もうひとつ のバレンタイン  後編
  

3月13日、土曜日__。
シンジは朝から一人で、デパートに向かっていた。

昨日の夕方、マナのワンルームマンションの前で、別れ際にマナは、
「明日も、会える?」
と聞いてきた。

「もちろんだよ。」
シンジは、微笑んで答えた。

「でも、午前中はちょっと用事があるから・・・午後からでいい?」
マナは、少し淋しそうな顔をした。

「今度、ぼくたちは、卒業式の日に在校生代表で『弦楽四重奏』をするものだから、
体育館や音楽室を借りて、練習しているんだ。
よかったら、見に来てくれないかな。」

「うん、行く!」
「じゃあ、一時に迎えに来るよ。」

「待ってるね。」
「それじゃ、また明日。」
「お休みなさい。」
「お休み。」

そういうやりとりがあって、マナとは午後から会うことになっていた。

シンジが言っていた、午前中の用事とは、先日のバレンタインデーのお返しとして、
ホワイトデーのプレゼントを、デパートで買うためだった。

他の女の子へのプレゼントを買うところなど、マナには見せられない。
だから、一人で行くことにした。

「さて、何を買おうか。」
シンジは、つぶやいた。

「お返ししなくてはいけないのは、
『義理』と、『絆(きずな)』と、『好意』だったよなぁ。」

それぞれ、アスカ、レイ、カヲルのことである。

結局、
アスカには、赤いポーチを。
レイには、ミッフィの縫いぐるみを。
カヲルには、オーソドックスにクッキーボックスを買った。

「それから、と・・・。」
シンジはもう一件、今度はアクセサリ売り場に立ち寄った。

「どれにしようかなぁ。」
ショウケースを見ながら、シンジは真剣に悩んでいるようだった。

ことによると、こちらが本命だったのかも知れない。



約束どおり、シンジは午後一時にマナを迎えに行った。
「ごめん、待った?」
「ううん。」
「それじゃ、行こうか。」

二人は、マナのマンションを出て、学校に向かった。

「シンジは、何の楽器を演るの?」
「チェロだよ。」

「へぇ、すごいね。」
「ちっともすごくないよ。マナは知らなかったかも知れないけど、
ぼくは小さい頃から習っていたんだ。

すごいのは、他のみんなだよ。
いくら集中して練習しているからって、
短期間で恰好がつくようになったんだから。」

シンジたちが校門の前まできたとき、アスカとレイに出会った。
彼女たちもちょうど今、到着したところのようだった。

「おやまぁ、仲のおよろしいことで。」
アスカが、皮肉たっぷりに言った。

「なんだよ、アスカ!」
シンジが少しむっとしてそう言う。

アスカはそれを無視し、マナに向かって言った。
「あたしたちは、これから重要な練習があるの。
部外者には、ついてきてもらいたくないわね。」

「わたし・・・。」
「いいんだ、ぼくが呼んだんだから。」
マナが何か言いかけるが、シンジがアスカを睨みつけるようにして言った。

「な、なによ。」
予想していなかったシンジの雄々しい反応に、アスカは少したじろぐ。
シンジにしてみれば、マナを大切にしようと決意したのだから、
それは当然の結果だった。

「あ、あたしはただ、これからの仕上げの練習に、
集中できなくなるとまずいかな、と思って・・・。」
シンジに気圧されたアスカは、なんとか言い訳しようとする。

「仕上げという意味で練習するのなら、観客がいた方がいいわ。」
レイが静かな声で口をはさむと、

「それも、そうね。」
アスカはあっさりと認めた。
とげとげしくなっていたシンジの表情がふっと緩み、内心ほっとする。

「じゃあ、特別に見せてあげるわ。」
そう言うと、アスカはシンジたちに背を向けて、校舎に向かって歩き始めた。

「行こう。」
シンジはマナの肩に手をまわして言った。

「いいの?」
まだマナは少しためらっている。

「いいんだよ。アスカはあれで、悪いことを言ったと反省しているんだから。」
シンジが肩を押すようにし、二人は歩き始めた。
レイも、その後をついていく。

『むぅぅ、覚えてなさいよ。』
シンジたちに背を向けたまま、反論できないアスカはそう思った。



今日の練習は、音楽室でやることになっていた。
早朝と違って土曜日の午後は、一部の運動部系のクラブが使用することがあるからだった。

シンジたちが音楽室に入ると、カヲルがすでに来ていた。
「やあ、遅かったね。」
「遅いと言っても、まだ約束の時間前だよ。カヲル君が早すぎるんだよ。」
「そうそう。いっつも遅刻してくるくせに、よく言うわ。」

