぬ。
 ことを起こすなら、今のうちと思われるが、いかがであろう、キール議長。」

「よかろう。」
キールの顔が、燐光に包まれたかの様に闇の中から浮かび上がった。
「明日にはダミープラントでの作業も終わる。
 タブリスを、望みどおり日本に行かせるとしよう。」

「おお、それでは!」
歓喜のざわめきが起こった。キールがそれに応える。
「うむ、間もなく、手駒がそろうことになるだろう。
 それに合わせて、依代の準備もしておかなくてはならぬ。」

「依代か・・・。碇ユイめ、思い知るがいい。くっくっくっくっく・・・」
メンバーの一人の、陰湿な笑いが響いていた。



--- 人 身 御 供  第五話---


「ずいぶんと、お待たせしたわね、あなた。」
ユイは、初号機の格納庫でひとり、アンビリカル・ブリッジの上に佇んでいた。
目の前には、両肩の拘束具を、新しいものに取りかえられた初号機がいる。

『ユイ・・・。』            
ゲンドウは、初号機のコアの紅いフィルタを通してユイを見ている。
ピンクのブラウスに白衣のその姿は、十数年間追い求めてきたものそのままだった。

「さて、何からお話ししたものかしら。
 もっとも、エヴァはその前に立つ者の意識を読み取ることは、レイの一件でご存知でしょう。」

『ああ、知っている。恐ろしいほどに、一方的にということもな。』
ゲンドウは、認めた。
『だが、一方的ということは、一方通行でしかないということだが。』

「あなたは、よくこのようにして、初号機の中にいた私に語りかけてくれましたわね。
 もう、ご存知でしょう。
 あなたのしてきたことは、全て私に筒抜けだったということを。」

『うっ・・・!』
ゲンドウはうろたえた。
赤木親子のこと、シンジのこと、レイのこと、あんなこと、こんなこと・・・。
ユイに知られてはならないことは、五万とあった。
それらは全て、初号機の前に立ったことでユイに知られてしまっているということであった。

『ユ、ユイ・・・』
ゲンドウは言い訳しようとしたが、それはできないことに気づいた。
当然のことながら、ユイは相当怒っていることだろう。

「うふ、うふふふふふふ。」
突然、ユイがくすくす笑い出したので、ゲンドウは当惑した。
「あなたったら、ちっとも変わっていないのね。」

『ユイ?』
ユイの反応に、ますます当惑するゲンドウだったが、すぐにユイの思念が流れ込んできた。

『わかります?あなた。
 私は長い間、初号機のコアの中にいたせいか、エヴァの特性のいくつかを受け継いでいます。
 そのひとつとして、初号機の中からあなたが発する思念も、いくらかはわかるのです。
 あなたは昔から、私の前ではうろたえるとすぐに顔に出るタイプだったから、
 今のようにわかりすぎる反応があれば、私にも伝わるのですよ。』

『な、なにぃ。』

『ほんと、かわいい人だこと。
 うそだと思うなら、私が推測できないようなことを、強めの思念で発信してごらんなさい。』

『よ、よし!』
かわいいと言われて、むっときたゲンドウは、試しにやってみることにした。
『ユイ!! 白衣のポケットに、両手を突っ込むくせは、
 不良女学生みたいだからやめろと、いつも言ってただろう。
 みっともないから、やめろぉ!』

「わ、悪かったわね。」
ユイは顔を赤くして、声に出してそう言うと、ポケットから両手を出した。

『あ・・・』
『・・・・・・』
短い沈黙のあと、ユイがまず思念を開いた.

『とりあえず、過去のことはおいておきましょう。
 これからのことで、いろいろと大変ですから。』
『う、うむ。』

『まずは、初号機の中にいる子供のような存在のことですが・・・。』
『(わかっている、初号機の意志そのものだろう。)』
その程度のゲンドウの応答は、ユイには聞こえないようだ。

『もう、お気づきかも知れませんが、あれは初号機の意志そのものです。』
『(やはり、そうか。)』

 筆者注: ゲンドウの思念が届かないときは、( )書きになります。

『あれは、淋しがりやで、好奇心が旺盛です。
 だから、私たちには子供のように感じるのでしょう。
 もっとも、南極のアダムを胎児にまで還元する途中でとったコピーを元にしているから、
 本当に、その精神が子供の状態になっているのかも知れませんが。』
『(なるほど。)』

『あれは、純粋です。それこそ、友達を求める子供のように。
 決して裏切ってはいけませんよ。
 もし、あなたがあれの協力を、全面的に得られたとしたら、
 初号機は、本来のアダムに近い力を発揮するはずです。』
『まさか!! どうして、そんなことが言える?』

