COUNT GETTER



HIT 222  S様
                    雨あがり。




 これはまだ、二人が出会って間もない頃のお話。


 その日は、朝からお日様の姿が見えなかった。
 薄白い厚い雲は、その寒さのせいで、空につもった雪のように見えた。
 ヴァッシュは、ぷるっとその小さな身を震わせる。
『ウルフウッド?』
 小さな小さな狗神は、自分を暖めてくれるその人を探す。
 悪魔払いを生業としているその男は、どんな気まぐれからか、生まれたて(と言っても母親からおぎゃあと産まれる訳ではない、ある日、唐突に形となってこの世界に存在するのだ)のヴァッシュを拾って「保護」してくれた。
 ヴァッシュは昨晩も、寒さに耐えかねてその男の夜着の胸元に入り込んだ。
 背中を摘まれて肌からは離されてしまったが、ぴぃ、と手を伸ばすと、むっとした顔をした後、肩に乗せられた。
 優しい優しいエクソシスト。
『ウルフウッド!ウルフウッド!』
「・・・なんやねん、そんな何回も呼ばんでも隣に居る!」
 寝室の開いたままのドアの向こうから大きな声が届く。
 ほどなく、湯気のたっているカップを持ったウルフウッドが姿を現す。
 まだ剃られていない髭がぱらぱらと伸びている口元には煙草。
 寒さに縮んだ床板がきしりきしりと音を立てた。
「きゅう、きゅうきゅう」
「ああ?ワイはオンドレの湯たんぽとちゃうで。ワイの目には、立派な毛皮着込んどって、随分あったかそうに見えるけどな」
 カップを置いた腕の袖先は捲られていて、薄く開いた唇からは白い煙がいつもより長く引いた。
『寒くないの?』
 ヴァッシュはぴょいとベッドサイドに飛び移って、カップを抱きしめた。
「・・・オンドレらに気候の暑い寒いて関係あらへんやろ」
 カップには、ウルフウッドの温もりが残っている。
 無意識の内に、彼が狗神の側に置いたもの。
『寒いよ・・・このお天気だもの』
 冷たい雨が降る日は、左腕が痛む。
 片割れと分かたれて、大切な人を亡くしたあの日に似ている。
 ウルフウッドは、窓の外を見やる。
 どんよりと、今にも何か落ちてきそうな曇り空。
「ああ・・・そやな。ひと雨きそうや。こんな日は家で大人しゅうしとるんが得策やろ。・・・ちゅうても、ワイは仕事に行かんとならんけどな」
 煙草を唇から離して、灰皿に押しつける。立ち上る煙は憂鬱。ウルフウッドの唇からは、白い息。
『・・・今日は一人でいるの嫌。連れてって』
「あかん、仕事の時はあかん言うたやろ」
 カップから手を離して、小さな狗神の、小さいけれど大弁な瞳が、ウルフウッドに正面からココロを伝える。
『一人に・・・しないで』
 きゅう、という打ちひしがれた泣き声。潤んでしまった瞳から何かがこぼれてしまわないように、ヴァッシュは口元を噛みしめる。
 ウルフウッドはその様子を見て、げんなり、とした後もう一度窓の外を見る。
 冷たい白い雲と、雨を予感させるしけった空気。
 はぁ、と諦めに似た息をついた後、隣の部屋を指さした。
「・・・かばんに入っとれ。絶対顔出したり、すんなや」




