ダブル チェンジ 第16話
- 虚 と 実 -
数日ぶりに、学校に行った。
実際、ほんの数日しかたっていない筈だった。
それなのに、あまりにクラスの雰囲気が変っていることに、あたしは驚いた。
まず、生徒の数が、三分の一近く減っていた。
そして、残りの三分の二の生徒も、みんな一様に暗く、学校特有の騒がしさがなくなっていた。
「ちょっと、これ、どういうことよ。」
あたしは、いっしょに教室に入ったシンジに、問い詰めるように訊ねた。
「あたしが、ほんのちょっと入院している間に、いったい何があったのよ?」
「使徒を受け止めたあの戦いのあとから、ずっとこうなんだよ。
ぼくたちも、最初は驚いたよ。
特別宣言D−17で避難したまま、帰ってこない人がかなりいるんだって。」
「それってつまり、そのまま疎開してしまったってこと?」
「そういうことになるね。」
シンジに代って、あたしの背後で答える声があった。
振り向くと、カヲルとレイがそこにいた。
「無理もないね。こうも頻繁に使徒が現れて、そのたびに街に何らかの被害があっては。
これまでも疎開していく人たちはいたけど、前回のD−17による避難命令は、しがらみでこの街に残って
いた人たちにとっては”渡りに船”だったのじゃないかな。」
カヲルがあたしに説明している横で、シンジとレイは軽く挨拶を交わしていた。
「あたしを見舞に来たヒカリたちは、そんなことはひと言も言ってなかったのに。」
「たぶん、それを言うと、君が負担に感じると思ったのだろうね。
せっかく使徒から街を守り、入院までしているというのに、多くの人が逃げ出しているとなると。」
「そんな…。」
あたしは、一瞬、脱力感を感じた。
だが、それはすぐに怒りに変わった。
逃げ出した人たちにではない。
カヲルが言うとおり、無理もないことなのだ。
許せないのは、その事態を招いた、使徒の存在だった。
たとえ、この世界の何かが”偽り”であろうとも、何かが仕組まれたものであったとしても。
この世界に生きる者にとっては、これが現実なのだ。
だから、あたしは…あたしたちは、この世界を守らなければいけない、そう思った。
「だけどね、アスカ。」
今度はシンジがあたしに言った。
「そのことで、ぼくたちが委縮したり責任を感じたりすることはないと思うんだ。
これまでどおり、やっていけばいい。
エヴァのパイロットとしての、役割も。
日常生活の中での、クラスのみんなとの接し方も。
変に気をつかうことの方が、いろんなところで破綻が起きるんじゃないかな。
そう思わない?」
「そうね…。」
あたしは、少し考えた。
『ヒカリ。エヴァのパイロットとして、この街をじゅうぶんに守れなくて、ごめんなさい。』
そんなことを、ヒカリに言ったりしたら、どうなるだろうか。
そのときのヒカリの表情はいろいろ考えられるが、ひとつはっきりしていることがある。
『そんなこと言わないで!』
間違いなく、ヒカリはそう言うだろう。
「そうね、シンジの言うとおりだわ。」
この世界を守るのと同じくらいに、あたしはこの日常を変えてはいけないと思った。
午前中の授業が終わり、昼休みになった。
いつもあたしは、ヒカリといっしょに弁当を食べることにしている。
あたしがヒカリと向かい合って座っていると、シンジが弁当を二つ持ってきて、その一つをあたしに渡してく
れた。
「はい、アスカ。」
「ありがとう。それ、あんたの弁当?」
あたしは礼を言って受け取りながら、もう一つの弁当を指さして訊ねた。
「いや、これは綾波のだよ。」
「そうでしょうね。あんたの弁当にしちゃ、小さいと思ったわ。」
シンジのやつ、レイの分まで弁当を作ってくるようになったんだ。
ミサトの分も合わせて、いつも三つ作っていた弁当だから、もう一個くらい増えてもどうってことないのだろ
うけど。
シンジがその弁当をレイに渡しに行く後ろ姿を見ながら、ヒカリがあたしに言った。
「碇君て、やさしいわね。」
「まあね。」
「わたしも、お弁当を作ってきてあげようかな。」
つぶやくようにヒカリがそう言うので、あたしは
「そうしてあげたら?」
と言った。
『だれに?』とはあたしは言わなかった。わかりきったことだもの。
ヒカリは、自分が何を言ったのか気づき、
「やだ、わたし、何を言ってるのかしら。」
そう言って赤くなる。
