ダブル チェンジ 第25話

- サルベージ -


『ねえ、シンジ。』
あたしは、シンジに訊ねた。

『あんたのパパやママって、どういう人なの?』

シンジと二人で、LCLに融けてもうかなり経っている。
カレンダーや時計はないので、具体的にどれだけの刻を過ごしたかは分からないが。

以前、使徒に虚数空間に囚われたときと違って、肉体を持たないあたしたちは生命維持についての時間
的な余裕はかなりある。
そう、退屈するくらいに。
そこでシンジに、前の世界の司令…そう、リツコを殺したあの男と、今のシンジのパパとはどう違うのか、
聞いておこうと思ったのだ。

『父さんも、母さんも学者だよ。ドイツ支部直属の研究施設の。
 施設の名前は公表できないけど、父さんはそこの所長なんだ。』

『なによ、公表できない研究機関って。
 人道的に問題でもある様な研究でもしてるの?』

『まあ、それに近いかもね。
 アスカも知ってのとおり、世の中にはすぐに軍事利用に結び付けたがる人たちがいるからね。』

『そういうことね。とりあえず、研究内容は聞かないでおいてあげるわ。
 それで、夫婦仲はどうなの?』

『けっこうよかったらしいよ。』

『”らしい”って、どういうことよ?』

『母さんは…実験中の事故で…死んだことになってる。』

『そんな、まさか。ごめん、あたし…。』

『いいんだよ。エヴァのパイロットは皆、同じような境遇なんだから。』

『同じようなって、母親がいないってこと?』

『そうだよ。そのことでアスカ、何か聞いてる?』

『何も。あたしのママは、あたしがまだ小さいときに自殺しちゃってるし…。』

『それはたぶん、自殺じゃないよ。』

『どういうこと?』

『話してもいいのかな…。』

『何よ、もったいぶらずに話しなさいよ!』

『わかったよ。エヴァの秘密に関わることだから、アスカも知っておいた方がいいと思う。
 憶測も入っているから、そのつもりで。』

『わかったわ。』

あたしは、覚悟を決めてシンジの話を聞くことにした。
もう、今のシンジのパパがどういう人物であるかなんてことは、どうでもよくなっていた。




シンジのママ,碇ユイと、あたしのママ,惣流キョウコは仲のいい友達だったということだ。
先にこの世を去ったのはあたしのママの方だというが、そのことはシンジのママ,ユイさんには、ショック
だったらしい。
だから、シンジはそのときのことを、よく覚えているという。

当時、シンジがユイさんから聞いたことと、あたしの記憶を合わせると、次のようなことになる。

ママがこの世を去る少し前−−。

パパの帰りが遅い理由が仕事のことばかりではないということは、あたしも子供とはいえ感づいていた。
ママは、パパの前では何も言わなかった。
ただ、ママが一人でいるときにときどき泣いていたことは知っている。

パパはそれをいいことに、その女を家にまで連れてくるようになった。
大事な仕事仲間だとか、言っていた。
医学博士らしかったが、あたしはまだそんな言葉を知らなかったから、女のお医者さん…女医だと聞かさ
れた。

愛人であることを隠すためか、その女医がマリとかいう自分の娘まで連れてくることもあった。
その女医も、娘も、あたしには妙に馴れ馴れしくて嫌だった。
女はよくあたしに人形を買ってくれたし、娘は遊んでくれようとした。
あたしは子供心に、調子を合わせて笑みを見せていた方がいいと考え、そうしていた。
いい子でいることを見せていた方が、きっと都合がいいのだと思っていたからだった。
当時のあたしは、そういうところがママと同じだったのだ。

それでもたまに、ママが誰かに電話して愚痴を言っているのを聞いたことがある。
今思うと、それがユイさんだったのだろう。




そんなある日、ユイさんはあたしのママから、愚痴ではなく相談を受けたという。
ここから先は、シンジがユイさんから聞いた話が中心だ。

ある人造生命を、人の意思でコントロールする研究を行っているが、それを手伝ってもらえないかとパパ
に言われたというのだ。
具体的な内容としては、その生命体と神経接続が可能かどうかをテストしたいので、その被験者になって
もらえないかということだった。

