COUNT GETTER



HIT 28000 ニアピン賞 けじ 様  
 GREEN  EYES


 爆音と衝撃、目の前が真っ赤になる。
 後はただ熱いだけだった。
 暗闇の仲、火鏝をあてられたような、熱が。

「・・・ここは?」
「病院です。あっ、看護婦さん、彼女気がついたみたいです」
 優しい、柔らかい声だった。そっと、不躾でない程度に優しく、手が握られた。
「……怖かったでしょう。でも、ここはもう安全です。ゆっくり休んで」
 目が熱い。顔面に包帯が巻かれている。
「私の目・・・見えない?」
 握られた手が緊張したのがわかった。
「アメリさん、気がつかれましたね。お話できますか?スミスさんは申し訳ありませんが退室していただけますでしょうか」
 控えめに、若い女の声がした。
 こくり、と頷くと手の温もりが消える。
 立ち上がる気配、ゴト、と堅いものが床にあたる音がした。 
「今の方のお名前、聞かれました?」
 ふるり、と首を振る。そんな僅かな動きにも鈍い痛みが走り、唇を歪ませる。
「……そうですか。爆発現場から貴方を救い出して下さったんですよ。お名前はジョン・スミスだそうですけど、多分本名じゃないですよね。何でも旅の途中だとか」
 それから、看護婦はいくつかの質問をして、アメリの質問にも答えた。
 工場で大きな爆発事故があり、同じ行程で作業していた10数人は即死。
 アメリだけが辛うじて助かったが、顔面に破片が食い込んで眼球は破砕され、あちこちに火傷をおっていると。
「とにかく今は、身体をゆっくり休めて下さい。痛みが激しい時は言って下さいね。後何かありますか?」
「……もう、目は見えないんですね?」
「視神経が無事ですから、義眼ですがちゃんと見えるようになりますよ。心配しないで」
「そう……」
「鎮痛剤を打ちますから、眠くなると思います。このボタンを握って。何かあったら押して呼んで下さい」
 先ほどの手よりかなり小さい手のひらが気遣うように触れて、コードの繋がったコールを握らせる。
 仕事柄しょうがないのだろうが、がさがさした感触が不快だった。
 しかし、そんな事を取りざたする前に、身体は眠りを欲し、痛みも感覚も遠ざかっていった。


 下卑た笑い声。汚らしい手が失礼にも指をこちらに向ける。
 薄汚れた工場の壁に、馬鹿が書いた落書き。
 毎日、毎日飽きもせず流れてくる何かのパーツ。ネジを取り、指定された場所に差し込む。
 作業自体は苦痛ではない。黙々とこなせばいい。
 朝起きて、その場に立つまでが辛い。何人もの人間とすれ違う。声をかけてくる灰色の作業服。
 そして必ず最後には唇を歪ませる。笑いを堪えるように、気の毒にと言うように。
 手が伸ばされる。荒れて油だらけの、醜い手が。
 笑い声と共に。


 はっ、と目を覚ますと暗闇があった。
 酷い動悸と目眩が襲い、体中が痛んだ。
 自分が置かれている状況が分からず、叫びだしそうになるが握りしめていたもので病院だと思い出す。
 そうだ、ここはもう違う。あの場所じゃない。
 ほっとして長く息を吐いた。肌が濡れてひどく気持ち悪くてナースコールを押した。
 程なく、ぱたぱたという足音が聞こえる。
「どうされました?痛みますか?凄い汗ですね・・・」
「着替えたい・・・」
「そうですね、取り替えましょうか。お手伝いしますから身体を起こしますよ」
 看護婦が背中を支えようとするが、濡れた服が張り付いて、かえってぞっとした。
「火傷の方は、割合軽傷ですが、あまり無理はせず、ゆっくり動いて」 
 女が話し終わらない内に、パジャマのボタンを外し始めると、慌てたようにカーテンの引かれる音がした。
「あ、ごめんなさい。お声をかければよかったですね。どうぞ」
 そうか、と苦笑する。
 自分は見えなくても、周りに居る人達には見えてしまうのだとようやく気付く。
 けれど羞恥はなかった。どうせ見えやしない。     
 暗闇の世界で、何も見えない世界で何か恥ずかしい事があるのだろうか、と軽快な気持ちで上着を脱ぎ去っていく。
 あちこちに包帯がまかれている事は分かるが、どの程度の傷なのかは痛みから推し量るしかない。
 どうせ大した事はないのだろう。この眼窩の空洞の痛みに比べれば、その傷の浅さがわかると言うものだ。
 不思議だった。
 包帯でしっかりと固定されているから、瞼を開けることはできないが、本当であれば暗闇に落ちるはずの眠りの中で以前と同じように光景が広がり、こうやって目を覚ましている間は暗闇だけがある。
 最後に見たのは、赤い色だった。赤。炎と、おそらくは自分の血と。
 そしてどうしてか、綺麗な緑色がちらついた。
 赤い色を見続けると、補色の緑が見えるというから、きっとそのせいだろう。
「じゃあまた、何かあったら呼んで下さい」
 ゆっくりと頷く。横たわり、意識を失わないようにじっと暗闇を見つめた。



