ダブル チェンジ 第2話
- 不安だらけの始まり -
ちょっと、聞いてくれないか。
”今度こそ、シンジ君を幸せにしてみせる”
そう、ぼくは約束したよね?
『そんなこと、聞いたことない』なんてのは、なしだよ。
たしかに、ぼくはそう約束したんだからね。
だから、彼女と交渉したんだ。
役割りを、交代してみようと。
彼女もぼくも、シンジ君にとっては”気になってしかたがない存在”という点で、一致していたからね。
最初のうちは、彼女は乗り気じゃないみたいだった。
でも、『必ず彼を幸せにする』と、繰り返し説得した結果、やっと了承してくれたんだ。
「いいわ、やってみれば。」
「ありがとう。」
準備はけっこう、大変だった。
でもまあ、”過去の経歴はすべて抹消済み”となっていたおかげで、何とかなったみたいだ。
歴史が変わるということは、人の記憶も変わるということだ。
そのことは、ぽくにとっても例外ではないらしい。
前世のぼくの記憶も、そのほとんどが消えてしまった。
ただ、ぼくが”渚カヲル”であること、シンジ君を幸せにするためにこの世界に来たこと、それは覚えて
いたし、それだけで十分だった。
他の部分でなにか、設定が一部変わってしまっている気もしたが、些細なことだと気にも留めなかった。
そしてシナリオどおりに、零号機は起動実験で暴走し、搭乗していたぼくは重傷を負った。
さらに、初めての使徒の襲来。
エヴァに乗れないぼくのかわりに、司令は自分の子供を呼ぶことにしたらしい。
うん、いいぞ。もうすぐシンジ君に会うことができる。
…そう、思っていたんだ。
なのに、ぼくの期待は裏切られた。
ひどいよね。
初号機のケイジで、ぼくとシンジ君は記念すべき邂逅を遂げる筈だったのに。
ストレッチャーで運ばれてくるぼくを、心配そうに見守ってくれているとばかりに思っていたのに。
シンジ君だと信じて振りむいたぼくの視野にとびこんできたのは、見知らぬ少女だった。
それも、いかにも自己主張の強そうな、協調性のなさそうな、ぼくがもっとも苦手とするタイプの。
愕然としたね。
せっかく、ここまでお膳立てをしてきたというのに。
積み上げた希望が、崩れていく音が聞こえる様だった。
「ファースト、”予備”が使えなくなった。おまえに託すしかない。」
司令にそう言われ、
「わかりました…。」
ため息とともに、ぼくはそう答えた。
もう、どうでもいい、ぼくはそう思っていた。
だから、正直、驚いたよ。
「けが人は寝てなさい! もういいわ、あたしが乗る!」
その子が、叫ぶようにそう言ったときは。
…そして、その子との関わり合いが今のようになるとは、そのときは予想すらできなかったんだ。
「知らない天井だわ。」
あたしは、見たことのない照明器具…天井の蛍光灯を見つめながら、そうつぶやいた。
のろのろと起き上がり、周囲を見回す。
どうやらここは、どこかの病室のようだ。
なにが、あったのか。
それを思い出そうとしたとき、
「うっ…。」
突然の頭痛を感じ、あたしは思わず額を抑えた。
ベッドに再び、横になる。
そういえば、左腕も痛い。
おぼろげではあるが、痛みのおかげで何があったのか、思い出した。
”汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン…その初号機”
それに乗せられて、あの”使徒”と呼ばれる怪物と戦ったのだった。
いや、戦ったなどと、胸を張って言えるようなことは何もしていない。
あたしの意思でしたことは、ただ、歩いただけ。
そして、すぐに転んでしまった。
そのあとは、あの使徒に、いいようにやられた。
左腕を握りつぶされ、頭部に何度も打撃を受けて、あたしは悶絶した。
さらにその後のことというと、もうこれは記憶が定かでない。
初号機が、勝手に動いていたようだ。
ただ、無茶苦茶に暴れていたような気がする。
最後は、使徒が勝手に爆発して、”作戦終了”ということになった。
しばらく寝ていると、痛みはかなり引いてきた。
左腕を見ると、うっすらと赤い痕があるが、皮膚に傷があるわけではない。
『アスカ、あなたの腕ではないのよ。』
ミサトが、そう言っていたような気がする。
そうか、半ば精神的なものなんだ。
フィードバックという奴だろうか。
外部からの刺激を感じることで、動かすことができたのだ。
そう思い当たると、痛みはかなりなくなった。
頭痛のほうは、完全になくなった。
やはり、”痛い”と思うから、痛かったのではないかと思う。
痛みの方はいいとして、気分はまだ少しよくなかった。
”作戦終了”のあと、あたしは再び気を失ったのだけど、その直前に何かを見たような気がする。
何を見たのか、まったく思い出せないけど、あたしが気を失うほど気持ちの悪いものを。
思い出すとまた、気を失うような気がして、あたしはそれ以上考えないことにした。
半日ほど寝ていると、体の調子はかなりよくなった。
寝ているのも退屈なので、廊下に出てみる。
廊下の窓から外を見ると、全天を覆うドーム状の天井と、地底湖が見えた。
どうやらここは、ジオフロントの中らしい。
街の中の病院ではなく、ネルフの医療施設にいるのだ。
しばらく窓の外を見ていると、ガラガラと音をたてて、何かが近づいてきた。
怪我人を乗せた、ストレッチャーだ。
銀髪の頭部が見えたので、まさかと思ったが、やはりファーストチルドレンだった。
名前は、まだ知らない。
彼と、目が合う。
相変わらずの紅い瞳が、あたしのことを、まるで石ころを見るように見ている。
なによ、その目は!
