Biography

 1927年7月7日にアメリカオレゴン州アーリントンで生まれたドク・セバリンセンは父親が歯科医であったことから「リトル・ドク」と呼ばれ、これがドクというニックネームの由来となる。7歳のとき、彼はトランペットではなくトロンボーンに興味を示したのだが、小さな町に住んでいたことからトロンボーンは町にはなく、ヴァイオリンを父親が演奏していたこともあり周囲から勧められた。しかし、なおもトロンボーンを望んだ彼は町の中で唯一触れることができる金管楽器であったトランペットに取り組むようになったのである。

 父親の指導と教則本によるわずか1週間ほどの練習で高校生の楽団からも声がかかるようになったとしいうドクは、わずか12歳のときにコンテストで優勝。高校在学時からデッド・フィオ・リト楽団の演奏に参加するほどのブレーヤーにまで成長。高校卒業後には兵役に服し、退役後トミー・ドーシー楽団、ベニー・グッドマン楽団、チャーリー・バネット楽団と一流のビックバンドに在籍し、人気を博したのではあるが、あえて1949年にNBC所属のスタジオ・ミュージシャンとなる。1954年から55年にかけて『スティーブ・アレン・ショー』にレギュラー出演、58年には『ザ・サブジェクト・オブ・ジャズ』に出演するなどテレビを通じて、幅広い層の支持を確固たるものにしていった。そして1962年にはスキッチ・ヘンダーソンのアシスタント役として全米で最も人気がある音楽番組『トゥナイト・ショー』のバンドメンバーとなり5年後の1967年にはついに音楽監督に就任する。

 1987年には同年にリリースした『The Tonight Show Band The Tonight』(Amherst Record)によりグラミー賞を受賞。同番組には25年間リーダーとして出演してきたものの、1992年5月22日に司会をしてきたジョニー・カーソンが勇退することとなりこれを期にドクも音楽監督から退くこととなった。

 毎日数時間にも及ぶ番組のリハーサルなどのために積極的に作品を出すことは困難なはずにもかかわらず、40枚以上のリーダー作をリリースする一方、数え切れないほどの他のアーティストの作品に参加をしている。数多くのベストセラーとなったアルバムの中には約半年にわたってチャート・インをした、ヘンリー・マンシーニとの共演である1972年発表の『BrassBrass On Ivory』(RCA)があるが、こうした活動がアメリカでは特に評価され、10数回以上『プレイボーイ』誌のトップブラスプレーヤーに選出されている。日本には一度だけ海軍バンドのメンバーとして来日した(?)という未確認情報があるが詳細は定かではない。

 現在は、今まで週末にしかできなかったというコンサート出演を活動の中心として、多くのクラシックコンサートあるいはドク・セバリンセン・ビックバンドの演奏をこなしている。音楽を心から愛する、77歳を迎えたドクは今もなお力強い演奏をし続けている。


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