そういうやりとりの後、カヲルは
「この人は?」
と、マナのことを尋ねる。

「ああ、カヲル君は初めてだったね。
この人は、霧島マナさん。ぼくたちの演奏を聞いてもらおうと思うんだけど、
いいかな?」

シンジが紹介すると、
「もちろん、歓迎するよ。ぼくは、渚カヲル。
ゆっくりしていくといいよ。」

「ありがとう。霧島マナです。」

マナが挨拶をすませると、
「じゃあ、始めようか。」
シンジが調弦を始め、他の三人もそれに倣った。

「何の曲を演るの?」
椅子に座って、マナがシンジに尋ねる。

「とりあえず、四人でやるのは【パッヘルベルのカノン】。
【プッチーニの菊】も考えたけど、やっぱりこちらの方がしっくりくるから。
・・・準備はいい?」
シンジが他のメンバーに尋ねると、皆うなづいた。

「じゃ、行くよ。」
シンジの合図で、演奏が始まった。

『あ、すごい・・・。』
マナはそう思った。
『短期間で恰好がついたというのは、本当だったんだ。』

観客はマナ一人だったが、マナは自分ひとりで聞くのはもったいないくらいだと思った。
感動しているうちに、演奏は終わった。

「どうだった?」
尋ねるシンジに、
「すごいわ! ごめんなさい、こんなに上手だとは、思わなかった。」
と、マナは答えた。

「よかったと思うなら、拍手くらいしなさいよ。」
アスカに言われて、
「あ、ごめんなさい。」
遅れ馳せながら、マナは拍手をする。

「まあ、いいわ。せっかくだから特別に、もう一曲聞かせてあげる。」
アスカは、それなりに機嫌はいいようだ。

「シンジ、【タナトス】行くわよ。」
「あ、うん・・・。」
言われて、シンジはチェロを構えた。
アスカはバイオリンを持って立ちあがる。

『デュエット?』
と、マナは思った。
どうやら、これから弾く曲は、シンジとアスカの二人だけの演奏のようだ。

やがて、シンジの右手が大きく動き、チェロの演奏でその曲は始まった。

打ち寄せる波のような、静かな、それでいてもの悲しい出だしだった。

タナトス・・・その意味するところは、「自己破壊に向かう死の本能」。
それは、みずから無に還ろうとする者の、情念だろうか。
・・・ちょうど、二人目のレイがそうであったように・・・。

