混声合唱曲 炭坑節
 「炭坑節」について團伊玖磨さんが語ってくれたのは「記憶の中の團琢磨」の講演と「團琢磨展」の下準備をした横須賀のお宅だった。 「炭坑節」を踊っている 写真をにこやかな笑顔で見せてくださったのもこの時だった。大牟田市立高取小学校の児童と一緒に踊っているもので、取材で炭都を訪ねた時のものだった。 祖父の琢磨は高い所にのぼるのが得意で、自慢するように孫にもその姿を見せていたという。“煙突が高いので”は好きだったのではないかナとも仰っていた。 「炭坑節」を身近に感じたひと時だった。
 そして開催のお手伝いをした「記憶の中の團琢磨」の講演会(2001年3月20日・大牟田文化会館)を終え、日中文化交流協会 会長として訪問中の中国蘇州で急逝された。 57日後の5月17日だった。講演会の日に團さん自らテープカットして始まった「團琢磨展」(大牟田石炭産業科学館)の開催中の出来事 だった。 同館円形ホールで佐々木洋子さんら大牟田の音楽家による團伊玖磨追悼コンサートが行われたのは6月17日だった。私の知る限りではどこよりも早かった。

 その 佐々木さんが2012年の秋、大牟田混声合唱団のピアノ伴奏をされ、三沢治美編曲の「HANA」を美事に弾かれた。 團伊玖磨記念『筑後川』IN大牟田2014の計画に着手した 時私は「炭坑節」を合唱曲にすることを決め、三沢治美先生に編曲を頼むことを決めた。極々自然な発想から生まれた。佐々木さんたちへの感謝の気持ちもあった。 三沢先生は「HANA」「COLOR」「SORA」編曲3部作で売れ行き絶好調の方で、引き受けてくださるか案じたが快く引き受けてくださった。

 「炭坑節」は「東京音頭」と 共に盆踊りの定番中の定番で、時代は変わっても日本中で知らない人は先ずいないだろう。「うた」を通して大牟田の町を更に広く知ってもらうことにもなるだろう。 團さんが、祖父琢磨と一緒にあの高い空からにこやかな姿で聴いていてくださったら嬉しいことである。
                                         2013年6月6日   團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会代表・中野政則

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