「いいんじゃない? こんな世の中なんだから、思いついたことはなんでもやっておくのがいいわ。
あとで、後悔しないためにも。」
「そうね…。」
ヒカリは迷っているようだった。
ここで後押しするのもいいが、急ぎ過ぎてもいけない。
お節介はヒカリが明日、どう行動に出るかを見てからにしようと思った。
「お弁当か…。」
その日の夕方、あたしは自分の部屋のベッドに寝ころがってぼんやりと考えた。
そういえば、もうずいぶん長いこと、料理を作っていないような気がする。
シンジが入院していたときの食事当番で、少ししただけだった。
あとはもう、シンジにまかせっきりだ。
ヒカリから教わった料理の腕も、かなり落ちたのではないかと思う。
今はたまたま、家にはあたししかいない。
「たまには、練習しなくちゃね。」
あたしはベッドから起き上がり、台所に向かった。
(料理の勘を取り戻したら、シンジにお弁当を作ってあげられるかも知れない。
あいつ、ちょっと驚くだろうな…うん、それはいいかも。)
そう考えると、俄然やる気が出てきた。
まず、卵焼きを作ってみた。
火が強すぎたのか、少し焦げてしまった。味は…まあまあか。
お野菜も必要よね。
じゃが芋でも剥いて…。
「あ。痛ったぁ!」
うっかり、指を少し切ってしまった。
すっかり勘が鈍っている。
絆創膏を巻いているときに、ふと思い出した。
入院中に見舞に来てくれたレイの指にも、絆創膏が巻かれていたことを。
『どうしたの、その手?』
『秘密。』
たしか、そういうやりとりがあった。
『ぼくが訊いても、綾波は教えてくれないんだよ。』
シンジがそのときそう言った。
『”もう少し、うまくなったら話す”とか言って。』
『ふうん。』
そうか、と思った。
レイも料理の練習をしていたんだ!
おそらく、シンジに手作り弁当のお返しをしようと思って。
レイの思惑を邪魔しては悪いと思い、あたしが弁当を作ることはやめることにした。
その夜、皆が寝静まった頃。
あたしは、中央公園の噴水のところに行った。
カヲルとそこで会う約束をしていたからだった。
約束をしたのは、一昨日の午後だ。
ネルフ本部の地下、ターミナルドグマと呼ばれるところで。
『やっと、ここまできたわ。もうすぐよ、”母さん”。』
そこにあった白い巨体の前でリツコが、そうつぶやいているのをあたしとカヲルは見た。
あたしとカヲルは、リツコのこれまでの行動を不審に思い、そっと後つけてきたのだった。
『どういうこと? その前に、いったいあれは何よ?』
あたしは、小声でカヲルに訊ねた。
『おそらく、あれはリリス。アダムと並ぶ原初の使徒で、人類を生み出したと言われているものだ。』
『それがどうしてここにいるのよ。リツコはどうして”母さん”などと呼ぶの?』
『そんなに一度に訊かれても分からないよ。少し、考えを整理させてくれないか。』
『…それもそうね。わかったわ。』
そういうやりとりがあった。
二日ほどかけて、これまであったこと、今まで見たこと、そして”過去の記憶”をあたしたち二人が十分に
思い起こした上で、これから先、リツコへの対応を含めてどうしていくかを会って話し合おうということに
したのだった。
「やあ、来たね。」
噴水の周囲の、水を湛えた人口池の淵に腰掛けるようにして、カヲルはあたしを待っていた。
あたしは黙ったまま、カヲルの隣りに腰を下ろす。
もし、誰かに見られたとしても、あたしたちの姿は夜中にこっそりデートをしている様に見えるだろう。
しばらくお互いに黙っていたが、やがてカヲルがぽつりと言った。
「決心がついたよ。」
「…何の?」
「この先、何が起きるのか、君には話しておこうと思う。赤木博士のこともあるからね。」
「そう?」
「ぼくの知っていることの、ほとんどを話す。
一部だけ、まだどうしても話せないことがあるけど、それは了解してくれないか。」
「わかったわ。」
「赤木博士が、これから先、どう絡んでくるかが分からない。
だから、君にもシナリオの結末を把握してもらった上で、考えを聞きたいんだ。」
「ええ、いいわ。」
あたしは、頷いて言った。もう、後戻りはできない。覚悟を決めることにした。
カヲルの話す内容は、正直なところ信じられない、いや、信じたくないものだった。
第3使徒から第17使徒まで殲滅することに人類は成功するが、その先に待ち受けているものはサードイン
パクトによる世界の壊滅だという。