聞いていて、内なる孤独を思い起こさせる調べだった。
そして、シンジのパートが終わろうとするとき、旋律は徐々に上がっていく。

続いて、アスカのパートとなった。
曲のクライマックスの部分だ。
バイオリンの悲痛な音色が、泣き叫ぶようにマナの耳を打つ。

いつしか、マナは涙を流していた。

演奏されている曲が、悲しい曲だから?
・・・それもある。

二人の演奏が、感動を覚えるほど秀でているから?
・・・それもある。

だが、マナの涙の本当の理由は、「嫉妬」だった。
それほど、シンジとアスカの息はぴったり合っていたのだった。

『わたしには、こんな才能がない。シンジと、共有できるものがない。』
アスカには、それがある。
そのことが、辛かった。

マナは、涙を拭いながら、立ち上がった。

「マナ?」
シンジはそれに気付いて、演奏の手を止める。

アスカは、それでも自ら酔いしれるようにバイオリンを弾いていたが、
シンジの演奏が止まったことに気付いて、弾くのを止めた。
「どうしたっていうの。」

「ごめんなさい、わたし、帰る。」
そう言うと、マナは音楽室を出ていこうとする。

「マナ!」
シンジは慌ててそれを追った。
マナに少し遅れて、シンジも音楽室を飛び出して行く。

「・・・確信犯ね。」
レイは、アスカに言った。

「なんのこと?」
アスカは無表情を装って答える。
口元に、笑みが浮かびそうになっている様にも見える。

「あなたにとって、何の得にもならないのに。」
「うるさいわね!」

「やれやれ。シンジ君、今日はもう戻ってこないかも知れないね。」
カヲルは、そう言うと肩をすくめた。



「マナ!」
シンジは廊下でマナに追いつくと、その肩に手をかけた。
「どうしたって言うんだよ。」

「シンジ・・・。」
マナは、もう一度涙を拭った。
「ごめんなさい、今日はひとりにしてほしいの。」

シンジが、自分のことを心配しているのはわかる。
いたたまれなくなったのは、自分の気持ちの問題なのだ。

「マナ・・・。」
「明日になったら・・・明日になったらまた、いつものわたしに戻るから。
ごめんね、シンジ。」

そう言われては、シンジには返す言葉がなかった。

「明日、また会えるかな?」
考えた末、シンジはやっとそれだけ言った。

「うん、約束する。」
マナは、かろうじて、笑顔を作ってみせた。
シンジは、少しだけほっとする。

「明日の朝、電話するよ。」
「うん、待ってる。練習、がんばってね。」
「うん・・・。」

マナは再びかすかに微笑んで、小さく手を挙げた。
「それじゃ、また明日。」
「うん、また明日。」
シンじも、つられる様にして手を上げかける。

そして、マナは一度も振り返ることなく、去っていった。

シンジは、長いことその後ろ姿を見ていた。
マナの姿が見えなくなっても、しばらくそのままでいた。

やがて、かぶりをふると、音楽室に戻った。

「おや、戻ってきたんだ、シンジ君。」
カヲルが、意外そうに言う。

「練習を、再開するよ!」
シンジは告げた。

そして、今日という日を、一刻も早く終わらせようとするかのように、
練習を繰り返すのだった。



その夜__。
マナは、ベッドの上で天井を見ながら、昼間のことを思い出していた。

自分は、アスカの才能に嫉妬した。
演奏を通して、シンジと同じ世界にいられる彼女のことが羨ましかった。

素晴らしい演奏に感動したからこそ、自分がその世界に入り込めないことが 悲しかった。

だけど__。

マナは、ふと気付いた。
シンジは果たして、自分にそれを望んでいるのだろうか。

同じ世界にいられないというなら、自分は初めからそうではないか。

彼らは皆、エヴァのパイロットではないか。
もともとが、「選ばれた者」たちなのだ。
渚カヲルのことは知らないが、どことなくレイと同じ雰囲気があるから、
たぶんそうなのだろう。