ゲンドウの強い思念は、今度はユイに届いたようだった。
『私が知らないとでもお思いですか。
 あなたの右手で胎児の状態で眠っている、オリジナルのアダムのことを。』

ゲンドウは、自分の右手を見た。
手袋に隠れて見えないが、そこにはたしかにユイの言うとおり、
胎児のまま眠り続けるアダムがいる。
『これが? これがか・・・。』

『本来のアダムの何分の一かの力を持つ、アダムのコピーであるエヴァ。
 そして、計り知れない力を持ちながら、胎児として眠り続ける本来のアダム。
 あなたがその間に入って、静的に接触させることができたなら、
 エヴァは本来のアダムの力を、取り出すことができることができるでしょう。』

『(うむぅ、まさか、そんな・・・。)』
だが、あり得ない話ではないと、ゲンドウは思った。
エヴァの中に長くいたユイが出した結論であるなら、まず間違いではないだろう。

『もうひとつ言うならば、あなたが考えていた補完計画では、
 そのアダムを活かすことはできませんでした。』
『なに?』
『レイの、協力が得られないからです。
 あなたは、レイの胎内に右手を入れ、
 アダムを胎児の状態のままレイの子宮に与えた上、
 レイと結合したままリリスに吸収されようと考えたのでしょう。』

『う・・・。』
図星だった。
アダムをレイの子宮に宿した状態で、レイともどもリリスに吸収される。
そうすれば、リリスがアダムの力を得て覚醒する。
そのとき、ゲンドウは人としての意識を残したままリリスと同化できるのではないか。
そう考えた上での、ゲンドウの補完計画であった。

『神にでもなるつもり・・・ではなかったのでしょうけど。』
『もちろんだ! すべては、おまえを取り戻すための・・・。
 もっとも、今となっては無意味になったが。
 だが、レイの協力が得られないとは、どういうことだ。』

『シンジですよ。
 あなたが思っている以上に、レイの気持ちはシンジの方に向いています。
 シンジを残して、レイはリリスに戻ったりはしないでしょうし、
 仮にもし、レイがリリスに戻るようなことがあったとしても、
 それは、あなたのためではなく、シンジのためにすることでしょう。』
『(むううう)。』

『さらに、あなたがアダムの胎児をレイの子宮に与えた場合、
 レイはあなたの右腕だけを持っていくことも考えられます。』
『まさか!』

『もちろん、あなたをとるか、シンジをとるかという場合に限りますけどね。』
『(・・・・・・・・・)』

「信じられませんか。」
ユイは、声に出して言った。

ゲンドウは、はじめはまさか、そんなことが、と思ったが、
今のレイなら、ありうるかも知れない、とも思い直した。
先日の初号機暴走のきっかけとなった、3人目のレイは、【使命】よりも、
【シンジへの想い】をより強く、2人目から受け継いでいるようだった。

『そうか・・・。
 結局は、私のひとりよがりだったのか・・・。』

「気づいていただけました?
 私を取り戻そうという、お気持ちはありがたかったのですが。」
『(・・・・・・・・・)』

「きついことを言うかも知れませんが、

 リリスからレイを生み出したこと、
 あれほど反対していた【シンジをチルドレンにした】こと、
 あなたが決断したそれらのことは、すべては私に再会するためのものだったのでしょう。

 でも、自我を持つ者すべてには、自分の生きる道を選択する権利があります。
 その生き方に干渉する者には、本人に納得させる義務があるとは思いませんか。」

『私は、納得させる努力を怠ったと。』
ゲンドウは、シンジに再会したとき、いきなり「出撃」と宣言した自分を思い出していた。

「そうです。それでは、だれもあなたについてきません。
 組織の枠に縛られたオトナたちが相手なら、それもいいでしょう。
 でも、チルドレンはそうはいきません。
 自らの意思でエヴァとシンクロするチルドレンに、本来の力を発揮させるためには、
 納得ずくで乗ってもらうしかないのです。」

『今さら、私に何を言いたい。何をさせようとしている。
 こうなってしまった以上、すべては終わったことではないのか。』

「今、シンジに初号機に乗るよう、説得しているところです。
 あの子が納得して初号機に乗ってくれたなら、あなたもそれに協力してほしいのです。」

『説得するなら、負傷しているとはいえ、レイの方がたやすいだろう。
 なぜ、そこまでシンジにこだわる?』
 
「エヴァが【アダムの力】を発揮するには、最強の組み合わせでないと不可能だからです。

 最強のチルドレンであるシンジと、
 最強のエヴァンゲリオンである初号機と、
 そして、あなたが手中にしている、本来のアダムの能力。
 これらを、アダムを覚醒させずに、うまく調和させること。

