「そっとしておいてあげて。」
「え・・・?」
「助けるのが、少し遅すぎたわ。」
シンジは、リツコの言葉に、わが耳を疑った。
「限界ギリギリのダメージを受けたのよ。心の最深部までね。
もとに戻るのは、難しいわ。」
「そんな・・・。」
シンジは、身じろぎもせずにベッドで寝ているアスカを見た。
その視点は、焦点を結ばぬまま天井に向けられ、なんの表情も浮かべることはなかった。
第15使徒アラエルを殲滅するには、あまりに大きな代償だった。
「アスカ・・・。」
シンジは、そっとつぶやいた。
ささやいた、といった方がよいだろうか。
リツコが退室してから、そろそろ一時間になる。
シンジの呼びかけに対して、やはりアスカは何の反応も示さなかった。
「アスカ、本当に、どうしちゃったんだよ。
アスカを苦しめた使徒は、もういないんだよ。
だから、戻ってきてよ。」
返答は、ない。
ただ、アスカの心拍に応じて、ピッ・・・、ピッ・・・、と単調な音が、
オシロスコープの波形に合わせて、聞こえるばかりだった。
天井を見上げるばかりの、白い顔。
なぜか、シンジはその顔を美しいと思う。
邪念のない、透き通った美しさ・・・それだけに、悲しかった。
いつか、この顔に表情が戻ることはあるのだろうか。
リツコは、はっきりと『難しい』と言った。
もう一度、笑ってほしい。
もう一度、怒りわめいてほしい。
「あんた、ばかぁ?」と、蔑んでほしい。
だが、願いは叶えられぬまま、無為に時を刻んでいく。
シンジは、アスカの横顔を見つめ続けることしかできなかった。
どのくらいそうしていただろうか。
「碇君。」
呼びかける声ともに、レイが病室に入ってきた。
プラグスーツから、ブラウスとスカートの制服姿に戻っている。
「綾波!」
シンジは、救いを求めるかのように、一気に話した。
「アスカが、返事をしないんだ。
ぼくが、呼びかけているのに。 もう、使徒はいないのに。
せっかく、綾波が使徒を倒してくれたというのに!」
「そう・・・。」
レイは、全てを知っているかのように応じた。
どうしようもないと、いうことも。
「助けるのが、遅すぎただなんて!
それしか方法がないのなら、どうしてもっと早く槍を使おうとしないんだ!!」
「碇君・・・。」
「ごめん、綾波のことじゃない。
綾波のせいじゃないのは、わかってる。
父さんたち、槍のことを知っていたオトナたちのせいだ。
ぐずぐずしていたら、アスカがこうなることがわかっていたくせに!」
「いろんな事情があったのだと思うわ。」
「そんなこと、知らないよ。
使徒の殲滅と、パイロットの保護が最優先じゃなかったの?
オトナたちの、勝手な思惑でこんなことに・・・。
・・・もう、アスカは元に戻らないかも知れないんだよ!」
「・・・・・・・・・。」
「もう、ぼくはエヴァに乗るのはやめようと思う。」
「やめて、どうするの?」
「アスカが治るまで、ぼくはここにいるよ。」
「そんなことをしても、なんの解決にもならないわ。」
「なにか、方法がある筈だよ。たとえなくても、何もしないよりはましだよ!」
「そう。無理は、しないで。」
その日からシンジは、一日の大半をアスカの病室で過ごすことになった。
「アスカ・・・。」
シンジは、ときおりアスカに呼びかける。
相変わらず、返答はないが、そのことで悲観することはやめた。
ベッドの傍らの椅子に腰掛け、アスカの手をそっと握る。
その温もりこそが、彼女が生きていることの証だ。
生きてさえいれば、治るということだってあるかも知れない。
そのことだけが、今のシンジを支えていた。
一日に数度、看護婦がアスカの身のまわりの世話をしにやってくる。
そのときだけ、部屋を追い出されるが、それ以外はずっと彼女についていることに決めた。
「アスカ・・・。」
たとえわずかでも反応してくれればと思い、シンジはときおり声をかける。
だが、握り締めたその手は、ぴくりと動くこともなかった。
「どうするつもりだね、碇。」
モニタで病室の様子を見ながら、冬月はゲンドウに尋ねた。
「君の息子は、ずっとあのままだぞ。」
「ああ、問題ない。」
ゲンドウは、顔の前で手を組んだ、相変わらずのポーズで言う。