『それって…エヴァじゃない!』
あたしが口を挟むと、

『そうだよ。今にして思えば、最初の搭乗実験だったんだ。』
シンジは認め、そして話を続けた。

ユイさんがママから受けた電話によると、”そんなこと恐ろしくてできない”といったん断ったものの、どうに
も研究が行き詰っているので何とか協力してくれないかと、頭まで下げられたというのだ。

どうしたらいい? と、ママはユイさんに相談した。
協力することで、あの人が感謝して家庭に戻ってきてくれるわけではないことは、分かっているつもりだと
いう。
でも、ひとときでもそれに近いことが得られるなら…ばかなことだとは、思うけれど…。

ユイさんは、「あなた自身はどうしたいの?」と訊ねたという。
結果が分かっているなら、あとは自分がどうしたいのか、それで決めればいいじゃないかと言った。
そしてその実験が、夫婦の問題とは関係なく、人類にとっては有意義なものであるものだとも。

その時点ではママはまだ、思い悩んでいるようだった。
でも、その後数日たってから、突然思い立ったように被験者になることを了承したという。

『ぼくの母さんは、アスカのお母さんがどうして迷いをふっ切ったのか、分からないと言っていた。
 でも、自分の言葉がその一端である筈だって…。
 そして、後悔して泣いていたよ。』

シンジは、辛そうにそう告げた。

『実験で、何かあったというの!?』

『うん…死亡は確認されていない。でも、それと同じことだ。
 たぶん、ぼくの母さんと同じで、実験中に消えてしまったんだよ。』

『消失…。そんな、事故死ということになってたけど…。
 あたしは、子供心に、それは嘘だと思ってた。
 だから、何年かあとに、あれは自殺だったんじゃないかと思った。
 まさか、そんなことになっていたとは…。』

『…ごめん。』

『シンジが謝ることじゃないわ。それに、シンジのママも…?』

『うん、それから3年後、後を追うようにして搭乗実験に名乗り出て。』

『そんな!』
それこそ、”自殺行為”じゃない!

『でも、母さんのやったことは無駄ではなかった。
 シンクロを安定させるには、一定の年齢の”適格者”でなければならないこと。 
 LCLの濃度や電荷の状態、プラグ深度が重要なファクターであること。
 そういったことを、記録や仮説として残していったんだ。
 だからぼくは、もっとエヴァのことを知ろうとして、それなりに勉強したんだ。』

『あんたが、博士号をとったのは、そういうことだったの。』

『うん、でも、あまり役には立っていないようだ。
 エヴァは、純粋に科学だけで動いているわけではないからね。』

『科学でなければ、何なのよ。まさか、魔術だとでもいうの?』

『どうだろうね。
 ネルフのトップや、その上部組織が掌握している、古文書みたいなものがあるらしいけど、それが関係
 しているのかも知れない。』

『シンジでも、分からないことがあるんだ。』

『ぼくはせいぜい、エヴァの基本スペックを見た上で、改善ポイントを提案できるくらいだよ。
 本当のところは、何も分からない。
 たぶん、リツコさんもそうじゃないかと思う。』

『そのリツコにしたって、あたしたちのサルベージにこれだけ時間がかかっているようじゃあねえ…。』

そう、ひとりの人間ができることなんて、たかが知れている。 
それでも、これまで使徒を斃し、ここまでこれたのは一人ひとりの力の積み重ねによるものだと思う。
古文書だかなんだか知らないけど、そんなものに頼っている筈はないとあたしは思った。




シンジから聞いた話は、確かにあたしにとってはショックだった。

ママは自殺したんじゃなく、本当に事故だったんだ。
だけどそれは、あたしのパパがママに強要しなければ起きなかったことだった。

そのことによる疑念が、あたしをショックから立ち直らせた。

(本当に、予想外の事故だったのか?
 ひょっとしてパパは、そうなることを想定した上でママをエヴァに乗せたのではないのか?)

何のために?
ママが、邪魔だったから?

そんなふうに思ってしまう。
ヒカリのことも含めて、新たな怒りが胸の奥で沸々と煮え立つのをあたしは感じていた。




LCLに融けてから、どれくらいの時間が経っただろうか。

唐突にあたしは、シンジ以外の”意思”を感じ取った。
その直後、思いもかけない言葉が、脳裏に響いた。

『アスカ、シンジ君。いるかい?』

こんな言葉づかいをする奴は、一人しかいない。
友達の家に遊びに来てるのか、あんたは!

