旅の記憶 その21

トップ>>旅の記憶>>21



初心に返る旅 〜 青春18きっぷ


旅行中の写真の一部をこちらでも公開しています。
よろしければどうぞ。

出発前夜  

  最近,土・日きっぷに頼りすぎなのでは・・・と思う。おかげで,行動範囲は南東北〜関東・信州,移動手段はほとんどが新幹線と特急。こんな贅沢してばかりではいけない,ということで,18きっぷを使った旅を計画する。まあ,乗り放題きっぷであることにはかわりないのだが。

 今回の目的・行き先は,以前から乗ってみたかった偉大なるローカル線「只見線,小海線,飯田線」とする。人出も少し落ち着く,9月初旬の平日にしよう。新幹線・特急は断固利用しない・・・つもりだったが,最終日は仕事の都合でつばさを利用することに。ついでに,元特急車のローカル利用にはできるだけお世話になろう。普通列車のグリーン車にも初めて乗ってみよう。

 出発日(9/6)を前にして,巨大な台風がやってきた。関東・信州地区で大きな影響がありそうだという。果たして無事に日程を消化できるのか。極めて不安なままでのスタート。



1日目:只見線 山形|7:15→(普通)→8:00|米沢|8:06→(普通)→8:52|福島|9:37→(普通)→10:25|郡山|10:43→(快速あいづライナー1)→11:50|会津若松|13:08→(普通)→17:42|小出|17:51→(普通)→18:03|越後川口|18:25→(普通)→18:51|十日町|19:34→(ほくほく線,普通)→20:16|直江津


 第1日目の目的地は只見線。台風は関東あたりにいるらしい。おそらく,只見線は大丈夫に違いない,そう信じたい。

 通勤・通学時間の山形駅を出発。まずは米沢・福島に向かう。板谷峠の最高点,峠駅からは意外に多くのお客さんが乗ってきた。温泉帰りのおじさん,おばさんたちかな?福島が近づくと,車掌さんによる縁起の悪い放送が流れてきた。前夜の大雨の影響により,東北本線の藤田〜白石で運転見合わせ中とのこと。元々災害に弱い区間とはいえ,ちょっと矛先が変わったら・・・。福島駅では,ひたすら開通を待つ貨物列車が止まっていたりして,ただならぬ雰囲気。くわばらくわばら。福島以南は生きていたため,無事郡山に到着。
 郡山からは快速「あいづライナー1」号で会津若松に向かう。専用の485系。シートピッチも広く,大変快適。会津若松駅には,455系に代わって磐越西線にやってきた719系赤べこ仕様が停まっていた。

 さて,本日のメインイベント,只見線。 只見線は会津若松〜小出(135.2km)を結ぶ。今回は,全線を走破する425Dを堪能する。やってきたのは非冷房のキハ40の2連・・・って,1両はオールロングシートではないか(左沢線を走っていたヤツか?)。地元のお客さんのみならず,明らかに「鉄」な人が多い。
  この列車は,会津坂下(7分),会津宮下(17分),会津川口(9分),只見(7分),大白川(9分)で,長時間停車を繰り返しながら,全線走破に4時間30分強を要する(停車時間を含めると,平均速度は30km/hに満たない)。しかし,当然ながら(?)先を急ぐ乗客がいるはずもなく,むしろ各停車駅でホームをぶらぶらしたり,写真撮影にいそしんだりと,完全に観光列車の雰囲気。