「レイの報告では、もうエヴァに乗るのはやめるとまで言っているが。」
「いつもの、あいつの言い草だ。 今に始まったことではない。
初号機を凍結している今、パイロットはその所在がわかれば、それでいい。」
「そうか。それなら正式に、シンジ君をアスカ君の付き添いとして、
食事や簡易ベッドの手配をしてやった方がいいだろう。
それで、いいか。」
「・・・まかせる。」
どうでもいいという口調で、ゲンドウは言った。
病室のドアを、ノックする音でシンジは振り向いた。
「ちょっち、いいかしら?」
ミサトだった。
シンジは、黙ったまま、視線をアスカに戻した。
「どう? アスカの具合は。」
つとめて明るく、軽い声で尋ねるミサトに対し、
「見てのとおりですよ。」
シンジは、固い声で応じた。
「そう・・・。
あ、これ、シンジ君の着替えと、身の回りのものね。
特別に、アスカへの付き添いが認められたから。」
そう言うとミサトは、紙袋とバッグを差し出した。
「そうですか。」
シンジは、固い表情のまま受け取った。
「アスカのことは、悪かったと思うわ・・・。」
ミサトは一転して、真摯な声で言った。
「衛星軌道上の、射程外の敵を攻撃する手段を、私たちは持たなかった。
だったら、すぐに一時撤退させるべきだった・・・。
たとえアスカが、それを拒んだとしても。
その上で、敵を射程内におびき寄せる作戦を立てるなり、やり方はあった筈ね・・・。」
「今さらですよ、ミサトさん。
それに、最初から、ロンギヌスの槍を使っていればよかったんだ!」
「知らなかった、いえ、知らされていなかったのよ、そんなものがあるなんて。」
「え・・・?」
「ロンギヌスの槍の存在を知っていたのは、幹部の中でもほんの一握りの人間だった。
その特性と効力まで知っていたのは、司令と副司令だけ。
わたしたちは、何も知らされていなかったのよ!」
「・・・・・・・・・。」
「でも、作戦部長は、わたしだった。
作戦部長である以上、被害は最小限に食い止めるべきだった。
この作戦の責任は、すべてわたしにあるわ!」
そう言うと、ミサトはみるみるその瞳を涙でうるませた。
「ミサトさん・・・。」
「ごめんね、アスカ。そして、シンジ君。
あなたたちには、迷惑のかけどおしだった。
作戦部長としても、保護者としても、わたしは失格ね。」
「・・・・・・・・・。」
シンジには、言うべき言葉がなかった。
「でも、そんなわたしでも、逃げることは許されない。
職位がある以上、それは全うしなければならない。
アスカに、ついてやることすら、できないのよ。
シンジ君、本当に申し訳ないのだけど、アスカのこと、お願いできないかしら。」
「・・・勝手な言い草ですね。」
「わかっているわ。ごめんなさい。」
「ミサトさんの立場と気持ちは、わかりました。
でも、だからと言って、許せないという気持ちに、かわりはありません。」
「そうよね、当然だと思うわ。」
「だけど、アスカのことは、了解しました。もともと、そのつもりでしたから。」
「ありがとう。なにか、必要なものがあったら言ってね。
できるかぎりのことはするわ。」
「それなら・・・。」
シンジは、少し考えた。そして、あるものを口にした。
「・・・わかったわ。すぐに、届けるようにするわ。」
ミサトは、約束した。
翌朝、シンジのもとに届けられたもの__。
それは、チェロだった。
かってアスカが唯一、手放しでシンジを褒めたものだった。
シンジは、チェロのケースを眺め、しばらく考えていたが、やがて決心すると
チェロをケースから取り出した。
「アスカ、憶えているかい、この曲。」
シンジは、ゆっくりとチェロを弾き始めた。
『たいしたもんねぇ、少し見直しちゃった。』
デートをすっぽかして帰ってきたアスカが、シンジのチェロを耳にして、
拍手しながらそう言った曲だ。
だが、今のアスカは、相変わらず無表情で天井を見上げたままだった。
最後の一フレーズを目を閉じて弾き終わると、シンジはアスカに目を移して尋ねた。
「最近あまり、練習してなかったからね。下手になっちゃったかな。」
「・・・・・・・・・。」
