ダブル チェンジ 第27話
- 揺り戻し -
「あたし、あんたに謝らなきゃいけないわね。」
第15使徒を斃し、帰宅を許されて地上に向かう道すがら、あたしはカヲルにそう言った。
「うん?」
カヲルはきょとんとして訊き返した。
「何を?」
「ひと月前のことよ。あんたたちを見棄てて、この街から逃げ出そうとした。
今まで一緒に戦ってきた仲間だというのに。
あたしは、あたしの厭戦気分を優先させてしまった。」
「………。」
「それなのにあんたとレイは、あたしとシンジをサルベージしようとしてくれた。
今回の使徒戦でだって、あたしを守ってくれた。
こんな、自分中心のあたしなんかのために。
…ごめん。」
「謝ることなんか、ないさ。」
「でも…。」
「君はもう少し、肩の力を抜いた方がいい。」
「え?」
「ヒトとは、繊細で弱いものだ。
その弱さを、勇気で補っている。
だけど、無理をするのはよくない。
いずれ、そのツケを払わなくてはならなくなるときが来るからね。」
「…そうね、気をつけるわ。」
「だから、逃げたくなったら逃げればいい。
そして戻りたくなったら戻る。
それでいいのじゃないかな。」
「ええ、ありがとう。」
なんだか、言いくるめられてしまったようだ。
でも、独特のもの言いに隠れた、カヲルのやさしさをあたしは感じ取った。
翌日。
あたしは、レイに呼ばれて”パーラー増井堂”に行った。
「珍しいわね。あんたからこんなところへ呼び出すなんて。」
「いちど、あなたと二人だけで話しておきたいと思って。」
「何よ、あらたまって。」
そう言えば、レイと二人だけで話すことって、あんまりなかった様な気がする。
「私の知る限りでは、あと少しで使徒との戦いは大詰めを迎える。
だから、あなたに言い忘れたことを言っておこうと。」
「言い忘れたこと? 何よ、それ。」
まさか、遺言でも言おうというのじゃないでしょうね。
「始めに謝っておきたいことがあるの。」
「いったい、どうしたっていうのよ。」
「アメリカ第2支部の消失…わたしは、あらかじめ知っていたの。
JAを巻き込むとまでは、予想していなかったけど。
あなたも巻きまれる可能性があったのに、わたしははっきりと言えなかった。」
「ああ、そのこと。
仕方ないんじゃない? 歴史を変えるわけにはいかないもの。
だから具体的に、第2支部がヤバイなんて言えなかったんでしょ。
それでもたしか、『そろそろ何か起きるような気がするから、気をつけて』と言ってくれたじゃない。
十分よ、それで。」
「そう言ってくれるとうれしい。
だけど、あなたの言う歴史…シナリオは、かなり変わってきているのではないかと思うの。」
「どういうこと?」
「リリスがわたしたちや赤木博士の願いを受け入れたことによって、ここ最近の展開はこれまでとかなり
変わってきている。
3号機の件を含めて、前回までと比べて犠牲が少なくなっているわ。」
「いいことじゃないの? それもリリス自身が望んだ結果でしょ?」
「でも、使徒が次々と来襲するのは、リリスが仕組んだことではないわ。
本来のシナリオは、リリスとはまた別のものによってもたらされているのだと思う。
わたしが心配しているのは、限度を超えたシナリオの改変が、よくない方向に働くのではないかと。」
「よくない方向って?」
「一言でいうなら、”揺り戻し”が起きるのではないかと。」
「揺り戻しか…。」
レイがあたしを呼び出した本題はそれか、と思った。
シンジが以前、こう言っていた。
『そのうち使徒の行動が第3新東京の破壊行為ではなく、パイロットの精神への攻撃に移ってくる。
使徒の殲滅と引き換えに、ひとり、またひとりとパイロットが戦列を離れていき、残された自分の精神
が追い込まれていったという記憶がある。』
もし、それが本来のシナリオだというのなら、揺り戻しによって今度こそ誰かが犠牲になるのではないか
…レイが心配しているのは、そういうことだろう。
3号機に取り込まれたヒカリは、結局は助かった。
