刀剣SSS

■鳴狐の鈴(鳴狐)
■愛されたい刀と主(清光)
■記憶のない刀と主(骨喰)
■お月様と主(三日月)
■お月様と主2(三日月)
■お月様と主3(三日月)

■目の色が変わる(一期一振)
■近侍のきもち(一期一振)
■とある刀の吐露(長谷部)
■作り物と本物の境界(長谷部)

■石が光るのは(長谷部)


















鳴狐の鈴


 主と顔を合わせたのは、隊へ配属された初日。
 簡単な挨拶と、激励の言葉をかけられて終わった。審神者と呼ばれる主は常に忙しい身だ。彼女がどのような役割を担い、日々なにに心を割いているのか、一振りの打刀には窺い知れぬこと。
 鳴狐はただの刃である。
 主が思うまま望むまま、敵陣を薙ぎ払えばよい。鳴狐は呼吸するのと同じように、与えられた任務をこなした。淡々と。

 演習にも実戦にも馬の世話すらも慣れた頃、本丸にもどった鳴狐の足を、聞き覚えのある声が止めた。
 一度聞いたきりの主の声だ。
 誰か上の者と打ち合わせでもしているのだろうか、少しだけ開いた障子の隙間から漏れ聞こえていた。
 盗み聞きは褒められたことではない。
 聞き耳を立てるつもりはなかったが、その名の通り耳は獣のように優れていて、主の声は出来立ての鈴を放り投げたようによく響く。
 声は狐の耳にするりと入った。

「もう慣れたみたいね、良かった。誰って、鳴狐って子よ。この間来たでしょう、ずいぶんかわいらしい子が。打刀の。鳴狐って少し呼びにくいから、私は鳴って呼んでるの! いいでしょう!」

 細い目が知らず開いた。
 鳴狐が来た頃にはすでに隊の戦力は潤っていた。誉れ高い名刀が大太刀から短刀まで揃っている。今更重宝がられるほどの刀でないことは、卑屈な感情ではなく自覚していた。
 それまで大人しく身を縮めていた肩の狐は、本体を見上げてにやりと笑った。いつもの甲高い声を今に限っては抑えて囁く。

「おやおや、主様はずいぶんとこの鳴狐にご期待をかけておいでだ。これは応えてやらなければなるまいぞ」
 
 鳴狐はそれには答えることはなく、お喋りな自分のもうひとつの口を塞いだ。
 紙切れのような軽い足音を殺して自室に戻る。からころと快い鈴の音が背中でずっと鳴り響いていた。

 それから鳴狐は、次々と戦で誉を重ねるようになった。肩の狐はやんやと称えるが鳴狐は黙して時折頷くだけ。刃先はただ冴えている。

(主の役に立つのは当然のつとめ。鳴狐の、いや鳴は主の刃なのだから)



▲ モドル 






愛されたい刀と主



 戦で身を削り、誉を持ち帰る彼を審神者は褒めそやした。
 色彩で身を飾り、目を楽しませる彼を審神者は健気に思った。
 爪を染めるも敵を屠るも寵愛を得る為、心を傾けてもらう為、愛されたいと全身で訴える清光を、審神者は恨めしく思った。

 愛されたいと願う刀は、決して主を愛してはいない。



▲ モドル



 





記憶のない刀と主

 
 踊る火に炙られて消えた。与えられたのはそれだけだ。記憶と呼ぶにはお粗末な、残りカスしか少年の手には残っていなかった。
 中身のない器は軽く、振れば空虚な音がする。
 人の身を得た他のどの刀よりも作り物めいた心地で、彼は戦地に赴きその刃を振るった。
 骨喰、と呼ぶ声がする。
 親しみを込められても親しみは返せない。温かさを注がれても同じ温度は返せない。
 だがしかし、ともすれば人形と成り下がる刀に、今はその声だけが魂を吹き込んでいる。



