ダブル チェンジ 第21話
- 暗 雲 -
「ダミーシステムの開発ですか? そのことは先日、お断りした筈です。」
リツコは、携帯電話を耳に当てながら、はっきりとそう言った。
「わたしには、”決戦兵器”として制御できるという、確証も自信もありません。
制御できずに暴走する兵器は、つい先日も『手に負えない』と批判を浴びたばかりですし、わたしもそう
思います。
…司令が仰るように、より効率的なエヴァの運用を推し進めるのであれば、現在の複座プラグの用途の
拡大を検討した方が、現実的ではないかと考えます。」
どうやら、リツコは出張先のパパと話しているようだ。
あたしは、やれやれと思った。
どうせパパは、出張先で会ったお偉いさんに、エヴァの運用方法について注文をつけられたのだろう。
そして、その内容をたいして吟味もせず、部下であるリツコにそのまま振ってきたに違いない。
あいつはそういう奴…部下や家族に対しては偉そうなくせに、自分より地位が上の者には逆らったことが
ないんだから。
会議が中断されて、あたしたちは手持無沙汰になっていた。
この会議には、あたしたちパイロットと、リツコとミサト、そしてオペレータたちが出席している。
シンジの、エヴァを浮遊させる技術。
カヲルの、シンクロ率を自在にコントロールする技術。
そしてあたしの、A.T.フィールドを武器として扱う技術。
なかば公然となったパイロット特有のこれらの技術を、他のパイロットたちに水平展開できないか、また、
技術スタッフや作戦部の要員はどの様にそれをサポートすることができるか、それを話し合うための会議
だった筈だ。
それが、リツコあてにかかってきた携帯電話によって中断させられているのだ。
オペレータたちが、ひそひそ声で話し始めるのが聞こえた。
『このところ、赤木博士が司令に反論することが多くなったな。』
まず、日向二尉がそう言った。
『ああ。本来のE計画だけでなく、いろいろと独自の研究や開発に首を突っ込んでいるみたいだし。
それを手伝わされる俺たちは、たまったもんじゃないぜ。』
これは、青葉二尉の声だ。
『この会議自体が、そうだしな。』
『でも、使徒を殲滅させる上では、有効なものばかりでしたよ。』
伊吹二尉が口を挟む。
『今のところはな。
でも、情報の出所は教えてもらえないし、その行動には不可解なところもある。
これまでは実績があったから大目に見てもらっていたのだろうけど、あまり司令の不興をかうとろくなこ
とにならないぜ。』
『そんな…。先輩は、人類やパイロットたちのことを思ってやっているだけなのに。』
リツコは、まだパパと電話をしている。
これでは座が白けてしまって、再開後の活発な意見交換ができなくなるかも知れない。
「…S2機関の実用化ですか? あれも、危険なものです。
アメリカ第2支部の消失は、エヴァの模擬体を使ってその起動実験をしたことが直接の原因なんですよ。
使徒がここを目指してくる以上、その迎撃にはこれまでどおり電源設備があれば十分ではないかと…。
いえ、科学者として、興味がないわけではありません。しかし…。
え? 3号機をこちらで引き取るのですか?
たしかにケイジにはまだ予備がありますが、その必要性は…。
…わかりました。それが条件だということであれば、致し方ありません。
パイロットについてはすぐに実戦可能というわけにはいきませんが、ひとり、物理的に持ち上げてやれば
起動テストが可能な子供ならいます。
…はい、わかりました。では、そのように。」
やっと、リツコの電話が終わった。
「お待たせしたわね。」
やや疲れた顔をして、リツコはこちらを振り向いて言った。
「ちらっと聞こえたけど、エヴァ3号機、引き取ることになったの?」
ミサトは訊ねた。
「ええ。あんなことがあったわけだし、エヴァは危険なものだというのがアメリカの世論なのよ。
それに、JAの件もあるわ。
使徒の脅威に直接さらされているわけではないし、そんな危険な兵器はそれが必要なところで引き取っ
てもらえということになったのよ。」
「勝手なことを!
