ダブル チェンジ 第7話

- シンジ、来日 -


「あーあ、あと二日で日本か。」

デッキの手摺に寄りかかり、ため息をつく様に少年はつぶやいた。
夜になると、潮の香りが昼間より強くなるのは、気のせいだろうか。

それを見て、苦笑しながら男が尋ねる。
「憂鬱なのかい。」

少年は、あいまいに首を振った。
「多少は不安ですけど、憂鬱というわけではないです。今まで、あまりに退屈だったから。」

「確かに、長い船旅だったな。だが、それもあと二日で終わる。」
「輸送機を使えば、その二日で終わっていた筈なのに。」

「まあ、ぼやくな。軍には事情というものがあるんだから。」
「艦隊で護衛するなんて、自己顕示以外の何物でもないですよ。まったく、くだらない…。」

「めったなことを言うんじゃない。」
男は、周囲を見廻して言った。

「だれかに聞かれたら、それこそ面倒だ。軍人はプライドの塊だからな。」
「加持さんは、平気なんですか。」

「ま、俺も理不尽だとは思うけどね。そこは、考えを切り替えて、ゆっくり休養させてもらったと思うこと
 にしてるよ。
 それに、明日にはお迎えも来るだろう。」

「葛城さん、ですか。ぼくはあの人、苦手だな。」
「どうしてだい。」

「なんだか、わざとらしくて…。」
「そう言うな。あいつは、あれで、いろいろと気を遣っているんだから。」

「それは、わかりますけど。もう少し、本音で接してくれてもいいのにと、思うんですよ。」

「気が引けているんだよ、あいつは。」
加持と呼ばれた男は、火のついていない煙草をくわえたまま、仰向けに寝ころがった。

「適格者というだけで、君たち子供に頼らなければならないということにね。
 そのうしろめたさを隠した態度が、君には”わざとらしい”と映るんだろう。」

夜空を見上げてそういう加持の横顔を、少年は意外そうな顔をして見下ろしていた。




「どう、カヲル君。久々に乗った初号機の感触は?」

測定室から、リツコがカヲルに呼びかける。
あたしは、リツコの後ろに立ち、モニタに映されたカヲルの顔を見守っていた。

第一回の機体相互互換試験。
零号機と初号機を入れ替えても、エヴァがちゃんとパイロットとシンクロするかを調べるテストだ。

カヲルは前にも、少しだけ初号機に乗ったことがあるらしい。
だが、少なくともあたしがここに来てからは、そういうことはなかった筈だ。

「なんか、いい匂いがしますね。」

(あたしの匂いが、染みついているっていうの?)
あたしは、思わず顔が赤くなる。

それを誤魔化すために、あたしはわざと不機嫌そうに言った。
「なにが、匂いよ! 変態じゃないの!!」

(だいたい、どうして他人の機体でそんなにリラックスできるのよ!)

ゲージに表示されているシンクロ率にしても、あたしのアベレジよりわずかに低いだけだ。

「もう少し、集中してごらんなさい。」
「いえ、これで精一杯ですよ。」

リツコの指示に、カヲルはそう答える。

(精一杯といいながら、その余裕の表情はなによ。
 あたしを、前回の使徒の加粒子砲から守ってくれったときみたいに、本気を出したらどうよ?)

そう思うのだが、結局そこまででテストは終わってしまった。

「零号機で出した結果と、遜色ないわね。
 全く、予想以上の安定性だわ。
 これなら、ダミーシステム用のパーソナルパターンとして使えそうね。」

「なに、そのダミーシステムって?」
あたしが尋ねると、

「いいのよ、まだ設計段階なんだから。」
はぐらかされてしまった。

その後、あたしも機体相互互換試験の一環として、零号機に乗ることになった。
起動レベルは超えることができたが、あたしの場合、初号機と同じというわけにはいかなかった。
やはり、初号機とは勝手が違う。
初号機がスポーツカーとするなら、零号機は工事車両だ。
よくこれでカヲルは、同じ様にシンクロできるものだと思った。
やはり、”エヴァに乗るために生まれてきた”のは、カヲルの方だと思う。

「ご苦労さま、あがっていいわよ、アスカ。」
リツコにそう言われ、その日のテストは終了した。




テストが終了すると、ミサトが顔を出してきた。

「アスカ、突然でなんだけど、明日の土曜日、ちょっち付き合ってくれない?」
「え、何処へ?」

「海の上よ。エヴァ弐号機と、サードチルドレンを迎えに行くの。」
「弐号機? サードチルドレン? 聞いてないわ、いったいどういうことよ!」

「使徒の侵攻が本格化したことで、戦力の増強が認められたの。ドイツから増援が来るのよ。
 無理を言って来てもらうのだから、出迎えに行くことにしたの。
 それに、パイロットどうし、早めに打ち解けておくのもいいことでしょう?」