対して自分は、戦自のロボット兵器にも乗れなくなった、いわば落ちこぼれだ。

それでも、シンジは自分にやさしくしてくれた。

ロボット兵器が破壊され、救命カプセルで遠くの漁村まで飛ばされたときも、
シンジは全てを捨てて、自分を探しに来てくれた。

『シンジはわたしのことを、必要としてくれている。』
そう、そうなのだ。

そう思うと、気が楽になった。

考えてみればあの演奏は、アスカが自分に「疎外感」を与えるために、
仕組んだものかも知れない。

そうだとすると、自分はまんまとひっかかった訳だ。
『やられたわ。そうね、アスカさんなら、やりかねない。』

そんな自分を、シンジは心配してくれていた。

北国で、ひとりで暮らしてきたときも、
自分を支えてきたのは、心の中のシンジだった。

シンジを信じていたからこそ、がんばってこれたのだ。
明日、シンジに謝ろう。
マナは、そう思った。



翌朝、マナは自分からシンジに電話をかけることにした。
お互いの携帯は、再会したときの喫茶店で教え合っている。

「シンジ?」
「マナなの。」

「昨日は、ごめん。」
「それはいいけど、なにがあったの?」

単に演奏に感動しただけではない、何かがマナを傷つけた・・・。
シンジはそこまではわかっていた。
だが、それが何かは、どうしてもわからなかった。

「もう、いいの。それより、今日も練習するの?」
自分が嫉妬したことは、できれば言いたくなかった。

「うん、本番(卒業式)が近いからね。」

「わたしも、行っていい?」
「もちろんだよ! でも、本当にもういいの?」

「うん。もう、ふっきれたから。」
「じゃあ、昨日と同じ時間に、迎えに行くよ。」

「ううん、遠回りだからいいわ。
学校で落ち合いましょう。始まりは、昨日と同じ?」

「うん。でも、今日は体育館でするんだ。
運動部もいないし、できるだけ本番に近い雰囲気でやろうってことで。」

「体育館ね、わかったわ。」
「じゃあ、待ってるからね。」

「うん、必ず行く。それじゃ。」
そう言ってマナは、電話を切った。



マナがその日の午後、体育館に行くと、シンジたちはもう既に来ていた。
ステージの上に、折り畳み椅子と楽譜を並べているところだった。

「ごめんなさい、遅くなって。」
マナは、作業をしているシンジたちに駆け寄って言った。

「あ、いいよ。練習開始は、昨日と同じなんだ。
舞台設営があるから、早めに来ただけなんだよ。」
シンジはそう説明した。

「手伝うわ。」
「いいわよ、もう終わりだから。」
アスカが、突き放すように言う。

そこには、
『部外者のあんたが、なんで来るのよ!』
という響きがあった。

『もう、負けないからね。』
マナは、そう決意する。少々のことで挫けていちゃだめだ。

「じゃあ、霧島さんは観客として、自分の座る席を準備してくれるかい。」
カヲルが、そう言ってくれた。

「うん、そうする。」
マナは、折り畳み椅子を運んで、自分の席を準備した。

舞台設営が終わると、シンジがみんなを集めた。
「マナもだよ。」
「え、わたしも?」

マナがステージに上がり、シンジたちの傍に行くと、
「練習の前に、みんなに渡しておこうと思って。」
シンジは、そう言った。
大きな紙袋を持っている。

「みんな、この前のバレンタインデーは、ありがとう。」
マナは、『えっ!?』と思った。

「ちょっと、こんなところでお返しを配るつもり?」
「いいじゃないか、みんなお互いに知ってるんだから。」

「だからって・・・。」
「ぼくは、かまわないよ。」
カヲルがそう言うと、アスカはそれ以上の抗議はできなかった。

アスカは、チョコの箱にでかでかと『義理』と書いてしまっていた。
おそらくは本命チョコを渡したカヲルとレイが、かまわないと言うのなら、
アスカは体面にこだわるができなかった。
そして、レイはもともと、そういうことにこだわるタイプではない。

それよりも、問題はマナだった。
バレンタインデーでチョコレートを渡していないのに、
どうしてシンジは自分を呼び寄せたのだろう、とマナは思った。

『見せ付けられて、わたしがどんな気分になるか、
シンジだってわかっている筈なのに。』

マナの気持ちを知ってか知らずか、シンジは紙袋に手を入れると、
そこから一つの小さな袋を取り出した。

「アスカには、はい、これ。」
「何、これ。ポーチ! ありがとう、欲しかったんだ。」
さっきまでの不平はどこへやら、アスカは素直に喜んでいる。

「綾波には、これだよ。」
シンジは、ラッピングされてリボンをかけられた、
ミッフィのぬいぐるみをレイに手渡した。

「ありが、とう・・・。」
レイは無表情でそれを受け取る。本人はすごく喜んでおり、
そのぬいぐるみは長いこと部屋に飾られることになるのだが、
ここでそれを予想する者はいなかった。

「カヲル君。」
シンジは、クッキーボックスをカヲルに手渡す。
「ごめんよ、本当は形として残る小物にしたかったんだけど、
『男もの』は、どこの店にも置いてなくて。」