その気に入らない目つきを、あたしはせいいっぱい睨み返してやった。
翌日。
朝の回診で異常なしと診断され、あたしはそのまますぐに退院することとなった。
ミサトが、あたしを車で迎えにきてくれた。
その足でいったん、ネルフ本部に向かう。
そこで、冬月という初老の人に会った。
副司令だと、紹介された。
いろいろと、ネルフの組織のことを聞かされたが、あたしには正直、どうでもいいことだった。
命じられるままに、エヴァに乗る。
”国連直属の非公開組織”の機密をいろいろと知った以上、もうそうするしかないのだ。
最後に、あたしの転居先の話になったが、本部施設の中の居住区の一室が用意されているとのことだ。
パパと暮らすわけではないと知って、あたしは正直なところ、ほっとした。
「よろしいのですね? 司令と同居でなくて。」
ミサトが、冬月副司令に念を押すように言った。
ちょっと! 余計なこと言わないでよ!!
思わず、そう叫びそうになる。
「ラングレー司令と、その子は、お互いにいない生活があたりまえなのだよ。」
そうそう、わかってるじゃない、この人。
「それでいいの? アスカ。」
「いいのよ、一人の方が。 どこでも同じだし。」
「よくないわよ、年端もいかない女の子がひとりぐらしなんて!」
結局、あたしはミサトの家に引き取られることになった。
まあ、女同士で暮らすというのも、それはそれでいいのかも知れない。
その日は、ミサトは仕事を早めに切り上げ、あたしといっしょに車で帰宅することになった。
「じゃあ、今夜はパーッとやらなくちゃね。」
「え、何を?」
「もちろん、あなたの歓迎パーティよ♪」
そう言うとミサトは、あたしを連れてあちこちのコンビニを車でまわった。
スーパーでなく、コンビニというところが引っかかったが、案の定、買い込んだのは”食材”ではなく、
できあいの”食糧品”ばかりだった。
なんとなく、これからの食生活が想像できたが、今日のところはそれでよしとすることにした。
「そうそう、うちに帰る前に、ちょっち付き合ってくれる?」
「どこへ行くの?」
「い・い・と・こ・ろ」
ミサトは微笑むばかりで、結局答えてくれなかった。
ミサトがあたしを連れていったのは、とある峠の展望台だった。
夕暮れが迫る中で、第3新東京の全貌が見渡せた。
建造途中なのか、思ったよりビルの数が少ない。
「なんだか、寂しい街ね。」
あたしはそうつぶやいたが、独り言と思ったのか、ミサトは黙ったまま腕時計を見ていた。
やがて、ミサトは顔を上げて言った。
「時間だわ。」
同時に、街のあちこちから、一斉にサイレンが響きわたった。
それを合図に、いくつものビルが、地下から次々にせりあがってくる。
「すごいわ! ビルが生えてくる!!」
あたしは、思わずそう言った。
”市”というには狭いとは思うが、それでも街中がビルで埋め尽くされるまで、いくらもかからなかった。
その街並みが、夕陽に照らされている姿は、壮観と言ってよかった。
「これが、使徒専用迎撃要塞都市−−第3新東京市。私たちの街よ。」
ミサトが、得意げに言った。
「そして、あなたが守った街。」
そうつけ加えて微笑む。
『こんなすごい街、本当にあたしが守ったの?
