ダブル チェンジ 第23話
- 最 強 の 敵 -
リツコに頼んで、ヒカリに会いに行くことにした。
見舞いなどという、形式ばったものではない。
ただ、あたしは一言、ヒカリに詫びたかったのだ。
ヒカリがこんな目にあったのは、すべてパパのせいなのだから。
でも、ヒカリはあたしに会ってはくれなかった。
あたしがそばに行くと、
「出てって!」
と、叫ぶように言った。
全身が爛れているだろうから、その姿を見せたくないというのはわかっていた。
だから、ヒカリが入っている治療カプセルのある病室をカーテンで仕切ってもらい、そのカーテン越しに
話をさせてもらおうとしたのだ。
でも、それすらヒカリに断られた。
誰にも、会いたくないと言う。
鈴原にも、自分は死んだことにしておいてくれと言うのだ。
「ヒカリ、そんなこと言わないで。
ひと月もすれば、ちゃんと治るのだから。」
そう言ったが、聞き入れてもらえなかった。
よほどこわい目に会い、変わり果てた自分の姿を嘆いているのだろう。
あたしは、それ以上話をすることはできないと思い、あきらめて病室を出た。
「もういいの?」
病室の外で待っていたリツコが、そうあたしに訊ねた。
あたしは、黙って頷くしかなかった。
「ごめんなさいね。
3号機のことは、すべてわたしに責任があるわ。
謝って済むことじゃないけど、洞木さんの体は、ちゃんと治すから。」
「ええ、お願いね。」
リツコが怪我をおして無理をしていることは知っていたが、あたしはそう言う以外はなかった。
シンジに言わせると、これは画期的な治療方法なのだから、体の方はちゃんと治るだろう。
だが、心が受けた傷は一生治らないのではないだろうか。
リツコが言うように、責任の一端はリツコにもある。
ヒカリを、”フィフス”として選出したこと。
3号機に潜んでいた使徒を、発見できなかったことで。
だが、それを言うならヒカリを救出できなかったあたしたちも同じだろう。
エヴァをもっとうまく使いこなし、使徒を無力化できればよかったのだから。
許せないのは、やはりパパだ。
使徒を殲滅させるために、N2航空爆雷でパイロットごと”熱処理”することを命じたのだから。
あたしは、その足で”総司令執務室”に向かった。
「何の用だ。」
執務机を前にして、あたしを見上げるようにしてパパは言った。
「………。」
あたしは、黙ったまま睨みつけていた。
「わたしは、忙しい。用がないなら帰れ。」
「よくも、ぬけぬけとそんなことが言えるわね。3号機の件、あれは一体何よ!」
「3号機? そんなものは既に破棄している。使徒として、処理しただけだ。」
「ヒカリが…パイロットが乗っていたというのに?」
「当然だ。使徒を殲滅しなければ、人類に未来はない。そのためのネルフだ。」
あたしは、怒りで体が震えるのを感じた。
「子供をそのパイロットにしておいて、自分たちは高見の見物をしているくせに!
その子たちは喜んで志願したわけでもないのに、用がなくなったらその命ごと切り捨てるわけ?」
「子供の駄々につきあっている暇はない。」
「このっ!」
とうとうあたしはキレて、”その男”に向かって突進した。
ガンッ!
と、音がして、あたしは弾きとばされ、尻もちをついてしまった。
無反射強化ガラスの衝立が、設けられていたのだ。
あらかじめ、そういうことを想定して身を守っているのだ、このセコイ男は。
「くっ…。」
あたしは、呻きながら立ち上がった。
この男にいつまでも、みっともない姿を見せたくなかった。
鼻血を出さなかったことが幸いだ
「そうやって、都合の悪いことから自分の身を守りながら、あんたは何を目指しているの?」
「言った筈だ。使徒を殲滅し、人類の未来を守ることだ。」
「上層部から言われるままに動いているだけじゃない?