「困ったわねぇ……」
「どうしたんですか?」
 ヴァッシュは病室の前で立ってため息をついている看護婦に、人なつっこく話しかけた。
 看護婦の方も、『スミス氏』がアメリを救ったのを知っているから、警戒するそぶりはない。
「あら、ジョン・スミスさん。お見舞い?」
 フルネームで呼ばれるのは、偽名でしょ?格好つけちゃって、というからかいが含まれていて、ヴァッシュは苦笑した。
「ええ、もう僕たち出発するんですが、ちょっと様子を伺いに。直接お会いできなくてもいいんですけど」
 僕たち、という言葉に連れがいたのかと看護婦は周りを見渡す。
 廊下の角に、黒づくめにサングラスをかけ、大きな十字架をしょった男がだらしなく壁に背を預けているのが看護婦の目に入った。
 病院に十字架が必要なのは、喜ばしくない出来事がある場合が多くて、いやがおうにも目につくはずだ。
 それでもヴァッシュが言うまで注目されていなかったのは、男がその目立つ容貌にも関わらず、自分を周囲に違和感なくとけこませていたからだろう。
 だが、あえて確認する事を看護婦はしなかった。
 目線をヴァッシュに戻すと、歯切れ悪く言った。
「……よかったら、会ってさしあげて。それで、もし……」
「もし、なんです?」
 看護婦は、どうしようか逡巡を色濃く漂わせながら最後はきっぱりと言葉を綴った。 
「……彼女に、瞳の色は何色だったか聞いてもらえないかしら」
「それは、・・・尋ねる事自体は全然かまいませんが、僕が聞いて良いことなんですか?」
 顔面に大きな怪我があった事を、ヴァッシュは知っている。おそらく義眼を入れる事になったのだろう。
「その、スミスさんが救出された時、彼女の目はもう……」
「正直な所、怪我の状態を観察できる余裕はなかったですが、そうですね、僕の姿を認識したかどうかは怪しいと思います」
 暗に、もう見えていなかっただろう、とヴァッシュは答えた。
 こつこつ、と革靴の音と共に、決して楽しそうでない気配が病室の前で立ち話をする二人に近づいてきた。
 看護婦が、なんとなく身体を引いた。
「お連れの方?」
「・・・そうです」
 深刻そうになりそうな、長引きそうな、またぞろやっかいゴトくさい雰囲気を聡く察して、男は不機嫌だ。
「見舞いはすんだんか。あ、こんにちわ看護婦さん、お仕事ご苦労さんやね。ぼちぼち行かへんとバス間に合わへんと思うで、トンガリ?」
 ウルフウッドは看護婦に向かってだけ、少しサングラスをあげて笑ってみせるが、あくまで営業用だ。 
「まだ大丈夫だよ。ちょっと今頼まれ事をされたんだ」
「あ、でも!お時間がないのなら、結構です。忘れて下さい」
 看護婦は慌ててかぶりを振った。本来では頼むべき内容でないと分かっていての依頼だった。それでまたひとつ話を複雑にしたくはなかった。
「ううん、すぐ聞いてくるから。ウルフウッドも、5分で済むからそれぐらい大人しく待てるだろ。でも看護婦さん」
「はい」
「もし、彼女が言いたくない、と言ったらそれ以上はきかない。それでいいね?」
 既にドアノブに手をかけて身体をひねって、軽く指先をあげる。
 看護婦が期待の色を滲ませたのと、ウルフウッドの口が歪んだのがヴァッシュの視界に入った。   
   
  

 暗闇が、こんなにも落ち着くものだとは知らなかった。
 無機質な機械と、変わりばえのしない製品を繰り返し、繰り返し。
 音と、匂いと触覚。それだけでもこんなにも世界は芳潤なのだとは知らなかった。
 ずっとこのままでいい。ずっとこのままで。