応えは、なかった。
長い沈黙に耐えかねて、シンジは
「もう一度、弾くね。」
再び、チェロを弾き始めた。
より集中して弾くために、途中から目を閉じる。
シンジの、真剣な面持ち__。
そのとき、アスカの頬がぴくりと震えた。もの言いたげに、唇が二度、三度と動く。
が、目を閉じて演奏に集中しているシンジは、それに気付かない。
アスカの変化はそこまでだった。再び人形のように、その表情を失う。
そしてもの言わぬまま、その瞳は焦点を結ぶこともなく、宙を見上げるばかりだった。
「だめだ!」
そのとき、シンジはかぶりを振って演奏を止めた。
「こんなんじゃだめだ! とてもアスカの心を揺さぶることなんて・・・。」
演奏を放棄して、シンジは病室を飛び出そうとする。
病室を出れば、どうにかなるというものではなかった。
ただ、思うようにならない今の状況に、耐えられなかったのだった。
「どこへ行くの?」
そこには、ワゴンで食事を運んできたレイがいた。
「もう、いいんだ。放っておいて!」
「チェロがうまく弾けなくなったから?」
「聞いていたのか。 だけど、綾波には、関係ないだろ。」
シンジはそっぽを向いて言った。
「でも、碇君がアスカ・・・惣流さんにチェロを聞かせようとしたのは、何か目的があったからでしょ。
少しくらい、うまくいかなくなったからって、簡単に投げ出すのはよくないわ。」
「・・・・・・・・・。」
「それにもし、彼女の心を開くのが狙いなら、うまく弾けることばかりがその条件ではない筈よ。
繰り返し練習すること、そしてそれを聞かせてあげること。
むしろ、そのほうがいいと、わたしは思うわ。」
「そう、なのかな。」
「完璧に弾けた曲よりも、だんだんと自分のイメージに合ってくる曲の方が、
絶望のループから、希望のある現実に戻ってこれるかも知れないもの。」
「そうか・・・そうだね。 わかったよ、綾波。」
シンジは部屋に戻ろうと踵を返す。
「その前に・・・食事、食べてね。」
「何、二人分?」
初めてシンジは気付いたが、レイが運んできたのは一般の食事と、流動食の二人分だった。
「付き添いの碇君と、惣流さんの分よ。
一口でもいいから、彼女に食べさせてみて。」
「わかった、そうするよ。ありがとう、綾波。」
シンジはレイからワゴンを受け取った。
「じゃ、わたしはこれで帰るから。」
「いっしょに病室に来てくれるんじゃないの?」
「零号機の、シンクロテストがあるの。」
「そうか、今テストできるの、綾波だけだものね。ごめん、迷惑かけるね。」
「いいのよ、それより彼女のこと、お願いね。」
「うん、わかった。」
シンジはワゴンを押して、病室に戻った。
レイはそれを、少し淋しそうな表情で見送っていた。
「アスカ。重湯がきたけど、食べてみる?」
シンジはアスカに声をかけると、スプーンに重湯を掬った。
息を吹きかけて冷まし、そっとアスカの口に運ぶ。
むせたりしないかと心配になり、ほんの少しだけにした。
わずかに喉が動き、飲み下すのが見える。
ただ、それは口に入ったものを反射的に嚥下しているようだった。
2、3回それを繰り返してみたが、咀嚼する様子はなかった。
あまり大量に流し込んでも気管に入るおそれがあるので、そのくらいで止めた。
昼食を済ませると、シンジは再びチェロを弾いた。
あせらず、ゆっくりと。
忘れていた感触が、よみがえってくる。
使徒との戦いに明け暮れていたときは、忘れていたこの感触__。
他に何もすることがなかった頃、チェロの練習ばかりやっていた頃の感触。
ただ今は、物言わぬアスカにそれを聞かせるということだけが、違っていた。
何度か演奏を繰り返し、ふとシンジはアスカの表情を見た。
アスカは・・・何も変わってないように見える。
だが、心なしか、その表情が穏やかになった様にも見える。
『焦ることはない・・・。 ぼくは今まで、急ぎすぎたのかも知れない。』
シンジは、そう思うことにした。
夕方近くになっても、アスカはとくに反応を示すことはなかった。
しかし、当初は虚ろだったその目が、何か遠いものを見る様に変わってきている
・・・シンジは、そう感じた。