第14使徒によって4号機は失われたが、カヲルとレイは奇跡的に無事だった。
そして、天敵であった前回の使徒に、あたしは打ち勝つことができた。
たしかに、うまく行き過ぎている。
だから、レイは不安を感じている。
この次こそは、だれかが戦線を離脱するのではないかと。
「大丈夫よ、レイ。」
気やすめかも知れないが、あたしはわざと能天気であることを装ってみせた。
「うまく行き過ぎているのは、ここ最近のことばかりじゃないわ。
ヤシマ作戦のころから、最小限の犠牲で使徒を殲滅できているのよ。
そのことで揺り戻しが起きるなら、とっくに起こっている筈よ。
起きていないってことは、こちらが本来の”あるべき姿”なのよ。」
「そう…。そうだと、いいわね。」
納得したかどうかは分からないが、レイはそう言った。
それから、二、三日は何事もなく過ぎた。
その日、あたしはミサトの車に同乗して、街まで買い物に出かけた。
ミサトから誘ってきたのだが、確かにあたしも欲しい服があったので、付き合うことにしたのだった。
そう言えば、ミサトと二人で出かけるなんて、ずいぶん久しぶりの様な気がする。
ミサトはなんだか、元気がなかった。
買い物というのは口実で、あたしと一緒にいたかったのではないかと思った。
だから、帰りの車中で思い切って訊いてみた。
「ミサト、元気ないみたいだけど、どうかしたの?」
「………。」
ミサトはしばらく黙っていたが、やがて
「アスカには言っておいた方がいいかもね。」
沈痛な顔をして、そう言った。
「何を?」
「加持が、死んだの。」
「え?!」
「芦ノ湖近くの採光施設の中の、冷却棟のひとつの中で、射殺死体で発見されたわ。」
「そんなところに、何で?」
「めったに人が行くところではないわ。
たぶん、誰かと密会するか、取り引きしようとしていたのでしょうね。」
「………。」
「あぶない橋を渡るのは、やめておけと言ったのに。」
「たしか、加持さんという人は特殊観察官で、ミサトの古くからの知り合いだったわよね。」
「ええ、学生時代からのね。
女とみればだれでも口説こうとする、軽い感じの奴だった。
とくに、わたしに対してはしつこくって辟易していたわ。
あんなに袖にしていたのに、決してあきらめるふうには見えなかった。
”これは、運命の出会いなんだ”とか言って…。
あいつが近づこうとすればするほど、わたしは距離を置こうとした。
今にして思えば、どうしてなんだろうと思う。
女に対してだらしないのはともかく、他人から嫌われるタイプではなかったのに。
なんだか、あいつの愛を受け入れたら、お互いが不幸になる様な気がしてならなかったのよ。」
「でも、友達だったんでしょ。」
「…そうね、あいつはなんだか、わたしと同じ匂いがした。
だから、話が合うことも多かったわ。」
「………。」
「こんなことになるなら、もう少し仲良くして、もっと早くあいつを止めるべきだった…。」
「止めるって?」
「ここだけの話、あいつは特務機関ネルフ特殊観察部所属、加持リョウジであると同時に、日本政府内
務省調査部所属、加持リョウジでもあったのよ。」
「それって、二重スパイ…。」
「ええ。」
「そっか…。」
加持さんが、死んだ。
ほとんど面識もないのに、あたしは胸が締め付けられる様な気がした。
ことによると、前の世界で、あたしはその人となんらかの関わり合いがあったのかも知れない。
ミサトと二人で物思いに沈んでいるところへ、突然ミサトに携帯電話がかかってきた。
「はい、葛城です。」
ミサトはハンドルを握りながら、襟の部分に装着された携帯電話用のマイクに向かって応答した。
「何ですって!」
緊迫した声が、それに続く。
「で、その使徒は、今どこに?」
(使徒! 使徒が、現れたの?)
あたしにも、緊張の糸がピンと張りつめた。
ミサトは運転席側の窓を開けて、上空に目を向けた。
あたしも、それに倣う。
道路沿いの木立の頂きから見え隠れするようにして、白いリング状のものが空に浮かんでいた。
(あれが!)