『カヲル! あんたなの?』

『ああ、そうだよ。』

『カヲル君、どうして…今、何処にいるの?』
シンジが、あたしが言おうとしたことを先に言った。

『初号機の中さ。綾波さんも一緒にいる。』
『碇君、アスカ。変わりはない?』

『あ、あんたたち…。』
『どうして綾波とカヲル君が、初号機の中にいるの?』

『迎えに来たんだよ、君たちを。
 赤木博士に、プラグ挿入口を臨時用にもう一個作ってもらってね。
 そこに複座プラグをセットして、綾波さんと二人でシンクロを始めたんだ。
 よかったよ、君たちがすぐに”見つかって”。』

『ちょ、ちょっと。迎えに来たってことは…。』

『そう、あなたたちのサルベージを始めるのよ。』

『現実の世界に?』
そう訊ねたのはシンジだ。

『そうだよ、何か問題でも?』

『よかった! 綾波も、カヲル君も生きていたんだね!』
『ほんと、”お迎えに来た”というから、あたしもびっくりしたわよ。』

『だから、複座プラグでサルベージをサポートしに来たと…。』

『まず、あんたたちが無事だったということを報告しなさいよ!
 こっちはてっきり、あんたたちが死んだものだと思っていたんだから。
 最後に見た4号機があんな状態で、生きていただなんて思うわけないじゃないの!』

『そうか…。そうだね、ごめんごめん。』

『あまり時間がないから、サルベージを始めるらしいけど、いいかしら。』

『なによ、愛想がないわね。文句の一つや二つ、言わせなさいよ。』

『赤木博士が、そう言っているのよ。』

『わかったわよ。それで、あたしたちは何をすればいいの?』

『大したことではないわ。まずは、あなたたちの意思を確認させてもらうこと。』

『ぼくたちの、意思?』

『そう。あなたたちとの意思の疎通は、エヴァとシンクロしている今のわたしたちにしかできない。
 だからまず、サルベージの前に訊いておかなければならないの。』

『その1。』
カヲルが、レイの言葉を引き継いで言った。

『君たちは、サルベージを受け入れるかい?』

『元に戻りたいかってことでしょ? もちろんそうよ!』
『ぼくもだよ。』

『じゃあ、その2。
 君たちは、本来の碇シンジと、惣流・アスカ・ラングレーに戻りたいということでいいね?』

『あったりまえじゃないの。元に戻りたいってことは、そういうことよ!』
『精神が入れ替わったりすると拙いからだよ、きっと。ぼくも、本来の自分に戻りたい。それでいい?』

『オーケイ、それじゃ、サルベージを初めてもらうよ。
 今、二人が宣言したことを忘れないで。
 作業完了まで、君たち自身をイメージし続ける様にということだから。』

『わかったわ。』
『うん。』

『では、いったんこちらのシンクロはカットされることになるわ。
 わたしたちの思念まで残っていたら、それはノイズにしかならないということだから。
 また、後でね、碇君。』

『うん、また後で。綾波。』

それを最後に、カヲルとレイの気配は消えた。
カヲルの奴、こういうときの決め台詞こそ大事だってのに…。




しばらくすると、なんだか妙な感覚が全身を覆った。

何か、自分が何かの液体で、しかも渦を巻いている様な感じだった。
サルベージが始まったのだと、分かった。

渦の中心に、何かが生まれようとしていた。
(あたし自身を、イメージしなくては…)

カヲルのこと、シンジのこと、レイのこと、ママのこと、パパのこと…。
いろんなことが頭をよぎったが、渦の中心にはあたし自身のイメージを置き続けた。

すぐ傍に、もうひとつの渦が生まれていることに気付いたが、できるだけそちらは意識しない様にした。
たぶん、それがシンジになるものだろう。

渦の回転が速くなってきた。
その中心に、何かが固体化しようとしている。
なんだか、胎児のようなもの…あれは、あたしだ。そう、惣流・アスカ・ラングレーだ。
もう少し、もう少しだ。
何かに、押し出される様な感覚がある…。