『そろそろ、別の曲を聞かせてあげるのもいいかも知れない。』
そう感じたシンジは、ミサトに連絡をとった。
そしてまた、あるものを届けてほしいと頼む。
ただ、それはもう用済みにったから捨てられていないか・・・それだけが、心配だった。
「わかったわ。たぶんまだ残っていると思うから、明日の朝、届けさせるわ。
それでいい?」
「ええ、お願いします。」
ミサトが了解するのを聞いて、シンジはほっとした。
その夜__。
シンジはアスカのベッドの傍に、簡易ベッドをセットした。
今夜からは、アスカの傍でベッドで眠ることになる。
昨夜は椅子に座ったままだったので、さすがに疲れていた。
「おやすみ、アスカ。」
シンジはそう呼びかけ、規則正しいアスカの息を確認すると、安心して目を閉じた。
深夜__。
「そんなイヤなこと、いらないの!!」
突然の大声で、シンジは目を覚ました。 アスカの声だった。
「アスカ?」
シンジは跳ね起きて、アスカの様子を見る。
アスカは横たわったまま目を大きく見開き、虚空に手を伸ばしていた。
全身が硬直したようになり、宙に伸ばした指先が震えている。
「アスカ。どうしたんだよ、アスカ!」
シンジは震えているアスカの手を、両手で包むようにした。
不意に、アスカの力がぐったりと抜ける。
アスカが再び眠りについたことを、シンジは確認した。
ほっと胸を撫で下ろす。
『どんな悪夢を見ているんだろう。』
シンジは、アスカの額を撫でた。
細かな汗が浮いているのを、掌で拭う。
「アスカ、ぼくはここにいるからね。」
声に出して、そう呟いた。
『アスカは、まだ、使徒と戦っているのかも知れない。』
アスカの目尻からつたい落ちる涙をそっと拭いながら、シンジはそう思った。
翌朝、またチェロをゆっくりと弾いていると、病室のドアが開いてミサトが現われた。
演奏に夢中で、ドアをノックする音に気付かなかったようだ。
「ミサトさん!」
「お邪魔だったかしら。」
ミサトは、手にCDラジカセを提げていた。
「見つかったんですか。」
「まぁねん。整理整頓は苦手だけど、物持ちはいい方だから。」
「ありがとうございます! 早速、使わせてもらいますね。」
シンジはCDラジカセを受け取ると、部屋のコンセントを探し、電源を入れる。
「じゃあ、わたしは仕事の途中だから、これで行くわね。」
ミサトは、未練そう言った。
「あ、すみません。 誰かに届けさせてくれればよかったのに。」
「アスカのことだし、私にも責任があるもの。」
「・・・昨日は、いいすぎました。すみません。」
ミサトは、ゆっくりと首を振った。
「シンジ君、アスカのケアは大事だけど、自分の体も大事にしてね。」
「・・・はい。」
「それじゃ。」
ミサトはそう言い、去っていった。
「アスカ・・・。」
シンジは、呼びかける。
アスカは起きてはいるが、まだその視点は遠くを見ている。
「この曲、憶えているかな。」
そう言うと、シンジはCDラジカセの再生ボタンを押した。
流れ出たのは、軽快な感じの、テンポのいい曲だった。
それは、第7使徒イスラフェルを二人のユニゾンで殲滅したときのもの__。
二人でさんざん聞いて、体に憶えこませた曲だった。
アスカの表情に変化は__。
あった!
大きく目を見開いている。
その目から、みるみる涙が、あふれてきている。
憶えているのだ、この曲を。
だが、その視点はまだ、宙を彷徨ったままだった。
戻りたくても、戻ってこれない・・・。
何かが、アスカの意識を深層部分に閉じ込めているのだ。
それは、心を開けばたちまち攻撃を受けるという、臆病さがなせる業だろうか。
「アスカ、憶えているんだ、この曲を。」
シンジはアスカの涙を拭い、その髪を撫でた。
「だれも、アスカを傷つけたりしないよ。」
やさしく語りかける。
「だから、戻っておいでよ。」
だが、アスカは小さく唇をふるわせて、涙を流すばかりだった。
『なにか、きっかけが必要なのかも知れない。』
なんとなく、シンジはそう感じた。
『ぼくの声は、届いているのじゃないかと思う。
だったら、アスカとぼくの繋がりを、より強固に感じさせる何かが要るのかも・・・。』
でも、それって一体なんだろう?
