ダブル チェンジ 第11話
- 覚醒の光 -
「約束は、守れているのかしら。」
「たぶん、ね。」
「これまでのところ、とてもそうとは言えないわ。」
「シンジ君の家出のことを言ってるのかい?」
「それもあるわ。あなたがちゃんとフォローすれば、あんなことはなかった筈。」
「すぐに帰ってくると、わかっていたからね。」
「それは、結果にすぎないわ。碇君がしばらくふさぎ込んでいたのは事実でしょう?」
「でも、あのことがきっかけで、新しい友人もできた。」
「詭弁だわ。」
そういうレイに対して、カヲルは笑みを浮かべてかぶりを振っった。
「事実だよ。アスカともうまくやっているみたいだし。
もう、ぼくたちは、彼には必要ないのかも知れない。
刻の歯車はたしかに変わり、異なる結末へと動き始めているのだから。」
「わたしは、そうは思っていない。」
夕暮れの街かどの、覗いた喫茶店で、あたしはその二人を見かけた。
カヲルと、蒼い髪の少女が、テーブルを挟んで何か話をしていた。
綺麗な子だ。
どこかで見かけた気もする。
あたしたちと同じ、第一中学の制服を着ているが、あんな子いただろうか。
ひょっとして、転校生?
それにしても、あんな子をナンパするなんて、カヲルの奴も隅に置けないと思った。
シンジ一筋じゃなかったんだ。
ひょっとして、以前言っていた”生き延びてどうしても会いたい人”というのは彼女のことだろうか。
だったらまあ唯一の例外として、カヲルが女の子と話していることも納得できる。
でも、それにしてはあまり楽しそうにしていないのが気にかかる。
それとも、血縁者か何かだろうか。
いろんなことが頭に浮かんだが、あまりまじまじと見て、あたしのことが見つかるとお互いにあとで気拙い
だろうと思って、そうそうに窓際からあたしは離れた。
明日は、浅間山の使徒の捕獲に出掛けなければならない。
ダイビングを担当しているカヲルにとっては、命を落とす可能性もある危険な任務だ。
(何の話をしているのか知らないが、ここは二人の邪魔をしないでおこう。)
あたしはそう思って、シンジに頼まれた夕食の食材の買い出しに戻ることにした。
…それにしても、この胸の奥にある、チクリとした痛みは何だろう。
ひょっとして、カヲルが他の女の子と話している姿を見たからだろうか?
まさか、ね。
翌日の午後、あたしたちはそれぞれのエヴァとともに、浅間山の火口に集合した。
零号機のみ、”D型装備”とやらにその身が包まれていた。
耐熱、耐圧装備というから、どんなものかと思っていたら、なんのことはない、エヴァ用の潜水服だった。
それにしても、カッコ悪い。
あたしは、希望者を募られたときに手をあげなくてよかったと思った。
『この命、人類の存続のために使えるなら、安いものですから』
カヲルはそう言って応諾していたが、あたしだったらこんな不格好な装備で殉職するのは真っ平御免だ。
カヲルに与えられた耐熱仕様のプラグスーツというのが、またひどい代物だった。
手首のスイッチで、ノーマルモードから耐熱モードに切り替わるということだったが、リツコの指示で、
カヲルがスーツの動作確認をさせられるところをあたしは見た。
「な、なんだ、これ?」
さすがのカヲルも、驚いていた。
スーツがみるみる風船の様に膨らみ、それを着ているカヲルは相撲取りの様な有様になっていた。
「あ、あんたが立候補したんだからね。」
あまりの無様さに、あたしは嗤う気にもならなかった。
「いまさら、交替してくれと言ってもだめよ。」
あたしは、自分のスーツが”耐熱仕様”に変化したときの姿を思い浮かべてぞっとした。
なんだか、以前に一度、それを着たことがある様な気がする。
そんな訳あるはずないのに。
「別に、そんなことは言わないよ。」
カヲルは、スーツをノーマルモードに戻すとそう言った。
「なんだったら、ぼくが同乗してもいいよ、カヲル君。」
「シンジ君?」
「やっぱり、カヲル君一人でそんなことさせるわけには…。」
「ふふ、やさしいね、シンジ君は。でも、こういう役目は、ぼく一人の方がいいんだよ。」
「そんな…。」
「カヲル君の言うとおりよ、シンジ君。」
それまでシンジとカヲルのやりとりを聞いていたリツコが口を挟んだ。
「高温、高圧下で”複座プラグ”を使ってシンクロ率を上げるのは、生命維持の点で危険が多すぎるのよ。
また、軽量の弐号機はバラストを余計に積まなければいけないから、今回のオペレーションには向いて
いない。
最初から、シンジ君の出番はなかったと思った方がいいわ。」
(だったら希望者を募る時点でそう言えばいいのに!)
