ダブル チェンジ 第8話
- 畳とキス -
「どう、シンジ君の印象は?」
ミサトはキャビンの外壁にもたれかかるようにして、背後からあたしに尋ねた。
あたしはデッキの手摺りに両肘を載せて、海を眺めている。
すぐには、ミサトの問いに答えなかった。
海なんか、めったに見れないから、今のうちにたっぷり見ておこうと思ったのだ。
もう二時間もすれば、目的地の新横須賀港に着いてしまうのだから。
「どうって?」
少し間をおいて、あたしは訊き返した。
「カヲル君とは、また違ったタイプでしょ。」
「較べるべくもないわね。どうして、あんなのがサードに選ばれたの?って感じ。」
「そう? けっこういいセンスを持ってると思うけど。」
「エヴァに乗れば人が変わるってとこ? 別に珍しくないわ、そういうタイプは。」
「でも彼、ドイツ支部の期待の星よ。エリートパイロットってことでね。」
「だから、だめなのよ! 精神的に脆そうなのは、ちやほやされているからだわ。」
あたしが振り向いて言うと、ミサトは一呼吸おいてから笑みを浮かべた。
「見た目で決めつけてはだめよ。アスカ。」
「え?」
「エリートというのは、言葉の意味どおりなのよ。
エヴァに乗っているときは、冷静なパイロット。そしてエヴァから降りたときは、優秀なメカニック。
彼の提言には、大人の技術者も一目置いているのよ。伊達に”博士号”は取っていないわ。」
「は、博士?!」
「そうよ。驚いた?」
「あの、軟弱坊やが?」
「ええ。」
「そっか。だから、実戦経験もないにのに技術面だけでえらそうな口を聞いていたのね。」
「あ、あのねぇ。」
「ミサトがあいつの独断専行を許していたのも、それが理由ね。」
「それは違うわ!」
ミサトは気色ばんで言った。
「ふだんは頼りなく見えるかも知れないけど、いったんスイッチが入った彼の判断は信用できるのよ。」
「実戦経験がなくても?」
「確かな根拠に基づいているからよ。」
「そう…わかったわ。」
あたしは、そこまでにしておいた。
決して、納得したわけではない。今後の戦闘でも、あいつに指図されるのは真っ平だもの。
もっともっと経験を積んで、あいつが座学で得た以上のものを手に入れようと思った。
「ところで話は変わるけど、シンジが言ってた”加持さん”って、どういう人なの。」
「ああ、あいつね。」
ミサトは口元を歪めた。
「ここまでは、シンジ君の保護者的な役割で随伴していたみたいだけど、もともとあいつは、特殊監察官
なのよ。詳しい業務内容は言えないけど、まあ、ひと言で言えば”なんでも屋”ね。」
「あいつというからには、ミサトの古くからの知り合いなの?」
「…まあね。会いたくない方の知り合いだけど。」
「ふうん。別に過去に何があったか、聞く気はないけど。
その特殊監察官がどうして、戦闘中にひとり、離脱していったのかしら。
まさか、本当に職務を放棄して逃げ出したわけではないでしょう?」
「わからないわね。でも、ひとつ考えられるのは…。」
「”エヴァよりも大事なもの”を、運んでいた?」
あたしは言ってみた。
「さすがね、アスカ。そういうところはシンジ君以上ね。」
ミサトは、笑みを浮かべて頷いた。が、その目は笑っていなかった。
「でも、それが何かはわたしにもわからない。あいつが言う筈もないしね。
それにその推理、他の人に言っちゃだめよ。」
「判ってるって。まったく、一筋縄では行かないところね、ネルフって組織は。」
週明けの月曜日。
朝のホームルームで、転入生の紹介があった。
先生に手招きされて、教室に入ってきたその姿を見て、あたしは思わず叫んでしまった。
「なんで、あんたがここにいるのよ!」
だって、それはあいつ…サードチルドレンのシンジだったからだ。
なんで博士号持ってる(当然、大学も出ている)奴が中学二年の転入生なのよ!