「ああ、やっぱり降ってきてしもた」
 屋外を移動するのは短い時間だろうと油断していたウルフウッドは、予想より激しくなりそうな雨足に、ちっと小さく舌打ちする。
 予想していたより不便な場所で、依頼主の所にたどり着くまでに時間がかかってしまったのだ。
 バスの停留所まであと1kmもないだろう。
 一日数本しかバスの通らないこの界隈で、雨が止むのを待つのは得策ではない。
 時間をつぶすに楽しい場所とてない、田舎町なのだ。
 意を決して走り出す。
 悪霊を退かす事はできても、自然の恵みである雨を避ける事はできない。
 ヴァッシュは、約束どおり、彼の仕事中もカバンの中で静かにしていたが、突然大きくなった音と振動に驚いて、何から怪しいものがごたごたと入っているカバンの中でなんとかへりに掴まろうとするが、瓶にぶつかり、何やらの枝にもまれて、すっかりわやくちゃになってしまう。
『ウルフウッド!もっと優しくして!』
 つい叫んでしまうが、むっとした気配が返ってくるだけで、何の反応もない。
 そのまま5分程度揺られつづけ、ヴァッシュがぐったりとなった頃、ようやく静かになった。
 はぁーー、とウルフウッドは走った余韻の息を肩で吐いた。
 申し訳程度の雨よけの下、ベンチにどっかりと座り込む。
 どさり、と雨に濡れたかばんも放り出される。
『きゃぅっ』
 ぐったりした所に、大きな衝撃があって、ついヴァッシュは悲鳴をあげてしまう。
 ウルフウッドはじろりとそれを睨んだか、自分の息を整える事を優先した。
 強くなりかけた雨は、さぁ、とこまかいそれに変わっていく。
 太陽がみえない、白くけぶる田舎町は、寂しく、そして静かであった。
 見渡しても、畑が広がり、通りを行き交う人の姿もない。
『・・・ウルフウッド』
 ちいさく、遠慮がちにヴァッシュは男の名を呼ぶ。
 ウルフウッドは遠くの山を見つめて、前髪に伝う露を払うと、思い出したようにポケットから煙草を出す。
 冷たい雨をふくんだ上着から出したそれは、ひんやりと重たく、一緒に入れてあったマッチもはたして付くかどうか怪しかった。
 あきらめて戻す。それからようやく口を開いた。
「・・・なんや。・・・静かにしとれ言うたやろ」
『かばん・・・濡れちゃってる』
 声のする場所を、ウルフウッドはちらりと見る。
「雨降られたししゃあないやろ。ワイかてびちょ濡れや」
 雨が振りそうだからとこのやっかいものを連れてきたのに、雨具を忘れてしまうとは、ウルフウッドは自分のうかつさに腹がたってくる。
『・・・さむいの。あっためて』
 ヴァッシュは、かたかたと震えながら必至で訴える。
 左腕がじくじくと痛む。
 半分を引きちぎられた痛みと、彼女を救えなかった無力な自分。
 光を見る術を持たず、顔も知らないけれど、自分を助けてくれようとした少女を亡くしてしまった日。
 冷たい、細かい雨が降っていた、あの日に、酷く似ている。
「・・・人来よった、静かにせぇ」
 カバンがもちあげられ、幾分か丁寧に地面に置かれた。
『ウルフウッド・・・、ウルフウッド』
 近づいてくる、二つのニンゲンの気配。
 せめて、かばんを抱きしめて。
 声をできるだけ抑えて、心で一生懸命にいい募る。
 やかましいっ、といらいらした、こちらも囁き声。
 人の耳には、聞こえるか聞こえないかの響きでも、そのいらだちや、言葉の棘は、ヴァッシュに大きく響いた。
 痛い。いたい。イタイ。
『う、う、ふ、ふぇぇ〜〜〜〜』
 堪えきれずに、ヴァッシュは声をあげて泣き出す。
 軒下に入ってきた、少女とその母親らしい女に、営業用の笑みを返していたウルフウッドは、そのままの顔で、一瞬、目だけがぎょっとする。
 精霊や神霊の『声』は、それを耳にする者によって、様々に聞こえる。
 ウルフウッドのようにそれを生業にするものたちは、できるだけそれらの声を、『歪めず、人が分かり易い形で』受け取れるようにと学んできた。
 悪霊は、人に甘美で、優しい言葉を作り出して伝える。人がわかる形で言霊を操るのだ。
 一方、神霊や精霊の言葉は、別段人の為に紡ぎだされる訳ではない。
 存在を全く信じないニンゲンには、そのイキモノは居ないも同じ事。
 だから、ヴァッシュの泣き声も、聞こえないニンゲンには、届かないはずなのだ。
 が。
「・・・誰か泣いてる」
 少女は、きょろきょろと辺りを見回した。
 母親が、またこの子は、というように少々困ったように娘を見た。
「・・・おウチでトム、泣いてるのかな」
「ぐっすり寝ていましたよ。雨の音がそう聞こえるだけよ」
 母親には、ぴーぴーと言う、か細い音は聞こえていないらしい。
「小ちゃい子が、寂しい哀しいって泣いてるよ・・・」
 きょときょとと廻りを見回す少女は、ふと、ウルフウッドの足下のかばんに目を止める。
 ウルフウッドは、内心困ったことになったと思いながら、どうかしましたか?のポーズを崩さない。
 それらを見ない母親にとっては、少女の言動は不可解に見えるのだろう。
 これ、というように手をひいて、ベンチに座らせる。
 幼子は、誰しも精霊と話す事ができる。けれどオトナ達が否定するにつけ、少しずつそれらに目隠しをしていくのだ。 自分自身で。
 けれどまれに、オトナ達の非難をあびても、心に目隠しをせず成長する子供もいる。
 ウルフウッドも、ごく小さい頃は、不思議なモノたちをたくさん見た。
 オトナには見えないと知ってからは、それらのものに話しかけるのはやめた。
 それでも時折、道の片隅に黒い淀んでいるものが見えて、明らかな害意を怖ろしく感じたりしたものだ。
「・・・かばん、地面に置いたら、冷たくてかわいそう・・・」
 ウルフウッドの足下から目が離せない少女は、ぽそりと呟く。
 妙な事いわないの、と前に立っていた母親がたしなめる。
 狗神の正体まではわからない少女にとって、悲しみ泣いているのは、鞄自体に思えたのだろう。
 ウルフウッドは、苦笑して、白旗をあげた。
「・・・そうやね」
 鞄の肩紐を持って、自分の膝の上に置く。
 母親は、申し訳なさそうに、すみませんと謝った。
 濡れたまま地面におかれていた鞄は、冷たく重かったけれど、泣き声が止み、少女が安堵してほどなく、ひどく温かいものに変わっていった。
 くぅん、と甘えた声が小さく小さく伝わる。
 バスがことことと、けぶる雨の中から、姿を現す。
 立ち上がったウルフウッドと、少女は、母親に対して小さなヒミツを共有してしまった。
 バスに乗り込む前、二人はちらりと笑みを交わしあった。