そしてそのオエライさんたちは、自分たちの勢力や利権のことしか考えていない。
人類全体のことなんか、これっぽっちも考えていやしないわ。
使徒が来なくても、人類が滅びるのは時間の問題ね。」
あたしは吐き捨てるように言うと、その男に背を向けた。
「何処へ行く?」
「もう、あたしはエヴァに乗りたくない。先生のところへ帰るわ。」
「また、逃げ出すのか。」
「逃げているのは、いつもあんたじゃない?」
そのまま、あたしは総司令執務室の出入り口に向かった。
(さようなら、パパ。)
背後で、その男が何処かに連絡しようとしている様だったが、もうあたしにはどうでもよかった。
家に帰り、荷物をまとめていると、
「何してるの?」
シンジが声をかけてきた。
「ここを、出ていくのよ。」
「どうして?」
「あんな司令の下で戦っていたって、だれも幸せにできない、逆に傷つけるだけだと分かったからよ。」
「ふうん。」
シンジはあたしを止めようとはしなかった。
「そっか…。」
何事か、考えているようだったが、
「じゃあ、ぼくもそうするよ。」
そう言ってきた。
「なんで、あんたまで?」
「ぼくも、洞木さんのことで嫌になったんだよ。
もう、だれも傷つくのを見たくないと思っていたけど、それは無理なんだと分かったから。」
「そう。じゃ、一緒に行く?」
「そうだね。それもいいかも知れない。少なくとも途中までは、一緒に行くことにしよう。」
「ええ。」
二人で荷物をまとめ始めた。
携帯電話を、持っていくべきかどうか、迷った。
最初、携帯はネルフから支給されたものを使っていたが、途中からミサトから貰ったものを追加した。
ヒカリを始めとする、友人たちとの連絡に利用する頻度が多くなったからだ。
いくらなんでも、”官給品”を堂々と私用で使うのは、さすがに気が引ける。
(カヲルは平気で使っているようだが)
だから一応、ふだん使っている携帯はあたしの私物なのだ。
この先も、携帯はあった方が何かと便利なのだが…。
そう思っていたら、その携帯に電話がかかってきた。
「もしもし…。」
『ああ、惣流か?』
鈴原からだった。
「なによ、あんたがあたしに電話してくるなんて、珍しいじゃない。」
『なあ、惣流。委員長と連絡がとれへんのやけど、おまえ、何か知らんか?』
「え…。」
『家にもずっと帰っておらんみたいやし、携帯も通じんのやわ。何か心当たりでもないかと思てな。』
「し、知らないわよ。あたしたち、松代での戦闘から帰ってきたばかりだし。」
『そうか。取り込んどるところにすまんかったな。何か分かったら、また連絡くれるか?』
「え、ええ。そうするわ。」
『おおきに。ほんじゃ、またな。』
あたしは、携帯をテーブルの上に置いた。
こんなもの、持って行ったところで、つらい思い出が増えるだけだ。
ここに残していくことにした。
荷物の用意ができたら、あたしとシンジは出かけることにした。
ミサトに置手紙でもしようかとも思ったけど、なんとなくそんな気分になれなかった。
うまく言えないけど、そういうこと全般が面倒になっていた。
とりあえず、駅に向かうことにした。
これからどうしよう、とあたしは思った。
やはり先生のところへ帰り、エヴァに乗る以前の生活に戻るのか。
それともこのままシンジとともに、だれも知らないところへ行って、二人で暮らすのか。
シンジと二人で暮らす…それも、いいかも知れない。
性格は正反対のようで、あたしたちは似た者同士なのかも知れないのだから。
これまで一緒に生活してきたけど、これからもうまくやっていけるだろう。
たぶん、”姉と弟”のような関係として。
カヲルのことは気になったが、あたしはあいつに、自分にないものを求めていたのじゃないかと思う。
「ねえ、シンジ。あんた、どこか行くあてはあるの?」
並んで道を歩きながら、あたしはシンジに訊ねた。
「うん? 別に、ないけど。」
「このまま二人で、だれも知らないところへ行くってのはどう?」