なんだか、あたしとシンジがしり込みするのを盛り込み済みで、今回の人選も初めから決まっていた様な
気がする。
「一応、訊いておくけど。」
あたしは、リツコに尋ねた。
「あたしたちパイロットの命に、”軽い””重い”はないのでしょうね。」
「そんなこと、あるわけないじゃない!」
即座にに否定された。
「なら、いいんだけど。」
それ以上は、追及するのはやめた。
優秀な技術者でもあるシンジの命は重要で、あたしやカヲルの命は取替えのきく”使い捨て”ではないのか
と、一応訊いてみたのだ。
そのことであたしは不満分子と思われるかも知れないが、当事者であるカヲルが尋ねるよりはいいだろう。
リツコは明確に否定したことだし、今回は信用することにした。
その後、零号機の火口への沈降の準備は、着々と進められていった。
D型装備のスーツには、命綱兼用の冷却パイプが何本も接続されている。
準備ができ次第、零号機は電磁柵とともに火口内に沈降し、初号機と弐号機は火口の脇で万一に備えて
待機することになっていた。
ふと、上空を見上げると、爆撃機らしきものが何機か、旋回しているのが見えた。
「あれは、何?」
あたしは訊いてみた。
「UN空軍の重爆撃機ね。」
ミサトが、それに答える。
「どうして、あんなところにいるのよ?」
「わたしたちが、使徒の捕獲にも殲滅にも失敗したときに備えて、待機しているのよ。」
「エヴァでも敵わなかったケースに対応できるの?」
その問いには、リツコが代わって答えた。
「N2航空爆雷を、4発積んでいるわ。関係者ごと使徒を熱処理するには、充分ね。」
「そんな命令、だれが出すっていうのよ!」
「ラングレー司令よ。」
「なっ?!」
「ひどいですね。」
絶句するあたしの横で、シンジが静かに怒りを顕わにしていた。
「仕方ないわよ。使徒を、地上に出す訳にはいかないもの。」
ミサトはそう言う。
(あいつなら、やりそうなことだ。)
自分の親が、シンジから『ひどい』と言われるのが情けなかった。
その脱力感で、あたし自身は怒る気にもなれなかった。
そして、使徒殲滅のためには、シンジやリツコですら犠牲にされるということが分かった。
たしかに、パイロットの命に軽い/重いはないことは、よく分かった。
「準備OKです。」
日向二尉の報告を受けて、ミサトは言う。
「では、零号機は発進位置へ。」
いよいよ、零号機がマグマの中に入るときが来た。
クレーンに吊り下げられた零号機が、電磁柵とともにそろそろと火口に降ろされていく。
「熱そう…。」
あたしは、思わずつぶやく。
エヴァの視界を通して火口を見ているわけだが、もし肉眼で見ていたら、直撃する熱気で目を開けている
ことすらできないだろう。
足先から、零号機はマグマの中に入っていく。
大丈夫だとわかっていても、あたしは思わず目を細めてしまった。
もし、計算違いで装備の耐熱性が足りなかったら。
あるいは、不測の事態で装備や冷却パイプが破損するようなことがあったら。
そんなふうに、考えてしまう。
だが、そんな心配をよそに、零号機は順調に沈降を続けた。
「目標深度です。」
「…いないわね。」
状況は、音声でエヴァのコクピットにも伝わる様になっている。
予定していた位置に、使徒は見つからないようだった。
「思ったより、対流が速いわ。流されてしまっているかも知れないわね。」
リツコの推測。
「目標予測地点の修正、よろしく。」
「限界深度を超えるわよ。」
「ここまで来て、引き返すわけにはいかないわ。」
ミサトの指示で、沈降は続けられる。
「安全深度、超えました。」
「どう? カヲル君、何か見える?」
「いえ、何も…。」
何かが軋む音が、零号機からの通信を通して聞こえてくる。
『大丈夫なの?』
あたしの不安が大きくなる。当事者のカヲルは、平気なのかしら。
「限界深度を通過。」
「いないようですね。」
平然とした、カヲルの声が聞こえてきた。
「あと、100下げて。」
「ミサト!」
リツコが何か言いかけたとき、
ピシッ!!
