恋をすると、人というものは情緒不安定になる生き物である。 妙に気分が高揚したり、臆病になったり、苦しく甘美な胸の内を突然誰かに打ち明けたくなったり。 蜀の若き軍師見習いも例外ではない。 天水の麒麟児などと称される姜維伯約も、やはり人の子。 これといった行動に出ることも出来ず、初めて自覚した恋心に頭を悩ませる日々を送っていた。 片思いをする者、誰もが通る道である。 そして、たいがいは親友であったり同僚であったり、気心の知れている者にその恋の相談したりするものだ。 姜維青年も同様に恋愛相談、というやつをする為に最も近しい人物の元を訪れたのだが。 彼の場合、それが諸葛亮夫妻だというのが間違っている気がする。 「・・・ほぅ姜維が朱雀殿に懸想・・・・」 何が楽しいのか知らないが、ニヤニヤしながら諸葛亮はいつものように羽扇を揺らしている。 「それでどうしたらいいか分からずに、お知恵拝借といった所ですか?」 突然の来客に茶をすすめつつ、ニッコリと月英は微笑む。 ちょっと恥ずかしそうに肩をすくめながら、姜維はコクッと頷いた。 「ぼ、僕こういうの初めてで・・・よく分からないんです」 どうしたら、殿の心を捕えることが出来るでしょうか? 姜維は、師とその妻の方へズイッっと身を乗り出した。 彼の表情は、真剣そのもの。 「ふふふ、そう難しく考えないで。意外とね、簡単なんですよ。恋の罠は」 思いつめたような雰囲気の姜維に、月英は至極のんびりと語る。 「簡単、なんですか?」 彼女の言葉に姜維はキョトンとし、緊張したように固まっていた体からフッと力を抜いた。 「ええ、ねぇ孔明様?」 「そうですよ、姜維。・・・これを使いなさい」 そう言って軍師が出してきたのは・・・。 「・・・・スコップ・・?」 やけにデっカいスコップ。 「さあさあ、これで穴を掘りなさい。深めにですよ」 さあさあ、と言われても。 もっと噛み砕いて説明して欲しい。 「じ、丞相・・・よく理解できません」 甘ったるい恋の相談から、何故こういう泥臭い器具の登場かと、姜維もやや困惑気味である。 「様を手に入れたいのでしょう?やはりここはストレートに捕獲しちゃいましょう!」 ストレートすぎ。 恋の、というか本当に罠? 想い人にではなく侵入者に仕掛けるレベルの様な気がする。 さすがに月英。 血なまぐさい策略が大好き。 恋愛のアドバイスというものから1万光年ほど離れた作戦だと思われるが、そこは他でもない、何でも真に受け屋の姜維。 「なるほど!捕獲!」 瞳に星を飛ばしながら、姜維はキラキラと輝く笑顔満開。 どのへんが「なるほど」に値するのかは謎だが、彼は妙に納得しているようだ。 そういう意味の捕まえ方で、いいのだろうか。 純真すぎるのも考え物である。 「私が若い頃よく使っていたんですよ」 「私を手に入れる為に、ですか?・・・月英は手加減なしですからねぇ・・フフ」 キャッ☆と頬を赤らめる月英と、目を逸らしたくなる程緩んだ微笑の諸葛亮。 いや、怖いって。 会話の表面だけ聞くとほのぼのする感じだが、その内容はこの上なくヘヴィー。 こんな夫婦を心より尊敬してしまう姜維という青年の未来が心配だ。 そして、諸葛亮軍師のマリオネット・姜維はせっせ、せっせと言われたとおり穴を掘る。 額に汗しながら、恋するに想いを馳せて。 でも、掘っているのは彼女を落とす為の穴。 思想と行動が見事にアンバランスだ。 「さてと、こんなものでいいでしょうか。早く完成させないと殿が来てしまいますね」 すでに想い人を呼び出し済みらしい。 もじもじしていたクセに、やるときはやる男だ。動きが早い。 「結構深めに掘ったつもりなんですが・・」 姜維はそう呟いて努力の結果、ポカンと口を開けた穴を覗き込む。 