畳には正座だ。それは正しかろう。 しかし足腰も同意してくれるかはまた別のお話だ。 文机に向かって約三時間。長い間体重を支え同じ態勢で辛酸をなめ、黙って耐えるほど健気ではない。 溜めに溜めた戦績をまとめ上げた頃には、審神者の足は感覚を失っていた。 もともと畳張りの部屋で暮らすことに慣れていない。本丸に刀達の主として就く前は、椅子に腰を掛ける暮らしを送って来た。つまり、正座は彼女の体に馴染んでいない。 これまでは度々休憩を挟んで、悲鳴を上げる前に開放していたが、今日は期日が迫っていたゆえに息をつく暇もなかった。 いま動けば命はない。 審神者は確信していた。立ち上がれば、死が待ち受けているだろうと。 足が痺れている時には、それを誰にも気取られてはいけないし、信用してもならない。 悟られたが最後、相手は目を輝かせてこちらの急所をつき、無様に転がされるのである。 過去すでに、鶴丸や鯰尾で経験済みだ。散々な目にあわされ、刀解が脳裏をかすめたのはここだけの話。 過ちを反芻した審神者は、努めて涼しい顔で姿勢を保っていた。 「主」 「ヒョッ」 正面から呼びかけられて、わずかだが体が軋んだ。今は少しの震えも大地震となって足の先に伝わる。頭の先まで走る電流を根性でこらえて、審神者は面を上げた。額には汗。 春の日差しを思わせる穏やかな顔が見えた。 「い、一期、いたの」 「はい、ずっとお傍におりましたが」 「そ、そうかずっといたか」 いたのだった。 一期一振は近侍としては控えめではあるが、忍びのように気配が感じられないわけでもない。没頭していた審神者が存在を忘れていただけのことだ。 「終えるまで声をかけるなと」 「そうだったっけ、うん、そうだったね」 作業を終えたことを察した一期が、滑らかに立ち上がる。おそらくは同じ時間同じ姿勢であったろうに、彼の動作には綻びひとつない。刀と人の差か、それとも育ちの差か、推しはかるほどの余裕は今の審神者にはない。 「お済みでしたら片付けて参ります」 近付く近侍に、緊張が走る。 一期一振は優等生だ。主をいたぶるような真似をするはずはないとわかっていても、家臣の刀に泣かされた過去が楔となって冷や汗の量を増やす。ちなみに鶴丸も鯰尾もへし切・シュメイ・ト・アラバ・長谷部の手によって庭先に吊るされた。 「主、いかがなされました」 多くの弟を持つ兄ゆえか、何も言わずともよく気が回るのが彼の美点の一つだ。今はその美点が、逆の効果をもたらしている。 一期は気づかわしげに目を曇らせた。 「顔色が優れないようにお見受けしますが」 「ファンデを変えたので」 「白粉を」 「そうです」 今日はノーメイク。 しかし事実であろうと虚偽であろうと審神者にとってはどうでも良いことだ。案じる眼差しを避けて、ゆっくりと審神者は目をそらした。もうそこだけ成仏したように足の存在感がない。 「失礼」 机越しだった近侍は音もなく回り込み、すぐに横の距離まで迫った。その目はいつもの優しいだけの色ではない。 「これでも戦場を知る身。そう簡単に欺けると思わぬことです」 礼を欠く振る舞いを好まない太刀が不躾な行動に出るのは、主の身を案じているからに他ならない。それは充分に承知している。伸びた手が額に触れるのも、熱の有無を確かめるに過ぎないのだとわかっている。 が、それでも急に近付かれると、反射的に身構える。思わず体が引いてしまう。 そして悲劇は起こる。 「ア゛」 「あ?」 身を襲う衝撃は声にもならず、呼吸を最後に審神者は前へと倒れ込んだ。無論、倒れ込んだ先は、引き金を引いた一期一振の胸の中。 受け止められた刹那、ひゅっ、と息をのむような音が審神者の耳に触れたが、彼女は手ひどく拷問を受けているさなかである。考えが及ぶわけもない。 「あ、あ、ああああ主?」 本来の落ち着いた声音が、スクラッチをかけたように慌てふためいて刻まれている。しかし審神者の足首より下もまた、見えない力によって刻まれている。 ごめん、と。 足が、と。 この醜態を晒すに至った理由を述べねばならないのに、それができない。さすが三時間積み重ねた痺れは格が違う。声どころか、酸素の確保で手いっぱいだ。 審神者はまともに喋ることもままならず、抗う思いを手に込めて、抱き留めている近侍の腕を強く握った。 「……主」 うつむき耐える審神者の頭上に低い吐息が落ちる。DJが操るスクラッチのきいたそれではなく、普段耳にする穏やかなそれでもなく、いやに熱っぽい温度の音だった。 空気が、よからぬ方に、向いている。 ワンテンポ遅れて気が付いてしまった審神者は、恐る恐るそうっと顔を持ち上げた。 けれど審神者は、足のしびれとの交戦で自分の目が絶妙に潤んでいることまでは気が付いていなかった。 視線がぶつかって間もなく、空色の髪に縁どられた高貴な美貌がこちらに近付く。 「主、私も主をお慕、」 放り出されていた足の指がくにゃりと曲がった。 絹を480枚くらい裂いた悲鳴が、審神者の喉から吐き出された。 ※長谷部につるされそうになったのを審神者フィーチャリング粟田口が泣いて止めた |