 この音は、あの人ではないか。
 ゴトリ、ゴトリと重い音がする。一歩一歩、踏みしめるようにけれどおっくうそうでなく進められる歩。
 そして病室の扉をノックして、少しだけ扉を開ける。遠慮がちにかけられる声。
「スミスです。アメリさん、入ってもいいですか?」
 小さく頷くと、失礼します、と言ってドアが開閉される。
「調子はどうですか?あ、笑っていらっしゃいますね。よかった」
 笑っていたのか私は。
「・・・スミスさん?」
「はい、ジョン・スミス。さすらいの旅人です」
「私を助けて下さった方ね。確かここに来てすぐの時にも付き添ってくれていた?」
 手を伸ばす、この声は間違いないだろう。でも、もうひとつ確証が欲しかった。
「付き添っていたというか・・・。運びこませてもらっただけなんですよ」
「ありがとう。お礼も言ってなかったわ。本当に、ありがとう。何かお礼をしなくちゃいけないのだけど……」
 堅い音がまた数歩近づく。握ってもらえると思っていた手は望みは叶わず、かわりに手の甲にここにいますよ、と知らせるように軽く何かが触れただけであった。
「気にしないで下さい、もうすぐ町を出るんで。身体の具合はどうですか?」
 何度か手を開き、握り、不満だと伝えた上でアメリは手を戻した。
「したいのだけれど、何も渡せるものがないわ、って続いたの。身体の調子は上々」
 くすり、と笑う空気があった。
「じゃあ・・・一つ、教えていただきたい事が」
「なんでも。私の知ってることなら」
「アメリさんの瞳の色を」
 少し用心してその言葉が繰り出されたのがアメリにはわかった。
「……みんな知りたがるのが不思議だけど、本当に覚えてないの。茶色だった気もするし、青だった気もするわ」
「わかりました、青か茶色ですね。ありがとう」
 あっさりと引き下がり、礼まで言われてアメリは拍子抜けした。
 でも本当に覚えていないのだ。何色だったかと問われて、グレーだったでしょうといわれればそんな気もする。
「もう、ここには来ないのね?」
「そうなります。またいつか、この町を訪ねた時にお会いできたら嬉しいです」
 アメリは右手を差し出した。はっきりと握手を求める仕草で。
 握り返された手は、グローブ越しであったが、大きな、あの手だった。
「ありがとう。感謝します」


 暗闇。どんな顔をしているのかは知らない。優しい声と暖かい、少し乾燥した手。
 ありがとう、ホントに感謝しているの。
 貴方が起こした爆発じゃないけれど、ちょうどいいものだけを残して、私を救い出してくれた。
  
 
 
 ヴァッシュが病室を出ると、看護婦が期待に満ちた目で、ウルフウッドはサングラスの下からうんざりした瞳でこちらを見た。
「お役にたてなかったみたいです。茶色か、青だった気がする、とそんな返事でした」
 看護婦の期待はみるみるしぼんだが、それでもきちんと礼は欠かさなかった。
「やっかいなお願いをしてすませんでした。でも、そのどちらかだとおっしゃったんですよね」
「いや、そんな気がするって言い方で・・・」
「充分です。二つに絞れたんですもの。ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げられて、今度はヴァッシュが困ってしまった。
「あの、もしよかったら、少し事情を聞かせてもらえませんか?」
 ウルフウッドが盛大に口を歪めて文句を言おうとするのを、ヴァッシュはばふりと顔に手をあてて黙らせた。