▲ モドル









お月様と主




 寝付けない夜、城内を歩いていたら、縁側に月が降りていた。
 空に浮かぶ薄い新月よりも、美しい横顔に思わず息をのむ。月はゆっくりと振り返った。
「おお、主か」
「はい、三日月さんも眠れないんですか」
 三日月は微笑み、優雅に首を振った。
「いや今起きたところだ」


※じじいの朝は早い(三時)




▲ モドル









お月様と主2



「主、そう思いつめた顔をするな」
「三日月さん、でも私ずっと長谷部さんを長谷川さんって」
「誰にでも誤りはあるものだ。かくいう俺も年のせいか物忘れがなハッハッ。まあ茶でも飲め」
「ありがとうございます、お湯です」
「おお、茶葉を忘れていたハッハッ」


※じじいは細かいことなど気にしない



▲ モドル




お月様と主3


 しかし刀剣とは見目の良いおのこばかりだな。
 縁側に腰を下ろしたいにしえの太刀は瞳の月を細めた。
 あなたがそれを言うのか、と審神者は何とも言えず笑った。天下五剣のうちでも最も美しいと称えられるその姿は、名の通り優美で品があり、夜を背負うにふさわしい存在感を持つ。これが隣にあるならば、夜空に月が見えなくとも惜しいとは思うまい。
 その心を読んだかのように、三日月は笑みを主に向けた。
「三日月をそのまま刃にしたようだ、といつか主はそう俺を評してくれたな」
 真意が読めずに曖昧に頷く審神者を、冴えた月が見ている。
「三日月は細い月だが、ほんの一欠けらを晒しているだけで、見たまま欠けているわけではない。真の姿を巧みに目から隠しているわけだな。何が隠れているか、知りたくはないか。主は、覗いてみたくはないか」
「み、三日月さん」
 言葉が途切れる。
 わずかな沈黙のあと、息遣いが空気をゆらした。

「三日月さん、寝るなら寝所で寝てください」


※じじいはちょっと長いと口説いてる途中でも寝る



▲ モドル








目の色が変わる

 
「あ」

 書類の束を預けた瞬間、待ち受けていた手に触れてしまった。それもずいぶんと無遠慮に。書類と主の掌を受けた一期一振は、礼儀を逸することなくゆっくりと自らの手を引いて微笑んだ。

「失礼いたしました」
「うんこちらこそ」

 同じく審神者も他意のない笑みで応じた。
 

 束ねる立場となれば、どうしても文机に向かう事務仕事が多い。書物や地図に巻物の類の整理は近侍である一期一振にほとんど任せている。膨大な紙の束を受け取ったり預けたりを常々繰り返しているせいで、多少手が触れ合うことなど珍しくない。ままあることだ。
 さすが粟田口の長男はよく弁えていて、そつなくスマートに振舞うことを忘れない。
 女性と接する際の紳士的な物腰に、いつも審神者は育ちの良さと品を感じていた。

 その日もまた、主の文机の上は書類で埋め尽くされていた。目を通したものとこれから手を付けるもの、左右に分けてため息を吐いた。右の山に手を伸ばし、傍に控えている近侍を呼ぶ。

「一期、これを」
「はい」

 気が付いた時には手が重なっていた。指先がぶつかる程度はこれまで何度も繰り返したが、お互いの手の感触を知るほどまで深くはない。触れるというよりももっと直接的な、手袋越しではない、直の掌で掌をふたをするかのような。
 あ、と思うだけで声は出さなかった。心臓にそのまま響きそうで、声をあげるのが憚られた。それゆえ審神者は、品の良い彼がいつものように身を引いてくれるのを待った。
 待った。
 待った。
 待ったけれども、審神者を覆う重さは消えない。皮膚に感じる温度は退かない。すぐに聞こえるはずの、紳士然とした「失礼いたしました」はいつまでも耳に届かない。
 審神者はおそるおそる顔を上げた。
 こちらをひたと見つめる、磨かれた琥珀色と目が合った。何を語ることもなく掌を抑え込んだまま、種火のような熱を宿して主を見ていた。殺気こそ孕んではいなかったが、少なくとも彼特有の物柔らかな眼差しではなかった。
 審神者はいよいよ声を出せなくなった。
 けれど言葉の代わりはいくらでもある。審神者が一期一振の常にない目の色に呑まれたように、彼もまた審神者の戸惑いを眼の動きで知ったのだろう、すうっと両目から熱が消え、重なっていた掌も離れていった。