その異音が零号機から発信されるのを、あたしの耳にもはっきりと聞こえた。
「D型装備の観測用ウインドウに、亀裂発生!」
日向二尉の報告に、あたしは思わず叫んだ。
「ちょっと! やばいんじゃないの?」
「もう、無理です。引き上げてください!」
シンジも、そう言っている。
「大丈夫よ、アスカ。三重構造になっている、一番外側のウィンドウだし、視界にも影響ないから。」
そう言うリツコの声は落ち着いており、あたしはほっとした。
「でも、これ以上の沈降は無理ね。ミサト。」
「わ、わかったわよ。」
ミサトは覚悟を決めた。
「作戦、中断。
零号機は内圧の変化に注意しつつ、ただちに撤収して。」
「了解。零号機、撤収します。」
日向二尉の声は、なんだかほっとしたものを感じた。
冷却パイプの動きが、引き上げる方向に転じた。
零号機は今、たしかに上昇しているのだ。
「それにしても…使徒の蛹は、どこにいったのかしら。」
つぶやくように言うミサトの声に続いて、リツコが答える。
「マグマの対流に、想定外の変化があったのかも知れないわね。火口の奥深くに沈んだとか…。
あるいは、それ以外の予想外の事態があったのかも。」
「科学というものも、あてにならないものね。」
「仕方ないわよ。目に見えない事象の予測は、天気予報のようなものだから。」
火口までもう少しというところまで来たとき。
「高速移動物体が、零号機に接近中!」
日向二尉の、緊迫した声が聞こえた。
「なんですって!」
「パターン青、使徒です!!」
続いて、ガン!という音が通信回線から聞こえると同時に、火口へと伸びている冷却パイプの束が、大きく
揺れるのが見えた。
「うあっ?」
カヲルの悲鳴が続く。
「カヲル君! 何があったの?」
「使徒です。体当たりしてきました。」
「なんてこと!」
「どういうことなの、リツコ。」
「拙いわ。使徒が、羽化していたのよ。蛹が見つからなかったのは、それが理由よ。」
「…やるしか、ないわね。」
ミサトは、覚悟を決めた。
「カヲル君、電磁柵を捨てて、プログナイフで応戦して!」
「了解です。」
火口の脇で見ているだけのあたしとシンジは、通信内容から何が起きているかはわかっても、何がどうなっ
ているかまではわからない。
「くっ!」
カヲルの呻きとともに、再び冷却パイプの束が大きく揺れるのが見えた。
「どうしたの、カヲル!」
思わず叫んでしまった。
「だめだ! プログナイフでは、使徒の鼻先に小さな傷をつけることしかできない。」
「この高温高圧のマグマの中で、自在に動ける敵だもの。無理もないわ。」
「なんとか、ならないの!」
あたしは思わず、リツコにくってかかってしまう。
「相手のスピードに合わせて、カウンターでダメージを与えるのがせいいっぱいなのよ。」
「それも、無理になったようです。」
「どうしたの、カヲル君!」
「使徒が…体当たりをやめ、上からのしかかってきました。」
「5番の冷却パイプに、亀裂発生!」
「まずい! 冷却パイプを引きちぎって、深みに引きずり込むつもりだわ。」
(そんなこと、させるもんか!!)
そのときあたしは、後先を考えずに、初号機を火口の中に飛び込ませていた。
「アスカ、待って! むやみに…。」
シンジが何か言っているようだったが、後半はよく聞きとれなかった。
凄まじい熱気が全身を包む。
だが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
火口近くでの戦いであることが幸いした。
あたしは、すぐに零号機と、それにのしかかっているエイの様な姿の使徒を見つけた。
「そこを、どきなさい!」
あたしは思わず、撥ね退けるように初号機の腕を振った。
そんなことをしても、使徒に届く筈がないのに。
いや、届いた。
オレンジ色の光が板状になって飛んでいき、使徒を直撃した。
「なに、これ?」
もう一度、初号機の腕を振る。
重力にまかせて沈降し、より使徒に近づいての一撃だった。
再びオレンジ色の光が物理的な衝撃を使徒に与え、使徒は思わず零号機から離れる。
だが、それだけでは使徒は斃せない。
使徒は再び零号機に襲いかかろうとしていた。
今度こそ、冷却パイプは引きちぎられ、D型装備から冷却液を撒き散らしながら零号機は深淵に沈んでいく
のか?
(冷却液? そうか!!)