「これが、彼女の面接時の時の書類です。写真はこれぐらいしかなくて」
「そうですか・・・。その、彼女が親しかった方とか、ご存じないですか?」
 事故の処理で精魂尽き果てたといった様子の工場長は、はぁ、と溜息をついた。
「あいにく……同じブースで働いていた従業員は……」
「この書類だと一人で暮らしておられたようですが、血縁者の方は?」
 サテライトのニュースになっていたから、耳にすれば遠方に住んでいたとしても、問い合わせる位はするのではないだろうか。
「直接聞いた訳ではないのですが、身よりはいなかったようです」
 八方ふさがりに、今度はヴァッシュが溜息をつきたくなった。
 アメリの傷は眼球だけでなく、顔面全体が火傷も一番酷く、形成手術が必要だろうと言われている。
 いきなり盲目になった不安が大きいだろうに、義眼の発注にすら積極的でない(故に瞳の色を言わない)、以前の容貌を知る手かがりもない。何より彼女が治療を望んでいるように見えなくてこまっている、と看護婦は語った。
 書類の写真は、小さくて粒子が荒くワザとぶらして撮ったように不鮮明で、写真からどんな容貌か推し量るのは無理と思われた。
 収穫もなく、ヴァッシュは重い足取りで待ち合わせの場所に向かった。
 広場のすみっこで、不機嫌丸出しで足を組んで、ベンチに反り返っている男を見つけて駆け寄っていく。
「どうだった、そっちは」
「上手い事いうて、部屋漁らせてもうたけど、ホンマに写真は一枚もなかったわ」
 頼んでもいないアメリの自宅荒しまでしたのかと、ヴァッシュは眉を顰めたが、ぴっと差し出された一枚の紙を黙って受け取った。
 そこには、お世辞にも美しいとはいえない女性の絵。悪意があって、ひどくデフォルメしてかくとこうなるような。そんな一枚のデッサンだった。
「近所の道ばたで絵描いて売ってるやつおってな、印象強い女やったみたいで、頼んだら描いてくれた」
 ウルフウッドは再度手をだしてひらひらさせる。ヴァッシュはその手に紙を戻そうとしたが、ぺし、とはらわれた。
「50$$」
「なに?」
「せやからそれの代金」
 売っている、と言うのだから無料という話はないだろうが、それにしても結構な値段ではないだろうか。
「ボラれたんじゃないのか。……君らしくない」
 がたり、と不満そうにウルフウッドは身体を起こした。
「オンドレのおせっかいのせいで」
 ウルフウッドはぴっと一本指をたてた。
「まずはバスのキャンセル料。直前やったから9割とられた」
 続いて二本目。
「泊まっとった宿は引き払って、結局2割増しの部屋しかとれんかった」
 三本め。
「水は、いくらなんでも出立直前にまた買いなおさなあかん」
 一本ずつ増える度に、それに押されるようにヴァッシュも顎を引いていく。
「それを承知でもうしばらくここに居りたい言うたんはどこのアホや。散々無駄金つこうて。今更50位でがたがた抜かすな!」
 差額は僕が払ってんじゃん、とヴァッシュは言い返したかったが、こうやって足を使って協力してくれているだけでも、ウルフウッドにしてみれば充分な譲歩なのだろう。
「・・・わかりました。そっか、でも本当に写真嫌いだったんだね」
 50$$紙幣を差し出すと、ウルフウッドはさっと奪い取って懐に入れた。
「それから鏡もなかったわ。洗面所にくっついとるのは、紙が貼ったあった」
「そう・・・・」



 迷いながら、ヴァッシュは一度は別れを告げた女性の居る病院の前に来ていた。
「だから、別に治療しなくてもいいんです。お金もないし」
「でも、君は一人暮らしで、身よりもないちゅう話だったじゃないか。見えない目でどうやって生活するのかね?」
「なんとかなります。今みたいに顔中に包帯していれば、周りの人だって少しは同情して手助けしてくれるでしょ」
 病院の中に入ると、医者と思わしき人物とアメリの穏やかでない声がした。
「アメリ、わしゃ医者だから、そういう話もよう聞くよ。誰だって最初は怪我人のあんたに手を貸してくれるじゃろう。でも外傷が治って、包帯をしている必要がなくなって。目が見えなくても稼げる思い当たりがあるのかね。そうでなければ工場からの見舞金だっていつか無くなる。それでもあんたの面倒を見てくれる程、この土地は、……この星は恵まれておらんのだよ」
 この星は、恵まれていない。
 ドアの前で、ヴァッシュは中に入ることもできず黙って佇んでいた。
 老人の言葉には重みがあった。人に善意がないとは言わない。けれどそれには限りがある。赤の他人を助けるには、それなりの余裕がなくてはできはしない。
「……誰かドアの前に来ている」
 唐突にアメリが呟いて、ヴァッシュは驚いた。気配を消していた訳じゃないから、聡い人間、それこそウルフウッドのような人種であれば病院に入った時点で気がつかれたかもしれないが、相手はどうみても素人で、しかも感情を荒げていた最中だった。
 ヴァッシュは迷いをふりきってノックした。
「もしかして、あの人?」
 声に喜色が滲んだ。
「こんにちわー。かっこよく去っていったばすなのに、舞い戻ってきてしまいましたかっこわるいスミスです」
 もう随分具合もいいのだろう、ベッドに腰掛けていたアメリは、立ち上がった。
「・・・あんた、この娘を運んできた人じゃね」
「すぐわかったわ。こんな早く会えるとは思っていなかったけど、嬉しい。ねぇお医者さん。ほらね、私ちっとも不便じゃない。良いことばかりなの。だからもう退院させて」
 どう考えても誰も承知しないだろう提案をアメリは嬉々として言い放った。
「なぁ、お嬢さん。あんたは見えてないだろうから自分の状態がわかっておらんだけで、目の傷もその他の傷もまだとても見られたもんじゃない」
 アメリは、老医者の不用意な一言に全身を強張らせた。
「アメリさん!!」
 ヴァッシュは極端に力をこめて彼女を呼んだ。
「な、なに・・・?」
 緊張は溶けないままも、変に驚かされて却って平常心を取り戻したかに見えた。
「許可があれば、僕と散歩にいきませんか。ずっと病室にいても気分が滅入るでしょう」
 老人は、突然表れて突拍子もない事言いだした青年に目を丸くして言い聞かせた。
「あんた、今の話を聞いておらんかったのかね。まだ彼女の傷は癒えておらん。デートに誘いたいなら、後一週間位は待ちなさい」
「野暮用が出来て長逗留になってしまったんですが、実は旅の途中なんです。だから一週間後にはもう、ここに居ないんです。無理はさせません。この辺りを少し歩くだけ、ダメですか」
「先生、この人だったら大丈夫。私をあの現場から助け出してくれた人よ。何かあっても助けてくれる」
 老医者は渋い顔をしながら、ちょいちょいとヴァッシュを指先で招いた。
「・・・20分位で帰ってきなさい。ゆっくり歩く事。辛そうに見えたらすぐ戻るんじゃぞ」
 そしてごく小さな声で続けた。
「ちゃんと治療を受けるよう、よく言いきかせてやってくれ」
「はい、……ご許可ありがとうございます」


