同じ作りとは思えない大きな手に、頼もしさを感じはしても今更恐れはない。
 冗談のような刀身の大太刀を振るい、敵を紙細工のように斬り伏せる豪勇は戦場にのみに咲く花で、鞘に戻せば人の姿を得た従者だ。審神者は使命に生きる刀剣たちの掌に全幅の信頼を託しているし、刃とはかけ離れた体温が息づいていることも知っている。
 だから、遠ざけているのは審神者ではない。

「太郎、手を貸して」

 そう声をかけた時、太郎太刀は従いはしたものの、他に誰ぞ手の空いた者はないかと目線で探していた。
 困惑しているのは百も承知。それを審神者は見逃してやらず、そのまま自室に呼びつけた。彼女の方も誰でもよいから選んだわけではない。

 手を貸す具体的な内容を知って、太郎はその困惑を強めた。力仕事だとでも思っていたのだろう、櫛に簪と香油とおよそ縁のない細々としたものを並べられて、乏しい表情がますます死に絶える。

「昼から客人が来ることになって。髪を結う位はしておかないと」

 あいにく、こういった手合いを得意とする清光や次郎太刀は遠征で留守にしている。脇差や短刀も何人か残っていたが、審神者は太郎を指名した。

「太郎もその長い髪を自分でどうにかしてるんでしょう」

 どうして私を、という顔をしていたので、審神者は尋ねる手間を省いてやった。

「それとも次郎太刀が毎朝?」
「まさか」
「じゃあはい、お願いします」

 手伝いとは言っても、まとめた髪を持ってもらったり見えない角度から簪を入れてもらう程度のことだ。慣れていないせいで不格好だろうが、まあ構うまい。
 香油が残り少なく、瓶を強く振らなければ出てこない。その作業に従事している間、横で棒立ちになっている刀に櫛を通す任務を与えた。

「……太郎」
「は」
「もう少し力をこめてくれても」

 それはそれは乙女のようにか弱く、おっかなびっくりの力加減。そして恐ろしくゆっくりだ。このペースを保っていれば櫛を通し終わる頃には客人は手土産をぶら下げて帰路についている。

「しかし」

 太郎の声と手に迷いが滲む。審神者は首をねじって、自分のものより長い太郎の髪を見た。美しい艶の保たれた濡れ羽色。櫛を通すなど、彼にしてみれば日々の嗜みのひとつだろうに。

「いつも自分がやってるようにしてくれれば」
「できかねます」

 ずいぶんときっぱり言い切られた。

「私の力では主の御身を傷つけかねない」

 自身を詰るような息を吐く。切れ長の瞳を備えた、美しい容貌に影が差した。太郎がまた一歩、忠誠をつくしながらも離れるのを感じた。
 常人では扱えぬとされる力を恐れているのは審神者ではない。身をこしらえる全てが大作りである刀こそが、彼女から一歩二歩と距離をとる。
 
 
 
 さながら鴨居が発泡スチロール製のようだったと、目にした者は皆口をそろえて言う。
 大太刀の太郎太刀。
 彼は、迎えた初日、敷居を跨いだ一歩目に頭突きで破壊した。目を奪われるほど見事に木端微塵に。
 もともと己の身の丈に思うところがあったらしい太郎太刀の、本丸での身の振り方を決定づける出来事となった。
 高身長及び馬鹿力コンプレックスに磨きをかけてしまったのだ。
 同じ身の上の刀剣とは引け目を感じながら付き合えるようだが、生身の人間、しかも女性相手では警戒がとけないのだろう。呼べば答えるし素直に従いはするが、妙に間合いをはかられる。壊れものを預けられた童子のように。
 
「万が一にも御髪をむしりとっては」
「言い方怖い。太郎ほどではないけどそこまでひ弱ではないし平気だよ」
「虫の触覚は驚くほど脆いのです」
「いまなんで虫の話だしてきた」

 脆さを訴えたいのだろうが、唐突な虫扱いはあまり喜べない。髪をすべる櫛は、まだ弱く震える。

「太郎は女性が砂糖か何かでできていると思ってるのかも知れないけど、実際は丈夫な骨と肉だからそう怯えなくてもいい」
「主を鴨居のように粉砕したくないのです」
「そう簡単に粉砕されてたまるか」

 審神者は太郎の手をぐっとつかみ、力を入れてそのまま櫛を通した。するりと落ちる。当たり前だが毛根は無事だ。

「ほら大丈夫。少しずつでいい、ほどよい手加減を覚えていけばいい」

 太郎は返事の代わりにもう一度審神者の髪に櫛をあてた。まださぐるような気配があったものの、先ほどよりは強い感触だった。
 彼の過剰ともいえる怯えは不器用な気遣いと審神者は語らずとも知っていた。その鋭くもある眦の温度は冷ややかに見えて一途なほどであるとも。
 だからこそ審神者は、堅苦しい出迎えを必要としない客人であるにもかかわらず、わざわざ髪を結った。遠巻きにあろうとする大太刀の手を引き寄せるために。
 櫛に髪をひかれながら、審神者はぽつりとこぼした。

「……あまり警戒されて近付いてこないのは寂しい」
「主、」

 バキ。

 背後で櫛が粉砕された音がした。それはまるで発泡スチロールのように。