「こちらでも確認したわ。すぐに、そちらにう向かうわ。」
そう言って、ミサトは電話を切った。
(使徒を、肉眼で確認…か。)
あたしは、胸の内でそうつぶやいていた。
本部に集合したあたしたちパイロットは、全員プラグスーツに着替えて待機した。
「目標は、大涌谷上空にて滞空。定点回転を続けています。」
青葉二尉のいうとおり、リング状の使徒は回転運動を続けるだけで、その位置から動こうとしなかった。
「どういうことなんだろう。」
シンジが、だれに言うともなく、つぶやく様に言った。
「あの形状が、最終的なものでないことは確かね。」
リツコが、使徒の映像を見つめ続けながら言う。
「きっと、わたしたちの出方を窺っているのよ。」
そう言ったのはミサト。
「まさか!」
だれかが意外そうに言ったが、ミサトは続けた。
「いえ、あり得ない話ではないわ。使徒は確実に、知恵をつけてきている。
対抗組織である、わたしたちの存在を認識した上で、エヴァが出てくるのを待っているのだわ。」
「わたしが、行きます。」
レイが、片手をあげて名乗りをあげた。
「危険よ! みんなで行った方がいいわ。」
あたしはレイを止めようとしたが、レイはかぶりを振った。
「あれが待っているのは、わたし…。そう、あれはわたしの、”天敵”だから。」
「そんな記憶があるの?」
「いいえ。でも、わたしにはそうだとわかる。」
「………。」
あたしは前回の使徒と対峙したときに、あたしに向けられた悪意の様なものを感じとったことを思いだし
ていた。
レイもまた、同じようなものを感じているのかも知れない。
「いずれにしてもあいつがあんたの天敵で、あんたはここで決着をつけようというのね?」
「そうとってもらって、構わない。」
「わかったわ。」
「やっぱり、綾波ひとりじゃ危険だよ!」
あたしはレイに任せようと思ったのに、今度はシンジが反対にまわった。
「大丈夫、わたしに任せて。」
「それならせめて、ぼくに援護させてよ!」
「そうしなさい、レイ。」
ミサトが、静かにそう言った。
「…わかったわ。それじゃ、お願いするわ、碇君。」
「機体は、ぼくの零号機を使うといい。
3号機の方が、4号機と同型機だから使いやすいだろうけど、まだ調整が済んでいないだろうから。
…いいですか、赤木博士。」
カヲルが口を挟んできた。
「ええ、そうね。レイさえ、それでよければ、その方がいいわ。」
「わかりました。そうします。」
結局、レイの乗る零号機と、それをサポートするシンジの弐号機の二機が出撃することになった。
零号機を先頭にし、それを斜め後方から弐号機がサポートするようにして二機のエヴァが配置についた。
それぞれが、マステマとデュアル・ソーという、新しい武器を手にしている。
「どう?あんたたち。 使徒に何か、動きは見られる?」
ミサトが発令所から、二人に声をかけた。
あたしとカヲルは、その背後でプラグスーツを着用したまま、戦況を見守っている。
「…定点回転を、続けているように見えます。」
シンジが、使徒を慎重に観察した上で、その様に応答してきた。
「………。」
レイは無言のまま、緊張した面持ちで使徒を見つめ続けている。
しばらくしてから、一言だけ、つぶやく様に言った。
「来るわ。」
次の瞬間、リングの一端が切れ、一本の紐状の形態となった使徒がものすごい勢いで零号機を襲った。
「レイ、応戦して!」
「駄目です、間に合いません!!」
ミサトと日向二尉が、立て続けに叫ぶ。
「レイ!」
あたしも、思わず叫んでいた。
零号機が左手を前にかざしているのが、メインスクリーンに映し出されていた。
その前方で、展開されているA.T.フィールドが、使徒の前進を阻んでいる。
あたしは、ほっとしかけて、再び目を見張った。
レイが展開しているA.T.フィールドが、少しずつ、少しずつ、侵蝕されているのだ。
(このままでは、いずれ…。)
そう思った矢先、案の定フィールドが四散し、一気に使徒が零号機に襲いかかってきた。
(やられる!)