さんざん、エヴァの建造権を主張していたくせに。
わたしがJAを停めるために借り出そうとしたときは、虎の子の3号機は出せないといったくせに。
だいたい、JAの完成披露を受け入れたのも、A.T.フィールドに対抗するものとして開発されたあの防
御機構に興味があったからじゃないの?
大出力のリアクターだからこそ実現できた、PS装甲とやらに。
なにが、『そんな危険な兵器はそれが必要なところで引き取ってもらえ』よ!
自業自得だわ。」
「世論だけの問題じゃないのよ。
ダミーシステムと、S2機関の開発の要請が、ゼーレから出ているわ。
ダミーシステムについては、複座プラグの方が実戦向きであるということで、以前からわたしは断り続
けてきた。
でも、S2機関の方はそうは行かないようね。至上命令らしいわ。
アメリカに置いておけなくなった3号機で、こちらで引き続き実施しろということなのよ。」
「ねえ、どうでもいいけど、さっさと会議を再開してくんない?」
あたしは、うんざりして口を挟んだ。
「ああ、そうね。それじゃ、シンジ君の場合から行きましょうか。」
「あ、はい。」
「では、最初の質問よ。
シンジ君が、初めて弐号機のA.T.フィールドで宙に浮いたとき、なぜそれができると信じられたのか
しら。」
「えーと、それは…。」
やっと本題に入ることができた。
このあと、あたしやカヲルにも、どうやってA.T.フィールドの特殊な展開の仕方ができたのかとか、シン
クロ率をコントロールできる様になったのかという質問があった。
また、どうすれば他のパイロットでもできる様にできるのか、それぞれの作戦時の状況を振り返りながら
デスカッションが進められた。
結論からいうと、カヲルの様にシンクロ率を自分で自在に設定するのは他のメンバーには無理だろう。
だけど、あたしとシンジの様に、A.T.フィールドを特殊な形で展開することは、イメージトレーニングを
重ねることにより、可能になるのではないかということになった。
どの様なイメージトレーニングならそれができるのかということについては、いろんな憶測はされたもの
の、とりまとめることはできなくて後日また打ち合わせることになった。
その夜、あたしはカヲルと会っていた。
例の、中央公園の噴水のところだった。
「どうかしたのかい?」
カヲルは微笑んで、あたしに訊ねてきた。
「君の方から呼び出すなんて、珍しいじゃないか。」
「うん、大したことじゃ、ないんだけど。」
あたしは、噴水の貯水池のまわりに設けられた、鉄柵の部分を指でなぞりながら言った。
錆が浮いている…。
(水気の多いところにあるんだから、定期的にメンテナンスしてやらなくちゃ、駄目じゃない!)
「ちょっと、あんたと話がしたくてね。」
「シンジ君じゃなくて、ぼくとかい?」
「まあね。あいつは、お子様だから。」
「ほう…。」
「大人ってさ…。どうしてあんなにバカで、打算的なんだろうって思って。」
「アメリカで君が見たことを言っているのかい?」
カヲルは、いきなり核心をついてきた。
「まあね…。
人類を守るためとかいう、大義名分をふりかざしておきながら、あたしたちが見ても”やばい”ことに
平気で手をつけたり、不完全なままリリースするのはどうしてかな、と思って。」
「JAの開発やS2機関の実験のことを言ってるんだね。
”毒には毒を以って制す”ということじゃないのかな。」
「それは分かる。だけど、そのためには十分な時間と検証が必要でしょう?