 なみ大抵のことではありませんが、人の手でサードインパクトの発生を防ぐには、
 これしかないと、私は思っています。」

『・・・不可避と言われているサードインパクトを、
 人類の都合のいいように軌道修正を、補完をするのではなく、
 その根本から防いでしまおうというのか!』

「そうです。」

『うむぅぅぅ。 たしかに、【アダムの力】があればそれは可能だろう。
 だが、アダムを覚醒させてしまうと、サードインパクトどころではなくなるぞ。』

「・・・あなたと、シンジにかけるしかありません。」

『わかった、やってみよう。』
「ありがとう、あなた。」

『ユイ・・・。強くなったな。
 司令という孤独な道の中で、よくそこまで考え、決心したものだ。』
『あなた・・・。』
ユイは、白衣の袖で涙を拭った。



ネルフのとある一角の廊下__。
レイの見舞いに、フルーツの篭盛りを手にしてやってきたシンジは、
プラグスーツに身を包んだアスカとばったり出会っていた。

「アスカ・・・。パイロットに復帰できたんだね。」
「まだ、これからよ。 今日これから、シンクロテストをして、それで決まるの。」

「そうか。
 アスカなら、きっとうまくいくよ。」
「気休めじゃなくて?」
アスカは探るようにシンジを見つめた。

「も、もちろんだよ。
 今のアスカなら、きっとうまくいくって。
 そう、思うだけなんだけど。」
アスカに見つめられて、だんだんトーンダウンしていくシンジ。

「ふふ、正直ね。 でも、ありがとう。
 シンジは、これからレイのところ?」
「あ、うん。」

「どう、レイの傷の具合は。」
「うん、大分いいよ。あさってくらいには、退院できるかも知れないって。」

「そう、あとで私も行くかも知れないわ。
 レイによろしく・・・ってなに?」
「アスカ、綾波のこと、レイって呼ぶんだ。」
シンジは、信じられないものを聞いたかのように、つぶやくように言った。

「そりゃまあ、同じチルドレンだったし、一緒に使徒と戦った仲間だものね。
 シンジのことを、シンジと呼んでいるのに、
 いつまでもレイのことをファーストと呼ぶわけにはいかないわよ。」

「アスカ・・・いいんだけど、過去形でいうのはやめようよ。」
シンジは、かぶりをふって言った。
「そうね、縁起でもないものね。
 じゃあ、あたし行くからね。レイのこと、やさしくしてあげるのよ。」
「うん、アスカもがんばってね。」

シンジは、アスカを笑顔で送り出してから、その姿が見えなくなると、
ふと、真顔に戻った。

『アスカ・・・。変わったな。』
と、シンジは思う。
無理をして、変わろうとしているのかも知れないが、
少なくとも、以前のような刺々しさが、まるで消えている。
やさしくなったし、以前よりも、前向きに生きようとしている。

人とは、そんなにも変われるものなのだろうか。
なにかが、ふっきれたのかも知れない。
ふっきれたものが何かというなら、それはたぶん、エヴァに拘っていたことだろう。

『すごいな。』
シンジは純粋にそう思った。
あそこまで、今までの自分自身を、リセットできるものだろうか。
アスカは、これまでの自分を捨てて、ゼロから出発しようとしている様に見える。

自分はアスカと違って、拘るものは何もなかったが、
同じことができただろうか、と思う。
否__。
かってのアスカ以上に、自分は今、拘っているではないか。
【ゲンドウを取り込んだ初号機には乗りたくない】
これが、拘りでなくて、なんであろう。

拘りを捨てて、あるが儘に__。
それができれば、苦労はない。
シンジ自身、レイが負傷している現在、
初号機に乗れるのは自分しかないということは、重々わかっているつもりだ。

だが、理屈ではわかっていても、これは気持ちの問題である。
平時から拘りを捨てることができるのは、【悟り】を開いた聖人だけであろう。
今のシンジに、すすんで初号機に乗るだけの勇気はなかった。

『結局ぼくは、追い込まれないと、何もできないんだ。』
シンジが、自己嫌悪とともに到達した結論は、それであった。



「いい?アスカ。始めるわよ。」
マイクを通して、リツコの声が聞こえた。
エヴァ弐号機の、起動実験室である。
実験室には、リツコ、マヤ、数名の係員のほか、今日は冬月も立ち会っていた。