 にわか雨が止んだ頃,会津若松を出発。しばらくはロングシートに腰掛け,広い盆地の中を進む。冷房が無く車内は暑いが,車内に入り込む風が心地よい。それぞれの駅で,そこそこ乗降がある。会津坂下で1回目の長時間停車。ぐっと乗客が減ったのでクロスシート(ボックス)に移動するも,発車近くにまとまった乗車があり,相席になる。「鉄」な人ばかりでなく利用があるのだなと,なぜかほっとする。今度は山の中に入り,川沿いを進む。先ほどまでの暑さが薄れ,涼しい風が入ってきた。これならば,非冷房でも大丈夫かも(但し,7〜8月はつらいだろうな)。会津宮下で2回目の長時間停車。ここでホームに降り立ち,ふらふらと出歩いてみる。レトロ調ではなく,本当にレトロな駅だ。 3回目の長時間停車は会津川口。川沿いにある駅で,ここで上り列車と交換。向こうは全てクロスシートだ。ここから先,只見までの途中駅は,ホームが短いため1両目のドアしか開かない。ほとんど乗降は無かったが,よく手入れされている感じだった。
 そんなこんなで会津若松から3時間をかけ,只見駅に到着。数字ほど時間を感じないのが不思議だ。まあ,急いでも仕方がないというのもあるが。ここでタブレット交換の様子を見ていたら「写真を撮るかい?」と駅員さんが声をかけてくれた。ありがたく写真に納めさせていただく。あっという間の7分間だった。

 さて,ここから秘境の地,六十里越へ。ここは,併走する道路(国道252号線)が冬期閉鎖となるぐらいの豪雪区間。そのおかげで只見線が生き残っているともいえるのだが。程なく田子倉トンネルへ入るが,キハ40はパワー不足なのか全然速度が上がらない。そのままゆるゆるとトンネルを抜け,秘境駅として名高い田子倉に到着。ここで降車客がひとり。おそらく,この後の上り列車で戻るのだろうが,万が一にも列車が来なかったら・・・と余計なことを考える。今度は長い六十里越トンネルを快調に進む。このトンネルで県境を越え新潟県へ,しばらく進んで大白川に到着。

 上り列車を待ち合わせ,最終区間へ。さすがに疲れてきたが,久々に集落や学校も見られ,とりあえず眠らずに車窓を眺める。だいぶ薄暗くなってきた頃,終点小出駅に到着。多くの乗客は全線走破したと見られ,妙な連帯感のもとホームを後にする。

 今夜は,直江津で1泊の計画。信越本線〜飯山線と乗り継ぎ,初めてのほくほく線へ。鋭いダッシュ力の電車に揺られ,直江津に到着。研究室の同期,T氏と久々の再会。おいしい魚料理をいただく。店を出てホテルに向かう頃,ぽつりぽつりと雨が降り出していた。そういえば,今日はなんだかんだで天気には恵まれたが,果たして明日は・・・?今夜関東に再接近とのことだが,果たして・・。



快速あいづライナーに使われる485系
左には719系,赤べこ仕様

会津鉄道の車両と並び,発車を待つ

冷房はない。窓から涼しい風が入ってくる

会津宮下駅に到着

今なお現役,昔ながらの待合室

タブレット閉塞もまだまだ現役

駅員さんの合図で発車
会津川口駅で上り列車と交換
各々写真撮影に余念がない
広い構内通路を持つ只見駅
除雪が大変ではないだろうか?
タブレット交換
大白川駅までの通行手形を受け取る

ここからいよいよ秘境の地へ
(本線は右奥方向へ)

その秘境にある田子倉駅
右手の階段を上ると国道へ出る
新潟県に入り大白川駅に到着
乗客もほっと一息ムード?
長い長い旅を終え小出駅到着
狭い跨線橋を越え,ホームを後にする


2日目:長野電鉄〜小海線 直江津|10:12→(妙高4)→11:42|長野|11:57→(長野電鉄,普通)→12:23|須坂|12:49→(長野電鉄,普通)→13:26|屋代|13:29→(しなの鉄道,普通)→14:12|小諸|15:08→(普通)→17:27|小淵沢|17:50→(普通)→18:25|上諏訪

 朝,目を覚ますと外は強い風が吹き荒れている。そして雨。おそるおそるネットの交通情報を見てみると・・・「小海線,前日からの雨のため運転見合わせ,復旧の見込み立たず」との情報。嫌な予感的中。