そう思いながらシンジは、ときおりふるえるアスカの唇を見た。
するとユニゾン特訓中のある夜、シンジは傍で眠っているアスカにキスしようとして、
思いとどまったときのことが思い出された。
あのときのアスカの目にも、涙があった・・・。
『ねえシンジ、キスしようか?』
不意に、アスカが言った言葉が思い出される。
それは、ミサトが知人の結婚式に呼ばれ、アスカと二人きりになった夜のことだった。
『どうして!』
『退屈だからよ。』
このときは、アスカの方から半ば強引にキスされた。
・・・その、感触を憶えている・・・。
シンジは、躊躇しなかった。
いや、それは無意識の行為だった。
気付いたときには、アスカの唇に自分のそれを重ね合わせていた__。
「アスカ・・・。」
「戻っておいでよ、アスカ・・・。」
シンジの目からも、涙があふれる。
頬を伝いかけた涙は、ぽたりとアスカの頬に落ちた__。
しばらくそうしていると、シンジは何かが自分の左耳と髪を、撫でるのを感じた。
アスカの手だ!
思わず、体を起こす。
アスカは、生気の戻った目で、シンジの顔を見上げていた。
「気持ち悪い・・・。」
ぽつりと、そうつぶやく。
「アスカ!」
「嘘よ。」
アスカは微笑んで言った。
「王子様のキスが、気持ち悪いわけ、ないじゃない。」
「アスカ!! よかった・・・。」
シンジは、ぽろぽろと涙を流した。
「あらあら、泣き虫ね。あたしの王子様は・・・。」
「アスカ、体は大丈夫? どこも調子悪くない?」
「うーん、ちょっとふらふらするけど、大丈夫。
がんばれば、エヴァにだって乗れるわ。」
「エヴァに? もう無理しなくていいよ。」
「それより、使徒は?」
「綾波が倒したよ、ロンギヌスの槍で。」
「そう・・・。」
二人だけの時間が、ゆっくりと流れてゆく。
「あたし、シンジにいっぱい、みっともないところ見せちゃったよね。」
「そんなことないよ。それを言うなら、お互いさまだよ。」
「そう? なら、いいんだけど。
なんか、シンジがサルベージされたときの気持ち、わかる様な気がする。」
「どんな?」
「シンジが呼んでるのは、わかってたんだけど・・・
怖くて、足が動かなかったっていうか・・・。」
「その気持ち、わかるよ。」
「でも、あたしを呼び戻したのはシンジなんだから、責任とってよね。」
「え?」
「これからも、ずっとよ・・・。」
「アスカ・・・。」
「そろそろ、看護婦さん呼ぼうか?」
「うん。」
ひととおりの診断が終った頃、ミサトが駆けつけてきた。
「アスカ! 気がついたのね!!」
「大声出さなくても聞こえるわよ、ミサト。」
「よかった〜・・・。」
ミサトは、思わずしゃがみこんでしまった。
ベッドの柵に手をかけて体を支えているが、そうしないと倒れこんでいたかも知れない。
「ちょ、ちょっと、みっともないわよ、ミサト。」
「いいじゃない、『家族』なんだからさぁ。
でも、すごいじゃないの、シンジ君。ホント、よくやったわぁ。」
「ミサトさんが、いろいろ協力してくれたおかげですよ。」
「そんなことないって。やっぱ、シンちゃんの『愛の力』ね。」
ミサトは、ようやく立ち上がりながら言った。
「そんな・・・。」
シンジとアスカは、同時に赤くなる。
「ところで、あなたたち、これからどうする?」
ミサトはふと、真面目な顔をして言った。
「これからって?」
「エヴァのパイロットを続けるもよし、普通の中学生に戻るというのなら、
私にはそれを止めることはできないわ。」
シンジとアスカは、一瞬目をかわした。 二人同時に頷く。
「パイロットは、続けますよ。」
シンジが言った。
「綾波ひとりに、負いかぶせるわけにはいきませんからね。」
「シンジ君・・・。」
ミサトの顔に、感動したような喜色が湧いた。
「でも、それには条件があります。」
「え?」
「もう二度と、今回のような思いはしたくないですからね。」
「そうよね。・・・わかったわ、大抵のことなら呑むわ。」
シンジは、その条件を言った。
「それは、ちょっと・・・。」
「だめなんですか?」
「いえ、そういうわけではなくて・・・。 できるだけ、意に沿うようにするわ。
でも、その前に、ちょっと調べ物をさせてくれる?