「いいよ、それでも。アスカは戻るところがあったのじゃないの?」
「以前の生活に戻ったところで、何もいいことなんかない様な気がしてきたのよ。」
「じゃあ、そうしようか。」
シンジは少し嬉しそうだった。
あたしも知らない土地に行くことの方が、希望が持てる様な気がしてきた。
だけど駅に着いたとき、あたしたちは意外な人物たちの出迎えを受けた。
「カヲル、レイ。どうしてあんたたちが、こんなところに?」
「綾波さんから、連絡をもらってね。たぶん、ここに来るだろうと。」
カヲルに続いてレイが、言う。
「もう、エヴァには乗らないつもりなのね。」
「そうよ。いけない?」
「いいえ。」
レイは首を横に振った。
「あなたたちには、エヴァに乗らない幸せを掴む権利があるわ。」
「見送りだよ。最後の友としてのね。」
「ぼくたちを、止めたりしないの?」
シンジの問いかけに、カヲルは微笑んで応える。
「まさか。ぼくや綾波さんに、そんな権利はないよ。」
「そう。すべて、お見通しというわけね。
それとも、これもすでに知っていた未来ということかしら。
どちらでもいいわ、そんなことは。なんにしても、これでお別れ。
あんたたちも、元気でね。」
「ええ、アスカもね。碇君も、今までありがとう。」
「綾波…。」
「碇君がもう二度と、エヴァに乗らなくて済むようにするから。」
「あ、うん…。」
「さよならは言わないよ。すべてが片付いたら、また、いつか会おう。」
カヲルがそう言い、あたしたちはそこで別れることになった。
シンジはなんだか名残惜しそうだったが、あたしは最後に二人に会えてよかったと思った。
とりあえず、電車に乗って東に向かう。
これまでの使徒戦で、危険手当てを結構もらっていたから、当面の費用は何とかなる。
問題は、物資面の方だろう。
第3新東京は、市というには小さかったけれどもコンビニもあり、食材や生活用品は豊富にあった。
でも、他の街の多くは、まだセカンドインパクトの爪痕が色濃く残っているという。
最初はちょっと不自由かも知れないが、新たに得た自由を満喫することで、よしとしよう。
ともかく、前向きに考えなくては。
そんなことを考えていたら、急に電車内の照明が非常灯の様に赤く変わった。
まだ、駅を出てからいくらも経っていないというのに。
「何よ、これ。故障?」
あたしがそうつぶやくと、すぐに車内アナウンスがあった。
『ただいま、日本政府より、非常事態宣言が発令されました。
緊急条例に基づき、当列車は最寄の退避ステーションに停車いたします。
降車後は、すみやかに指定ホールの”退避用インクライン”にご乗車ください。』
「使徒だ…。」
シンジがそう言うのを、あたしは暗澹たる気分で聞いた。
最寄りの駅で降ろされたあたしたちは、退避用インクラインに乗る列に並ぼうとした。
ところが、シンジが突然立ち止まってしまった。
「どうしたのよ?」
その背中にぶつかりそうになったあたしは、思わず抗議した
「アスカ、ここから先は、一人で行ってくれない?」
「だから、どうしたのよ!」
「やっぱりぼくは、綾波たちにすべてを押しつけることはできない。ごめん、アスカ。」
そう言うと、シンジは走り出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。」
あたしは、あわててそれを追う。
最初のうちは、追いついて連れ戻そうと思っていた。
でも、できなかった。
速い。
このあたしをもってしても、ついていくのが精一杯だった。
あの体力のなかったシンジにしてみれば、信じがたいスピードと持久力だった。
これまでの使徒との戦いの中で、相当鍛えられたのか。
それとも、それだけレイたちを想う気持ちが強いのか。
たぶん、その両方なのだろう。
追いつくのをあきらめ、あたし一人で避難所に行くことにするのか?
そう思ったが、なぜかそれはできなかった。
あたしだって、カヲルたちのことが気にならないわけではない。
(わかったわよ、もう!)
