「離れなさい! レイ!!」
ユイは、叫びながら、レイに駆け寄ろうとする。
ここは、エヴァ初号機の格納庫である。
ユイはリツコとともにそこを訪れ、初号機の前で一人たたずむレイを見つけたのだった。
「どうしたんです、ユイさん!」
リツコは、格納庫の入り口に、一人取り残された。
白衣をはためかせて、レイに向かって走っていくユイの後ろ姿を見送ることとなる。
まさにそのとき、初号機の眼が妖しく光った。
『ウォォォォォォォォォォォ・・・』
初号機の咆哮が響き渡り、身じろぎしようとする。
「まさか、暴走!?」
リツコは呆然とつぶやく。 尚も、レイに向かって走り続けるユイ。 そして、突然のことに眼を見開いたまま一歩も動けないレイ。
『ヴォォォォォォォォォォォ・・・』
ピシッ、ピシッ、ピシッ、
初号機は両肩の拘束具のために、動けない。 だが、身じろぎするたびに、その拘束具に亀裂が入っていくようだった。
「レイ! 逃げて!!」
駆け寄ってきたユイに、一瞬レイの意識が向いた瞬間、
ビシッ!!
ひび割れた初号機の拘束具から、こぶし大の破片が弾けとんだ。
それが、レイの左肩を直撃する。
「レイ!!」
ユイが叫ぶ中、ゆっくりと蹲るレイ。
右手で抑えた制服の左肩から、じわじわと赤いものが広がっていった。
--- 人 身 御 供 第四話---
「やめなさい!」
レイのそばにしゃがみこみ、かばうようにするとユイは叫んだ。
「あなた、やめなさい!!」
初号機を睨みながら、もう一度言う。
効果があったのか、初号機の咆哮が止まっていた。
激しく身じろぎしていたのも、様子を伺うかの様に静止した。
『ユ、ユイ・・・』
ゲンドウはうめいた。
十数年、追い求めていたものがそこにあった。
しかし、その表情には、ゲンドウに冷水を浴びせる様な厳しさがあった。
『ど、どうしたというのだ、ユイ。』
ゲンドウは、そこで事態に気付いた。
ユイがかばっているもの、それは負傷したレイだった。
『レイ・・・。これは、いったい。』
暴走しかけていた初号機が完全に停止したことを確認すると、ユイはレイの傷の具合を調べた。
幸い、骨には異常がない様であった。
だが、ひとつ間違うと、顔に当たるか、鎖骨を折るところであった。
「よかったわ。 大事にいたらなくて。」
ユイは、ほっとした。
「レイ、大丈夫? 立てる?」
レイがうなずくのを見て、肩を抱くようにして立ち上がらせた。
それから、初号機の方に向き直り、
「ゲンドウさん、あなたには伝えなければならないことが、たくさんあります。
あなたの知りたいこと、不安に思っていることがあることも、知っています。
だけど、今はレイの手当てが先決です。
そのときが来れば、ちゃんとお話しますから、待っていてくれますね。」
少し表情を和らげて言った。
『う、うむ・・・』
ゲンドウには、何が起きたかはよくわかっていなかったが、
レイが負傷した原因が自分にあることは、なんとなく理解した。
レイのことが心配でもあり、ユイの言うとおり、しばらく待つこととした。
「大丈夫ですか。」
リツコが寄ってきて、レイを支えた。
「ええ、レイを医務室に。」
3人は医務室に向かった。
後には、ゲンドウのいる初号機が残された。
『ユイ、すまんな。』
ややあって、ゲンドウはつぶやいた。
さきほど、わずかではあるが、ユイの思念が流れ込んできた。
それは、ゲンドウへの怒りと、信頼と、願いが混じりあったものだった。
何が言いたいのか、何を伝えたかったのかは、わからない。
だが、ゲンドウは待とうと思った。
待つしかない、と思った。
シンジは、ミサトのマンションの、自室にいた。
ベッドに仰向けに寝転がり、ぼんやりと天井をながめている。
「パイロットを、チルドレンをやめて、いったいぼくは、これからどうしようというんだろう。」
声に出して、そうつぶやいた。
顔を横向けると、机の上の写真立てが目に入った。
第一中学の、教室の中での写真だった。
シンジとトウジ、ヒカリ、アスカ、レイが写っていた。
以前、ケンスケが新しいカメラを買ったときに、
試写と称してみんなをむりやり集めて撮ったものだ。
「先生のところに、戻るのか。」
先生・・・それは、ゲンドウに呼ばれてここに来る前に、シンジの親代わりをしていた人だ。
しかし、そうすると、もうみんなに会えなくなる。
クラスの大半は疎開しており、第一中学は閉校になるといううわさを聞いたことがある。
だが、未練かも知れないが、シンジは友人たちとはすすんで別れる気にはなれなかった。
「シンジ君、いい?」
