ダブル チェンジ 第5話
- 敵意の光 -
「これが、零号機?」
あたしは、アンビリカルブリッジの上に立ち、カヲルとともにそれを見上げていた。
「そうだよ。」
答えるカヲルを見ると、今はもう包帯もとれた、その白い横顔が照明の光で照らされている。
光があたると、その肌は来ているワイシャツと同じくらいに白い。
”どうしてそんなに色が白いのよ!”
気味悪いと思う前に、あたしはその白さに軽い嫉妬を覚えた。
「なんだか、サイクロプス(一つ目巨人)って感じね。
こんなので、視界が確保できるのかしら。
戦闘には向いてないかもね。」
嫉妬心を打ち消すために、あたしは皮肉をこめてそう言った。
「あくまでも、データ取りのためのプロトタイプだからね。
実戦配備されたとしても、後方支援用になるだろうね。」
気にも留めずに、カヲルは答える。
「でも、見た目よりは視野は広いよ。
”四つ目”の初号機ほどではないだろうけどね。
それに、いわゆる”視力”はオーバースペックではないかと思うほどいいよ。
だから、長距離射撃なんかには向いているだろうね。」
さらりと、初号機のことを”四つ目”と言ってくれた。
こいつ、皮肉を返しているのか、それとも天然なのか…。
「時間よ、カヲル君。」
リツコの声が、テスト開始が間もなくであることを告げた。
これから零号機は、数週間ぶりの起動実験を行なうことになっていた。
「じゃあ、がんばって。」
「ああ、ありがとう。」
あたしは片手を上げると、モニタールームに向かった。
ケイジの出口に向かって歩きながら、ひょっとして、カヲルの奴に礼を言われるなんて、初めてのことでは
ないかと思った。
起動実験は、あっけないほど順調に終わった。
シンクロ率も、50%近い数字を出している。
その顔に浮かべた、さほど嬉しそうでもないカヲルの笑みを見ると、ひょっとして、まだ余力を残している
のではないかとさえ思えた。
これが、数週間前に暴走を引き起こした機体とパイロットとはとても思えない。
「まったく問題ないわね。
この状態が維持できるのであれば、実戦配備が正式に決定されるでしょうね。」
リツコがそう言う。
現段階では、”内定”ということなのだろう。
あたしにとっては、戦力の増加はあたしの負担が少なくなることになるのだから、零号機の投入は歓迎すべ
きことだった。
その夜。
リツコが、あたしたちの家にお呼ばれに来た。
ミサトとは、大学時代からの、10年以上の付き合いになると言う。
あたしは、ヒカリから教わったばかりの鶏肉の唐揚げと、ポテトサラダでもてなすことにした。
「あら、これ、アスカが作ったの?」
「まあね。味の保証はできないけど、どうかしら。」
「意外ね。上手にできてるわ。」
「…ありがとう。」
リツコにほめられはしたが、特別に美味しいとは言ってもらえなかった。
多少なりとも料理の真似ごとをはじめてから、まだいくらも日は経っていないし、まあそれは仕方のないこ
とだろう。
改良すべき点は、今度じっくりヒカリに訊いてみることにしよう。
「ねえねえ、わたしのカレーも食べてみてくれる?」
ミサトが、あたしとリツコの間に割り込むように、笑みを浮かべてそう言ってきた。
「ひとこと、忠告しておくけど…。」
あたしがリツコに向かって言いかけると、
「わかってるわよ、アスカ。ミサトとは長い付き合いだから。」
リツコはウインクしてそう言った。
「あら、何の話?」
「なんでもないわよ。それより、あなた、カレーの作り方なんて知ってたの?」
「やあねえ。本格的なものが、わたしにできるわけないじゃない。レトルトがベースよ。
ほら、アスカも食べてみて。」
あたしは、リツコと目を合わせた。
”まあ、レトルトがベースなら、それほど破綻することもないでしょう”
暗黙の合意のうちに、あたしたちはそっとスプーンによそったそれを口に運んだ。
…甘かった。
味ではなく、あたしたちの認識が。
天地が逆転するかと思った。
あたしは、口を押さえたまま、洗面所に駆け込んだ。
途中、洗面所入り口の脇で、ペンペンがカレーの入った餌入れの傍で目を廻しているのが視野に入ったが、
どうしてやることもできなかった。
洗面台に手をついて身を屈めているあたしの耳に、
「レ、レトルトをベースに、よくぞここまで…。」