あたしは、自分の気持ちが整理できないまま、とりあえずシンジに付き合うことにした。
(今回だけだからね。ヒカリのことを、あたしは許したわけじゃないんだから)
息を切らしながら、ケイジにたどりついたあたしたちに対して、
「あなたたち…!」
ミサトが息を呑む声が聞こえ、それに続いてリツコの声が発令所から届いた。
「よく戻ってきてくれたわね。エヴァの準備はできているわ。二人とも、乗って。」
どうやら、あたしたちの失踪は知られていたものの、リツコはこうなることを予想していたらしい。
そのとき、凄まじい轟音とともに足元が激しく揺れるのを感じた。
「急いで。使徒がもう、すぐ近くまで来ているわ。
カヲル君とレイは、複座プラグ仕様の4号機でジオ・フロント内で待機しているけど、その侵攻速度と
破壊力からいって、これまでにない強敵よ。
早く援護に行ってあげて。」
ミサトに続いて、リツコが言う。
「複座プラグは準備できてるけど、機体は初号機を使うから、そのつもりで。」
「え、どうしてですか?」
シンジの問いに、
「今回の使徒の破壊力が、半端じゃないからよ。
でも、前回の使徒と違って俊敏なタイプではない。
だから、軽量化されている弐号機より、装甲の厚い初号機を使うことにしたの。」
「できるわね?」
「わかったわ。やってみる。」
あたしはミサトに、そう答えた。
再び、激しい衝撃音とともに床が揺れた。
「使徒が、ジオ・フロントに侵入してきたわ。急いで!」
複座プラグに乗り込み、初号機でジオ・フロントに出た時、すでに4号機は使徒と応戦していた。
パレットライフルを二丁構えて、乱射している。
だが、使徒のA.T.フィールドは、たやすくそれを跳ね返していた。
「なんで、A.T.フィールドを中和しないのよ!」
あたしは叫びながら、自分もパレットライフルを乱射しながら4号機に走り寄る。
自分でアンチ.A.T.フィールドを展開してみて、初めてわかった。
中和していないのではない、中和しきれないのだ。
使徒のA.T.フィールドは、何層にも展開されているのだった。
「多層A.T.フィールド…。」
シンジが、茫然とつぶやく。
「なんて奴!」
不意をつくとかしないと、まともに戦っても勝ち目がないじゃない。
4号機にある程度まで近づくと、
「どうして、戻ってきたの?」
レイが、そう言ってきた。
「碇君がもう二度と、エヴァに乗らなくて済むようにすると、言ったのに。」
「何言ってるの! あんたたち二人で斃せるような、相手じゃないでしょうが。」
あたしが言うと、
「やはり、ぼくたちはともに歩む運命にあるようだね。」
カヲルが嬉しそうに言う。
「そんなこと言ってる場合じゃないよ…あぶない!」
使徒の両腕が、突然伸びた。
4号機に向かって、信じられない速度で襲いかかる。
確実に、どこかかが切り飛ばされるか、貫かれると思われた。
「え?」
何かが、ぶれる様な感覚がしたと思ったが、気のせいだったのだろうか。
4号機は、無事だった。
「助かったよ、綾波さん。」
カヲルの、ほっとした様な声が聞こえた。
レイが、何かをしたようだ。
そういえば、4号機が一瞬、白く光ったような気がした。
「まさか、瞬間移動?」
シンジが、そうつぶやいていた。
「これが、綾波の能力…。」
そういえば、あたしたち4人の中で、レイだけがまだ特別な能力を見せていなかった。
当然、あっても不思議ではない。
「え、瞬間移動って?」
今更ながら、シンジが何を言ってるのかわからなくて、あたしは訊き返した。
「もちろん、短い距離でのみ可能なんだろうと思うけど。
ほとんどゼロ時間で移動できる能力のことだよ。
使徒との一次的接触を回避する上で、有効な手段だよね。」
「一次的接触って何よ。もっとわかりやすい言い方しなさいよ。」
「つまり、打撃とかを直前で躱したり、首を絞められた状態から抜け出せるってことだよ。
前回の使徒戦で、最後に3号機から逃げ出す使徒をはたき落としたのも、たぶんそれだ。」
「そんな力、どうして今まで使わなかったのよ。」
「使えるようになったのは、ごく最近のことだから。」
レイはそう応えて言った。
「それはいいけど、どうやってあいつを斃すのよ。」
あたしは、初号機を立ち止まらせた。
あまり4号機に近づけると、使徒から同時に攻撃を受けるかも知れないと思ったのだ。
また、できれば挟み打ちにした方がいいかも知れないのだし。
そのときに、あたしは気付いた。
使徒の、その髑髏の様な眼に、光が灯り始めたことを。
(やばい!)
さっきからこの使徒は、4号機しか見ていない。
そしてまた、何かをしようとしている。
あたしは、無意識に初号機の右腕を振った。
A.T.フィールドの、光の板が4号機の手前に向かって飛んでいく。
それが、いきなり四散するのを見た。
その直後に、別のA.T.フィールドが紅く輝いた。
最初のA.T.フィールドが、あたしが放ったものが、使徒の怪光線を受けて消滅し、その後で4号機が
A.T.フィールドを展開し、それを阻んだのだと知れた。
二重のA.T.フィールドでないと防げないほどの破壊力だ。
これを使って、この使徒はジオ・フロントに侵入してきたのだろう。
光線による攻撃では、”瞬間移動”でもそれは防ぎ切れない。
そして、さきほどから使徒のターゲットは4号機に絞られているのだ。
「カヲル…。レイ…。」
あたしは、初号機は、4号機を守り切れるのだろうか。
− つづく −