「今日もお天気ね。こんな気持ちよく外を歩くなんて初めてだわ」
 アメリは、ヴァッシュの肘を掴んで、ゆっくりと歩んでいる。
「面白い感触の服。もうちょっと触っていい?」
「いいっすよ」
 写真の事、鏡の事。そして絵描きが描いたというスケッチ。
 けれど包帯を顔中に巻いたアメリは、そんな陰を持つ女性には見えなかった。
「ぽっかり浮いてる雲もきれいですよ。ドーナツみたいだな」
「そうなの。ドーナツが好き?」
 病院の敷地内という事もあり、包帯だらけの女性が派手な赤いコートの男に連れられて歩いていても、さして注視はされていない。
「いやー。……好きですね。ははは。おかしいですか」
「笑ってるのはスミスさんでしょ。おかしいとは思わないわ」
 下らない話をしながら、10分位経った事を思いだし、今きた経路を戻っていく。
「もう帰るの?」
「……治療を受けたくない、と言っているのを立ち聞きしちゃいました。どうしてか聞いていいですか」
 ウルフウッドが居たら、『女に物を尋ねるのに、その言い方ではまず成功しない』と渋い顔をされたろうが、幸いにどこかで飲んだくれているはずだ。
「暗闇が好きだわ。音とか匂いとか、感触がよく分かる。見えていて、幸せな事があんまりなかった気がするから」
「でも、見えないと困ること、たくさんあるでしょう」
「見えない方がいい事も、たくさんあるでしょう?」
 気負わず言い返されて、ヴァッシュは次の言葉が出てこない。
 貧しい星、傷つけ合う人々。老医者の言葉。
「本当に感謝しているの。貴方のおかげで、私は安息を得た。これ以上はいらないの。お医者さんとかに説得するよう頼まれたんでしょうけど、分かって」
 病室に戻り、彼女は看護婦に助けられつつ、ベッドに横になった。
 確かに、視力を失った彼女は、それ以外の感覚を使って、この世界に随分と馴染み初めている。
 写真も、鏡も必要ない、アメリが安らげる世界で。
「……明日の朝、今度は本当に、発ちます」
「そう、気をつけてね。何回言っても足りないわ。……ありがとう」


 重い足取りで、ウルフウッド言う所の『2割増しの宿』に戻った。
 ウルフウッドの2割も払わされているので、実質1.5倍近くの出費だ。
 部屋に入ると、荷物を再度チェックする。銃をホルスターから取り出す。幸いにしてこの町で引き金をひいていないが、手入れも怠る訳にはいかない。
 ようやくコートを脱いで、ブーツを転がした。
 寝支度を整えたのを見計らったように、ドアがノックされる。
 もちろん、隣りの部屋だから、何をしていたのか把握していたろうが。
「どぞ」
 ドアノブの回る音と共に、白いシャツの男が2歩のっそりと入ってきた。
「いつも言うとるやろ、鍵はかけとけ」
「強引に入ってくる人は、鍵なんか関係ないから一緒でしょう」
 ウルフウッドは室内を見回し、いつでも飛び出せるようになっている荷物に目を止めた。本当はいつだって何かあった時の為に荷物はまとめてあるのだけれど、買い込んだ水や食料がひとくくりになっているのを確認したのだろう。
「……明日はちゃんと乗るんやろな。それだけ念押しに来たんや。これ以上は譲歩せん。」
「分かってる」
 したらええ、とばかり手をあげてあっさりときびすを返す。
「……ウルフウッド!」
 少し強く呼び止めると、不信感を張り付けた顔が振り返った。
「いや、ちょっと話をさ……」
「出発遅らそう言う話やったら聞く耳もたんで」
「そうじゃないけど」
「あの怪我した女の話やったらまたにせぇ。明日は早いんや」
 うんざり、と言う風にウルフウッドは耳をほじった。
「お、お酒買ってくるよ!ちょっと飲まないか。たくさんでもいいけど」
「・・・・・」
 ひどく胡散臭げな顔をウルフウッドはした。
「今から買いにいくんか」
「いや、飲みたい気分なんだよね。でもほら、それこそ外で飲んだら潰れて明日間に合わなくなったら困るし!でも一人で飲むってのもさ。ここなら万が一潰れても君が翌朝起こしてくれるだろ?」
「……したら、煙草も一緒に買うてきてや。それやったらつき合うたる」
 随分と横柄な依頼だったが、ヴァッシュは慌てて買い物に行く準備を始めた。