それは、そうだろう。

「いいんだ、うれしいよ。ありがとう。」
カヲルは、笑顔でそれを受け取った。

『どうして、シンジはわたしの前で、こんなことをするの。』
マナは、泣きそうになっていたが、必死でこらえていた。

そんなマナのところへ、シンジは紙袋を持ってやってきた。

「マナ・・・。」
シンジが、声をかける。
「マナの分も、あるんだよ。」

「え?」
マナは、信じられなかった。
「どうして。わたしは、シンジに何もあげていないのに。」

「もらっているよ。」
シンジは笑顔で応えた。

「ほら。」
そう言うと、シンジは自分のワイシャツの襟元に右手を差し入れた。

再び右手が出てきたとき、そこには鎖につながれた赤い石が握られていた。
マナがシンジに最初に会ったとき、プレゼントしたペンダントだった。

「シンジ・・・。」
ずっと持っていてくれたんだ、マナはそう思った。

「いつか、お返しをしなくちゃいけないと、思ってたんだ。
受け取ってくれるかい。」
そう言うと、シンジは紺色の小さな箱をマナに差し出した。

「開けて、みてくれるかな。」
「うん・・・。」

それは、シルバーパールと銀の鎖に繋がれた蒼い石・・・アクアマリンの、
ダブルネックレスだった。

「こんな高価なものを、わたしに?」
「見た目ほど、高くはないんだけど。受け取ってくれる?」

マナは嬉しくて涙が出そうになった。
だけど、それをしてしまったら、シンジを困らせるだけだ。
唇を噛みしめて、俯いた。

「マナ?」
少し、落ち着いた。

マナは顔をあげ、そして微笑んだ。これまでにない、最高の笑顔で。
「ありがとう!」
はっきりと、そう言った。

「よかったわね。」
レイがマナに声をかけた。心なしか、わずかに微笑んでいるように見えた。

「むぅぅ・・・。」
アスカは唸りながら、自分のポーチとマナのネックレスを見比べる。
「どうして、こんなに差をつけるのよ!」

「マナには、高価なもの(ペンダント)をもらっているからね。」
そう言うシンジに対し、

『あたしだって、ダブルウォークマンあげたことあるじゃない。
あれだって、高かったんだからね!』
アスカはそう言いたかったが、言えなかった。

それはもともと、自分がシンジのものを壊したことに対する、
弁償の意味があったからだった。

「始めようか。」
カヲルが言った。

シンジは頷き、自分のポジションにつく。
レイもそれに倣った。

アスカは、ぶつぶつ言いながら俯いていたが、
「惣流さん?」
カヲルに声をかけられると、
「わかったわよ!」
そう言って自分の配置についた。

・・・そして、卒業式の出し物、【パッヘルベルのカノン】の演奏練習が始まった。



観客は、マナひとりだったが、本番を想定した演奏練習を繰り返した結果、
「まずまずのでき」で仕上げることができた。

最初のうち、アスカは珍しく集中力を欠いていた。
それでも、誰かがそれを指摘する前に、アスカは自分でそれに気付き、
気持ちを切り替えていった。

割り切った後のアスカの演奏は、流石といえるものだった。
本番も近いことだし、四重奏を提案した自分としては、
きちんとやりとげようという気持ちが大きかったのだろう。

明日、月曜日の早朝練習にも、マナは付き合うと約束して、
その日はお開きとなった。



加持からシンジに、携帯電話がかかってきたのは、その晩だった。

「シンジ君、急な話ですまないが・・・。」
加持は、申し訳なさそうに切り出した。
「霧島さんの、ご両親が見つかった。」

「本当ですか! で、どこにいらしたんですか。」
「北海道だ。」
「北海道・・・。」

「自分たちが所属していた部隊の面々が全員、
サードインパクトで消えたきり戻ってこなかったので、
身の危険を感じていっとき身を隠していたらしい。」

「それで、マナは?」
「ああ、明日の朝一番で、両親に会いにいくそうだ。」

「そう、ですか。」
シンジの声に、落胆の色が混じったのは、やむを得ないことだろう。

「シンジ君・・・。」
「でも。よかったですね、ご両親が見つかって。」
シンジは、つとめて明るく言った。

「すまない、せっかく君に引き会わせることができたというのに。」
「いいんです。また、会えますよ。」
「そうか。うむ、そうだな。」

そのあと、しばらく加持と話した後、シンジは電話を切った。
そして、その携帯電話にメール着信のマークが点灯しているのに気付いた。

日頃、あまり携帯電話を使うことのないシンジは、キャッチホンを利用していない。
誰かが、加持と話中にシンジに電話をかけ、繋がらなかったためにメールをよこしたのだろう。

