ダブル チェンジ 第28話

- 再 会 -


「よかったよ、綾波の足がすぐに治って。」
シンジは、傍らのレイにそう声をかけた。

「ええ、もう平気。」
応じるレイの手には、先日まで使っていた松葉杖はもうない。

二人は雨上がりの芦ノ湖畔を、並んで歩いていた。

日曜日の早朝である。
ミサトもアスカもまだ寝ていたが、朝食の用意はしてきたから、シンジが出かけていると知れても、そう
文句を言われることはないだろう。

湖から吹く風が、涼しかった。
平日にはない静寂の中を、二人で散策することは心地よかった。

だが、その静寂を無粋に破る歌声が、二人の耳に届いた。
「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がるぅ〜♪」

歌声が近づいてくる。
「ワン、ツー。ワン、ツー。休まないで、歩け〜♪」

およそ早朝の静寂には馴染まない、能天気な歌声だった。

「あら。」
歌声の主が、二人の姿に気付いて立ち止まった。

「お早うさん。こんな朝早くから、デート?」
そう言うと、その眼鏡の少女は微笑んだ。

「えっと…。」
妙に馴れ馴れしいその態度に、シンジは困惑した。

「どなたでしたっけ。どこかでお会いしました?」
「初対面よ。でも、あなたたちのことはよく知ってるわ。」

「え?」
「だって、有名人だもの。碇シンジ君と綾波レイさんでしょ?」

「あなたは…。」
「わたしは、マリ。真希波・マリ・イラストリアス。」

「ま、まきなみ、まり、いらとり…?」

「ふふ、マリでいいわよ。」
再び少女は人懐っこく微笑んで、そう言った。

「ねえ、あなたたち、よかったらわたしをネルフに案内してくれない?」
「え、どういうことですか。」

「わたし、新任のパイロットとして呼ばれてきたのよ。」
「パイロットって…エヴァの?」

「ええ。着任日より一日早いけど、挨拶しておこうと思って。」

「怪しいわ。」
シンジが何か言う前に、レイがそう言った。

「新しいパイロットが来るなんて、聞いていない。
 仮にわたしたちに知らせる必要がなかったとしても、正規の着任ならば、迎えの者が行く筈よ。
 あなた一人が単独行動している時点で、信憑性に欠けるわ。」