と思った次の瞬間、レイは手にしたマステマで、使徒の頭部を切り払っていた。
使徒は軌道を逸らされて、あらぬ方向に突進して地面に穴を穿った。
その間に、レイは零号機の体勢を立て直す。
「綾波、大丈夫か?」
シンジが思わず、弐号機で駆け寄ろうとする。
「近づいてはだめ、碇君!」
レイが珍しく、大声で叱責した。
「わたしが合図するまで、そこで待機していて!」
使徒は、地面から引き抜いた鎌首を持ち上げる様にして、再び零号機の様子を窺っている。
あのスピードと貫通力を持った使徒に対して、レイは勝算があるのだろうか。
固唾を呑んで見守るあたしたちの前で、使徒は再び零号機に向かって突進した。
それをまたも、零号機が展開したA.T.フィールドが阻む。
だが、それは僅かな時間での足止めにしかならない。
今度もマステマで切り払うことができるなどどいう保証など、どこにもないのだ。
「使徒に取りつかれては駄目よ、レイ!」
あたしは、ミサトの前の通信用マイクに向かって叫んだ。
なぜ、そう思ったのかは分からない。
思ったときには、マイクに向かって叫んでいたのだ。
「わかってるわ、アスカ。」
レイが、冷静な声で返答するのが聞えた。
同時に、零号機の機体が白っぽく光り始めた。
(そうか。それを使うのね、レイ。)
再び、使徒の侵蝕に耐えられなくなったA.T.フィールドが四散した。
使徒が、さっきよりも凄まじいスピードで零号機に向かって突進する。
正確に零号機の腹部を使徒が貫いたかと思われた瞬間、零号機の機体はふっとかき消えていた。
勢い余った使徒はさきほどよりも深く、その頭部を地面にめり込ませる。
その頭部を背後から、零号機は地面に向かって踏みつけていた。
使徒は頭部を地面から引き抜くことができずに、のたうつ様にもがいている。
(やはり、瞬間移動。)
接触する直前に、零号機は使徒の背後に回り込んだのだ。
「今よ、碇君!」
「うん!」
レイの合図とともに、弐号機が駆け寄ってきた。
デュアル・ソーの刃は、既に最高の回転数にセットされている。
「は、早く!」
レイが、苦しそうに言った。
見ると、使徒を踏みつけたところから、葉脈状のものが零号機の脚を這い上がってきている。
シンジは急いでデュアル・ソーを振りおろし、使徒の胴体のコアと思しき膨らみのある部分の切断を行な
った。
何かが爆ぜ割れる音がし、金属的な断末魔の悲鳴とともに、使徒は動かなくなった。
第16使徒は殲滅できた。
今回の犠牲はというと、零号機の右足の膝から下の神経組織を損傷しただけだった。
そして、パイロットであるレイの右足の同じ箇所に、マヒが見られた。
今は松葉づえをついているが、二、三日もすれば回復するだろうとのことだった。
第3新東京への被害はまったくなし。
第14使徒までの使徒の侵攻による爪痕は、まだ街のあちこちに見受けられるが、それも早急に復旧す
ることだろう。
レイが心配していた”揺り戻し”は、起きなかった。
そういえば、今回レイが出撃を名乗りでたのは、犠牲が出るなら自分がなろうという思惑があったのかも
知れない。単にレイの天敵であるということを、別にして。
翌日からあたしたちは、普通に学校に登校している。
鈴原はヒカリが綺麗になったせいか、朝からヒカリにべったりくっついている。
現金なやつだ。
以前は、ヒカリが口を開けば何かと言い返し、けんかばかりしていたというのに。
もっとも、鈴原にしてみれば、ヒカリに悪い虫がつかない様にしているつもりなのかも知れないが。
シンジはシンジで、右足が不自由なレイの世話をなにかと焼いている。
あたしの席に来るのは、昼休みに弁当を渡しにくるときだけだ。
まあ、いいけどね。
あんたたちの仲は認めてあげるから、今という時間を後悔のない様に楽しみなさいよ。
そんなシンジとレイを見ながら、あたしはふと思った。
もし、レイがあの能力、”瞬間移動”に目覚めていなかったら、どうなっていたのだろう。
使徒の突進を、零号機の腹部にまともに受けていたのではないだろうか。
そして、今回右脚に受けた侵蝕が、腹部から全身に広がっていっただろう。
レイのことだから、そのときなすがままに全身を乗っ取られることを放置したりはしないだろう。
ことによると、自分を捨てて自爆の選択肢を選んでいたかも知れない。
その自爆も、使徒を殲滅できるだけの威力を発揮させるには、N2爆雷数個分の規模がいるだろう。
それができるかどうかは分からないが。
そしてその結果、第3新東京は壊滅的な打撃を受けていたかも知れない。
なんだか、そんなことがあった様な気がするのは、”前の世界の記憶”だろうか。
ふだんどおりの生活が今できているのは、やはり天の…いや、リリスの配剤だろう。
あたしたちは、そのことに感謝すべきなのだろうか。
− つづく −