それは避けられない”シナリオ”だけど、人類そのものを死滅させないために、ネルフとその上部組織のゼ
ーレが極秘裏に進行している計画がある。
それが、”人類補完計画”。
よくは分からないが、肉体を捨てて一つの精神体になってしまおうというものらしい。
ネルフとゼーレの計画は、その目的が違うことから細部に関しては微妙に違うということだ。
だが、”補完”というものが今一つ成功したためしがなく、カヲルが言うにはそのたびに歴史がリセットさ
れているらしいというのだ。
つまり、セカンドインパクトから後の歴史は、”なにものか”の意思によって何度も繰り返されているふし
がある…そういうことだった。
確証が得られないのは、”前回”の記憶がほとんどないからだ。
ただし、同じ轍を踏まないような工夫がその”なにものか”によってなされているらしい。
封印されている筈の前回の記憶が、何かの拍子で出てくるのもその工夫の一つと考えられるという。
「そっか。だからあたしは、使徒の攻撃パターンが閃いたりしたんだ。」
「そう。今回、君は特別な存在らしい。」
「だけど、あたしにそんな役目をさせたり、歴史を繰り返したりしているのは誰なのよ!」
「おそらく、リリスだろうね。」
「リリスって…。まさか!!」
「そう、ぼくたちがターミナルドグマで見た、あの白い使徒だよ。」
「あいつが、全ての元凶…。」
「念のため言っておくけど、セカンドインパクトやサードインパクトそのものをを引き起こしているのはリリス
ではないのかも知れない。
たぶんそれは、リリスにも避けられない運命なんだろう。
リリスはただ、自分が産んだ人類が、自分の納得できる形で生き延びることを願っているのじゃないかと
…ぼくは、そう思うんだ。」
そのとき、あたしの脳裏に、ある光景が閃いた。
荒廃した世界。
紅い空と、紅い海。
その波打ち際で、あたしとシンジだけが横たわって、茫然と空を見上げていた
感じているものは、やりきれないほどの絶望、絶望、絶望…。
こんなのは嫌だと、心の底から思った。
思い浮かんだ光景は、一瞬で消えた。
「わかったわ。」
「何が?」
「ううん、あんたの言うとおりだと思っただけよ。」
あたしは笑みを浮かべて頷いてみせた。
「それで、赤木博士のことだ。
今回、彼女は”仕組まれた子供”でもないのに、いろいろなことを知っているようだ。
おそらく、ぼくたち以上に。
それは、何故なのか。ここまで話してきた内容で、君が何か、思い出すようなことはないかい。」
「ないわ。
さっき閃いたのは、荒廃した世界に取り残されたあたしとシンジのことだけよ。
あんたや、レイがどうなったかまでは分からなかった。
ましてやリツコのことなんか…。」
「そうか。やはり、今の彼女を見守っていくしかないようだね。」
「そうね。」
「じゃあ、現状確認の話は、ここまでにしよう。」
そう言うと、カヲルはあたしに、顔を寄せてきた。
あたしは、少し驚いたけど、抵抗はしなかった。
”誰かに見られたとしても、あたしたちの姿は夜中にこっそりデートをしている様に見せる。”
その一環だということで、あたしは自分自身を納得させていた。
それに、初めてのキスの味は、そんなに嫌なものではなかった。
翌日の朝早く、チルドレン全員が本部に呼び出された。
「今日からしばらくの間、複座プラグのためのデータ採取に協力してもらうことになるわ。」
リツコに、そう告げられた。
「どういうこと? 複座プラグの運用は、あたしとシンジで決まりではなかったの?」
あたしは、思わずそう訊ねた。
「もちろん、相性という点では、あなたとシンジ君のペアが一番適しているのは分かってるわ。
でも、これから先の使徒戦では、どちらかが負傷しないとも限らない。
実際に戦闘で負傷して入院するケースも出ているし、そんなときに無理に出撃させるより、あらゆる事態
に対応できるよう、基礎データはちゃんと採っておくことにしたのよ。」
なにを今さら、と思う。
そんなことは、前からわかっていた筈だ。
実験場に向かう短い道のりの中で、あたしはカヲルにささやいた。
『どう思う?』
『使徒戦が近いのだろうね。それも、複座プラグが必要なほどの強敵が。』
『やっぱり、そう思う?』
カヲルは、あたしと同じ意見のようだ。
どんな敵なのか思い出そうとしてみたが、それは徒労に終わった。