不意に、部屋の外でミサトの声がした。
「どうぞ。」
そういうと、シンジは起き上がり、ベッドに腰掛けた。
ミサトが部屋の中に入ってきて、
「いいかしら。」
というと、シンジのとなりに腰掛けた。
「『エヴァに乗れ。』という話ですか。」
シンジが固い声で先回りして言った。
「そうじゃないわ。」
と、ミサト。
「でも、いずれはそういう話になるかも知れないわね。
まあ、今のところは、初号機に何が起きているのか、はっきりしないから、
おいそれとさあ乗れとは、言えないわ。
それよりも。」
ミサトはそこで言葉を切った。
なにか、重要な話をしようとしている、そう思ったシンジは黙って次の言葉を待った。
「どうする、シンジ君。 ユイ博士が・・・お母さんが戻ってきたんだし、一緒に暮らさないの。」
「母、とですか。」
「私は、今のままでもいいのよ。
でも、せっかくお母さんが帰ってきたんだし、碇司令とは違って・・・ごめんなさい、こんなこと・・・」
「いえ、いいんです。続けてください。」
「その、ユイ博士はやさしい人だし、あなたのことを気にかけておられるようだから、一緒に暮らした方が、いいんじゃないかと思って。」
「でも、母も忙しいみたいだし、あれから会ってないし。
小さいときに別れたきりなので、正直、どんな人だか、よくわからないんです。」
「だからね、シンジ君。」
ミサトはシンジをまっすぐに見据えた。
「ユイ博士は、一度ゆっくりと、あなたと会って話がしたいと言っておられるのよ。」
「そうですか。」
「あらあ、気のない返事ね。 お母さんと、話したくないの?」
「そうじゃないんです。ただ・・・」
「何を、こわがっているの。」
「え!?」
「『エヴァに乗れ』といわれるかも知れないから?
それとも、理想化していた自分のお母さんが、自分の想像と違う人だとわかるのがこわいの?」
ミサトは、シンジが反発してくるのを覚悟でそう言った。
「そう、かも知れません。」
シンジの返事に、ミサトは内心がくっときた。 こらあ、重症だわ、と思った。
「そんなの、会ってみなければわからないじゃないの!
悪い方へ、悪い方へ考えて、行動を起こさなければ、何も進まないわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「いい、シンジ君。 会うだけ会ってごらんなさい。
その上で、あなたの結論を出せばいいじゃない。」
「・・・わかりました。」
シンジはユイと会いに行くことにした。
期待と不安がないまぜになった複雑な心境で、
ミサトに教えられた、本部内のユイの宿舎に向かっていた。
ユイの部屋に近づくにつれ、次第に不安の方が大きくなってきた。
「やっぱり、やだな。」
これから会うユイは、司令の代行をかって出た人だ。
自他ともに厳しい人であろうことは、容易に想像がつく。
シンジの足どりが停まった。
「やっぱり、やめとこうかな。」
でも、ミサトさんには、何て言えばいいんだろう・・・。
シンジが逡巡しているところに、意外な人物から声をかけられた。
「あら、シンジじゃない。」
声の主はアスカだった。シンジとは、逆方向に向かっているらしい。
「アスカ・・・。どうしたの、こんなところで。」
「それは、こちらの台詞よ。
まあ、いいわ。 私は副司令に呼ばれているの。」
「副指令に? なんで、また、アスカが。」
「おそらく、『もう一度、エヴァに乗ってみないか』って話じゃない?」
「え?」
「それとも、『君にはもう、見込みがないから、ドイツに帰ったらどうだね』 かもね。」
「ええっ!」
「いちいち、驚くんじゃないわよ。
でもね、あたしは最初の方じゃないかと思ってるの。」
シンジは、アスカには気のどくだが、後の方ではないかと思った。
「それで、アスカはどうするの。」
「乗るわよ、どちらにしてもね。 断られても、頼み込むつもりよ。」
「・・・そんなに、エヴァのパイロットでいたいの。」
「違うわ。 私に、適性が残っていないのなら、スッパリあきらめる。
でも、私も十年間、人一倍努力してきたという、自負がある。
駄目なら駄目で、しょうがないけれども、もう一度たしかめたいのよ。」
そこまで言うと、アスカはふっと遠い目をした。
そして、彼女にしては珍しい、おだやかな声で言った。
「そうしないと、悔いが残るでしょ。」 (・・・そうよね、加持さん。)
「アスカ・・・。」
「そうだ、この間のこと、謝っておくわ。
シンジは、私のことなんか気にしないで、自分の信じた道を行けばいいわ。
シンジは、司令代行に呼ばれているんでしょ?