そう言う、リツコの呻き声が聞こえてきた。
念のために買い込んでおいたコンビニの焼きそばで、あたしとリツコは一息をついた。
「なによ、せっかくいろいろ工夫したカレーだったのに…。」
ミサトは不満げだったが、
「「工夫せんでいい!!」」
あたしとリツコに同時にそう言われて、しぶしぶと引き下がった。
食事会も終わりに近づいた頃、リツコが思い出したように言った。
「そうそう、アスカに頼みたいことがあるの。」
「なに?」
「カヲル君の、セキュリティカード。
更新したのに、渡しそびれてたのよ。あなた、明日の午後にでも、本部に来る前に届けてくれない?」
そう言えば、あいつがどんなところに住んでいるのか、見たことがなかった。
興味がないわけではないので、
「いいわよ。」
そう言って、カヲルのセキュリティカードを受け取った。
翌日。
あたしは、渡されたメモにある、集合住宅の一室の前に来ていた。
「変わったマンションね。」
この、小じんまりとした建物だけは、真新しい。
だが、その周囲にある、より背の高いマンション群は明らかに古く、取り壊す予定になっているようだ。
「建て替え工事のための、工事関係者用の住居かしら。」
そう考えれば納得がゆかないこともないのだが、メモにあるカヲルの部屋以外に、だれかが住んでいると
いう気配がまったくない。
とりあえず、ドアのチャイムを鳴らしてみる。
壊れてはいないようだが、応答がない。
留守かな、と思ってドアノブに触れてみると、簡単に空いた。
室内には、明りが点いている。
(なんだ、いるんじゃない)
「カヲル、いる?」
しかし、返事がない。
「惣流だけど、入るわよ。」
あたしは、中に入ってドアを閉めた。
玄関口に、靴が一足、きちんと並べて置いてある。
廊下にも、その奥の寝室にも、電気が点いている。
だから、在宅かと思ったのだが、返事がないところを見ると、近所に出かけているのだろう。
(すぐに帰ってくるつもりにしても、いくらなんでも不用心よ!)
あたしは、奥の部屋で、カヲルが帰ってくるのを待つことにした。
「それにしても、見事なくらいに何もない部屋ねえ。」
部屋の中央にある椅子に腰掛けながら、あたしは声に出してそうつぶやいた。
壁はすべて、真っ白に塗ってあるが、ポスターはおろか、カレンダー1枚貼ってない。
家具と言えば、小型の冷蔵庫とベッド、今坐っている背もたれのない椅子と、チェストくらいだ。
他には、何もない。
ベッドの隅に衣類が畳んでおいてあるし、小奇麗といえば小奇麗なのだが、それは散らかす対象物がない
だけに過ぎないのかも知れない。
(ミサトとは、全く逆ね。)
これだけ、情報も刺激もないところに一人で住んでいて、退屈や孤独は感じないのだろうか。
そう思って、あらためて部屋を見廻すと、チェストの上に何か置いてあるのに気付いた。
近づいて見ると、眼鏡ケースのようなものが、開いた状態で置いてあった。
中には眼鏡ではなく、透明なカプセル状のものが納められている。
「なに、これ?」
カプセル状のものを手にとってみると、何か、生物の神経組織のようなものが入っているのが見えた。
ちょっとやそっとでは壊れない、頑丈な造りになっている。
よっぽど大事なものか、壊れやすいものなのだろう。
「なんだろう、何かの生体組織? あいつの、コレクションかしら。」
確かに、珍しいものには違いないだろうけど、あまりいい趣味とは言えなかった。
「そいつを、返してくれないか。」
突然背後から聞こえた声に、あたしは驚いて振り返った。
カヲルだった。
シャワーでも浴びていたのか、少し濡れた髪と、首に掛けたバスタオルが見えた。
それだけだった。
身につけているものが。
だれかの絶叫が聞こえた。
そう、これはあたしの声だ。
「な、なんだい?」
カヲルはきょとんとしている。
「な、なんて格好してるのよ!」
「何って?」
「もう、ばか!!」
カヲルが前を隠そうとしないので、あたしは部屋から走り出ようとした。
そのとき、あたしとしたことが、何かに躓いてしまった。
「おっと。」
カヲルに、抱きとめられていた。
「大丈夫かい。」
抱きとめてくれた相手が、全裸であることに気付いて、あたしは思わず身を捩った。
「「!!」」
あたしとカヲルは、もつれ合うようにその場に倒れこんだ。
(もう、最低!)