「カヲル、”熱膨張”よ! 冷却液を使徒に!」
「なるほど!」
すぐさまカヲルは、冷却パイプの一本をプログナイフで切断する。
その直後、使徒は再び零号機にのしかかる。
もつれ合う使徒と零号機のそばに、沈降していたあたしの初号機も到着した。
切断された冷却パイプを、零号機と協力して使徒の口に押し込む。
「冷却液のすべてを、3番に廻して! 早く!!」
「わかったわ。」
ミサトは、瞬時にあたしの意図を理解してくれた。
急激に流れ込んだ冷却液が、使徒の体内で熱膨張を起こし、みるみる使徒の体は膨れ上がる。
そして、さきほどカヲルがプログナイフで傷つけたところから使徒は裂け、四散した。
ばらばらになった使徒の残骸が、火口の奥深くに沈んでいく。
「やったの?」
「そのようだね。」
初号機と零号機は、冷却パイプを掴んだまま、そこにぶら下がっていた。
あとは、このまま引き上げてもらえば…。
そう思ったとき、
「まずい、冷却パイプが!」
カヲルの言葉に上方を見上げると、あたしたちが掴んでいる3番よりもっと上の部分、冷却パイプの束全体
に亀裂が広がっていた。
「え?」
どうすることもできないまま、パイプの束は引きちぎれ、あたしたちのエヴァはゆっくりと沈降を始めた。
「これまでのようだね。」
「そんな…。せっかく使徒を斃したのに。」
「ぼく一人でよかったのに、君まで巻き込んですまない。」
「………。」
あたしは、何も言えなかった。
このまま、ここで死ぬのか。
泣き叫ぶのかと思ったが、そんな気にもならなかった。
いつかは、こんな日が来ると、思っていたからだろうか。
それとも、あたし一人じゃないという安心感からだろうか。
最後に何か言わなきゃと、ぼんやりと思ったとき、不意にあたしは沈降が止まったのを感じた。
錯覚かと思ったが、そうではなかった。
逆に、上昇している。
(どういうこと?)
そのとき、あたしは気づいた。
初号機の腰に廻された一本の腕を。
「弐号機?!」
そう、弐号機があたしたちのエヴァを掴んで引き上げているのだった。
初号機の腰に腕をまわし、零号機の引きちぎれた冷却パイプの切れ端を掴んで。
(命綱もないのに、どうやって?)
わけがわからないままマグマを抜け出し、あたしたちのエヴァは空中に浮いた。
視界が開け、全身を包んでいた熱さから解放される。
あらためて、弐号機を見る。
紫色の弐号機の機体と、その背中から伸びる、オレンジ色に輝く4本の光の羽のようなものが見えた。
「なに、あれは?」
あたしが言いたいことを、先にミサトが言うのが通信回線を通して聞こえた。
「…A.T.フィールドだわ。」
ややあって、リツコがそう答えていた。
「A.T.フィールドぉ?」
「そう。あれが、重力に抗うA.T.フィールドの姿なのよ。
そして、さきほど初号機が使徒にぶつけた光の板もA.T.フィールド。
わたしたちのエヴァは、確実に覚醒しつつあるわ。」
(そういうことだったの。)
なんとなく納得している間もなく、初号機と零号機は地上に降ろされた。
「シンジ、ありが…。」
そのとき、礼を言う前に弐号機は前のめりに地面に倒れ伏した。
「シンジ! どうしたっていうのよ。シンジ!!」
弐号機の機体のあちこちから、薄く煙が立ち昇っているのをあたしは見た。
シンジは、命に別条はなかったが、全身に軽いやけどを負っていた。
リツコに言わせると、A.T.フィールドを重力に抗うためだけに展開したため、高熱から身を守る使い方
ができなかったためだということだった。
逆に、あたしが無事だったのはそれができたからだという。
「あたしたちのために…。」
「そうだね。」
あたしとカヲルは、気を失ったまま応急処置を受けたシンジが、一足先にヘリで本部に送られていくのを見
送った。
「あんたねえ。」
あたしは、カヲルに言った。
「使徒の捕獲役に選ばれたとき、なんて言っていた?
『この命、人類の存続のために使えるなら、安いものだ』とか言ってたわよね。」
「たしかに、そうだ。」
「もう、二度と、そんな口きくんじゃないわよ。
シンジも、あたしも、人類だけでなく、仲間のために命張ってるんだから!」
「…わかった、ごめん。」
あの、カヲルが、他人事の様な”すまない”ではなく、”ごめん”と素直に言った。
さすがにこいつも、今回は応えたようだ。
「わかればいいのよ。」
そう、これであたしたちの絆が、いっそう深まればいい。
形ばかりのユニゾンではなく、生き残るためにはそれが必要なのだから。
− つづく −