自分の目からはなかなかの出来だと思うが、上から見たのではよくわからない。 「やはり確かめておきましょう」 慎重な姜維、何を思ったかお手製の穴にへイッと飛び込んだ。 スタッ 彼も伊達に将軍やってない。 よろけることも無く、華麗に穴の底へ降り立つ。 「・・・うん!いい感じです!」 どうやら満足のいくものであったらしい。 やや薄暗い穴の中、嬉しそうな姜維の声が反響している。 「さて、出ましょうか」 ・・・・・・・・・・・・・・・・どうやって・・? 「・・・あぁ!!!」 出られるわけなし。 それが目的の落とし穴である。 彼もそのつもりで深く掘ったのではなかったのか? ・・・本当に麒麟児などと呼ばれていたのかどうか、こうなると怪しいもんだ。 そして、姜維は途方にくれる。 ************************** 「姜維さまー?」 白い顔して黒い罠をはる姜維に呼び出された朱雀様は、時間通りにやってきた。 しかし、その彼の姿が見当たらない。 姜維は約束は破るような者ではないし、遅刻してくるタイプでもない。 困ったようにウロウロしていると、昨日までは無かったはずの明らかに怪しい穴を発見した。 「なんだろう・・・ち、地底人・・・?」 ファンタジーなことを考えながら、嬢はおそるおそる穴を覗いてみる。 暗くてハッキリとは確認できないが、穴の奥底に座り込んでいる姜維らしき人物が目に飛び込んできた。 「・・・姜維様!!!」 は慌てて彼の元へと飛び降りる。 「どうしたんですか?!敵の策略ですか?!」 どこの軍がわざわざ敵地にやってきて落とし穴なんぞ掘るか。 他勢力は蜀ほどヒマじゃないのだ。 しかしは完全に混乱中。自分の言っていることもよくわからない状態であるのでやむをえない。 「・・・って・・あれ?」 てっきり気絶でもしているかと思ったが、姜維はスースーと寝息をたてている。 外傷も無く、敵襲なんかではないようだ。 ・・・赤ちゃんみたい もともと童顔でベビーフェイスな姜維が、長いまつげを伏せて眠っている姿は赤子のようにあどけない。 あんまりにも可愛いので、は思わず微笑んでしまった。 「・・・んん?」 「あ、起きました?姜維様」 「・・ッうわァ!!殿??!!」 ようやく目覚めた姜維は、隣にがちょこんと座っているのに気付き、飛び上がるほど驚いた。 というか実際飛び上がった。 そんな大慌ての彼をよそに、はじっと姜維を見つめ、安心したように口を開く。 「良かった。それだけ動けるなら怪我の心配は無用ですね」 「・・・は、はい大丈夫です」 自ら穴に飛び込んだんだから傷など負うわけが無いが、一般的にこの状況から考えればそんな風には想像するまい。 の優しい言葉に照れながら頭をかいていた姜維だったが、何かに気付いたようにピタリと手を止めた。 「殿まで落ちてしまっては脱出方法が・・・ひ、人を呼ばなくては!」 焦ったように立ち上がる姜維に、は慌てて彼の服の裾を引っ張った。 「平気ですよ、この高さなら軽々飛べますから私」 口に手を当てて助けを呼ぼうとしていた姜維は、その言葉に一瞬固まる。 ・・そうだった。 彼女、朱雀だった。 ゆっくり振り向く彼に、「だから大丈夫」というようにウンウン頷く。 穴に監禁状態という最悪な事態は免れたものの、この作戦、最初の段階から失敗。 朱雀の跳躍力をナメていたのか、忘れていたのか。 何時間もかけて掘った落とし穴の意味はまったくもって皆無であった。 修行が足りない、というか根本的にお間抜けさん。 相次ぐ失敗での動揺を隠すように、姜維は服の泥汚れをパンパンと叩き落とした。 「・・・あ、月・・・。ここから真上に見えますねぇ」 は、夜空を真っ直ぐに指差す。 その言葉に誘われるように姜維も空を見上げる。 