「なんや、惣流。知り合いか?」
鈴原が訊いてくる。
「知ってるもなにも…。」
あたしが言いかけると、
「あー、静かに。」
先生に注意されてしまった。
「それでは、碇君に自己紹介してもらいます。」
「碇シンジです。よろしくお願いします。」
そう言ってシンジは、ぺこりと頭を下げた。
「やだ、かわいい!」
とか、なんとか言ってる女子生徒がいる。
「席は…そうですね、渚君の隣りが空いているから、そこに座ってもらいましょうか。」
「あ、はい。」
シンジがそこに座ると、
「ぼくは、渚カヲル。 よろしく、シンジ君。」
カヲルのやつ、いきなり下の名前でシンジを呼んだ。
「あ、こちらこそよろしく、渚君。」
「ぼくのことは、カヲルと呼んでくれないかな。」
「わかったよ、カヲル君。」
「ふふ…。」
なんか、カヲルの奴、心底嬉しそうだ。
あいつのあんな顔、初めて見た。
それから数日のうちに、カヲルとシンジは、急速に打ち解けていった。
カヲルが何かとシンジの世話を焼き、シンジがすっかりそれに依存するものだから、一部の女子の間では
”二人は完全にできている”とか、妙なうわさをたてられるまでになった。
二人とも、タイプさえ違うが、”イケメン”という部類に属するらしい。
鈴原と相田がいくら仲良くしようと、そんな目でみられることはない筈なのに、カヲルとシンジの場合だと
なにやら妖しい雰囲気を醸し出すとのことだった。
そういうことを教えてくれたのは、山岸という女子生徒だ。
大人しそうな印象のわりにはよくしゃべる子だが、そっち系の本をよく読んでいるらしい。
「ねえ、惣流さん。あなた、あの二人のうち、どちらのタイプが好き?」
眼鏡の奥で、夢見るような瞳をして彼女はあたしに訊いてきた。
「え? いきなり、そういうことを訊かれても…。まあ、どちらもあたしのタイプではないけど。」
「そっか。惣流さんは、どっちかというと、もっとワイルドなタイプがいいかもね、鈴原君みたいな。」
「ば、ばか言わないでよ。あんなの、願い下げよ!」
意表を突かれたとはいえ、ずいぶんとひどいことをあたしは言う。
そう思ったから、
「それに、鈴原には”奥さん”がいるじゃない。いかにも、世話女房というタイプの。」
フォローを兼ねて、丸く収めておいた。
「それもそうね。でも、渚君にしても、碇君にしても、ほんと美形よねえ。
クールな渚君と、母性本能をくすぐるタイプの碇君。
その二人が、あんな仲良しだなんて、まるで”BL”の世界みたい。」
うっとりした表情で、山岸さんは言う。
あたしはこれ以上話に付き合うと、そっちの世界に引き込まれると思い、用事にかこつけて退散した。
ちなみに、この山岸さんには以前、あたしのノートパソコンにエヴァのパイロットであることをカミングア
ウトさせるメッセージを送ってきた件で痛い目(ホント、”痛い目”だった)に合っている。
まあ、それも昔の話だけど。
ある日、初めてあたしとカヲル、シンジの三人に対して同時に、ネルフ本部からの呼び出しがかかった。
本部に向かうモノレールの中でも二人並んでおしゃべりをしている彼らを見かねて、あたしは言った。
「あんたたち、仲がいいのはいいけど、ちょっとは世間体というものを考えなさい。」
「ん? どういうことだい?」
カヲルが尋ねるので、
「男二人、いつもべたべたしていると、”BL”の世界にいると思われるわよ。」
「「なに、BLって?」」
二人に同時に訊き返された。それに答えるあたしの方が、恥ずかしくなるじゃない。
「ボイーズラブよ、知らないの? あんたたちのこと、一部の女子の間では噂になってるんだから。」
「?」「!」
カヲルの奴はきょとんとしていたが、シンジは真っ赤になった。
「カ、カヲル君。それはちょっと…まずいよ。」
そう言って、シンジはカヲルの向かい側に席を移した。
カヲルは少し不満そうだったが、まあこれくらいの距離が、まっとうな友人関係の距離というものだろう。
その日、はじめて三人そろってのハーモニクステストがあった。
あたしとカヲルは、いつもどおりの結果…ほとんど同じくらいのレベルだが、あたしの方が少しだけシンク
ロ率が高かった。
いつもこうだ。
ごくたまに、あたしの調子が悪くてカヲルの値を下回ることはあるが、大体はカヲルの値はあたしより2、
3パーセント低い。
あたしの上下動とカヲルの上下動は、ほぼ一致しているのだ。
カヲルの奴、わざとそうしているんじゃないかと疑ってしまう。
リツコは、変に思わないのだろうか。
でも、測定は二人同時のときもあれば、一人ずつ行なうときもあり、そのときはカヲルが先の場合もある。
測定もしないうちから、あたしを見ただけでそのシンクロ率を知るなんて、できっこないだろうし。
やっぱり、たまたまそうなっているだけなのだろうか。
それはともかく、シンジが出したシンクロ率がすごかった。
ゲージをちらりと見ただけだが、80パーセントくらいいってなかっただろうか。
天才って、こういう奴のことを言うの?
