開け放たれた部屋から見えるのは、一言でいえば幼稚園。もしくは大家族の休日。
 格調高く整えられた風光明媚な庭園の、しっとりとした空気など、今や見る影もない。
 優雅な池も子供たちにかかれば水遊びの的であるし、わびさびを極めた東屋もただの隠れ家でしかない。そして無駄に広い敷地は、やんちゃに駆けまわるのによく適している。 

 いわとおし、いわとおし。

 可愛らしくも幼い声が巨躯の男を取り囲んでいる。体のつくりの差は歴然。みな男の半分もない。その子らを、首といわず腰といわず体中にぶら下げている姿は、小鳥に群がられた大木のようだ。
 大木は揺らぐどころか、顔面を笑みでくしゃくしゃにし、更に小鳥をその大きな手で一羽つかまえた。
 さあ、次につかまりたいのはどいつからかな!
 男の大声に合わせて足元の小鳥たちがワッと飛び立った。鬼ごっこの始まりだ。
 悲鳴というにはあまりに楽しげな歓声が本丸中に響き渡った。


 本来なら今頃、もみくちゃにされているのは岩融ではなく審神者だった。
 午後から庭で遊びましょう、という約束を小さな指と交わしたのは、昨夜のこと。休む間もなく遠征に訓練にと精を出していた短刀たちと過ごし、彼らを労うはずだった。が、昼餉が終わった瞬間に持ち込まれた仕事が、それに水を差してくれたのだ。
 さして急ぎの案件でもない。明日ではいけないのか、と突っぱねることもできた。しかし審神者の職務は全て刀剣たちの行動に、ひいては命を守ることに繋がる。結局彼女は審神者という立場を重んじ、短刀達に頭を下げて詫びる方を選んだ。
 幼い顔が落胆に染まらなかったのは、その場に近侍として仕えていた岩融のおかげだ。
 
 彼は快活に笑った。 
 うむ、ならば俺が代わりをつとめよう、と。
 短刀の遊び相手に、これほど適した人材もそういない。
 多くの場合、人は己が持たないものに惹かれるという。人の括りで数えるべきかわからないが、薙刀の化身である岩融もまた、見上げるでは追いつかないその図体に反して、小さきものをよく愛していた。
 そんな岩融であればこそ、彼らもよく懐いている。きっと寂しい思いをはさむ暇もないほど、はしゃいでくたくたになるまで楽しく過ごすことができるだろう。
 ゆびきりげんまん、とたどたどしく歌った自分の声と、巻き付いた丸みを帯びた指を思い出す。針を千本、飲まなければなるまい。

 
「岩融、ありがとう。よろしく頼む」

 短刀達の元に向かおうとする岩融の背中に、筆先を墨に吸わせながら審神者はそう声をかけた。振り向いた彼は、審神者を束の間見つめたあとぼそりと告げた。

「主はまこと真面目な性だな」
 
 反射的に「すまない」と謝ってしまったのは、責められた気がしたからだ。押し付けてしまったことの後ろめたさか、約束と職務を天秤にかけてことに対してか。
 岩融は一度瞬きをして「ああ、そうではない」と口にした。そして彼女の髪を一度ぐしゃりと撫で、そのまま部屋を出て行った。


 庭を駆け回る朗らかな声は日暮れまで続いた。それは衣擦れと息遣いしか存在しない執務室まで届き、静けさを遠ざけた。
 ようやく審神者が筆を置いて、凝り固まった背を伸ばす頃、岩融が部屋に入って来た。背負った夕陽がより彼を大きく見せている。
 勝手知ったるという動作で岩融は審神者の横にどすんとあぐらをかいた。

「主、今もどったぞ」
「お疲れ様。ずいぶんと賑やかだったな」
「あれだけ騒げば声も響こう。やかましかったか?」
「いや安心した。あの分なら気も晴れただろう」
「ああ皆喜んでいた。俺も楽しかったぞ! ちいさき者の相手はやはりよいものだな! こういう仕事ならいつでも引き受けようぞ!」
 
 大きな子供のような物言いに、審神者はつい目を細めた。彼の威勢は雨雲を穿つようにいつも頼もしく快い。

 最初から岩融はこの通りだった。刀鍛冶と審神者の念によって工房に現れた彼は開口一番小さいを連呼し、審神者が困惑するほどの高笑いで本丸を揺らした。
 あなたが大きすぎるだけで、と抗議しても、彼は俺から見れば小粒も小粒よ、うっかり踏みつぶしてしまうわ、と何が楽しいのか相好を崩すばかりだった。
 以来、近侍として傍に置いているのは、力仕事など単純に腕力を頼っているところもあるが、静寂がしみつきかねない部屋に風を求めたせいだ。目に慣れた風景に、健やかな日差しを望んだせいだ。
 彼の一声は朝日よりも賑やかで眩しい。
 時に審神者を襲う孤独な夜の時間も、出口のない煩悶も、薙刀の一振りが払い落してくれる。

「助かった。あの子達をがっかりさせてしまうところだった」
「今剣が、次は主様も、と」
 
 豪快だった音は少しだけ囁くように柔らかくなった。審神者はわずか目を伏せて頷く。あの約束は反故になったのではなく刀達の温情によって先延ばしされたのだと気づいた。

「主、仕事は片付いたか?」
「いま終わった」

 そうか、と岩融はニカッと歯を見せて笑い、立ち上がった。机に向かう格好になっていた審神者に手を伸ばし、まるで持ち上げるようにして立たせた。

「い、岩融?」
「短刀らの息抜きは済んだ」
 
 岩融は軽々と持ち上げて、鋭利な瞳を光らせた。見下ろし、見上げるお互いの顔が同じ高さで見える。

「次は主の番ぞ」

 手に手をとって駆け回り、おやつを分け合い、普段よりも長い時間を過ごすことは、幼い刀たちにとってのみならず審神者にとってもまた慰めだった。ひとときの安らぎだった。励みでもあった。
 一人で書物と照らし合わせ、淡々と筆を動かす時間は冷たく寂しい。けれどお役目であるならば仕方のないこと。己を律するのが義務の一つと思っていたから。
 ぐしゃりと先ほど髪を撫でた大きな手が審神者を更に高く持ち上げる。先ほどまでそれは庭先で繰り広げられていた光景だった。視界は遥か高く、けれど恐ろしさは微塵もない。持ち上げている刀の顔は戦人とはかけ離れていた。

「さあ何をして遊ぼうかのう。主はかけっこは得意か? 隠れ鬼も良いが、主はちいさいゆえ、見えなくなってしまっては俺が難儀するな」

 岩融はがははと笑ってから、審神者を丁重な手つきで畳に戻した。瞬きを繰り返して見上げる彼女に、短刀を脅かしつけていた時のように両手を広げて凄む。

「さあ早くしないとつかまえてしまうぞ!」

 ぎざぎざと尖った、まるで怖くない鬼の歯がよく見える。
 審神者は鬼の言う通り地面を蹴って、そのまま鬼の胸に飛び込んだ。