「色々、辛いことあったんだと思うんだよね。でも、やっぱりさ、そうじゃないものも見て欲しいっていうか。この先ずっと嫌なもの見続けるって保証は無いわけだし」
 ウイスキー2本。ワイン1本。その殆どはウルフウッドの腹に収まっている。
 ウルフウッドは、肯定するでもなく、否定するでもなくただ黙って酒をあおっている。
 ほんの時折、ふうん、とかほぉか、と気のない相づちをうつだけだ。
「それにさ、やっぱり生活が不便になるってのは、すごいハンデだと思う訳よ」
 殆どはウルフウッドが飲んだとはいえ、つまみもなしで度数の高い酒を飲み続けたヴァッシュは、次第にろれつも怪しくなり、とうとう机につっぷしてしまった。
「おえ、ベッド行け」
「いい・・・」
 ウルフウッドは残り僅かの酒瓶を、それでもごうつくばりに持って、呆れたように立ち上がった。
 ふぁあ、と伸びをする気配。
「げ、もう2時やないけ。冗談ちゃうわ」
 ドアとは反対側に数歩、布が擦れ合う音。
 ふわりと机に顔を埋めているヴァッシュにかけられたのはシーツだ。
 今度こそ扉の方に向かう足音。
 ぱたり、と静かにドアが閉められる。
「・・・・」
 ヴァッシュはそのままウルフウッドの気配を追う。
 キーを回す音、室内に入って7歩歩いて、靴を乱暴に脱いで捨てる。もちろん揃えるなんて事はしない男だ。
 シーツを捲り、どさりと身体を載せる。あれだけの身長の男がベッドに身体を投げ出せば、当然ぎしりと床やベッドが軋む。
 大あくび。あれだけ飲んだのだから、眠りも早いだろう。
 それでも、銃のスライドを確認する音が聞こえた。
 ほどなく、呼吸が落ち着いていく。
 確かに、とぎすませていれば、目が見えなくても分かる事はたくさんある。
 そしてゆっくりとヴァッシュは瞼を開けた。
「こんな甘いことでいいのかよ、……案内人」
 掛けられたシーツからそっと這い出す。
 身体からはぎ取って、ベッドに戻す時に、急に惜しくなって唇に押しあてた。
「せっかく掛けてもらったんだけど。ごめんな」
 物音をたてないよう細心の注意を払って、ブーツを履きコートを羽織る。       
 窓をそうっとあけると、ヴァッシュはひらりと二階の窓から飛び降りた。


「アメリ、アメリさん」
 暗闇の中で、心地よい音が夢に響いた。
 入院してしばらくは、夢の中でだけ光景を見たが、ここ2、3日は夢の中ですら暗闇だ。
「……スミスさん……?」
 夢の中の音だと思っていたアメリは、そっと唇にあてられた指に、さすがに驚いて目を覚ます。
「こんな夜中にごめんなさい。非常識なのは承知なんですが、ついてきてもらっていいですか」
「え?今から?」
「ええ、明日の朝一番のバスに乗らないと、いいかげん旅のツレがキレてしまいそうなんで、今晩しかチャンスがないんです」
 ひそひそ声は、真剣だ。
「何分こんな時間なんで、窓から出ます。ちょっと失礼」
 ヴァッシュはアメリの膝裏と脇の下を横抱きにして、ひょいと持ち上げた。
「きゃっ」
「静かに、……夜明けまでにはちゃんと戻りますから、心配しないで」