 とりあえず,強い風雨の中を直江津駅まで歩き再度情報を得るが,小海線不通は変わるはずもなく。もっとも,天気は回復に向かっており,信越本線,篠ノ井線,中央本線は無事なので,とりあえず今日の宿泊地である上諏訪までは行けるはずだ。問題は,やっぱり小海線が不通であること(しなの鉄道は,篠ノ井〜小諸で運転中,小諸〜軽井沢が不通)。今日の大きな目的のひとつに小海線のハイブリッド・ディーゼルカー「キハE200」への試乗があったのだが・・・。
 とはいえ,じっとしていても仕方ないので,当初の予定通り普通列車「妙高4」号に乗り込み,長野まで向かうことに。

 この「妙高」号は, 長野新幹線とのアクセスを大きな目的とした列車であり,普通列車にもかかわらず特急型車両(189系)を使用する。したがって,車内も特急そのもので,のんびりと過ごせるのがありがたい(スピードものんびりだが)。
 直江津を出た列車は,高田へと向かい,近隣に北陸新幹線の駅が設置される脇野田駅や貴重なスイッチバックの二本木駅を通りながら南下する。途中うとうとしながら,「あっという間」に長野に到着。

 この時点で天気は回復していたが,小海線は動く気配がない。一方,このまま篠ノ井線経由で上諏訪に向かってしまうと到着があまりにも早すぎて時間をもてあましそう。ということで,長野電鉄屋代線に乗って時間をつぶすことにした。
 長野電鉄長野駅の地下ホームでは,2000系の旧塗装復元車が発車を待っていた。これ幸いと最前部に陣取り,眺めを堪能する。自動車と並んで渡ることでおなじみの村山橋では,掛け替え工事が真っ盛りだった。あっという間に,終点の須坂到着。2000系の雄志を納めようとしたものの,これまたあっという間に車庫に入ってしまった。残念。
 ここからは屋代線に乗る。前年の夏に須坂→松代で乗車したが,今回は全線走破だ。車両はやっぱり非冷房車。窓を開け放って風を取り込む。屋代駅では,跨線橋をしなの鉄道線(旧JR線)と共有するが,やはり格の違いがあるなあ。
 今度はしなの鉄道線に乗り換え。車内では液晶テレビで映像が放映されていたが,トイレは閉鎖されていた・・・。次回以降の教訓となった・・・。

 小諸に到着。小海線へはここで乗換となるが,駅の管理はしなの鉄道で行っているため,小海線の情報は駅前にある「プレハブ小屋?」のJR窓口に問い合わせなくてはならない。 この時点で小海線は動いていないものの,15:00頃には復旧するのではないかとの情報。でも,ハイブリッド車は動かないらしい。若干残念ではあるが,とりあえず小海線が動くのを待つことにしよう。駅前のスーパーで食料を調達し駅に戻ると,いよいよ運転再開の準備ができたとのこと。程なく,乗務員の方々がやってきた。車内に乗り込み,発車を待つ。15:08,小海線運転再開。

 小海線は小淵沢〜小諸(78.9km)を結ぶ高原路線。JR最高所を走る。空はすっきりと晴れており,完全に台風一過の様相。本来であれば,三岡でハイブリッド車とすれ違うはずだ。しかし,残念ながらやってきたのはキハ110系だった。
 歩みを進めるにつれ,線路両脇の木々が倒れた痕や,すさまじい濁流の川など,これまでの不通の理由がわかってきた。これでは,天気が回復しても運転再開までに時間がかかるわけだ。程なく,小海線の拠点である中込に到着。併設する車両基地の中で,キハE200はお休み中だった。
 この先小海までは比較的のどかな風景が続くが,その後は一方的な登り勾配が続き,どんどん山間へと進んでいく。海尻で標高は1000mを超え,信濃川上を過ぎて程なく視界が広がった。沿線にはレタス畑が広がり,まさに高原の雰囲気だ。こうしてJR最高所の駅である野辺山(標高1346m)に到着。この先にあるJR最高標高地点(1375m)を過ぎると,程なく山梨県に入り,今度は一方的な下り坂となる。次の清里は標高1274mで,JRで2番目の標高である。甲斐小泉を過ぎると標高は1000mを切り,列車は大きく方向を変えて小淵沢に到着。大カーブからは,田んぼに彫られた「風林火山」の文字を見ることができた。