「あら、そう?」

「信用しないわけじゃないけど、今日は日曜日だし、正規の入り口は開いてないよ。
 明日、出直した方がいいんじゃないかな。」

「そっか。…そうね、そうするわ。 また、明日ね。ネルフのわんこ君。」
そう言うと少女は片手を挙げて、その場を去って行った。

「わ、わんこ…。」
シンジは茫然とそれを見送った。

やがて、当惑した表情で言った。
「綾波、ぼくって、犬顔に見えるのかな?」




…と、いう話をあたしは帰ってきたシンジから、朝食のときに聞いた。

「たしかに、『真希波・マリ・イラストリアス』と言ったのね?」
あたしはシンジに、詰め寄るようにして確かめた。

「そ、そうだけど。それが何か?」

「あいつだ…。」
あたしは、ため息が出る想いだった。

「あいつって?」
「前に言ったことがあるでしょ。パパが再婚した女に、あたしより一個上の連れ子がいたって。」

「まさか、その人なの?」
「間違いないわ。名前と、今聞いたその馴れ馴れしい態度からして。」

「アスカの姉さんも、パイロットに選ばれていたんだ。」
「あたしは、そいつのことを、姉さんだなんて一度も思ったことはないわ。血も繋がっていないし。」

「ミサトさんは、新しいパイロットのこと、何か聞いてました?」
シンジは今度はミサトの方を向いて、そう訊ねた。

「それが、さっぱりなのよ。マルドゥック機関からもリツコからも、何の事前連絡もないわ。
 ことによると、別のルートからかも知れない。
 ただ…。」

「ただ?」

「わたしの勘だけど、ちょっとキナ臭い匂いがするわね。気のせいならいいんだけど。」
あとから思ったことだが、このとき、ミサトの勘は当たっていた。




その頃、芦ノ湖スカイラインのとある峠の展望台で、虚空を見あげながら何事か呟く少女の姿があった。

よく見ると、呟いているのではなく、誰かと会話している様に見える。
だが、彼女にとって幸いなことに、それを知られる第三者はこの場にはいなかった。

「…わかっているわよ。そのために、わたしは生まれてきたようなものだから。」

『では、その役割を全うするべく、死力を尽くすのだな。
 間もなく、戦自が動く。
 おまえは中から揺さぶりをかけろ。
 侵入ルートは、確保してあるな?』

「まあ、なんとかなるでしょ。」

『………。』
その物言いに、姿なき声はしばし絶句している様だったが、やがて、

『…期待しているぞ。』
そう一言残すと、その気配は消えた。

少女、真希波・マリ・イラストリアスは肩を竦めた。

「自分の目的にオトナを巻き込むのは、気後れするわね。」




ミサトに本部から緊急呼び出しの電話があったのは、昼前だった。
電話を置いて、本部に向かう前にミサトはあたしたちに、今日一日は家で待機している様に言った。

「何か、あったの? 使徒が現れたのなら、あたしたちも一緒に行った方がいいんじゃないの?」
あたしがそう言うと、

「使徒ではないのよ。
 どこかのぶゎかが、MAGIを乗っ取ろうとしているらしいの。
 たぶん、リツコがそれはなんとかするでしょうけど、わたしの予感では問題はその後ね。
 場合によっては、あんたたちにも出撃要請があるでしょうから、一応待機していて。」

「出撃?」
あたしとシンジは、顔を見合わせた。

「あくまでも、万一の場合よ。たぶん、そんなことはないと思うから。
 じゃ、行ってくる。」

今思うと、あたしたちはこのとき、無理やりにでもミサトについていけばよかったのだった。
 



本部に到着したミサトは早速、日向に状況を訊ねた。

「で、ハッキングを仕掛けようとしているのは何処からか判明したの?
 さっき訊いた話では、国内じゃあないと、いうことだったわよね。」

「それが…。」
困惑する日向に続けて、青葉が話を継いだ。

「ついさきほど、判明しました。
 相手は、一ヶ所ではありません。少なくとも、五ヶ所…分かっているところで、アメリカ、ロシア、そして
 中国です。」

「なんですって! ただのサイバー・テロではないということなの?」

「政府筋のものからでもありません。この侵入パターンは…MAGIです!]

「なんてこと! 各国のネルフがすべて、敵に廻ったということなの?
 と、いうことは、相手はゼーレか…。
 わたしたちが、邪魔になったということかも知れないわね。」

ミサトは腕を組んで考えに沈んだ。

「赤木博士が今、対策を講じています。」
マヤが間に入って言った。

「間もなく対応は完了するから、心配するなということでした。」

「リツコが?」
ミサトはしばし考え、

「リツコなら、こういうことをある程度予想して、準備を進めていたかも知れないわね。」
そう言うと、はっとした様に顔を上げた。

「いけない! MAGIの占拠が不可能だと分かったら、次に敵はパイロットを狙うわ!
 日向君、すぐにパイロット全員を招集して!」

「わかりました。」




ミサトたちが混乱から立ち直ろうとしていた頃、3号機の冷凍保管庫を前にして、プラグスーツに着替え
ようとしている少女の姿があった。

「へっくしゅ!…あぁ〜さっぶっ」
スポーツバッグから取り出した、新型のプラグスーツに袖を通しながら、眼鏡の少女はつぶやく。

「いくら、N2爆雷の熱にやられた生体部品の修理をするからといって、何もこんな低温処理しなくても
 いいでしょうに。
 それとも、このまま3号機は凍結するつもりだったのかしら?」

着替えが終わった少女、真希波・マリ・イラストリアスは、保管庫の扉を開け、格納されている3号機を
見降ろした。

「いい子ね、わたしを待っててくれた?
 手足を治療中のところ悪いんだけど、出撃してもらうわよ。
 大丈夫、装甲が足りない分はA.T.フィールドでカバーするから。」