「……失礼いたしました」

 普段よりずいぶんと遅れたものの、発せられたいつもの言葉に、審神者はようやく呼吸をすることができた。
 苦し紛れでもいい、笑ってごまかすタイミングが欲しかった。耳の先まで熱くなってしまったこの時間を、冷ます風が欲しかった。

「ア、いや大丈夫、気にシてナイヨ」

 声をひっくり返しながら、不自然なほど瞬きを繰り返しながら、それでも健気に笑顔をつくろうとした。解放された掌を、扇のように目の前で振る。
 しかしそれは叶わなかった。今度は両手がそれを封じてしまった。

「いえ。気にして頂きたいのです」

 琥珀色はまだ熱を失ってはいなかった。



▲ モドル







近侍のきもち




 近う、と招かれたゆえに歩み寄った。近侍として侍るには心持ち近すぎるような気がしたが、主の手招きのまま、望むままの距離まで一期一振は迫った。首をかしげる思いはあれど、仕えている主人の意思を忠義者は疑うこともない。
 だから、身に降りかかっているこれが一体何であるか、今じっくり考えねばならない。

「主、」
「うん」
「これはどういった」

 戸惑いを含みながら、一期一振は主である審神者を見下ろした。大太刀のような大柄ではない彼から見ても、彼女は遙か小さい。並び立てば目線が違う。
 その低い位置から伸びた手が、一期一振に触れている。撫でている、というべきか。
 労わるような慈しむ手つきで、喉を。
 直に伝わる指の感触がくすぐったく、そして居た堪れない。なにやら不思議な汗が出てくる。

 近侍の秘めたる動揺など知らぬ審神者は整然とした顔でこたえた。喉を撫でる手は止めない。

「働き者に日頃の感謝を込めて、頭を撫でてあげたかったんだけど」

 もともと見上げる形の視線が、さらにぐい、と持ちあがる。

「高くて届かない」

 だから、喉。
 なぜ、喉。
 そう問う前に主は生真面目に手元の冊子に目を落とした。いぬのきもち。

「喉を撫でてもよろこぶ、とこれに」
「主、お言葉ですがそれは犬について書かれた書です」
「あ、あ? 」

 上目づかいが弾かれるように瞬き、喉元から手が退いた。そこでようやく一期一振にまともな呼吸がもたらされた。汗は乾かない。

「ごめん、まずかった?」

 少し慌てた声と手が軍服の裾を控えめに引く。
 一期一振は忠義者である。臣下を思いやっての主の振舞を詰ることはしたくない。しかし正さねばならないこともある。

「まずいというか、あまりふさわしくは」
「一期は嫌だった?」

 正論を遮った審神者の声音は、まるで童子のように含みがない。ただ侍る刀の本意に問いかける。行為は不快であったか、はたまたそれとも。
 一期一振は忠義者である。臣下を思いやる心根のあたたかい主に嘘はつきたくない。喉はくすぐったく、いたたまれなく、そして恐ろしく熱い感触を教えた。

「……いえ」
「じゃあ一期だけにしておく」

 ずいぶんと無邪気にその声は耳に響いた。

「……はい」

 そうして頂けると助かりますな、と喉を押さえながら一期一振はかろうじて返した。)