現実に使徒という脅威があるから急がなくてはならないでしょうけど、あんなことが起きたのは、それ
が原因じゃないわ。」
「上から言われるままのスケジュールで、それをやろうとする。
遅れたら遅れたで、最低限のことしかやらずに、体裁を取り繕って世に出そうとする…そういったとこ
ろかな。」
「そうよ、バカとしか言いようがないわ。
利権が絡んでいるのかなんだか知らないけど、このままでは使徒が来なくても人類は自滅してしまうか
も知れない。
あたしたちが、命をはって守ろうとしているのが、そんな世界かと思うと…。」
「君の気持ちはわかるよ。
ぼくも昔、人類など死滅してもいいと思ったことがある。」
「え? それっていつの…。」
「だけどシンジ君や君たちを見て、考えが変わった。
未来は、”未来ある者”に託されなくてはならないのじゃないかと。」
「カヲル…。」
「だからアスカ、君はそんなことは気にしなくていい。
クラスのみんなを守ろうと決意したのだったら、それでいいじゃないか。」
「そうね、そうだったわ。」
「赤木博士もあれで、ゼーレや司令からの理不尽な要求には、精一杯抵抗しようとしてくれている。
ぼくたちも、自分がやれることをやろう。
悲観的になることも、背伸びすることもないさ。」
「ありがと。やっぱり、あんたに話してよかったわ。なんだか、気が楽になったわ。」
「そうかい、それはよかった。」
あたしたちは、どちらともなく顔を寄せ、軽く口づけをした。
それからあたしたちは、夜の公園内を少し散策して、それから家路につくことにした。
公園の西口から、外に出ようとしたとき、あたしたちにとっては思いがけない邂逅があった。
その二人連れと会うとは、まったく予想していなかった。
シンジと、レイに。
「やあ。」
カヲルは屈託のない笑顔を見せて声をかけた。
「あ…。こ、こんばんは。」
「え、ええ。」
シンジとあたしは、しどろもどろに挨拶を返す。
何もうしろめたいことはしていない筈なのに、なんだかばつが悪かった。
「今夜は、蒸すねぇ。」
「そ、そうだね。」
カヲルの問いかけに応えるシンジの目は、まだどことなく泳いでいる。
「行きましょう、碇君。」
レイに促されて
「う、うん…。それじゃ、また。カヲル君、アスカ。」
ようやくシンジは、それだけ言った。
「また、明日ね。」
あたしも落ち着きを取り戻して言う。
「ごゆっくり。」
終始笑みを浮かべているカヲルに軽く会釈して、シンジとレイは公園の奥へと立去っていった。
「あの二人、そういう関係だったんだ。」
しばらくしてから、あたしはそうつぶやいた。
「おや、知らなかったのかい。」
「そういうわけじゃないけど…。」
わかってはいた。だけど、それを目の当たりにすると、なんだか現実味がなかった。
「それとも、シンジ君に未練があるのかな。」
「まさか!」
声を大にして否定した。
だが、必要以上に大きな声を出してしまったことに、あたしは気がついた。
「気にすることはない。ぼくも、そうだからね。」
あたしは、はっとしてカヲルを振り返った。
カヲルは、やさしい目をして、あたしを見ていた。
「君自身の気持ちの問題だ。ゆっくり、整理するといい。」
「…ありがとう。」
それからしばらくの間、あたしとカヲルは、押し黙ったまま夜道を歩いた。
「たぶん、今夜は綾波さんがシンジ君を誘ったのだろうね。」
ややあって、カヲルが口を開いた。
「レイが?」
あの、レイが…? あたしには、想像できなかった。
「人前では元気そうにしているが、このところシンジ君は、ずっと落ち込んでいるようだからね。
過去に、何があったのか。
これから先、どうなるのか。
信じられるものは、一体何なのか。
前回の使徒戦のあと、そういった疑念と不安を、抱え込んだままでいるのじゃないのかな。」
それは、わかる。
でも、あたしにはシンジにかける言葉がなかった。
そういうことは、時間が解決するのを待つしかないと思っていたのだ。
「綾波さんは、シンジ君の言葉を聞いてあげようとしているのだね。
ぼくには、できなかったことだ。」
そうか、と思った。
”言葉”は、かけてあげるものではなく、聞いてあげるものなんだ。
そういうところで、あたしはレイにはかなわないと思った。
「カヲル。」