 ヴァッシュは暗く寝しずった町を、アメリの身体に負担がかからない速さで疾走した。
「どこに向かってるの?」
「行ったら分かってしまうかもしれませんが、一応ナイショです」
「なんだか、お話の主人公みたいね。こんな事があるなんて、事故さまさまだわ」
「・・・そんな風に言わないで」
 カンカン、と鉄骨の階段を登る音がアメリには届いていた。場所の想像はつかない。
 けれどどこかでこの男が手を離して、自分の身体が高い所から落下して潰れようと、それはそれで幸せな終わりだと思えた。
 こうやって暗闇の中で、眠りにつけるのだから。
 ヴァッシュはフロアについて、アメリをそっと下ろした。
「ナイショなのね?」
「手を貸して下さい」
 先ほどまでは、ごく小さな振動音だったものが、ヴァッシュがそう言ってほどなく、ぶうん大きなうねりを見せた。
「ジオプラントって知っていますか?」
「この辺りには、そんないいものはないわ。名前だけなら」
「この子は、以前ジオプラントとして稼働していました。だからたくさんの思い出を持っている。決して合成して作られた景色じゃありません」
 アメリは唖然とした。ではここはプラントタワーの近くなのだ。 このこ、などと言う限り、ほとんど目の前なのだろう。
「今すぐは無理だけど、貴方もいつか、見れるかもしれない光景です」
「ちょっと待って、何をしようって言うの?」
 アメリの声に怯えが混ざった。
「おでこを失礼します」
 こちり、とおでこに暖かいものがあたり、青年の息がひどく間近に感じられた。暗闇の中とはいえ、さすがにアメリも狼狽する。
 次の瞬間。
 眼前に見たことのないような、緑が広がった。
『届いて、ますか?』
『……何、これ、どうしてこんなものが見えるの?』
『色々ヒミツなんですが、プラントの記憶を貴方に伝えているんです』
 アメリはまぶしさに目を細めようとしたが、当然それは叶わない。
 彼女の眼孔には今は何もないのだ。
 しばし言葉を失って、アメリは広がる光景に心奪われた。
 あまりにも、美しかった。太陽を遮る木の葉や枝の形の影すらも。
 そして気がつくのだ。そこに自分は居ないことに。
「いやぁっ!!」
 アメリは絶叫した。
 腕を突っ張られて、精神も肉体も拒絶されたヴァッシュはその衝撃にふらついた。
「なんでこんな物を見せるの?!こんな綺麗な世界で、あたしが生きていけるとでも?!冗談じゃないわ!」
 アメリはヒステリックに叫び、思わぬ反応にヴァッシュはぐらぐらする頭を押さえながら、自分の失態を悟った。
 それでも、無茶苦茶に手を振り回すアメリの身体を気遣って、その腕を捉える。
「離して!あんたにはこの光景が美しく見えるんでしょうとも!あんたの目はさぞお綺麗な光景なんだろうね!あたしには地獄でしかないっ」
 恐慌状態で振り回されるアメリの力はすごくて、ヴァッシュはがり、と頬に爪がたてられたのを感じた。
「そうよ、あんたの目をくれたらいいわ!あたしの目の色が何色か知りたいっていっていたわよね。本当に忘れてしまったのよ。でも教えてあげられる。あんたの目をくれたらいいわ。何色?ブルー?グリーン?答えて、同じ色を答えてあげる」
 ぎりぎりと頬をよじ登ってくる指先が、女性とは思えない力で眦のほくろのあたりまで到達する。
「きっと綺麗な色なんでしょうね。あんたの目をもらえば、きっと私にもあの光景が綺麗に見えるわ。さぁ、何色なの、教えてちょうだい」
 とうとう眦に指先がかかり、激しい痛みがヴァッシュを襲った。
 相手の怪我を厭わなければ、アメリを引き剥がす事は可能なのだろう。
 だが、ヴァッシュは自分の犯したミスを分かってもいた。
 それにもしかしたら、もしかしたらこの特殊な身体の眼球であれば、強引に眼孔にはめ込んでも見えるようになるのではないかと、そんな馬鹿な事も頭を掠めていた。
「オンドレにくれてやっても、同じ色にはならんやろうけどな」
 膝立ちで争っていた二人は、頭上からの声に驚いて顔をあげた。
 その瞬間に、メアリの身体はヴァッシュから引き剥がされ、乱暴に投げ捨てられた。
「ちょっ、ウルフウッド!手荒な事をするな!」
「……オンドレの眼球ほじり出そうしとった女やで、立派な強奪者や。丁寧に扱わなならん話はないで」
「違う!俺が間違ったんだ!」
 ヴァッシュは血の流れる眦を手のひらで押さえながら、立ち上がると、ウルフウッドはすばやくアメリの上着をひっぱると階段まで引きずっていく。
 何がどうなったかわからないアメリは、か細い悲鳴をあげるばかりだ。
「目なんかいらんのやろ。これがオドレの生きてく世界や」
 アメリは上半身から倒れ、当然段差を見ることができず、何もない地面に手をつこうと空を切り、ひっ、と掠れた息を飲んだ。
 転がりおちるハズの身体を捕まえのたは、ヴァッシュだ。
「なんて事するんだ!」
 アメリははーはーと、荒い息をついてヴァッシュの腕のなかでへなへなと力を抜いた。
「目がみえへんて怖いやろ」
 己の肉体に急にふりかかった恐怖と反対に、アメリは幾分か冷静になっていた。
 こくり、と頷いた。
「見たくないもの見んで済むんは居心地もええやろ。せやけどあんたはホンマの暗闇を知らんからや」
 ウルフウッドは、緩慢な動作で銃を引き抜いた。
「これはオドシや。けど目の見えんあんたも分かるやろ」
「よせ!」
 脅しだと言う限り、ウルフウッドはトリガーを引くつもりはないのだろう。けれどヴァッシュはホルスターに手をかけた。
 それほどの憎しみと殺意がその銃口から滲みでていた。
 滲み出るなどという生やさしい言葉では表せない。
 殺意の刃物が、アメリの喉元につきつけられる。
 ヴァッシュはついに銃口をウルフウッドにむける。アメリは蒼白になって、ヴァッシュの腕の中でかたかたと震えていた。
 唐突に殺意は消えて、ウルフウッドは銃を懐に戻した。
 ヴァッシュもつめていた息を逃がして、銀色のリボルバーを腰元に差し込んだ。
「暗闇で生きるっちゅうのは、見たくないもんを見んでええんとちゃうで。せめて綺麗なもんが見れたらええて、餓えながら生きてくっちゅう事や。知らんでもええ事すら闇は伝える、……覚えとき」
 それだけ言い捨てると、ウルフウッドは興味をなくしたようにアメリとヴァッシュを避けて、鉄板の階段をかつんかつんと降りていった。
「……アメリさん」
 アメリはまだ微かに震え、いらえはない。
「僕はあなたを傷つけてしまった。少なくともあなたの心の傷を抉るような真似をしてしまった」
 プラントが、ヴァッシュを労るように淡く発光した。
「ごめんなさい」
 アメリは、先ほどの衝撃からまだ立ち直れずに、それでも違和感を感じながら謝罪の言葉を聞いていた。
 自分を助けて、安息の暗闇と奇蹟のような光景を与えてくれた男は項垂れて謝罪し、自分を殺そうとした男は平然と去っていった。
 この男の腕に抱えられ運ばれている間は、放り出されて死んでも構わないと思っていたのに、暗闇そのもののような殺意の前に、心の中は死にたくないという気持ちだけでいっぱいだった。
「・・・さっきの人が、旅のツレ?」
 掠れた声でアメリは問うた。
 そうです、酷い事をしてごめんなさい、後で叱っておく、と再びヴァッシュは謝罪した。
 謝罪など耳に届いていないように、アメリはぽつりと呟いた。
「あの人の瞳の色は……きっと黒ね」
 そして貴方の瞳の色は、あの光景と同じような、緑なんでしょう。
 アメリは自分の下らない想像に、笑った。