考えられるのは、一人しかいない。
案の定、発信者はマナだった。

『電話、繋がらなかったので、メールするね。
シンジ、ごめんね。パパとママが見つかったの。
明日の朝、北海道に行くことになりました。
約束、守れなくてごめん。』

シンジは、すぐにマナに電話をかけた。
そして明朝、見送りに行くからということで、出立の時刻を聞き出していた。

「・・・8時5分だね。必ず、見送りに行くよ。」
シンジは、駅まで見送りに行くことを約束した。

「でも、学校は?」
「うん、それからでも大丈夫だよ。」

「それでもやっぱり、悪いわ。
早朝練習、できなくなっちゃうでしょ。」

「ここまでくれば、いっしょだよ。精神的なものの方が大きいから。
最後にマナの顔を見られなかったとしたら、ぼくはその方が・・・。」
「シンジ・・・。」

「ねえ、マナ。」
「なに?」
「その、ご両親が見つかって、よかったね。」
「・・・ありがとう、シンジ。」
「それじゃ、また明日。」
「ええ、お休みなさい。」
「お休み。」

シンジは電話を切り、明日の早朝練習には参加できないことを、
アスカとレイに伝えておこうと思った。

そして、部屋を出ようと自室のドアを開けたとたん、
アスカ、レイ、ミサトの三人に出くわした。

どうやら、三人は部屋の前で聞き耳を立てていたらしい。

「な、なんですか、覗きみたいなことをして!」
「だ、だって、聞こえちゃったんだから、しょうがないじゃない。」
ミサトが、あわてて弁解する。

「まったく、ミサトさんまでいっしょになって!
まあ、いいです。説明する手間が省けましたから。」

「明日の早朝練習は、なしということね。
碇君、霧島さんを見送りに行くのだから。」
レイの言葉に、
「うん、そうなんだ。ごめんね。」

「まぁ、行ってらっしゃいな。止めはしないわ。」
アスカがそう言うと、
「せっかくだから、みんなを私が車で駅まで送ってあげようか。」
ミサトがそのように提案した。

「え〜っ! あたしも行くのぉ?」
「そうよん♪ シンジ君の彼女だからって、遠慮することはないわよ。
ねぇ、シンちゃん。」
「そりゃ、嬉しいですけど・・・。」

「問題は、葛城三佐がその時間に合わせて、起きられるかどうかだけね。」
「う・・・。」
レイの指摘に、ミサトは声を詰まらせた。
『元祖、ふとん虫』
その名前は伊達ではない。

「わーったわよ!」
アスカが、やけくそのように言った。
「ミサトは、あたしが責任を持って起こしてやるわ。
そのかわり、シンジ。あんたはその前にあたしを起こすのよ!」

たしかに、冬場の(春先もそうだが)ミサトを起こすのは一筋縄ではいかない。
それができるのは、アスカくらいだろう。

「わかった、頼むよ、アスカ。」
そういうことに、なった。



「みんな、来てくれたんだ。」
翌朝の駅のホームで、マナは感動して言った。

送りに来てくれたのは、シンジばかりでなく、アスカ、レイ、
そしてミサトもいっしょだった。

「だって、みんな、お友達でしょう?
いっしょに食事したこともあるんだし。」
と、ミサトが言う。

「そう言えば、ミサトがまともなカレー作ったのは、あのときだけだったわね。
それも3回作り直して・・・。」
余計なひとことを言ったアスカは、その場で後頭部にミサトの鉄拳を喰らう。
「くぅぅぅ〜。」

沈没したアスカにかまわず、ミサトはシンジに言う。
「ほら、シンジ君・・・。」

シンジは頷き、歩み出るとマナの手を握った。
「向こうについたら、電話かメールをくれるかな。だって、その・・・。」
そう言って、口ごもる。
「・・・もう、音信不通はいやだから。」

「うん、かならず連絡する!」
マナはそう言うと、微笑んだ。

嬉しかった。シンジは、本当に自分のことを想っていてくれるのだ。
あらためて、そのことを実感した。

マナのブラウスの襟元には、シンジのプレゼントしたダブルネックレスが輝いていた。

「そのネックレス、つけてくれたんだね。とても似合ってるよ。」
「ありがとう、わたしには、オトナっぽすぎるかとも思ったんだけど。」
「そんなことないよ、か、かわいいよ。」
「ふふ、ありがとう。」