くやしいけど、現時点でのエヴァへの搭乗適性では負けを認めざるを得なかった。
次に、めずらしく体力測定が行なわれた。
踏み台昇降とか、反復横とびとか、腹筋運動とか。
理由を訊くと、使徒を相手に長期戦となった場合には、単にシンクロ率だけでなく、最後は基礎体力が影響
してくるからだということだった。
納得できる理由だ。
そして、ここで出た結果も納得できるものだった。
体力では、あたしの独擅場だった。
”せんせい”に薦められたとはいえ、伊達に三年もいろんな格闘技を習ってきたわけじゃないもの。
もっとも、それがこれまで役にたったのは一度だけ…夜道で痴漢に襲われた時に撃退したことだけだが。
あ、最初の使徒に遭遇したとき、生身のからだでふっとばされたときに、受け身がとれたことがあったか。
ここでは、シンジの成績が一番悪かった。
長期戦には、向いてないということね。
いい気味だわ。博士号かなんだか知らないけど、あんた、勉強のしすぎよ。
最後に、柔道の乱取りがあった。
ここまでするのか、と思った。
そりゃ、格闘技センスが大事なのもわかるけど、それではいくらなんでもシンジが気の毒よ。
柔道着に着替えさせられ、まずはシンジと組むことになった。
(こりゃ、楽勝ね。)
余裕をかましてシンジと対峙したのだが、それが間違いだった。
「え?」
あっという間に、畳に転がされていた。
「やったわね!」
すぐに起き上がり、飛びかかっていった。が、
「ふが…。」
次の瞬間には再び畳とキスをしていた。
何があったか判らなかったが、あまりの屈辱にかえって冷静になれた。
次からは、油断せずにシンジの動きを見ることにした。
あたしが奥襟を掴みにいったところを、シンジはその腕をとり、何かをしようとした。
あたしは、とっさにそれを振りほどいた。
そうか、と思った。
これは、合気道だ。シンジの奴、多少は合気道をかじっているんだ。
それからしばらくの間、掴んでは振りほどくという五分の戦いが続いたが、最後はシンジの息があがってき
たので、三回ほど投げ飛ばしてやることができた。
カヲルとも乱取りをしたが、あいつはやる気がないのか、柔道を知らないのか、全然相手にならなかった。
五回ほど投げ飛ばしたところで、面白くなくなったのでやめた。
「はい、そこまでにしましょう。」
リツコが声をかけた。
「三人とも、ご苦労さま。いいデータがとれたわ。
分析の結果は作戦部に廻すから、それをもとにフォーメーションが組まれると思うわ。
今日はゆっくり休んでちょうだい。」
(エヴァへの適性と、学力は天才。
武術も、そこそこ。
問題は、体力だけ。)
それがあたしの、サードチルドレン、シンジに対する評価だった。
体力という弱点があるからこそ、あたしはシンジに対してライバル意識を持った。
総合点では、今のところシンジの方が上だ。
だが、つけいるスキはある。
あたしだって、シンクロ率はまだまだこれから伸びる(つもりだ)し、実戦経験もある。
これ以上、あいつに劣るところがないのだったら、いつか逆転してやれる。
(実績は、あたしの方が上なのよ。だから、エースパイロットはあたしなのよ!
座学だけの奴に、負けてたまるもんか!)
そう、それが、あたしがシンジに対抗意識を燃やす理由だった。
それから二日後、使徒の進攻があった。
『警戒中の巡洋艦”はるな”より入電。紀伊半島沖にて、巨大な潜航物体を発見とのこと!』
警報とともに、第一報のアナウンスがあった。
そのとき、あたしたち三人は、たまたま本部の施設内にいた。
『送られてきたデータを解析の結果、使徒と判明。エヴァパイロットは至急、出撃用意!』
すぐに、第二報があった。
「使徒だ。」
「ケイジに行こう。」
「ええ。」
あたしたちがケイジに集合すると、
「零号機の改装完了まで、あと2日かかるわ。今回はアスカとシンジ君、二人で出撃して。」
ミサトからの指示があった。
「幸い、目標はまだ洋上にいるから、被害を最小限にするために上陸直前の目標を水際で阻止するわ。」
「上陸予想地点までエヴァを運び、そこで殲滅するというわけね。」
あたしは、作戦内容を確認した。
「新横須賀で停泊中の、オーバー・ザ・レインボーを使うのかしら。」
「あれだと、使徒の上陸に間に合わないよ。」
シンジが答える。
「現地への移動指揮車の到着に合わせて、エヴァ専用の長距離輸送機を使うんじゃないかな。」
「なによ、そんなものがあるの?