マリが見降ろす3号機は、頭部と胴体の装甲は取り換えられていたが、より損傷の大きかった手足の
部分は剥き出しのまま、包帯状のものが巻かれていた。

マリはその3号機に難なく乗り込む。

「潜入、成功っと。
 それにしても、いくら数ヶ所からの同時のハッキングで混乱しているからって、ちょっと対人セキュリ
 ティがお粗末すぎるわ。 
 ま、相手がわたしなんだから、仕方ないのもかもね。 
 さて、と。 それでは、次の指示を待ちますか。」




リツコは、MAGIの本体の中に入り込んで一作業終えたところだった。

「これで、よしと。
 まさかとは思っていたけど、本当にMAGIの占拠を狙ってくるとはね。
 細菌型の使徒が侵入してきたときに、なんとなくそんな気がして基礎設定しておいてよかったわ。」

リツコはそうつぶやくと、MAGIの外に出てメンテナンス用のハッチを閉じた。

「ともかくこれで、あと6時間はMAGIへの一切の侵入は不可能になった。
 あとはあなたの仕事よ、ミサト。」




あたしとシンジは、昼食の用意をしているところに呼び出しの連絡を受けた。

「もう、なんなのよ! 招集するならミサトと一緒でよかったんじゃないのよ!」

「仕方ないよ。事情が変わったんだろうから。」
そう言うと、シンジはガスコンロの火を止めた。

「まったく、昼ごはん食べそこなったじゃないのよ。」
ぶつぶつ言いながら、迎えの車にあたしはシンジとともに乗り込んだ。

走り出して二分もたたないうちだった。

ものすごい轟音が、あたしたちが出てきたマンションの方からした。
振り向くと、まさにあたしたちの部屋のあたりから、マンションが炎と煙を吹きあげていた。

「ちょ、ちょっと。あれ、うちのマンションじゃない! いったい、どういうことよ!」
「ぼくたちの部屋だ! まさか、ぼくたちの命を狙って…。」

「…飛ばします。しっかり、掴まっていてください。」
運転手がそう言うと、車はスピードを上げた。

何事が起こっているのか、あたしには理解できなかった。
ただ、もう、あのマンションに帰ることはできない、あそこでの生活に戻ることができないことだけが、
あたしのぼんやりした頭でも悟ることができた。




3号機に乗り込んだマリは、いつまで経っても次の指令が来ないことに苛立っていた。

かと言って、そう簡単にこちらから問い合わせの無線を発信するわけにはいかない。
やむなく、味方の通信を傍受することで、現時点の戦況を知っておこうと考えた。

「…ふうん、MAGIの占拠は失敗かぁ。”Bダナン型防壁”で6時間は侵入不可能ってことね。
 さっすが!
 それでなくっちゃ、面白くないわ。
 でも、それならそれで、どうしてわたしに次の指示が来ないのかしら。
 こんなところで、いつまでも待機していたら、干からびちゃうわ。」

事前に入手しておいた、味方の専用回線の周波数に次々とピンポイントで同調させ、各ネルフ支部や
戦自の作戦行動の指示内容を拾い出していく。

『長尾峠方面の第17中隊は、姥子方面の部隊と合流し、突入準備にかかれ。』

「…おっ、ようやく行動開始か。ずいぶんと待たせてくれたわねぇ。
 はやく、指令が来ないかなっと。」

わくわくしながら、次の周波数に合わせる。

『セカンドとサードの排除には失敗した模様。
 奴らは一足先に脱出し、ネルフ本部にに向かっていると思われます。
 ご指示をお願いします。』

「え?」
マリは我が耳を疑った。

(セカンドとサードの排除? ネルフ本部に向かているって…それって、わんこ君とアスカのこと?)

『奴らをエヴァに乗せると厄介だ。パイロットを輸送中と思われる車輛を阻止せよ。
 両サイドにネルフのマークのついた、黒塗りの乗用車だ。
 いかなる手段を講じても構わん。』