遠慮なんかせずに、言いたいことを言えばいいのよ。」
「う、うん。」
シンジは、逃げようとしていた自分が恥ずかしかった。
「じゃあね、お互いに、がんばりましょ。」
アスカは、手を挙げて微笑んだ。
シンジがこれまでに見たうちで、最高の笑顔だった。
「・・・あ、うん。」
気おされたシンジを振り向きもせずに、アスカ歩き出し、やがて見えなくなった。
「悔いがないように、か・・・。」
シンジは、どういう結論が出ようと、ともかくユイに会うだけ会ってみようと思った。
ユイの宿舎は、飾り気のない、ネルフの要人としてはこじんまりとした小さな部屋だったが、白を基調とした、趣味のいい内装であった。
「よく、来てくれたわね。」
やや緊張した面持ちで入ってきたシンジを、ユイは暖かく迎え入れた。
「お邪魔します。」
「馬鹿ね、なに他人行儀なことを言ってるのよ!
そこに座って、待っててくれる?」
そういうと、ユイは小さなキッチンに入っていった。
しばらくすると、ユイがブランデーケーキと紅茶を載せたトレイを持って現れた。
「紅茶でよかったかしら。」
「ありがとう。」
シンジは、少しばかりほっとしていた。
『やっぱり、ミサトさんの言うとおり、やさしい人なんだ。』
しばらく、とりとめもない話をするうちに、かなりうちとけてきた。
「ふーん、かあさんも大変だね。」
「そんなことないわ。 今まであなたたちにかけた苦労にくらべれば。」
ふと、シンジは気になった。
「あなた、たちというと?」
「もちろん、あなたとゲンドウさん・・・とうさんのことよ。」
「とうさん・・・。
かあさんにとって、とうさんは、どんな人だったの。」
「そうね。 わがままで、自分勝手で、」
「やっぱり。」
「でも、淋しがりやで、やさしいところもある、かわいい人だったわ。」
「やさしい?」
シンジは唖然とした。
ゲンドウにやさしいところがあるなんて、とても想像できなかった。
「信じられない?」
ユイは微笑んで言った。
「あなたの名前を決めたのは、とうさんよ。」
「とうさんが?」
「それに、セカンドインパクトの直後の世界を生きなければならないことで、
あなたのことを本当に気にかけていたわ。
あなたをチルドレンにすることだって、最初は反対していたのよ。
だから、あなたは『サードチルドレン』なの。」
「そうなんだ。」
でも、それなら何故、ぼくを捨てたの。
シンジはわからなくなった。
「あの人が変わってしまったのは、私の責任ね。」
ユイは、遠い目をして言った。
気まずい沈黙が流れた。
「あの、かあさん。」
シンジは思い切って尋ねた。
「ん? なに。」
「ぼくはやっぱり、初号機に乗らないとだめかな。」
「乗るのは、いや?」
シンジは黙ってうなずいた。
「でしょうね。
でも、何故いやなのか、考えてみた?」
「だって、以前のかあさんのかわりに、あのとうさんが、初号機の中にいるんだし。
ぼくの思っていることを、全部悟られそうで、いやなんだよ。」
「心を開かなければエヴァは動かない、それは知っているわね。
とうさんの前で、心を開くのがいやなの?」
そのとおりだ、とシンジは思う。
「ときには、自分自身を、思い切りぶつけることも必要じゃないかしら。
あなたに逃げ場がない様に、とうさんも、あなたの『想い』から逃げることはできないわ。
むしろ、あなたの思念に対して、思念で返せない分、とうさんにとっては分が悪いわね。」
「そう、なんだ・・・そうなのかな。」
シンジには、わからなかった。
「私がコアにいるときは、そうだった。
めったなことで、パイロットであるあなたに、こちらからコンタクトすることはできなかった。
それができたのは、シンジが意識を失ったときだけだったわ。
それすら、思うようにはいかなかったけれど。」
レリエルのときと、ゼルエルのときだろうなと、シンジは見当をつけた。
レリエルのときは、虚数空間にとりこまれ、生命維持上の問題で意識を失ったときに、ユイの声を聞いたような気がした。
ゼルエルのときは、過剰なシンクロにより、初号機に取り込まれたが、
やはりユイと何か会話をしたような気がする。
何を話したかまでは、覚えていない。