あたしは、ただ、エヴァに乗っただけ。
使徒と戦ったのは、別の”なにか”なのに。』
あたしは、誇らしく思う前に、なんだか戸惑いを感じていた。
ミサトの自宅は、郊外にある小洒落たマンションだった。
「わたしもまだ、越してきたばかりなんだけどね…。」
そういうミサトに案内されて、中に入る。
我が目を疑った。
「まあ、ちょっち、散らかっているけど、遠慮しないで。」
「これが、ちょっち…。」
あたしは、絶句していた。
”小洒落た”というのは外観だけで、すでに中身はゴミ屋敷になりつつあったのだ。
「アスカの荷物は、明日あたりに届くと思うから…。」
そういうミサトの言葉を途中でさえぎり、
「こんなところに、住めるかぁぁぁぁぁっ!!」
近所中に響きわたる声で、あたしは思いっきり叫んでいた。
ともかく、こんな有様では、あたしの荷物を入れるスペースすらない。
3時間ほどかけて、二人で室内の整理と掃除を行った。
もちろん、あたしの指示で。
幸い、物置きにしている部屋があったので、整理しきれない雑多なものはそこにぶち込んだ。
ようやく、人の住める環境になったときはすでに外は暗くなり、二人とも汗だくになっていた。
夕食をとる前に、まず風呂をいただくことにした。
そこでまた、一波乱あった。
「変なのが、いるぅ!!」
あたしはそう叫ぶと、お風呂場を飛び出した。
「ああ、彼? 新種の温泉ペンギンよ。名前はペンペン。もうひとりの同居人よ。」
そう言うミサトの前を、ペタペタと音をたててそのペンギンは通り過ぎていく。
そして、そのペンペンとやらは、小型の冷蔵庫を開けて中に入っていった。
どうやら、そこがそいつの居室らしい。
「納得した? じゃあ、お風呂の続きをどうぞ。風邪、ひくわよ。」
ミサトにそう言われ、あたしは全裸で飛び出してきていることに気付いた。
「葛城ミサト…悪い人じゃ、ないようね。」
湯船に浸かりながら、あたしはそうつぶやいた。
「でも、がさつでズボラ…この先、うまくやっていけるのかしら。」
ちょっと、心配になる。
それよりも、もっと心配なことがあった。原因はあたしだ。
『こんなところに、住めるかぁぁぁぁぁっ!!』
『変なのが、いるぅ!!』
近所中に聞こえる声で、二度も叫んでしまった。
それが理由で苦情が出て、追い出されたりしないだろうか。
まあ、そこは天下のネルフがうまくやってくれるだろう、そう思うことにした。
両手でお湯を掬って顔を洗い、まとわりつく心配ごとをいっしょに洗い流す。
「おなか、空いたな…。」
無意識に、そうつぶやいていた。
遅い夕食をミサトと二人で済ませ、翌日からのことを話し合った。
とりあえず、食事当番、掃除当番をミサトとジャンケンで決めることとなった。
「作戦部長を、甘く見ないでね。」
ミサトは、自信満々に言った。
だが…。
結果は、あたしの23勝5敗。
ミサトは、うるうると涙を流している。
甘く見るなですって?