 小淵沢から中央本線に乗り換え,今日の宿泊地である上諏訪へ。ホテルの前には片倉館があり,千人風呂に入ろうかと思ったが,面倒になったのでまたの機会に。それはさておき,なんとか今日の行程を終えることができた。ああ,良かった。



各駅停車「妙高」号
リクライニングシートがありがたい

長野電鉄2000系,旧塗装復元車

長野電鉄,屋代駅にて
今回も当然非冷房車

しなの鉄道,小諸駅
ここで小海線の運転再開を待つ
小海線のキャラクターは「やっピーくん」
「やっしー」では無いとのこと
諏訪の片倉館
百人入れる千人風呂


3日目:飯田線 上諏訪|9:20→(普通)→15:54|豊橋|16:15→(普通)→16:47|浜松|17:20→(普通)→18:32|静岡


 飯田線は豊橋〜辰野を結ぶ197.5kmの路線で,駅の数は94にも及ぶ(起終点含む,他に2つの信号場)。平均駅間距離は2kmそこそこで,走ってはすぐ止まるという印象だ。もともと4つの私鉄路線をまとめて国有化したようなもので,雰囲気もどこか私鉄チックである。
 今回は,飯田線をはみ出し,中央本線の上諏訪から豊橋までを一気に結ぶ普通列車544Mに乗車する。所要時間は6:30強。せっかくの機会なので途中下車プランも検討したが,今回は敢えて「乗りっぱなし」で頑張ることにする(一応,くじけたときのための保険はかけておいたが・・・)。

 朝9:00,ホテルを出て上諏訪駅に向かい,3番線に停車中の544Mに乗り込む。車両はJR東海の313系3両編成,転換式クロスシート(前向き椅子)がありがたい。既に車内(特に先頭車両)はそこそこの入りで,明らかに「仲間」と思われる雰囲気の方々もいた。ここから長い長い旅の始まり。
 9:20に上諏訪を発車,中央本線を西に走り,岡谷から旧線に入り辰野へ。ここで早速7分休憩し,いよいよ飯田線に入る。飯田線は全線がJR東海所属で,JR東日本とはしばしのお別れとなる。
 列車は家々の間や田んぼの中を地形に逆らわずに進んでいく。細かい急なアップダウンが多く,川を渡る際にも橋が最短距離となるように迂回しているようにも見える。また,集落ごとに駅があるような感じで,簡素な駅や曲線上にある駅が多い。
 車内には,出発して1時間もたたないうちに大量のアルコールを摂取してしまった同志も。この日は非常に天気が良く,車内も大変のどかな雰囲気で,下の写真にある伊那大島駅(11:35着)まであっという間だったように思える(実際には2時間以上が経過していたと後から確認して,少々びっくり)。

 上諏訪で購入した駅弁を食べ終わった頃,飯田に到着(12:06)。この飯田の前後で線路はΩ型に大きく曲線を描いており,伊那上郷〜下山村では列車に乗るより直接走った方が早いんじゃないか?と思ってしまった人々が果敢にダッシュするらしい有名な区間(究極超人あ〜るをご参考に)。確かに,上記の2駅間は直線距離で2km程度。実際の線路は6.4kmあって,544Mでは17分を要するから,頑張る価値はあるのかも。
 飯田ではかなりの乗客があり車内は混み合ってきたが,車窓は相変わらずのどかで順調に進んでいく。そして天竜峡に到着(12:35),時間的にほぼ行程の半分が終わった。

 ここから車窓は一転,列車は山の中に入り,天竜川沿いのわずかな土地を進んでいく。眼下には天竜川を下る観光船が見えるなど,眺めはなかなかのものだ。川の水は台風の影響が残っているせいか,かなり濁っている。こんな風景がしばらく続いた。平岡(13:11着)で5分の停車。この頃になると車内に空きも出てきて余裕があるせいか,多くの人がホームに降りてひと休憩。明らかに上諏訪・辰野から一緒と思われる人が複数いる。みんな頑張るなあ。