すぐに、だれか(実はミサト)に呼ばれ、サルベージされたから。
「シンジは、自分の想いを素直に伝えればいいのよ。
初号機のコアにいるとうさんは、それから逃げることができない。
あなたにとって、理解してもらえるチャンスでもあるのよ。」
「うん、でも・・・」
「すぐにとは、言わないわ。
今の初号機は、ちゃんと起動するまでには、もう少し準備が必要だから。
そのときまで、よく考えてみてくれない?」
「わかった、そうするよ。」
とりあえず、結論を出すことは先送りにできた。
それだけで、シンジは少しほっとした思いだった。
「それからね、シンジ。」
ユイはすまなさそうに言った。
「なに?」
「できれば、あなたといっしょに暮らせるといいんだけれど・・・。」
「いいよ、かあさん。
今、すごく忙しいのはわかってるし。
少し落ち着くまで、ミサトさんのところにいるよ。」
「ごめんなさいね。 また、こういう機会を設けるわ。」
「あの、もうひとつ、聞きたいことが、あるんだけど。」
「なあに?」
「綾波は、もうエヴァには乗れないのかな。」
「そのことも、これから言うつもりだったのよ。」
ユイは目を伏せた。
「実は・・・。」
ゲンドウは、疲れ果てて眠っていた。
相変わらずの初号機のコアの中の、紅い空間である。
肉体的には、エネルギーを消費しないのだから、眠らなくても済む筈なのだが、あまりにいろいろなことがありすぎて、精神が休息を求めていたのだ。
事態が小康状態になったこともあり、束の間の休息をとっていた。
夢を見ていた。
ジオ・フロントの最深部、ターミナル・ドグマと呼ばれるところにいた。
若かりしころの自分と、傍らにいるのは初号機に取り込まれる前のユイである。
ああ、これは昔の夢だな、とその光景を傍観しているもうひとりの自分がいた。
ユイと自分が見上げているのは、十字架に磔となっているリリスである。
「裏死海文書に記述されているターミナル・ドグマ。
そこに、予言どおりに封印されている『リリス』がいた・・・」
若きゲンドウが、ぽつりとそうつぶやく。
ユイがそれに応える。
「ええ、私たち人類、リリンの母たる存在、リリスが。」
「『最初の人間・アダム』の妻であったリリス。
だが、リリスはたったひとりの同類・アダムと別れ、
悪魔の子と呼ばれるリリンを、大量に生み続けた。」
「リリスは、淋しかったのよ。永遠の命を得ていながら、他にはアダムしかいない、二人だけの世界に耐えられなくなった。
だけど、アダムは子を作ることを許さなかった。リリスを独占したかったのね。
だから、ある日リリスはアダムのもとを去り、群体としてのリリンを生むこととした。
そして、二度とアダムと会うことはなかった。」
「だが、アダムは執拗にリリスを追い求めた。
そして、リリスが手の届かぬところに行ったと知ると、
自分の身を削って新たなリリスを作り出そうとした。
それが・・・」
「『使徒』と呼ばれる者たちね。」
「そうだ。だが、いくら試みても、自分の望むリリスを生み出すことはできなかった。
サキエルをはじめとする『使徒』たちは、事情もわからぬまま、
アダムのもとからことごとく追放された。
そして、アダム自身は失意のあまり、極寒の地・南極の地下奥深くで、永遠の眠りについた。」
「アダムも淋しかったのよ。
そして、そのアダムに捨てられた『使徒』たちもね。」
「だから使徒は、自分を生み出した、アダムを追い求める。
その結果が、どのような運命が待っていようとも。」
二人が見上げるリリスに、巨大なマニュピレータが近づいていく。
これから、何かの作業をするようであった。
それをちらりと見て、ゲンドウは続けた。
「人類には、時間がない。 南極で覚醒したアダムを、我々は幸運にも再び封印することに成功した。
だが、アダムがリリスを求めて咆哮した事実は消せない。
リリスは、この状態であるからよいとしても、使徒は確実に目覚めるだろう。
そして、十数年後には、アダムを求めて活動を開始するだろう。
その前に、なんとしてもエヴァを完成させ、搭乗者たる適格者を準備しなければならない。」