本当に、この人の戦略に従っていていいのか、心配になってきた。
あと、ネルフ本部で対使徒戦の模擬訓練やハーモニクステストとやらをこなしつつ、学校へも通うことに
なった。
学校はきらいじゃないけど、二足のわらじでちゃんと勉強がついていけるのか、ちょっと不安。
次の日から、あたしの新しい生活が始まった。
最初に行なったのは、ネルフ本部での模擬訓練。
なんのことはない、シューティングゲームに毛の生えた程度のものだ。
頭の中でちゃんとイメージできれば、結果はそれについてくるものだと分かった。
少なくとも、もう使徒の前で転ぶなどという醜態をさらすことはないだろう。
あたしの上達ぶりに、みんな驚いていた。
そして、翌日には転入した学校へ初登校。
「惣流・アスカ・ラングレーです。」
先生に促がされて自己紹介すると、教室中がどよめいた。
そりゃまあ、この容姿で目立つなという方が無理よね。
ありふれた日常の中での、当然の反応だった。
休み時間に、さっそくあたしに近づいてきた男子の二人組がいた。
名を、相田ケンスケと鈴原トウジというらしい。
クラス委員長の代行で、この学校のことをいろいろ教えてくれるとのことだった。
クラス委員長は洞木という女子生徒なのだが、一昨日から休んでいるらしい。
それも病気ではなくて、事故で休んでいるとのことで、転校生のことを鈴原に頼むと連絡があったという。
鈴原はいかにもしぶしぶという感じだったが、相棒の相田が下心みえみえで、あたしに近づく口実で、鈴原
のサポートにまわっているという感じだった。
はっきり言って、どちらも好みじゃない。
相田は、アキバ系(死語か?)オタクみたいだし、鈴原は体育会系熱血バカという感じだ。
でもまあ、うわべだけは親切そうなので、こちらも笑みを浮かべて何かと世話をやいてもらうことにした。
数日がたった。
長期欠席していた生徒の一人が、久しぶりに登校してくることになった。
洞木委員長ではない。
名は、渚カヲルというらしい。
どんな人かと、相田に尋ねたら、あいつだよと、窓際に座っている生徒を指さした。
腕と頭に包帯を巻いた、銀色の髪をした男子生徒を。
「あっ! あいつだ!!」
あたしは、思わず叫んでしまった。
初号機のケイジと、ネルフの医療施設でみかけたあいつ…ファーストだった。
「なんや、知り合いか。」
鈴原がたずねるので、
「顔を見たことがあるだけよ。なんか、いけすかない奴。」
そう答えると、
「そら、まあな。ふだん、あまりしゃべらんくせに、人を見下してるようなところがあるからな。」
「でも、男子はそう思ってても、女子の間では、けっこう人気あるんだぜ、あいつ。」
「そうか? 声をかけられることはあったかも知れんが、必要以上なことはしゃべらんやろ。」
「わかってないな。あいつの写真、けっこう売れるんだぜ。」
「おまえ、男の写真まで売りさばいとんのか。」
鈴原が、あきれたように言う。
「ちょっと。『男の写真まで』って、どういうことよ!」
あたしは、相田をじろりと見て言った。
「まさか、あたしの写真をこっそり撮って、だれかに売ったりしてるんじゃないでしょうね。」
「そ、そんなこと、するわけないだろ。」
相田はしどろもどろになっている。
わかりやすい奴だ。
別に写真くらいいいけど、今度現場を押さえたら、モデル料くらいふんだくってやることにしよう。
「ふうん。まあ、いいけどね。 それより、あいつ、あんまり学校こないの?」
「なんや、やっぱり、惣流もあいつに興味があるんか……って、その顔じゃ、そういう訳やないな。」
「いいから、答えなさいよ。」
「まあ、休みがちなのは確かだな。」
相田がかわりに答えた。
「早退することもけっこうあるし。そのくせ、テストの成績は、けっこういいみたいだぜ。
それで女子にも人気があるんだから、ほんと、あったまくるよな。」
「先生が注意せんところを見ると、なにかあるんやろな。」
「案外、怪我しているところを見ると、先日の怪物と戦ったロボットとかに乗っていたのは、あいつだった
りして。」
「あほいうな! いくらなんでも、わしら中学生やで。そんなこと、させんやろ。」
あたしは、真実を言ってやりたかったが、その場はなんとかこらえた。
鈴原が大きな声を出したせいか、ファーストがこちらを振り向き、あたしに気付いた。
笑みを浮かべて、こちらに近づいてくる。
先日の、石ころを見るような視線とはえらい違いだ。
「な、なによ。」
あたしは、思わず身構えてしまった。
「先日はどうも。君も、こちらの学校に転入してきていたんだね。
まさか、同じクラスとは思わなかったよ。」
「もう、一週間近くになるわ。あんた、体はもういいの。」
一応、儀礼的なことを言っておく。
「だいぶ、いいよ。
そういえば、自己紹介がまだだったね。
ぼくは、渚カヲル。 君は?」
「知ってるわ。今、この二人に聞いたから。あたしは、惣流・アスカ・ラングレーよ。」
「これから、長い付き合いになりそうだ。よろしくたのむよ、セカンド。」
「ちょっ!」
あたしは、少しあわてた。
下手をするとエヴァのパイロットであることがばれる言葉を口にするのは、禁則事項なんじゃないの?
どういうつもりなの、あんた?
あたしの問いかけの視線に対して、ファースト…カヲルのやつは、笑みを浮かべて見返していた。
− つづく −