▲ モドル






とある刀の吐露





 主どうぞお命じ下さい。
 他でもないこの長谷部にお与えください。
 出陣でも遠征でも内番でも、いかような任務でも期待以上の成果をご覧に入れましょう。
 刀に必要なのは、ねぎらいの言葉でも休養でもございません。主がために身を粉にして働き尽くす、その機会。全てを投げ打つと誓う事の出来るお役目。それこそがへし切長谷部を動かし生かす糧でございます。
 それを頂戴できるのであれば、他に何も求めますまい。
 ゆえに主、雨のごとく矢のごとく、間隙なく主命を我が手に。
 惜しまず躊躇わず、この身を使役して下さいませ。
 穏やかな時も、無為な触れ合いも、褒美の玉も刃には不要なもの。
 鋭利に冷たく、温度など通わせずに命じればよいのです。ただ物のように扱えばよいのです。
 どうか、情などかけてくださいますな。どうか、惑う隙も魔がさす暇も与えてくださいますな。自我が目覚める餌など投げ入れてくださいますな。
 得なければ、喪失を知ることはありません。

 もう。
 もう二度と。
 薄紙のような期待すら、抱きたくはないのです。





▲ モドル






作り物と本物の境界




 お恨み申し上げます。
 このはりぼてのような心を尽くして申し上げます。
 人と変わらぬ肉体を与えるならば、魂も人のそれと同じものを下されば良かったものを。よく似た、けれど決して真作になることはない模造品を吹き込んで生きた刀をこしらえるとは、なんたる非道。あまりに酷薄。
 いっそ冷えた刀身にふさわしい、血の通わぬ人形に仕立ててくれたならどれほど安らかであれたことか。
 貴女にはおわかりになりますまい。身の底から湧くこれが、怒りであるか喜びであるか蔑みであるか、区別のつけようもなく従わなくてはならぬ煩悶を。刃を振るうには不要でしかない感情を植え付けられた苦悩を。そしていくら与えられても足ることを知らぬ貪欲を。
 日々身に降りかかる、命を、声を、慈しみを、浅ましく吸い上げて、歪に膨らんでゆくばかり。
 よくもこのような欠陥品を寄越して下さいました。
 頭をたれる度に声なき声で申し上げます。

 主、お恨み申し上げます。
 主、お慕い申し上げます。

 この人真似の心が悲鳴をあげるほどに。




▲ モドル






石が光るのは



 今日本丸を訪ねてきた客は風雅な貴族。細工して装飾にでも使うとよい、と置いて行った手土産が菓子などの類ではないことは箱を開けるまでもなく察した。
 長谷部お前にやろう。菫青石だそうだ。
 放り投げるように与えると、拾い上げた近侍は戸惑いながら主を見上げた。
 お前の目と同じ色だ。お前が持っている方がいい。
 そう言えば、石と同じ色の目が、喜色に染まりながら揺れる。ありがたき幸せと、恭しく懐におさめるのを、主は悦に入るでもなく微笑ましくでもなく、空虚に見つめた。
 その石は光の角度によって色合いを変える。
 時に灰色にも、薄い紫にも。太陽にかざせば青く輝き、人に歩む力と確信を与える。けれど抱く色がひとつではないなら、本来の色を永遠に知ることはできないのではないか。
 他の者には言ってはならないよ。長谷部だけの褒章だ。
 言葉をかければ、ますますその顔は誇らしげなものになった。
 この男は誉を稼ぐ。近侍にすれば身を削るほどに尽くす。その目は主人しか映さないと思われるほど一途に。
 主から賜るものは、長谷部にとってすべてを凌ぐ。職務であっても言葉であっても物であっても信頼であっても。 
 それを身に受けて長谷部の石は光る。
 それがなければ沈黙して闇にとけていく。
 何でもお申し付けください、と完璧な礼をとる刀は忠臣の顔で囁いた。光るために。主命を頼りに身の内から輝くために。
 この石の光は、今この時の輝きなのか、かつて宿していた光を吐き出しているのか。目を合わせても、混じりあう色が泥の砦となって遠ざける。
 長谷部、お前は。
 主は目を伏せ、菫青石に暗幕を下ろした。




▲ モドル