確認しておきたいことが、あるのよ。」
「わかりました。じゃあ返事は、その結果を待ってからにします。」
カタカタカタ・・・。
ミサトは今、MAGIの中にいた。
どこかにケーブルで接続した、ノートパソコンを懸命に操作している。
小さな電子音とともに、ディスプレイに何かが表示される。
「そう、これがセカンドインパクトの真意だったのね。」
ミサトはつぶやく。
「アダムと接触しても、インパクトは起きない。
だから司令は、ロンギヌスの槍を使ったのね。
そして、人類は第18番目の使徒だった、か・・・。
だとすると、襲来する使徒は、あと二体。
あと二回、使徒を殲滅すれば、全ては終る・・・いえ、始まるのね。
わかったわ、シンジ君。あなたの要求、受け入れるわ!」
それから、数日後__。
「目標は、大涌谷上空にて滞空。定点回転を続けています。」
第16使徒、アルミサエルが襲来していた。
「零号機は、現在位置で待機。」
発令所で、ゲンドウが静かに告げる。
そこへ、
「遅くなりました。」
ミサトが駆け込んできた。
「遅いぞ、何をやっていた!」
「言い訳はいたしません! 指揮を引き継ぎたいと存じますが、よろしいか?」
「・・・まかせる。」
ミサトは一礼すると、マイクに口を近づけ、命じた。
「弐号機に引き続いて、初号機、発進!
リフトオフ後、二機はライフルを装備して零号機を援護。いいわね!」
「「了解!」」
シンジとアスカの応答があり、その直後に、弐号機、初号機と立て続けに射出された。
「「なんだと!」」
ゲンドウと冬月の、驚愕の声があがる。
「葛城三佐、初号機の凍結を解いた憶えはないぞ。」
ゲンドウの言葉に、
「私の一存です。
襲来する使徒は、今回のを含めてあと二体。
戦力を温存して逐次投入している余裕は、我々にはない筈です。」
「何故、君にそんなことがわかる!
そもそもこれは、命令違反だぞ。わかっているのか、三佐。」
「・・・わかっています。
責任は、全て私にあります。作戦終了後、いかなる懲罰も甘んじて受けます。」
「覚悟はできているのだな。」
「はい。」
「よかろう、やってみるがいい。」
「ありがとうございます。」
ミサトは一礼して、指揮に戻った。
シンジは、再び初号機に乗る条件として、次の使徒戦では待機ではなく、最初から戦闘に
加わることを望んだのだった。
もう二度と、なすすべもなく仲間が使徒に傷つけられる姿を見たくない。
『せめて、戦闘に加わっていれば、なんとかなったかも知れない。』
そういう後悔をしたくない、それがシンジの願いだった。
そのシンジの思いは、ミサトには痛いほどわかった。
そして、残る使徒は、あと何体いるのか・・・それをミサトは、知りたいと思った。
使徒が、だんだん強くなってきている__。
大詰めが近づいているという予感が、ミサトにはあった。
以前から疑問に思っていたことを含め、それを調べるためにミサトはMAGIに侵入した。
得られた答えは、ミサトが納得がいくものだった。
『襲来する使徒は、残すところあと二体のみ』
暴走を怖れて初号機を温存して戦力を消耗するよりも、あと二体の使徒を確実に殲滅すべきではないか。
そう考えたからこそ、使徒出現の第一報を聞いたとき、初号機の凍結を密かに解除してから、
発令所に向かったのだった。
「レイ、相手の出方を待って様子をみましょう。」
ミサトは、言う。
「・・・いえ。来るわ・・・」
レイの声と同時に、使徒は行動を起こしていた。
リング状であった体の一部が突然切れ、紐状になったかと思うと凄まじい速さで
零号機に襲い掛かる。
「レイ!応戦してっ!!」
ミサトは叫ぶが、
「駄目です! 間に合いません!!」
青葉の言うとおり、レイにはパレットガンを構える暇はなかった。
轟音とともに、その使徒の頭部が捻じ曲げられた。
側方からの、ライフルによる着弾・・・直撃だった。
「アスカ、いくよ。」
「オーケー、シンジ!」
初号機と弐号機が、走り寄ってくる。
「碇君、そしてアスカ・・・。」
レイは、自分を救ったのが、彼らの援護射撃であることを知った。
「ありがとう。」
あるかなしかの、微笑みが浮かぶ。
使徒は、着弾位置が急所に近かったのか、ふらふらしている。
三体のエヴァは、それぞれプログナイフを構え、使徒に向かって突進しようとしていた。
完