 中井侍で長野県に別れを告げ,一時期有名になった小和田駅(13:31)からは静岡県となる。小和田駅・・・周囲に何もない山の中の駅であるが,住所は「浜松市天竜区」とのこと。恐るべし,平成の大合併。市役所に行くのも大変だ。この先は佐久間ダム建設に伴う新線区間(といっても昭和30年)で,向市場〜城西では最前部にかぶりつき「渡らずの橋(第6水窪川橋梁)」を渡る。中部天竜駅に隣接する「佐久間レールパーク」も気になるが,これは次回のお楽しみにしよう。って,また乗る気なのか?
 浦河駅(14:08着)で5分停車し,特急「伊那路」の交換待ち合わせ。この頃になると,時間の感覚がどうでも良くなってくる。東栄(14:23)からは愛知県。残り1時間半だ。

 愛知県に入っても相変わらず山間を進むが,本長篠(14:53着/15:01発)のあたりから徐々に開けてきた。新城(15:20)で多くの高校生が乗り込み,豊川(15:43)から複線区間に入ると,あっという間に終着の豊橋(15:54着)だ。本長篠からは本当にあっという間で,あっけない幕切れという感じだった。

 この日の宿泊は静岡。とりあえず豊橋から浜松まで立ち通し。疲れたので,浜松で駅そばを食べつつ休憩。再び列車に乗り込み,無事静岡に到着。ホテルは意外と駅から遠かった・・・。



長い長い旅の始まりは上諏訪駅

転換式クロスシートがありがたい

最後尾には(簡易)荷物室も

辰野から飯田線へ
JR東日本ともしばらくのお別れ

青空の伊那大島駅
JR東海のオレンジ色が映える

先はまだまだ長い

お昼頃,飯田駅に到着
平岡駅
5分の停車時間は気分転換に最適
浦河駅
特急「伊那路」
ようやく(あっけなく?)豊橋駅に到着
名鉄パノラマスーパーも見える
三島駅での時間つぶし その1
下り「のぞみ17」号
三島駅での時間つぶし その2
上り 「のぞみ2」号


4日目:お帰り

静岡|8:52→(普通)→9:53|三島|10:54→(普通)→11:08|熱海|11:14→(普通,グリーン車)→12:23|大船|12:38→(快速,グリーン車)→15:02|宇都宮|15:59→(つばさ121)→18:00|山形


 最終日はまっすぐ山形に帰るのみ。普通列車だけを乗り継いでも21:00までには山形へ帰れるのだが,小心者の私は次の日の仕事が気になるため,宇都宮→山形は「つばさ」のお世話になることにした。

 予定より若干早起きしたため,とりあえず横向き椅子に揺られながら三島まで。三島で時間調整と称して,新幹線ホームへ。サクラエビのかき揚天そばを食べた後,通過する上下の「500系のぞみ」を写真に納める。成果はいまいちだったが,早起きした甲斐はあったかな?
 再び在来線ホームに戻り,混み合う列車で丹那トンネルを抜け熱海へ。熱海から宇都宮までの4時間は,750円を奮発してグリーン車のお世話になることにする。普通列車のグリーン車は初めての経験だが,短距離の利用者が多いのにびっくり。みなさん,お金持ちなのね。
 大船からは湘南新宿ラインの宇都宮行きに乗り換え。あとは2時間半乗りっぱなしだ,ということで新宿を過ぎたあたりからついうとうと。気がついたら小山を過ぎていた。やはり,前向き椅子は楽ちんだなあ。

 宇都宮でひと休憩の後,ラストランナーの「つばさ」に乗車。何事もなく山形に到着。お疲れ様でしたと。



傾向と対策

 「只見線,小海線,飯田線」と,乗ってみたかった3路線を堪能できた。一番印象深かったのは只見線。絶対的な列車本数の少なさ,長時間の途中停車,旧式の車両と,なにか緊張感漂う道のりだったからかな?

 4日間,1日1度は前向き椅子に座れる行程を組んだが,その効果はてきめん。停車駅の多さや乗車時間の長さを忘れる快適さ。景色も余裕をもって楽しめるというものです。

 さて,思いの外楽しめた一人旅,今度は中国地方に挑戦してみようかな・・・。




旅の記憶トップに戻る
トップページに戻る