丸くくり抜かれた星空の中心には、同じように真ん丸い満月が浮かんでいて。 なんだかとても、美しかった。 ・・どうしよう・・ドキドキ、する 自分の計画と全く異なる現在の状況に、姜維はこの上なく戸惑っていた。 当初の予定では、呼び出したをこの落とし穴に嵌め(鬼か!) 困っているところを救いだして彼女の心も一緒に捕えてしまうつもりだったのに。 しかし朱雀の彼女は落とし穴に落ちたところで、自力で脱出できてしまうことが判明した。 その上彼女を罠に嵌めるどころか、先に自分が穴に落ちてしまっている。 そして今、穴の中で二人並んで月を眺めているこの状態。 まさかこんな密室で(いや穴なんだが)2人きりになるなんてことを想定してなかった彼は、もうどうしたらいいか分からない。 どんな一手で攻めればいいのか。 こういう場合は・・・どんな策を? グシャグシャと絵具をぶちまけたような頭の中で、姜維は必死に考える。 とりあえず、自分を気遣ってここへ降りてきてくれた彼女に礼の言葉を述べるべきだろう。 その後、また何か対策を練ることにして。 自分の隣で立つに、姜維は声がうわずるのを抑えつつ声をかけた。 「あの、殿・・・ご迷惑かけてすいませんでした。呼び出したのは僕なのに、こんなことになって」 まず詫びの台詞からはじめ、姜維は続けて感謝の意を表そうとしたが。 はフルフルと首を振って 「いいんですよ、気にしないで下さい」 ・・・それに、 と、彼女は少し恥ずかしそうに声をひそめて、呟いた。 「姜維様の寝顔が見れて、ちょっと嬉しかったです」 ・・・丞相、やっぱり駄目です 到底、敵いません 虚をついて、まっすぐ可愛い言葉を放つに、姜維は降参。 つまらない小細工ばかりに考えをめぐらしていた自分が、急に情けなくなる。 恋には・・彼女には、どんな兵法も策も通じない。 好きになってしまった人というのは、無条件に最強なのだ。 「本当は、この穴・・・僕が掘ったんです。殿を捕まえようと思って」 は一瞬驚いたように目をパチクリとさせたが、すぐに顔を緩ませた。 「うまく・・・いきましたか?」 「・・・逆に僕が、捕まえられちゃいました」 もっとずっと、好きになってしまった。 姜維はの白い手のひらを握った。 壊れ物をあつかうように、そっと。 「一緒に、罠にかかって下さい」 その小さな手が、おずおずと姜維の手を握り返す。 「・・・もうとっくに、かかってます」 狭い穴の中、柔らかな月の光を浴びて2人はエヘヘと笑いあった。 ---ちょうど同じ頃。 「孔明様、つっかまえた!」 「ハハハ、これは油断してました-したーしたー」 少女のようにはしゃいだ様子の月英が、月の光すら届かない深い穴の奥を覗き込んで嬉しそうに笑っている。 姿などまったく見えやしないが、下には諸葛亮がいるらしい。 「姜維殿の話を聞いてたら、懐かしくなって。久々に大掛かりな穴掘ってみたんです!」 「フフフなんだか若い頃を思い出しますね-すねーねェー」 よっぽど深いのか、彼の声に物凄いエコーがかかっている。 「しかし今回はシンプルですね月英ーエイーィー」 いつも大抵彼女の落とし穴には、剣山が敷き詰められていたりサソリが数匹歩いていたりという趣向がこらされていたらしい。 「時間がなかったんですかーかーぁー?」 そう言って諸葛亮が上を向くと、顔に冷たいものを感じた。 ピッチョン。 水だ。 「今回は初心にかえって、基本の水攻めです〜」 ジャバジャバジャバ 月英はそう言いながら大量の水を上から落とし始めた。 「そう来ましたかーかぁーぁー」 「ウフフフ☆そう来ましたよ〜」 ジャバジャバジャバ 恋の甘い囁きと涼やかな水の音。 美しい月の夜の出来事であった。 キリバン15000を踏んで下さった律歌様に捧げます。 |