 ことことと、のんびりしたスピードで進むバスの中はがらんどうで、少女と母親は、後部座席へ、ウルフウッドは真ん中あたりに腰をかける。
 後ろの方では、母親が、少女をたしなめる声が聞こえる。
 他人の人生に口を挟む趣味も権利もウルフウッドにはなかったけれど、少女がオトナになっても精霊達の言葉が聞こえればいいと思う。
 前を見やれば、バスのワイパーが緩慢にしずくを除けていく。
 二つ停留所を過ぎてほどなく、後ろから二人が運転席の方までやってくる。
 母親は、運転手にあの家がある所で下ろしてもらえます?などと依頼している。田舎町ならではだろう。
 少女は、迷った様子の後に、少し戻ってウルフウッドの所にぽてぽてとやってくる。
「これ、また赤ちゃんが泣いたら、あげて?」
 ポケットから、大きなあめ玉を取り出してウルフウッドに差し出した。
 視線は膝に載せられたかばんに注がれている。
 ウルフウッドは、少なからず驚いて、その後優しく笑った。
 鞄が泣いている、と言ったのは少女なりに、どうにか自分がして欲しい事を伝えるのに、不自然でないようにと苦慮した結果だったのだ。
 そう、と鞄の口をあけて、少女に見せた。
 ごちゃごちゃとした鞄の中に、小さく丸まっている暖かいもの。
「かわいい。・・・寝てるね。犬の赤ちゃんだったんだ」
 ごくごく小さな声。
 小さくウルフウッドは頷いた。
 そうだ、まだ産まれて一月も経たない、ほんの赤ん坊。
 膨大な知識を持っていても、不思議な力を内包していようと、まだ、産まれたばかりの。
 ウルフウッドは鞄の口を閉める前に、小さな鳥の形をした紙を取り出した。
 名も知らぬ少女に、他人に、こんな事をするのは初めての事だ。
「もし、すごい悪いのが居って、自分ではどうにもならん、助けて欲しい思うた時は、これを空に放してやり。・・・何か、してやれるかもしれん」
 あめ玉を受け取って、かわりに手の平に隠れる紙の鳥を乗せる。
 少女はこくり、と頷いてそうっと、ポケットにしまう。
「ショーン、降りますよ!・・・すみませんでした。空想好きな子で。気になさらないで下さいね」
 母親は、振り向くと側にいなくなっていた娘に、慌てて駆け寄ってくる。
「いえ、心の中に、ぎょうさんものがあるのは、ええ事やと思います」
 あたりさわりのないように、軽く返答する。
 ばいばい、と少女が手を振るのに、手をあげて答える。
 バスがゆっくりと止まり、ぷしゅ、とドアの開く音。
 母親は傘を広げ、少女はフードを被った。
 再びバスは走り出す。雨は少しずつ小降りになっていく。
 背もたれに体をあずけて、受け取ったあめ玉を見る。
 少女の心が込められた砂糖の固まりは、きっと狗神を優しく癒すだろう。
 雨の音は少しずつ遠くなっていった。
 一時間以上揺られたバスを降りると、雲の切れ間から、斜めに光が地面を照らしているのが目に入った。
 肩からさげた鞄が、陽の光に起こされたように、もぞもぞと動いている。
『・・・ウルフウッド?』
 幸いに回りには誰もいない。
「目ぇ覚めたか」
『お日様でてる』
「そぉやな」
 少女とのやりとりで、ウルフウッドなりに思う所があったのだろう、いつもならしない事を、今日はもうひとつしてみる気になった。
 鞄の口をあける。
『いいの?』
 ぴょこりと、耳の付いた頭が顔を出す。