「いつでもOKよ。」

「アスカ君、力を抜いて。いつもどおりやればいいからな。」
冬月は、励ますつもりで、余計なことを言う。
アスカは内心、苦笑しながら、応えた。
「大丈夫ですよ、副指令。」

「第一接続開始。」
リツコのその言葉で、シンクロテストは始まった。

「この感じ、久し振りね。」
アスカはそうつぶやいた。
テストに使っているのは、模擬体ではなく、いきなり弐号機である。
それを望んだのは、アスカ自身だった。

違和感はない。
これまでの、アスカの知っている弐号機だった。
接続レベルが、手順に従がってどんどん上げられていく。

「初期コンタクト、問題ありません。」
マヤが報告する。

「作業フェイズを2へ。」
リツコの指示によってより高次な接続段階に入っていく。
最初は、やや緊張していたアスカだったが、
あたりまえのように作業が進むにつれて、余裕を感じるようになった。

『ねぇ、ママ。
 加持さんが言ってたように、本当にそこにいるの?』
ふっと、そんな想いが、頭をよぎる。

「ハーモニクスに、若干の振幅があります。正常範囲ですが。」
マヤの声に、
「大丈夫なのかね。」
冬月が心配そうに尋ねる。

「たまに、あることです。心配はいりません。」
リツコがそれに応え、引き続きマヤに命じた。
「続けて。」
「了解。 
 絶対境界線まで、あと2.4。
 ・
 ・
 1.8
 ・
 ・
 1.3
 ・
 ・
 0.9
 ・
 ・
 0.6
 ・
 ・
 0.4
 ・
 ・
 0.2
 ・
 ・
 絶対境界線、突破!
 エヴァ、起動します。」

「おお!」
冬月の心配をよそに、弐号機は起動した。

「引き続き、連動実験に入ります。」

『そう、こんな感じだった。 いつもと、同じ。』
アスカは、ある種の安らぎを感じてはいた。
『でも、ママがいる感じじゃない。眠っているから?
 ねぇ、ママ。 いるなら応えて。』
・・・応えは、なかった。


【最終シンクロ率、40.3%!】
実験終了後、アスカが聞かされた結果がそれだった。

「うーーーん、今いち!」
アスカは、そんなことを言いながらも、内心はほっとしていた。
「あら、上出来の値よ。」
リツコは、コーヒーを口に運びながら言う。

「でも、シンジが初めてエヴァに乗ったときよりも、低い値だし・・・。」
「ゼロから再出発したうえに、20日ものブランクがあってこの値は立派なものよ。
 ともかく、これでアスカの復帰は決定したわね、おめでとう。」
「あ、ありがとう。」

「私からも、おめでとうを言わせてもらうよ。」
冬月は、心底うれしそうだった。
「ありがとう、ございます!」

「まぁ、当面は・・・。」
リツコは、コーヒーカップを置いて、話し始めた。
この口調でリツコが話すと、たいていはいい話ではない。

「素早い使徒との格闘戦は、まだちょっと無理があるから、
 後方で援護にまわってもらうけど、いいかしら。

 見た感じでは、アラエルから受けた精神的ダメージは、
 あらかた回復しているようだし、元のレベルにまで戻るのも、
 そう遠いことではなさそうだから。
 そのときにまた、先陣を頼むわ。」

「わかったわ。」
今回はそれほど、悪い話ではなかった。

ちょっと今日は、雑念が多すぎた。
次回は、ママのことは気にしないで、もうちょっと集中してみよう。
そう、とりあえず今回は、「次の機会」を手に入れることができたのだ。
まだ、先は長い。
あせらずに、じっくり行こう。
アスカは、そう思った。



その日の実験はそれで終わった。
アスカはプラグスーツを着替えて、レイの見舞いに行こうと思った。
ロッカールームに向かう途中で、ミサトに出くわした。

『げっ!ミサト・・・』
加持からは、自分が生きていることは、内密にしておいてくれ、
と言われている。 
好きとかきらいとかではなく、1対1では今いちばん会いたくない相手だった。

「あら、アスカ? 実験はどうだった。」
「もう、ばっちりよ! ・・・と、言いたいところだけど、シンクロ率40.3%。
 ぎりぎりセーフってところね。」
なんとか、作り笑いをしながらアスカは応える。

「すごいじゃない! よく、そこまで回復したわね。
 ごめんね、実験、立ち会えなくて。」
「いいのよ。司令がいなくなって、今すごく忙しいんでしょ。」
「・・・まぁ、使徒の侵攻がないときは、作戦部は雑用係みたいなもんだけど、
 その雑用が馬鹿にならなくてね。」
「今夜も、遅いの。」