「ん? 何だい。」
「今夜は、ありがとう。また、明日ね。」
「ああ。おやすみ、アスカ。」
あたしは、小さくカヲルに向かって手をあげると、家を目指して小走りに駈け出していた。
あたしが、たまにカヲルと二人で会うのは、ミサトの帰りが遅いとわかっている夜に限られている。
一応、あたしたちの保護者なんだから、夜遅くに出歩いたりしているのがばれたら、小言のひとことも
言われると思うからだ。
今夜はシンジも出かけているわけだから、あたしが帰宅したときは、家にはだれもいなかった。
ペンペンも寝た後のようで、一人で過ごすには広すぎる室内はしんと静まりかえっている。
『シンジ君に未練があるのかな。』
不意に、カヲルの言葉が思い出される。
「馬鹿言わないでよ。」
そうつぶやきながら、あたしはこの世界に違和感を感じ始めた頃、不安にかられてここでシンジに縋り
ついたのを思い出した。
ふと、過去の世界では、あたしとシンジはどんな関係だったのだろうと思った。
今、そんなことを考えても仕方がない。
とりあえず、お風呂に入ることにする。
お風呂から出て、髪を乾かしているところにシンジが帰ってきた。
「お風呂、沸いてるわよ。入ったら?」
「うん、ありがとう。」
シンジがお風呂から出てリビングに座り込んでS−DATを聴いているところへ、あたしも背中合わせに
腰を下した。
「アスカ?」
「こっち向かないで、聞いてくれる?」
「う、うん。」
「あんたさ、いつからファーストと付き合ってるの?」
「アスカには、関係ないだろ。」
「別に怒ってるわけでも、妬いているわけでもないわ。正直に答えてほしいの。」
「綾波の歓迎会のあと、空から落ちてくる使徒を受け止めたことがあったよね。
アスカが、そのあとでしばらく入院することになったけど。その頃からかな?」
「そう…。」
(あたしがしばらく家にいなかった頃か。別の異性に目がいくのは、当然といえば当然かも知れない。)
「で、今夜のように、レイとデートするようになったのはいつから?」
「デートだなんて! 綾波にちょっと、相談ごとをしていただけだよ。」
「そうなの?」
「そうだよ! 夜に会う約束をしたのも、今回が初めてだよ!
アスカこそ、夜中にときどき出かけているのは、カヲル君に会ってるからじゃないの?」
「ときどきと言われるほど頻繁ではないけど、否定はしないわ。」
「カヲル君のことが、好きなの?」
今度は逆にシンジが訊いてきた。
「そうね、そうかも知れない。」
「そうなんだ…。」
あたしは、振り返ってシンジを見た。
シンジもこちらを向いて、あたしのことを見ていた。
いつものあたしなら、約束を破ったことを咎めるのだろうが、今はそんな気にはなれなかった。
「面白くないって顔、しないのね。」
「うん、アスカとカヲル君なら、お似合いだと思うよ。」
「正直言うと、あたしはあんたのことも、好きだったんだと思う。カヲルとはまた、違う意味でね。」
「え?」
「たぶん、前の世界では、もっと好きだったかも。」
「…。」
「迷惑かな、こんな話。」
「いや、そんなことはないけど。」
「でもね、やっぱりあんたには、レイの方がふさわしいと思う。
今のあたしには、カヲルがいるんだから、あんたはレイだけを見ていなさい。」
「そんな約束はできないよ。それに、綾波もそんなことは望んじゃいないと思う。」
「それじゃあたしが…。」
(困るのよ)と、言いたかった。
カヲルが言う様に、シンジへの未練が残ってしまう。
「でも…。」
シンジは続けて言った。
「綾波といると、落ち着くのは確かだ。この気持ちは、大切にしていこうとは思うよ。」
「そうね。それでいいわ。」
あたしも、今の気持ちを大切にしていこうと思う。
この先、どんな変化があたしたち四人の間で起きるかは分からない。
でも、今日という日は、あたしたちにとって記念すべき出発点なのかも知れないと思った。
そして翌日、エヴァ3号機がアメリカ第1支部から発進した。
T字型のプレートに磔のような形で固定され、引き起こされる様にして輸送機から吊るされたまま、ゆっ
くりと離陸した。
これから、日本までの長い道のりを旅することになる。
行く手には、これからのことを象徴するかの様に、暗雲が垂れこめていた。
− つづく −