「冬月先生は、どこまでご存知なんでしょうね。」
「さあ。だが、かなりの部分を知ってしまっているだろう。
いずれ、あの人には全てを話すよ。
今は、セカンドインパクトを引き起こしたということで、我々を目の敵にしているが、我々の真意を知れば、きっとわかってくれる。
それよりも・・・」
巨大なマニュピレータは、リリスの腰部に近づいていた。
そこには、十数組の、人間の足らしいものが突き出ている。
マニュピレータは、それらのうちの一組を無造作に掴むと、
ずるり、
と、引き抜いた。
・・・引き抜かれて、出てきたものは、白いマネキン人形のようなものだった。
身長は、子供くらいに見える。
目も、口も、頭髪もない。
そして、生命反応は見られなかった。
「だめか。」
ゲンドウは、がっかりした様に言った。
「リリスには、もうリリンを生み出す力が残っていないのよ。」
ユイが、ゲンドウの肩に手を置き、なぐさめる様に言う。
「やっぱり、シンジが成長してから『チルドレン』の適性を試したほうが・・・」
ゲンドウはかぶりをふった。
「おれたちの子だぞ。
年端も行かない子供に、人類の存亡を背負わせるわけにはいかん。
やはり、リリンの素体に命を吹き込むことを考えなければ。
そうだ、赤木博士が研究している、生体コンピュータへの人格移植のノウハウが使えないか。」
「それこそ、神への冒涜ではなくて?」
ユイの言葉が、妙に頭の中で響いた。
『神への冒涜か・・・おれたちがしてきたことは、
結局はそれだったのかも知れないな。』
夢の中で、事の成り行きを傍観していた、もう一方のゲンドウはそう思った。
ゲンドウの見る夢は、別のシーンに移ろうとしていた。
なにも、見えない。
自分がどこにいるのかさえ、わからない。
真の暗闇であった。
そこへ、突然声が響いた。
「お姉ちゃん、 どこへ行くの?」
子供の声だった。
「ごめんなさいね、お姉ちゃんは、もう行かなくてはならないの。」
聞いたことのある声が、それに応えている。
「そんな、せっかく友達になれたのに。いやだ、いっちゃいやだ。」
「本当にごめんなさい。ここにいたいんだけど、大切な人に呼ばれているから、行かなくてはいけないの。」
声だけが存在する世界だった。
「お姉ちゃんが行っちゃったら、またひとりぼっちになっちゃうじゃないか!」
「ごめんなさいね。どうしようもないの。あなたのことは、忘れないわ。・・・さようなら。」
「ううううう〜。」
子供は、泣いているようだ。
『これは、一体なんだ? おれが、過去に体験したことか?
違うな。 そんな記憶は、いっさいないぞ。
それに、ここは一体どこなんだ。』
ゲンドウは、子供の泣き声しか聞こえない、暗闇の中で途方にくれていた。
ふと、子供の泣き声が止んだ。
しばしの沈黙が訪れた。
そして、突然、
「じゃあ、おじちゃんが、今日から友達になってね。」
耳元で、子供の嬉しそうな声が聞こえた。
ゲンドウは、はっとして目が覚めた。
いつもの、紅い空間に戻っていた。
上下、前後のない空間である筈だったが、いつの間にか自分は倒れていたらしい。
一瞬、傍らにしゃがみこんで、自分を心配そうに見守る子供の姿が見えた。
『なに!』
ゲンドウは跳ね起きた。
子供の姿はかき消えていた。気配すら、残っていない。
『そうか、そういうことか。』
ゲンドウは、つぶやいた。
『ユイ、おまえはそうやって、【初号機】と共存してきたのか。
もう、怖れることはあるまい。
ユイにできたことだ。きっとうまくやるさ。
信じて待てば、いつかサルベージされるときも来るだろう。
それまでは、うまく【初号機】と付き合っていかなくてはな。』
ゲンドウは、そう思った。
シンジは、本部内にあるレイの病室を訪れていた。
レイが負傷したことは、ユイから聞いた。
初号機が暴走しかけたことも。
・・・暴走の初期段階であったから、ユイでも止めることができたのは、
不幸中の幸いであった。
完全な暴走状態となれば、あの場ではレイしかそれを止められまい。
だが、負傷したレイでは、それはかなわなかったであろう。
エヴァを制止することと、操縦することは異なる。