一連のできごとが、あたしの理解の範疇を超えていた。
だが、それだけではなかった。
「できれば、早くどいてくれないかな。」
カヲルが、わずかに貌をしかめる様にして言った。
あたしは、仰向けに倒れたカヲルに覆いかぶさるようにして両手を床についていた。
意識したわけではないが、全裸のカヲルに密着することだけは避けていた。
なのに、カヲルは顔をしかめている(?)
そのとき、あたしは気付いた。
床についた筈の、あたしの右ひざの下に、ぐにゃりとした柔らかいものがあることに。
カヲルが、顔をしかめる原因が。
「ああっ、ご、ごめん!」
あたしは思わず、飛び離れた。
ふうっとため息をつくと、カヲルは起き上がった。
あたしはあわてて、カヲルの方を見ないように後ろを向く。
カヲルが、ベッドの上に畳んであった服を着ている気配が伝わってきた。
「今日はまた、何の用だい。」
着替えながら、カヲルはそう尋ねてきた。
「あ、あたしはただ、カ、カード…新しくなったから、届けてくれって…。
だ、だから、そんなつもりはなかったのよ。」
「なんだ、そういうことか。」
カヲルは合点がいったようだ。
「じゃあ、その辺にカードを置いておいてくれるかい。」
「え、ええ。」
あたしは、リツコから預かったカードをチェストの上に置いて、ようやく目的を達した。
そして、あたしたちはネルフ本部に向かった。
昨日に引き続いて、零号機のテストを行うことになっていた。
モノレールに乗っている間中、気まずい沈黙が続いていた。
気まずいと思っているのは、あたしだけかも知れない。
あたしは、早くあのアクシデントを忘れたかったが、そのためには何かを話題にしてカヲルと話すしかない
と気付いた。
「ねえ。」
あたしは、カヲルから目をそむけたまま言った。
「ん? なんだい。」
カヲルは、いつもどおりに応答する。
(こいつ、さっきのこと、本当になんとも思っていないの?)
そう思ったが、あたしはそのまま尋ねた。
「さっきのあれ、何なのよ。」
「あれって?」
「チェストの上にあった、得体の知れないものを言ってるのよ。」
「ああ、あれね。…あれが何かはわからない。だけど多分、君たちには関係ないものだよ。」
「はあ? 何よ、それ。
あたしに関係ないのはわかるとして、君たちっていったい何よ。
あんたが何か、特別な存在ってわけ?」
「そういうことを言うつもりじゃなかったんだけどね。
正直、ぼくもはっきりとは覚えていないのさ。あれを持っている理由が。」
「覚えていない?