やはり、使徒を目の当たりにして、危機的な状況にならないとあたしはその対応を思い出せないようだ。
その日は、いくつかのパターンでチルドレンどうしの複座プラグでの相性を、大まかに測定された。
一番相性がよかったのは、当然ながらあたしとシンジの組み合わせだった。
でも、レイとシンジの組み合わせも結構よかった。
カヲルの場合は、だれと組ませてもそこそこの結果を出していた。
もっとも相性が悪いのは、あたしとレイの組み合わせで、ダントツに成績が悪かった。
複座プラグにしない方が、よっぽどマシだった。
「どういうことかしら? 別にあたし、レイが苦手というわけではないと思うけど。」
あまりのひどさに、結果を聞かされた時点であたしはついそう口走った。
「人間関係が、直接作用するわけではないのよ。」
リツコが、苦笑しながら解説してくれた。
「傾向としてひとつはっきりしていることは、男女の組み合わせの方が概ね結果はいいということね。
たぶん、お互いにない部分を補完し合うのでしょうね。」
「でもそれじゃあ、カヲルとシンジの組み合わせでも、いい結果は出ないことになるわ。」
カヲルの場合、あたしと組もうとシンジと組もうと、同じくらいの結果だったのだ。
「カヲル君は例外だと思うわ。彼の場合、測定自体に意味がないとも言える。」
「? ? ?」
リツコの言っている意味が、さっぱりわからない。
「いずれにせよ、今日の測定結果は、あくまでもテスト環境でのシミュレーションに過ぎないのよ。
明日からは、エヴァの実機を使った相互互換テストを実施します。
集合時間と場所は、今日と同じ。遅れないようにしてちょうだい。」
とりあえず、その日のテストはそれで終了した。
そしてさらに数日間、同じ様なテストが繰り返し行なわれた。
測定結果の傾向は、初日に出したものとほとんど変わっていない。
最強の組み合わせは、やはりあたしとシンジで、シンクロ率は90%を超えた。
しかも弐号機を使った場合はさらに顕著で、95%以上のシンクロ率になるというのだ。
数字の上では、100%に近い。
でも、リツコに言わせると、100%のシンクロ率は現実ではありえないという。
いや、可能性としてはあるが、あってはならないものだそうだ。
「どうして? それだけ、エヴァを意のままに操れるということじゃないの?」
純粋な疑問として、あたしはそれを口にした。
「そのとおりなんだけど、それだとエヴァと完全に同化してしまうことになるんだよ。」
リツコの代わりに、シンジが答えてくれた。
「そうなると、発令所の指示とか、完全に聞こえなくなる。
というか、ヒトでなくなってしまうわけで、理解できなくなるんだ。
つまり、”暴走状態”になってしまうってこと。
だから、シンクロ率が100%に達しそうになったら、自動的にシンクロがカットされるようになってい
るんだ。」
そういえば、エヴァからのフィードバックでの負傷を抑えるためにも、そのような措置がしてあるというよ
うなことを、聞いたことがあるような気がする。
「だから、現実ではありえないということなのね。」
あたしは納得した。
そして複座プラグの組み合わせは、あたしとシンジ、レイとカヲルの、二つのチームに分けるのがいい
のではないかということになった。
使う機体も、弐号機と4号機ということでほぼ決まった。
「ようやく、決まったわね。」
リツコは、みずからの肩を揉みほぐすようにして言った。
「正式の複座プラグは、それぞれの標準機に合わせて、紫色と白銀にペイントしておくことにするわ。
明日からは普通に学校に行ってもらっていいわ。
みんな、ご苦労さまだったわね。」
なんだか、リツコの表情は、ほっとしているようだった。
ひと仕事終えたから、というわけでもないようだ。
「さてと、フィフスの選出も急がせないと…。」
たしかに、リツコはそうつぶやいていたのだから。
翌朝。
あたしたちは、登校途中の路上で、その警報を聞いた。
緊急招集を、受けるまでもなかった。
第3新東京の上空には、縞模様のある巨大な球体が突如として現れていたのだ。
それがゆっくりと移動していく様を、あたしはカヲル、シンジ、レイとともに見上げていた。
「使徒なの?」
あたしは、茫然としてつぶやく。
傍らのカヲルは、頷いて言った。
「赤木博士。どうやら、”間に合った”ようですね。」
− つづく −