「静かにしとれよ」
 耳が、嬉しげにぴん、と立った。見えないけれど尻尾は嬉しげに振られているのだろう。
『お日様、大好き。あっ』
 小さな腕が伸ばされる。
『ウルフウッドのポケットに入ってる。それ、ぼくの』
 少女の想いは、小さな狗神に対して送られたもの。
 ヴァッシュには、その想いが、光や、暖かいものとして感じられるのだ。
「めざといな。・・・いやしいやっちゃ」
 苦笑しながらポケットからあめ玉を取り出す。
 ハトロン紙にくるまれたそれは、小さな狗神の顔の半分もある。
 そのまま渡せば、顔中が砂糖まみれになるだろう。
 毛並みにも付着して、たいそう汚い事になるのは明白。
 ねちゃねちゃのまま、鞄の中で転げ回られるのは、是が非でも避けたい所。
 うー、と迷った末に、ウルフウッドは狗神に渡す前に、包み紙ごと、がり、と歯でかみ砕いた。
 上手く分割できるはずもなく、大きめの固まり二つと、後は粉々の破片になってしまう。
 おまけに包み紙も破けてしまった。
「う・・・」
『あっ』
 またぴーぴー泣かれるのかと、警戒したウルフウッドだったが、包みを広げて差し出すと、意外にもヴァッシュはすごく嬉しそうだ。
『さっきより、ずっときらきらしてる。・・・ありがとう』
 ウルフウッドは、少しばかり耳が熱くなった。
 意識してではなかったが、ヴァッシュが食べにくいだろうと思ってした事が、他ならぬ狗神への愛情を暴露して、その想いが形として伝わってしまったのだ。
 ヴァッシュは二番目に大きい欠片を手にとると、本当に幸せようにぺろりと舐めた。
『・・・おいしい』
 ぺろぺと夢中で舐めだしたヴァッシュに、ウルフウッドはごまかす為もあって、多少意地悪めいた口調で言う。
「これ残りどうするんや。捨ててもうてええか」
 だめだめといい募るのを想定して言ったのに、口の回りをべとべとにした狗神は、えっと考える風情。
『ウルフウッドにあげる。おいしいから・・・ぼくはこれで充分幸せ』
 邪気なく言い渡されて、ウルフウッドはくらりとなった。
 ワイが食うんですか?!
 このいかにも着色されとるごっついあめ玉の残りを!!
『本当だよ?ウルフウッドだって、おいしいと思う。食べてみて?』
 無垢というには、全くもって怖ろしい。
 本当にそう思うから、言っているだけなのだ。
 これを無下にすると、またしても狗神は傷ついてしまう。
 やっかいな、やっかいなイキモノ。
 じぃっと見つめる狗神の尾が、期待でゆらゆらと振れているのが鞄の口からちらりちらりと覗いている。
 ウルフウッドは、覚悟を決めて残った破片を口に放り込んだ。
 甘ったるい、子供だましの、けれど懐かしい味。
『おいしいでしょ?』
 ぶんぶんと揺れるしっぽ。
「・・・ぼちぼちやな」

 雨に濡れた小枝は、もう少し先の季節、開く小さな芽をしっかりと抱いている。
 夕暮れの曇り空は、オレンジ色に染まって、このあめ玉のように光をたたえていた。
 吐く息も、少しずつ透明になる。
 暖かく、甘ったるい空気の中、ウルフウッドは歩き出した。




                                    END  
  
◆「SEASON」 狗神ヴァッシュのチビ時代のエピソードを、とお題をいただきました。◆
ふえーん、ふみーっとなく子犬が書けてにやりでした。