『戦闘ヘリに追尾させますが、上空からではサイドのマークまでは視認できません。』

『疑わしき車輛は全て排除せよ。黒い乗用車は全てターゲットだ!』

『りょ、了解。』
 
「なんですってぇぇぇぇ!」
マリは目を見開いて叫んでいた。

「冗談じゃないわよ! せっかく、エヴァ同志で闘えると思っていたのにぃ!
 やることがセコすぎるわ。
 まったく、オトナの考えることといったら!」

そう言うと、マリは頭上のパネルを操作してコクピットへのLCLの注入を開始した。
「アスカ、今行くからね。わたしが行くまで、死ぬんじゃないわよ。」

LCLの抽入が終わると、3号機を専用トレインで射出用カタパルトに移動させる。

「あなたが死んじゃったら、どっちが優秀か白黒つけることができなくなるじゃない。ねえ?」
そう言うマリは、瞳を輝かせ、不敵に微笑んでいた。




ミサトたち発令所の面々は、市街地に侵入した複数の戦闘ヘリの対応に苦慮していた。

それらはいきなりミサトのマンションにミサイルを撃ちこみ、さらに地上を走る車に対して無差別に発砲
を始めていたのだった。

すぐに装甲車を出動させたが、戦闘ヘリが相手ではせいぜいが威嚇することくらいしかできない。
有効な対空火器を持っているわけではないからだ。
機銃で仕留められるほど、戦闘ヘリは甘い相手ではない。

だからミサトは、第3新東京自体を戦闘形態に移行させ、対使徒用の火器管制を利用しようとしていた。
それならば空中の使徒にも対応できる汎用性がある上、圧倒的な火力もある。
数機程度の戦闘ヘリなら、簡単に駆逐できるだろう。

問題は、都市を戦闘形態に移行するまでの時間だ。
相手が使徒であれば、迎撃の準備に十分な時間をとることができた。
だが、今は一刻の猶予もない。
戦闘ビルを地上に出すまでに、敵が目的を達してしまえばそれまでなのだ。

その点で、ミサトたちには焦りがあった。
だから、3号機が射出用カタパルトに到着したとき、ようやく発令所ではその異変に気付いた。

「変です。3号機が射出準備に入っています!」

「なんですって!」
マヤの報告にミサトは驚愕した。

「やられた! 潜入した工作員がいたんだわ。すぐに射出シーケンスを解除して!」
「だめです、間に合いません! 3号機、射出されます!」

轟音とともに、3号機は射出された。




猛スピードで疾走するあたしたちの車は、いきなり上空からの発砲を受けていた。

「きゃあ!」
「うわっ?」

第一射が命中しなかったのは、幸運としか言い様がない。
車を追い抜いて低空飛行で飛び去っていく物の、その後ろ姿が見えた。

「な、何よあれ!」
「せ、戦闘ヘリだよ。うちのマンションもたぶんあいつに…。」

運転手はすぐに蛇行運転を開始した。
おかげで、第二射も外れた。
車のすぐ脇を、キュンキュンキュンという音とともに土煙と舗装道路の破片が巻き上げられていく。

「や、やっぱりぼくたちを狙ってるんだ!」
シンジが震えながら言った。
「でも、どうして?」

「そんなの、あたしが知るわけないじゃない!」
そう言うあたしの声も震えていた。

使徒と戦うのは、もうそんなに怖くはない。
戦う術(すべ)があるからだ。
でも、今の相手には対抗手段がない。
いつまでも逃げおおせるわけがない。
いずれは、やられる。しかも、その意図もわからないままに。

そして、そのとき…最期の瞬間は、間もなく来ようとしているのだ。
これが恐怖でなくてなんであろうか。

だが、それまで続いていた発砲は唐突に止んだ。
そしてその直後に、煙を吹いて墜落していく戦闘ヘリの姿が見えた。

「助かったの?」
わけもわからず、あたしたちは周囲を見廻した。

車もすでに蛇行運転を止め、スピードを落としている。

「さ、3号機が…!」
シンジが指差す方向をあたしは見た。

たしかに、両腕に包帯の様なものを巻いて直立する3号機の姿が見えた。
たぶん、あたしたちを救ってくれたものはそれだ。

(でも、3号機はまだ修理中だった筈。 だれが乗っているのだろう。)
そう思っていると、

『はあ〜い♪ アスカ、元気?』
3号機の外部スピーカーを通して、能天気な声が聞えてきた。

過去に何度か聞かされた、あたしの神経を逆なでするそのものの言い方で。

「マリ! あんたなの…。」
あたしは、暗澹たる気分に包まれていた。
                     − つづく −