電車が、ホームに入ってきた。

「それじゃ、元気でね。」
「うん、シンジたちも、演奏会がんばってね。」
そう言うと、マナは電車に乗り込んだ。

「うん、がんばるよ。」
と、シンジ。

「シンジたちもというのが、あたしが『その他大勢』みたいでいやだけど、
まあ、がんばるわ。」
復活したアスカも言う。

「さよなら。」
「気をつけてね。」
レイとミサトがそう言い、マナが笑顔で頷くと電車のドアが閉まった。

そして、シンジたちが手をふる中、マナを乗せた電車は発車した。



同じ頃__。

「誰も、こないね。」
第一中学の体育館でひとり待ち続ける、忘れ去られたカヲルがいた。



数日後、卒業式が行われた。

シンジたちが在校生代表で行った「弦楽四重奏」も、無事終わった。
練習の甲斐があって、かなりの反響があった。
アンコールまであって、シンジとアスカのチェロとバイオリンによる、
【タナトス】も披露した。

マナからは、一度メールが来て、両親たちと再会できたそうだ。
やはり、加持の言うとおり、身を隠していたということだった。

サードインパクトのとき、たまたま任務で北海道に来ており、
補完計画発動の後、自分たちは戻ってこれたものの、
それ以降、所属部隊と連絡がとれなくなった。

マナのことは気がかりだったが、自分たちの知らないところで、
何が起きているかわからず、自分たちの身も危ないかと思って、
さびれた町に隠れ住むことにしてしまった。
許してほしい、そう両親は言ったらしい。

よほどの僻地で携帯の通話はつながりにくいらしく、
またメールで連絡するとのことだった。

シンジは『よかった』と思いながら、次の連絡を待った。
だが、次のメールはこないまま、さらに数日が過ぎた。



それは、終業式を迎える朝のことだった。

朝食を終え、学校へ行く準備をするためにシンジ、レイ、アスカは
それぞれ自室に戻っていた。

「ミサトさん!」
シンジは、携帯を持って、部屋から飛び出してきた。

「あら、どうしたの。シンジ君?」
ミサトはまだ、リビングでのんびりと朝食をとっているところだった。

「マナから、メールが来たんですよ!
また、こちらに引っ越してくるんだって!!」

「なによ、朝から騒々しいわねぇ。」
ぶつぶつ言いながら、アスカ、そしてレイもリビングに入ってきた。

「ああ、アスカ、綾波。
マナが、また戻ってくるんだよ。
4月からは、ぼくたちと同じ、第一中学の三年生だって!」

「げっ!」
驚いて、嫌そうな顔をするアスカと、

「戸籍は、どうするの? 一度抹消されたんじゃなかったのかしら。」
いぶかるレイ。

「ああ、そのことね。リツコがなんとかするらしいわ。」
コーヒーを飲みながら、ミサトがこともなげに言う。

「知ってたんですか!」
「まあねン♪」
「どうして、教えてくれなかったんですかぁ。」

「私が知るかぎりでは、まだ最終決定したわけではなかったもの。
一度消した戸籍を復活させるには、それなりの手続きがいるしね。

市政そのものをマギにまかせている第3新東京ならば、
案外スムーズに行くんじゃないかと、いろいろと加持君が
画策していたようよ。
ご両親の第3新東京への移住も含めて、ね。

今日、メールが来たってことは、いよいよ決まったってことね。
よかったわね、シンちゃん♪」

「ひどいですよ、教えてくれてもよかったのに。」
「ごめん、ごめん。
ぬか喜びさせて、やっぱりだめでしたってことには、
したくなかったのよ。」

「よかったわね、碇君。」
「ありがとう、綾波。」

「あなたが、望んだことだもの。」
シンジはレイの言う意味がわからなかったが、レイがかすかに微笑んでいるのを見て、素直に喜ぶことにした。

アスカは、『ちっともよくないわよ!』と思ってそっぽをむいていた。

どうも、あの子は苦手だ、アスカはそう思った。
シンジへの想いや、その場の感情をストレートに出してくる。
シンジがこれまた、それに素直に反応する。

アスカにしてみれば、自分に素直になれない分だけ、不利だった。
『また、あの天敵がやってくる。』
そう思うと、ため息のひとつもつきたくなった。

シンジは、そんなアスカに気付かずに、
「マナが来たら、また歓迎パーティでも開こうよ。」
と言った。

「うん。それ、乗った!」
ミサトが、右手を高くあげて言った。
「また、あたしの手料理を、ご馳走するわよん!」

「却下、却下、却下ぁぁぁぁぁっ!!」
アスカの叫びが、マンション中に響き渡った。