ミサトはすまなさそうな笑みを浮かべた。
「そうなのよ、悪いわね。
 いつかまた、腕によりをかけたスペシャルディナーカレーを作ってあげるから。」
「い、いいわよ。気にしなくて。」
引きつった笑いを浮かべるアスカ。

「それは、そうと・・・。」
ミサトは、ふと真顔に戻ると、
「アスカ、あれだけ落ち込んでいたのに、どうして吹っ切れたの。」
アスカは、来た!と思った。

 リツコは、そういうことには追求したりはしない。
あくまで、チルドレンとしての適性が重要なのであって、
プライベートなことには、干渉しないのだ。
ある意味、冷たいとも受け取れるが、それはそれで合理的で納得できる。

 ミサトは、そうではない。
アスカとシンジの保護者であるというタテマエもあるが、中途半端に突っ込もうとする。
それがありがたい場合もあるが、わずらわしいことの方が多い。

今は、とくにそうだ。
勘のいいミサトに、加持のことを感付かれてはならない。
加持と暮らし、加持に元気づけられたことを。
そして、加持が再び姿を消したことを。
フェアではないかも知れないが、それが加持との約束だから。

「いいじゃない、そんなことどうだって!」
結局は、叫んでごまかす手しか、思いつかなかった。
そして、不機嫌を装ったまま、足早にそこを立ち去ることにした。

「アスカ・・・。」
ミサトは、いらないことを言ったかと、少し後悔した。
同時に、アスカのとった態度に、妙な引っかかりを感じてもいた。 

 
 
レイは、相変わらず窓のない病室で半身を起こしながら、
傍らのシンジが梨を剥いているのを、ぼんやりと眺めていた。
手際よく剥かれていく梨の水気が、蛍光灯の柔らかい光で輝いている。

レイは、やはりこの人工の光が、自然の陽光よりも好きであった。
ひとの作ったものに、ひとのやさしさを感じられるからである。
レイの育った環境によるものか、先天的なものかはわからないが。

「はい、綾波。」
シンジは皿に移した梨に、小さなフォークをつけて手渡そうとして、
レイが左手で受け取れないことに気付き、あわててフォークを梨に突き刺した。
そしてその梨をフォークごと、レイに渡した。
シンジの手元には、梨の入った皿が残る。

「ありがとう。」
レイは、礼を言って受け取ると、口に運んだ。

「美味しい?」
シンジの問いに、「ええ。」 と応える。
傍目には、無愛想にも見えるが、レイは十分幸せな気持ちでいた。
ゲンドウですら、そんなことをしてくれたことは、一度もなかった。

そのゲンドウの、二人目のレイが大切にしていた眼鏡は、今はもうない。
何度か握りつぶそうとはしては、果たせずに涙したものであったが、
ゲンドウが初号機に取り込まれる事故の直前に、ついに破壊してしまっていた。

それは、今のレイが二人目とは違う道を選んだことの、証であったのだろうか。
それでも、ゲンドウが初号機に取り込まれたと聞いたときは、心が乱れた。
その後しばらくして、初号機に会いに行こうと思い立ったのは、
多少のうしろめたさがはたらいたのかも知れない。

だが、こうして、やさしくしてくれるシンジを目の当たりにすると、
自分はずいぶんと長い間、過去を引きずっていたものだと思う。 

「どうしたの、綾波。」
シンジの声に、レイは我に返った。

「どこか、具合でも悪いの。
 それとも、美味しくなかった?」
レイは、かぶりをふった。

「美味しいわ。 碇君も、食べて。」
レイにしてみれば、精一杯の微笑を浮かべて言った。

「あ・・・うん。」
シンジは、その妖精のような笑みに、しばし見惚れてしまっていた。



中部第二空港__。
その到着ロビーに、一人の少年がいた。

サングラスをかけることにより、他人を不安にする紅い瞳は隠しているが、
その見事なまでの銀髪が、かわりに人目を引いていた。

「ここが、サードチルドレンのいる国か・・・。」
少年、渚カヲルはつぶやくように言った。

「ようやく、会えるね。 碇シンジ君。」
カヲルは、にんまりと笑っていた。




あとがき

ついに、カヲルが現れました。
一体、どんな目的でシンジと接触しようとしているのでしょうか。

ネルフは、まだまだこれからという状況ですが、大丈夫なのでしょうか。
そんな中で、アスカの復活だけが明るい材料です。

これから、初号機と弐号機をめぐって、何が起きるのでしょうね。