まさか、どこかの研究所か何かから、盗んできたものじゃないでしょうね。」
「それはないね。少なくとも、あれは持ち主を選ぶ”鍵”だから。」
「どうして持っている理由を知らないというのに、そんなことがわかるのよ。」
「そうだね、どうしてだろう。」
「もういいわ。あんたと話していると、疲れるだけだから。」
あたしは、ため息を交えて言った。
ただ、さきほどまでの気まずい雰囲気が緩和されたことは、唯一の救いだった。
ネルフ本部に着いた。
昨日に続いて、零号機の起動実験が行われた。
今日は特別に、パパと冬月副司令も様子を見に来ている。
今回も、カヲルはあっさりと起動を果たした。
引き続き、連動実験が行なわれる。
プログライフを引き抜く。
構える。
切り払う。
突く。
パレットライフルを構える。
狙う。
撃つ。
空薬莢を排出する。
そういった動作が、繰り返し行なわれた。
「思った以上ね。」
リツコが、感心して言った。
それから、パパたちの方に向き直って、
「御覧のとおりです。
二、三不確定要素はありますが、実戦配備に耐えられる状況にあるかと思いますが。」
「わかった、許可しよう。」
「ありがとうございます。」
そういうやりとりをリツコとパパがしているところへ、冬月副司令が緊張した面持ちで言った。
「ラングレー、未確認飛行物体がこちらに向かっていると、今連絡が入った。
…おそらく、第五の使徒だな。」
「わかった。ただちに、実験中止。葛城一尉、第一種戦闘配備に移行だ。」
「了解しました。第一種戦闘配備に移行します。」
ミサトが敬礼した後、てきぱきと指示を出していく。
「アスカはプラグスーツに着替えて、出撃準備。」
「わかったわ。」
「零号機はこのまま、出撃させないのか。」
そう言う副司令の声と、
「まだ早い。目標の攻撃パターンが分からないうちは、待機だ。」
パパがそう答えているのを耳にしながら、あたしは出撃の準備に向かった。
あたしは、初号機に搭乗して、三度目の出撃の指示を待つ。
カヲルは零号機に乗ったまま、ケイジで待機を命ぜられている。
何かあったときのための、バックアップをさせるための様だ。
(どうせなら、同時に出撃させた方が効率がいいのに)
そう思ったが、何か考えがあってそうさせているのだろう。
「アスカ、いいわね?」
ミサトの問いかけに、
「いつでもいいわ。」
そう答えてインダクションレバーを握りしめる。
「では、発信!」
直後、初号機は射出された。
何度経験しても、射出されるときの感覚は好きになれない。
押し潰されそうなGを感じたあと、それがシートからはじき出される様な急制動に変わる。
そのギャップをやっとのことで克服したら、目の前に使徒がいるというパターンだ。
でも今回、地上に出た時点では使徒の姿は見当たらなかった。
(使徒の正面に射出される筈だから、目の前のビル群の陰にいるということか。)
そんなことを一瞬考えたとき、
「目標内部に、高エネルギー反応!」
「なんですって!?」
発令所の騒ぎが聞こえてきた。
「アスカ、よけて!!」
ミサトの絶叫が聞こえる。
(な、なによ! 敵はどこにいるの? 何から逃げろというの?)
そう思った瞬間、正面のビルが、バターの様に融け崩れた。
同時に、凄まじい光が初号機の胸部を直撃する。
「ああああああぁぁぁぁぁ〜っ!!」
胸の痛みと同時に、プラグ内のLCLが煮え立つのを感じた。
「アスカ!!」
ミサトが何ごとか叫んでいるようだったが、あたしの耳には何を言っているのか分らなかった。
「なに、これ! 助けてよ、なんとかしてよぉ!」
その苦痛は、永遠に続くかと思われた。
みずからの前に立ちふさがるものを、無慈悲に、冷徹に焼き尽くす光。
エヴァのA.T.フィールドだからこそ、なんとか均衡を保っているが、あらゆる物質がその光の前には
何ら防壁の役を為さないだろう。
ミサトたちにも、打つ手がないのだ。
(このまま、じりじりと焼かれて、あたしの人生は終わるのか)
そう思ったとき、それまでの苦痛が嘘の様に和らいだ。
あたしは、顔を上げた。
両手を広げ、あたしの初号機を光から庇っている零号機のシルエットが見えた。
「A.T.フィールド、全開…。」
絞り出すような、カヲルの声が聞こえた。
− つづく −