『そう、もう行くのね。』
突然、何処かから声がした。

『幸せにね、アスカ。』
なんだか、すごく懐かしい声。

「ママ!」
あたしは、思わず叫んでいた。

気がつくと、そこは初号機の複座プラグの中だった。
あたしは全裸のまま、膝を抱えて胎児の様にLCLの中に浮いていた。

…ママ、ずっとそこにいたのね。
 わかったわ、A.T.フィールドの意味が。
 あたしを、守っていてくれたのね。
 ママ…。




あたしと、シンジは無事にサルベージされた。
聞けば、前回の使徒を暴走した初号機が斃してから、一ヶ月近く経っているという。

そこまでの長期間、あたしとシンジがLCLに融けたままでいながら、混じり合うこともなく別々に生還でき
たのは、お互いの存在を認めて会話をしていたからだろうということだった。

もし、あたしたちがカヲルとレイが死んだと思い込み、LCLの中で同じ様に二人とも落ち込んでいたとし
たら…互いに会話をすることもなく、その精神の境界はなくなり、一つになってしまっていたことだろう。
そうなるともう、サルベージどころではなくなる。

そのサルベージにしたって、あたしたちに戻る意思が明確になければ、成功しなかっただろう。
事前にその意思をカヲルとレイに確認させたのは、リツコの気転だった。
あるいは、それもまた、リツコの無意識の過去の記憶がそうさせたのかも知れない。
そして、カヲルとレイだからこそ、その役目がこなせたのだろう。

つまり、あたしとシンジが二人とも無事に戻ってこれたのは、本当に僥倖だったのだ。
二、三日の間、どこにも異常がないか調べるために退屈な検査入院をするはめになったが、それは仕方
がないことだろう。




そして、その日。
検査入院してから二日目のことだが、あたしは生涯忘れることはないだろう。

その日も午後から、カヲルとレイが見舞いに来てくれた。
あたしがベッドで身を起こして本を読んでいると、ノックがあって二人が病室に入ってきた。

「どうだい、変わりはないかい。」
カヲルがそう言った。

「”変わり”も何もないわよ。ピンピンしてるって、こういうことを言うのよ!
 早く退院させるよう、カヲルからもリツコに…。」

あたしが不満を爆発させる前に、カヲルがそれを制した。

「まあまあ、今日はお客さんを連れてきたんだから、行儀よくしよう。」
「え、お客?」

それならそうと、早くそう言ってよ。恥かいちゃうところだったじゃない!

「さ、入って。」
レイが、部屋の外にいる人に向かって手招きして言った。

「おじゃまします…。」
聞き慣れた声に、あたしは目を見張った。

入ってきたのは、鈴原と、それに寄り添った女の子だった。

「お、元気そうやないか。」
鈴原がそう言っているが、あたしは目を見開いたまま、返事ができないでいた。

「まさか、ヒカリ? ヒカリなの?」
やっと、それだけを言った。

「ええ。」
そう答える少女は、色白でシミひとつない、もちろんソバカスもない、綺麗な肌をしていた。
短めの髪の毛もさらさらで、やわらかくウェーブがかかっている。
たしかに、目鼻立ちはあたしのよく知っているヒカリだ。でも…。

(ヒカリが、こんなに綺麗な子だったなんて。)
あたしは、二の句が継げなかった。

「驚いたやろ。委員長がこんな別嬪になって戻ってきて。」
鈴原が、にんまりして言った。

「もう、鈴原ったら!」
ヒカリが、怒ったような声を出して赤くなる。
うん、たしかにいつものヒカリだ。

「赤木博士の治療のおかげなの。
 ソバカスも消えたし、固くてぱさぱさだった髪も、こんなに柔らかくなって…。」

「ほんまにな。もうこれで、学校でも惣流や綾波とタメを張れるで。」
「な、何を言ってるのよ、鈴原は!」

(そうか。たしかシンジは、全身の細胞を入れ替える画期的な治療だとか言ってたけど、そういう効果が
 あったんだ…。)

「ごめんなさい。
 あのとき、心配して見舞いに来てくれたアスカに、あんなひどいこと言って…アスカ?」

あたしは、自分がとめどもなく涙を流していることに気付いた。

「よかった…。よかったわね、ヒカリ…。」
自分でも情けなかったが、涙声になっていた。

「うん…。」
そういうヒカリもまた、涙ぐんで何度も頷いていた。
                     − つづく −