「サードが来る?! ぼくも行っていいですか。」
めずらしく、カヲルが目を輝かせて言った。

「残念ながら、カヲル君は留守番よ。」
「え、どうしてですか?」

「あなたの機体は、これから改装を兼ねて修理することになってるでしょ。」
「ええ、そうですが。」

「だから、稼働できるエヴァは初号機だけとなる。
 そして今回のテスト結果で、あなたも初号機を起動できることが判った。
 初号機に乗れるパイロットが二人とも日本を離れたら、万一の使徒の襲来に対応できなくなるわ。」

「だったら、アスカがここに残るべきでは…。」

「サードチルドレンは、男の子なのよ。
 同じ美形だったら、男と女、どちらが出迎えに来てくれた方が嬉しいと思う?」

「そ、それは…。」
カヲルは、うらめしそうな顔で、あたしを見た。

あたしの口から、”あたしがここに残るわ”と言ってほしい様だった。
でも、そんなカヲルがいつになく面白かったから、あたしは知らんふりをしていた。
それに正直なところ、あたしも男の子だというサードを見てみたいとも思っていたし。

「…わかりました、ここで待機します。」
やがてカヲルは、ため息をつくようにしてそう言った。




翌日、ミサトに連れられて、あたしが専用ヘリで到着したのは”オーバー・ザ・レインボー”。
太平洋艦隊の旗艦の甲板だった。

その艦隊の規模と、旗艦である空母の威容にあたしは圧倒されていた。
一体のエヴァを輸送するのに、いくらなんでも大げさすぎるのではないかと思った。

ミサトはまったく、そんなことは気にしていないようだった。
広大な甲板を落ち着きなく見廻すあたしと対照的に、ブリッジに向かって悠々と歩いていく。
あたしは、あわててそれを追った。

ブリッジの手前で、一人の男の子に会った。

「お久しぶりです、葛城さん。」
「シンジ君! ひっさしぶりね〜。元気してた?」

「ええ、おかげさまで。」
「またまた、他人行儀なことを! 背、伸びたんじゃない?」

「ええ、このところ、急に伸び始めて…。」

そう言う男の子は、それでもあたしより、二センチくらい低い。
顔立ちは、まあ整っている…いや、よく見るとかなりの美男子だ。
ただ、髪型が、あまりにも普通だ。
もう少し延ばして、ウェーブでもかかっていれば、ジャニーズ系の美少年になるだろうに。

「アスカ、紹介するわ。
 彼が、昨日話したサードチルドレン、碇シンジ君よ。」

「はじめまして、碇シンジです。」

「そしてこちらが、セカンドチルドレンの、惣流・アスカ・ラングレー…」

「惣流・アスカ・ラングレーよ。よろしく。」
ミサトにみなまで言わせずに、あたしはさっさと挨拶を済ませた。

ちょっと、がっかりだった。

美形なのはいい。
ちょっと身長が足りないが、成長期なんだから、今後に期待すれば、それはいい。
問題は雰囲気だ。

”サード”というからには”ファースト”であるカヲルほどではないにしても、もっと癖のあるというか、
頼りがいのありそうな相手を予想していた。

だが、なんか、冴えない。
妙に礼儀正しいからだろうか。
いや、いかにも温室育ちというか、草食系という感じが、あたしの好みから外れているからだろう。
あたしは、それまであったサードへの関心が、急速に薄れていくのを感じた。





