エッセイ日記風

小泉純一郎の病的性格
書棚から見つけた昔読んだ本に面白い話を見つけた。
病的性格を幾つかに分類していて、その中に情性欠如型と言われる病的性格があるという。
『この一群の中で問題になるのは、シュナイダーが情性欠如型と名づけた人々であろう。
人を思いやる惻隠の情、同情心、恥を知る感情、名誉を重んじる廉恥心、臍をかむ思い、あるいは心が痛むなど、様々な度合いの差はあるが、ともあれ自分の行動に人倫的な反省をする心、後悔の心、いわば良心と言ったものの見られない人々を捉えて一類型を立てているのである。

人倫的なもの、道徳律を頭では知っていてもそれを我が心の内に情感する事が出来ない、陰険で、冷酷で、残忍ともいえる行動を平然として行う人々である。

目の前に見る同士の屍にも一片の感情の動きも示す事無く目的に向かって突き進む「鉄の意志の人」も、冷酷残忍な犯行をして悔いる事のない人間も等しく医学的にはこの類型に入れられる。

また、心の動きが軽やかで、活動性の生地を持った人では情熱的とさえ見えることもないではない。一見しては多幸的な、度外れに朗らかで上機嫌と見られるような人でも必ずしも他者に対して同感し、あるいは同情する能力が豊かにあるとはいえないことが少なくない。
朗らかそうに談笑し、活動的な人と見えながら、その内奥には、それに触れるとき何かぞっとさせるような思いをさせる人もいる。これを一種の発揚感情型と情性欠如型の混合型と見る事が出来る。

過敏と鈍感の両極の間に分裂病質の人は配置されるのであり、それぞれの人毎に様々な割合でこの二つの混合が見られる。この分裂病質性格に属するもののうち、比較対象になると思われる冷淡な人についてクレチュマーは次のように述べている。
よく出来る人と言われる果敢な軍人とか官吏に見られるが、危険に対して無感覚であり、他人に対して厳しく冷酷で、その関心の範囲も狭く、限られた事にだけ目を向けていて杓子定規で、面子にこだわる傾向が強い。痛いところを突かれるとすぐにむくれる。
また、思い込んだ事を遂行する為には苛酷な事もいとわない。「全てか、または無か」主義の偏狭な人でもある。人の感情を損なうことに対しても平然としており、冷淡で投げやりであり、ためらいとか疑惑の心などはないと思われるほど徹底した冷たさ、重箱の隅をほじくるような形式を重んじ、面子にたいして敏感であると言うような型も挙げている。


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