 眦にでっかい絆創膏をはった間抜け面の赤いコートの青年は、どんよりした表情で、後ろの更に不機嫌そうな男に足で尻を蹴飛ばされながらバスに乗り込んだ。
 幸いにしてバスはそう混んでおらず、二人がけ席をそれぞれ陣取る。
 ヴァッシュは窓をあけて、肘をついて風を頬にうけた。
「・・・なんだかなー」
 聞こえよがしに呟いた言葉は、風にのって通路隣りのウルフウッドにも届いた。
「俺って無力だな」
 通路側の肘掛けに左手を載せて、ヴァッシュは今度は同意を求めてウルフウッドに視線を送る。
「彼女、お前の目の色が黒だってあてた。僕の色は分からなかったのに」
 サングラスの下の瞳は、月明かりの下でみれば少し青みがかっている事をヴァッシュは知っているけれど。
 黒い瞳の男は、くだらなさそうに、ふん、と鼻でせせら笑った。
 
 ヴァッシュは、彼女の行く末を案じている。
 そして心の片隅でこの男が言った言葉の事も考えている。
 同じ色にはならないと言った。
 ウルフウッドの言葉がアメリの事とは違う場所で自分を慰めているのを知る。
 

 いつかその言葉の訳を問いつめてみようと。
 そして彼女に今度あえたら、どんな瞳の色にしたのか、あててみせようと思う。
 バスは客の気持ちなどに頓着する事なく、ことことと砂漠に乗り出して行った。




                                       END  


 ◆牧師さんがばしさんの危機を救いに来てくれる話◆で承りました。リクエストありがとうございました!
 実は、1月大阪のコピー本が、リクエストとしてお渡しする予定のものでした。
 あまりに長くなってしまったのと、本の形にしたかったのもあって、後ほど別のものを、とお約束して
 そっちは本に致しました。
 なので、微妙に流れが一緒でごめんなさい。せめてもと、シリアスぶってみました。