「じゃあ、あたしは艦長に挨拶してくるから、あんたたちは適当に時間をつぶしてて。」
ミサトはそう言うと、一人でブリッジに入っていく。

「え? ちょ、ちょっと、ミサト!」
あたしは、突然このサードとともに置き去りにされた。

パイロットどうし、今のうちに親交を温めておけとでも言うのだろう。

(どうしよう)
こんな冴えない奴と、どうやって過ごせというのか。

「あの、惣流さん。」
「なに?」

『なによ!』と言ってしまわないようにするだけでも、一苦労だ。

「これから、よろしく。」
「ええ、こちらこそね。」
つい、ツンケンした態度をとってしまう。

「あ、あの、弐号機、見ます?」
「そうね、どうせ暇なんだし。」

たしかに、弐号機には興味があった。
サードの後について、艦内の格納庫に向かった。

「もうすでに、使徒を三体も斃してるんですよね?」
道すがら、サードがそんな話題をふってきた。

「まあね。」
「すごいな。訓練もなにもなしで、ですか?」

「ああ、もう、じれったいわね!」
「え?」

「あたしに対して、敬語を使うのはやめなさい。対等のパイロットなんだから。」
「はあ。」

「それに、あたしのこともアスカって呼びなさい。」
「どうしてです…あ、いや…どうして?」

「どうしても! 日本ではパイロットどうしではそうしてるからよ。わかった?」
「わ、わかったよ。」

「よろしい!」

格納庫に案内されると、そこは広大な空間だった。
本来は、艦載機用の格納庫のはずだが、エヴァの輸送用に、かなり改造されている。
民間のタンカーを借りてエヴァを運べば、わざわざこんな改造をしなくていいのにと思う。
あくまでもエヴァは軍事用のものだという、意思表示でもしたいのだろうか。

エヴァ弐号機は、その中に横たわるようにして格納されていた。

「へえ。弐号機って、紫色なのね。」
あたしは、感心して言った。

「けっこう、強そうじゃない。」

「見た目だけじゃないよ。」
サード、いや、シンジは目を輝かせて言った。

「この弐号機は、はじめて実戦を想定して造られた、制式タイプのものなんだ。」
なんか、ついさきほどまでと違って、自信たっぷりに言ってくれる。

「あら、言ってくれるじゃない。初号機は実戦向きじゃないとでも?」

「パワーがあるのは、認めるよ。でも、実戦で重要なのは瞬発力と正確性だよ。
 力まかせの攻撃ばかりでなく、確実に相手に当たらなくては駄目なんじゃないかな。
 だからこの弐号機は、ぼくの意見を取り入れて軽量化に成功し、運動性を上げているんだよ。」

「なによ。あんた、何様のつもり? あんたの意見を取り入れてですって?
 だいたい、実戦経験もないくせに…きゃっ!」

あたしの言おうとした言葉は、突然の轟音と船体の揺れによって遮られた。
あたしは、危うくころびそうになった。

「な、何なのよ! 今のは?」
「水中衝撃波だ。しかも、爆発はかなり近い。」

まさか! 
あたしとシンジは、デッキへと飛び出し、海上を眺めた。

艦隊が、次々と正体不明の敵に襲われていた。
巨大な魚の様な影が、水中を信じられない速さで泳いでおり、その体当たりで駆逐艦クラスの艦艇が次々と
沈められていく。

「まさか、使徒?」
あたしが、つぶやくと、

「あれが、本物の?」
シンジも驚いていたが、すぐに、

「でも、これはチャンスだね。」
そう言うと、ほくそ笑んだ。

「あんた、この非常事態に、なに笑っているのよ!」

「アスカ、あれを仕留めるよ。」
「はあ? どうやって? 動かせるエヴァもないのに。」

「エヴァなら、あるよ。」
「弐号機のこと? でも、あれは繋留されているものだし、発令所もないのに、起動できないんじゃ…。」

「起動できるよ。よかったら、一緒に乗ってよ。実戦用であるところを見てもらえるから。」
「…上等じゃない!」

なんかこいつ、自分のことはともかく、弐号機のことになると妙に自信満々だ。




「ほら、これに着替えて。」
弐号機のところに戻ると、シンジにプラグスーツを渡された。

「……。」
男物だ。たしかに、予備にしても自分用のプラグスーツしか持っていないだろうけど、あたしにこれを着ろ
というのか。

「じゃあ、ぼくはあっち向いて着替えるから。」
そう言うと、シンジはあたしに背を向けて着替え始めた。

あたしも、あわてて背を向ける。

「絶対、こっち見るんじゃないわよ!」
あたしもシンジのスーツに着替える。うう…胸がきつい。

着替えが終わると、あたしたちは弐号機のエントリープラグに乗り込んだ。
あたしは、シンジのシートの後ろの空いたスペースに座る。

「じゃあ、起動させるよ。」

シンジはそう言うと、コクピット周りのパネルをあれこれ操作し始めた。
初号機のコクピットにはないものだ。

「ひょっとして、これもあんたの意見でつけさせたものなの?」
「うん、まあ…。思考言語は、日本語をベーシックにしておくね。」

あたりまえじゃない、あたしがそう言う前に、あっという間に弐号機は起動した。
早い! 早過ぎる…。

『シンジ君? エヴァを起動させてるの?』
ブリッジから、ミサトの通信が入った。

「ええ、独断で起動させてすみません。」

『いいわよ、そのつもりだったから。…アスカもそこにいるのよね?』

「はい。そちらのオペレータに、ゲートを開けるよう、指示してもらえますか。」

『オーケイ。 ゲートオープンとともに、出撃して。』

(な、なによ。あたしのときは、”場数を踏んでいないうちから、パイロットが独自で戦局を判断するな。
 エヴァに乗る以上、作戦部長のわたしの指示に従ってもらわなきゃ困る”とか言っていたくせに。)