いずれも「適格者」としての適性が必要であるが、制止に必要なのは純粋なパワーであり、
操縦にはシンクロするためのテクニック,慣れのようなものが必要だ。
レイが、初号機と再びシンクロできる可能性は、ないわけではない。
だが、今は偶発的に起こった事故により、当面テストができる状況ではない・・・
そのようなことを、ユイは言っていた。
「初号機がちゃんと動くようになるまで、時間がかかるというのは、本当みたいだな。
でも、綾波は、大丈夫なんだろうか。」
病室のドアを、ノックする。
「・・・どうぞ。」
レイの返事がすぐにあり、シンジはそっとドアを開け、中に入った。
なんだか、薄暗い部屋だな、とシンジは思った。
窓がないせいかも知れない。
だが、それはレイの好みなのかも知れなかった。
「碇君・・・。」
レイは少し驚いた様子で、ベッドから上体を起こした。
左袖のない水色のパジャマの、左肩に巻かれた包帯が痛々しく白かった。
「あ、いいよ、無理しなくて。 横になってた方がいいよ。」
シンジが、あわてて言う。
レイは素直に従った。
「その、かあさんから聞いたんだ。
それで、具合はどうかな、と思って。」
レイは無言で、そういうシンジを見つめている。
レイが、シンジをまっすぐに見つめるので、シンジは内心どぎまぎした。
「ご、ごめん。 迷惑だったかな。
ちょっと、心配になっただけだから。
思ったより、元気そうでよかったよ。」
レイは、やはり無言でシンジを見つめ続ける。
「ごめん。邪魔しちゃったね。そ、それじゃ・・・」
レイは、ゆっくりとかぶりをふった。
その目に、みるみる涙があふれ出す。
「え・・・。」
言葉を失うシンジに、初めてレイは口を開いた。
「そうじゃないの・・・。うれしいの。」
ユイは、執務室の司令席に、一人座っていた。
一人しかいないときは、この部屋はどうしようもなく広い。
ため息をつくと、ぽつりと言った。
「時間がないわ・・・。」
ゼーレは、着々とネルフ攻撃のための準備を進めていることだろう。
しかし、こちらはまだ、問題が山積みの状態である。
現在、所有しているエヴァは2機。
初号機は、暴走の恐れがあり、起動できる状態ではない。
弐号機は、機体そのものは問題ないが、専用パイロットが起動できるかどうかが、不明である。
そのパイロットについての問題は・・・
レイについては、搭乗できる可能性のある機体は初号機であるが、
実際のところはテストしてみないとわからない。
テストは模擬体でも可能であるが、レイが左肩に打撲と裂傷を負っており、
すぐにテストできる状態ではない。
アスカの場合は、一度はシンクロしなくなった弐号機だが、
これも早急に再テストを行う必要がある。
精神的にはかなり回復しているようだが、最悪の場合、
チルドレンとしての適性を失ってしまっている可能性がある。
シンジの場合は、感情的な面で、搭乗することをいやがっており、
これについては時間をかけて説得する必要がある。
そのシンジは、ユイの薦めで、レイの見舞いに行っている。
「シンジ。 レイのこと、お願いね。」
それは、ユイの本心だった。
ゲンドウのいない今、レイの心の支えになるのはシンジしかいなかった。
実際のところは、もうかなり前からそうなのであるが、レイ本人が自覚している範囲内で、
今頼れる者はシンジしかいないのだ。
その一方で、ユイには「大人の計算」がはたらいていた。
負傷したレイに会わせることで、今エヴァに乗れるのは自分しかいないという、
自覚をシンジが持ってくれるのではないかという期待が、ユイにはあった。
しかしそれは、初めてシンジを初号機に乗せるときに、ゲンドウがやったことと同じである。
「大人って、身勝手よね。」
もう一度ため息をつくとともに、そう言った。
あとがき
ゼーレがそろそろ、動いてきそうです。
それなのに、ネルフには問題が山積みになったままです。
さすがのユイも、少し弱気になっているようです。
ただ、ゲンドウは、なにか糸口をつかんだみたいですね。
さて、シンジ、レイ、アスカは、これからどうするのでしょう。
そして、ゼーレは、どう動いてくるのか。
・・・次回をお楽しみに。