じゃあ、あんな”置き土産”(改造空母)、何の役にも立たないじゃない。」
「ぼくもそう思う。使徒が洋上で動かないときくらいしか、使い道はないだろうね。」
「税金の無駄使いね。」
「弐号機の海上輸送自体が、このところ出番のない海軍の一大デモンストレーションだったからね。
体のいい厄介払いだよ、費用こっち持ちの。」
「なに、それ。最悪じゃないの。」
「全く。」
初めて、シンジと意見が一致した。
「エヴァへの搭乗準備ができたわ。そこの二人、喋ってないでさっさと乗りなさい。」
「「は〜い。」」
ミサトには注意されたが、なんとなく、出撃を前にシンジと共感を持てたことはよかったと思う。
あたしたちのエヴァが空輸され、迎撃ポイントに降り立ったときには、すでに移動指揮車も電源装置トレー
ラーも現地に到着していた。
アンビリカルケーブルを接続し、それぞれの武器を手にして、あたしたちのエヴァは使徒の到着を待つ。
あたしの初号機は、パレットライフルを。
そしてシンジの弐号機は、前回の使徒戦と同じソニックグレイブを。
やがて、沖合で大きく、水柱があがった。
来た!
使徒が立ちあがっていた。
形状は、あたしが初めて見たときの黒い奴に近い、二本ずつの手足をもつタイプだ。
「浅瀬での戦いは、より軽量な弐号機が向いていると思うんだけど。」
シンジが、遠慮がちに言ってきた。
「わかってるわよ。だから、ソニックグレイブを選んだんでしょ。
援護してあげるから、とっとと行きなさいよ。」
「うん…。じゃあ、行ってくる。」
シンジがそう言うと、弐号機は波打ち際をばしゃばしゃと水しぶきを上げて使徒に向かって走っていった。
疾い。
言うだけのことはあって、弐号機は使徒との距離を見る見る詰めていく。
あたしはライフルを構えたまま、使徒に攻撃のきざしがないか確認しながら弐号機の次の動きを待った。
弐号機が、ソニックグレイブを手にしたまま、跳躍した。
それまで、一部が弐号機の陰となっていた使徒の、全身があたしの視界に入った。
使徒は弐号機の動きに釣られて、のけぞる様に無防備な腹部を晒している。
「今だわ!」
パレットライフルの一連射を、そこに叩きこむ。
思わぬ攻撃を受けて、使徒はやや前屈みになった。
そこへ、弐号機のソニックグレイブが、大上段から振り下ろされた。
『ナイス連携!』
指揮車からのミサトの歓声とともに、使徒は真っ二つに断ち割られた。
「やるじゃない。」
あたしも、素直に称賛した。
「いや、アスカがうまく…。」
弐号機がこちらを向き、シンジが何か言いかけたときに、それは起こった。
「シンジ、後ろ!」
「え?」
一瞬のできごとだった。
縦に断ち割られた筈の、使徒が二体に分裂していた。
『ぬゎんてインチキ!!』
ミサトの絶叫を聞きながら、あたしは弐号機に走り寄っていた。
(まずい、このままでは弐号機は、使徒と一対二だ。いくらシンジと弐号機でも、敵うわけがない!)
そう思って駆けつけようとするのだが、弐号機ほどは速くは走れない。
その弐号機は、茫然と突っ立っている。
「あ、ああ…。」
決まったと思った攻撃が通用しなかったので、シンジの奴、パニックになっているのだ。
無理もない。
あたしの初戦だって、そんなもの、いやそれ以下だったのだから。
それでも、
「ばか! しっかりしなさいよ!!」
そう叫んで走りながら、パレットライフルを乱射した。
『アスカ、国連第2方面軍に援軍を要請したわ。到着まで、なんとか持ちこたえて!』
ミサトの声を聞いたが、
(そんなの、間に合うわけないじゃない!)
案の定、弐号機は使徒の一体に捕えられた。
使徒の頭上高くに、抱え上げられている。
「シンジ!」
叫びながら発砲したライフル弾が、弐号機を抱えた使徒のコアを直撃した。
「やったか?」
確かに、コアが破損してい…。
「うそ!」
次の瞬間には、何ごともなかったかの様に修復していた。
発砲を繰り返しても、同じだった。もうかなり距離は詰まっており、外しようのない距離なのに。
二体の使徒は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「どうやって斃せばいいというの、こんな奴ら!」
絶望に囚われながら、あたしはライフルを乱射する。
そして、使徒の一体が抱えあげた弐号機の機体が、あたしの初号機に凄まじい勢いでぶつけられた。
− つづく −