シンジの場合は、あっさりそれを認めるのか?
あとで、ミサトに、きっちり問い詰めてやろう、そう思っていたら、格納庫の天井の部分が開きだした。

「え?」

そして、弐号機が横たわっていた台座の部分も上昇していく。
リフトになっていたのだ。
リフトの上昇に合わせて、弐号機も身を起こす。
弐号機が完全に立ち上がった時点で、リフトは甲板の上面の位置で静止していた。

あたしは、あっけにとられていた。
すべてが同時進行で行なわれ、ここまでの動きに全く無駄がない。

さらに、甲板の別の場所が口を開き、何かが飛び出してきた。
弐号機が、あっさりとそれを掴む。
手にしているのは、先端に刀の様な刃がついた、槍状の武器だ。

「一体何よ、これは?」

「これ? 使徒を斃すための武器だよ。ソニックグレイブっていうんだ。
 超振動で敵を両断する…原理的には、プログレッシブナイフと同じだけど。」

「そんなこと、聞いてんじゃないわ!これって、空母でしょ。どんだけ改造してあるのよ!」

「”元(もと)空母”だよ。言っとくけど、この改造はぼくの意思じゃないからね。
 それよりも… 来るよ!」

シンジがそう言った直後、海面が盛り上がり、あたしたちめがけて何かが飛び出してきた。

弐号機は、身を低くしてそれをやり過ごす。
あたしたちの上空を通過していったのは、小型の艦艇ほどもある、巨大な魚のような使徒だった。

あんなのに体当たりされたら、駆逐艦クラスの艦艇はひとたまりもないだろう。
この艦だって、無事では済まない筈だ。


『シンジ君。』
ミサトからの、通信が入った。

『どうやら、使徒の狙いは、あなたたちの乗っている弐号機のようね。
 今度はもっと滞空時間を長くして、狙いをさだめてくるでしょうから、そこがチャンスよ。』

「わかっています。できれば、対空砲火でさらに足止めしてもらえるとありがたいんですけど。」
「了解、やってみるわ。」

使徒は、充分な距離をとって、艦隊のまわりをぐるぐると回り始めた。
加速をたっぷりしてから、飛び出してくるつもりなのだろう。

そのとき、空母の後部デッキから、1台のヘリが飛び立つのが見えた。
シンジがなんだか、そちらを気にしているように思えたので、あたしはシンジのインダクションレバーを
握る手を、背後から押さえて言った。

「集中しなさい、シンジ。 使徒のコアは、あいつが大口を開けたその奥にあったわ。」

「見えたの。アスカ?」

「ええ。」

「ありがとう。」

そのとき、海面が再び大きく盛り上がり、その中からまたあいつが飛び出してきた。
まっすぐにこちらを目指してくる。

その使徒に、対空砲火が雨あられと降りかかった。
致命傷を与えられるものではないが、一瞬使徒がたじろぐ。

「今よ!」
「このっ!!」

弐号機のソニックグレイブが、横なぎに一閃する。
シンジの手にかぶせるように手を添えていたあたしだったが、そのとき確かに手応えを感じた。

使徒の巨体はそのまま海中に沈み、その直後に爆音とともに大きな水柱が上がった。

「状況、終了。」
やがて、使徒の生存反応を確認していたミサトが、高らかに宣言した。



「え? 加持さん、先に行っちゃたんですか?」
着替えを終えた後、ミサトを前にして、シンジが情けない声を上げた。

さきほどの戦闘中に、後部デッキから飛び立ったヘリに、どうやらその人が乗っていったようだ。

「自分だけ、とっとと逃げ出したのよ、あのぶゎかは!」
ミサトが、吐き捨てるように言った。

「そんな…!」

ほんと、見捨てられた子猫のような情けない顔をする。
これがさきほどまで、使徒と堂々と臆せずに戦っていたサードチルドレンとは、とても思えない。

「なによ、その顔は。しゃきっとしなさいよ!」
あたしは、後ろからシンジの頭をはたいた。

「いたっ、何するんだよ。」
シンジは、頭を抱えながらあたしを睨んだ。

「そう、その顔よ。
 これから先、エヴァのパイロットとしてあたしと同じ道を行くのなら、それくらいの気骨がなきゃ。」

あたしは、笑みを浮かべて頷いてみせた。
                     − つづく −