跡部にとってテニス部の部室とは、部活の空間というより取調室なのかも知れない。










 続 ・ ラ ブ ア ン テ ナ 
〜 もういっそのこと圏外でいい 〜











 「なんで昨日電話出なかったんだてめぇ」

 なにしろ、ドアを開けた途端これである。 

 (うおぅ…やっぱ怒ってる) 

 開口一番お叱りの言葉を食らったは一瞬ひるんだものの、実は薄々こうなることを予期していた。
 昨日の夜に跡部から着信があったのだが、たまたま出かけており電話に出られなかったのである。
 やべー絶対怒られるよ……とは思ったが、その履歴に気付いたのは深夜と呼べるような時間帯だったので、はかけ直すことを控えたのだった。
 本来ならば朝一で怒鳴られていたところであるが、今朝は幸運にも全校集会というものがあった為に免れることが出来た。
 朝っぱらから跡部の執拗な尋問に神経をすり減らしたくなどない。
 にとっては「ありがたや、校内行事」といったところである。
 しかし苛立ちの発散を後回しにされた跡部にしてみれば「恨めしや、校内行事」であろう。

 「俺からの電話をシカトとはいい根性だな…アーン…?」

 1日中不機嫌のまま過ごし周囲の生徒を脅かしていた(迷惑)跡部に、ウォーミングアップは要らない。
 この放課後まで助走していた彼は、もうエンジン全開である。 

 「いやぁ、そういうわけではなく……昨日は家族で回転寿司行ってまして……」
 「別にどこで回転してようと知ったこっちゃねーんだよ。なんで出なかったんだって聞いてんだよ」
 「い、家に置き忘れてたんです」
 「てめぇ……っ…携帯電話の意味知らねーのか!?携帯する電話だから携帯電話なんだよ!!」

 説明されてしまった。
 
 「意義を無視した使い方すんな!いいか、それは携帯だ!携帯してナンボのもんなんだ!コードレスの子機じゃねぇ!」   
 
 要約すると、持ち歩けこの野郎ということである。
 口を挟むヒマを与えぬほど勢いで喋り倒した跡部は、肩で息を切らした。
 溜めに溜めた1日の分のイライラを一気に爆発させて、少々疲れてしまったらしい。
 
 「す、すんません」

 色々と異議を唱えたい部分はあるものの、跡部の勢いに押されたは素直に謝った。
 
 「夜遅くに電話するのも迷惑だし、メールしようかと思ったんですけど…まだ使い方に不安があったもので…」

 嘘である。
 眠かったのである。
 ピコピコ打つのが、面倒くさかったのである。
 でもそんなこと、口が裂けても言えない。
 だが取ってつけたようなその言い訳は、意外にも跡部の心をくすぐった。

 「仕方ねぇな。もう一回だけ送り方教えてやる。もう忘れんじゃねーぞ」

 フン、と偉そうに腕を組んでみたものの、口の端が上がっている。
 怒りやすいが、宥めやすくもある。

 「で、あの、跡部先輩。昨日はどういう用事の電話だったんですか?」

 電話に出なかったのだから、それこそメールで送ってくればいいようなものである。
 そう思って、は特に深い意味もなく尋ねたのだが。
 
 「そっ、それはお前っ……
その…………も……もう、覚えてねーよ、忘れた」

 跡部は思いっきり動揺したあと、の視線から逃げるようにそっぽを向いた。 
 その横顔は僅かに歪んでおり、不機嫌の一歩手前である。
 跡部の態度は明らかに不自然だったが、はそれ以上何も聞かなかった。
 わざわざ荒れる前の雲をつついて嵐を呼ぶ必要もない。

 
    
 
 だが。

 (……声が聞きたかったんやろな……)
 (……声が聞きたかったわけか……)
 (……・声が聞きたかったんですね……)
 (……声が聞きたかったんだろうな……)

 周りからはそんな生暖かいまなざしが注がれていた。
 あまりにわかりやすいリアクション王の思惑など他のレギュラー陣にはモロバレである。
 知らぬは当人ばかりなり。
 
 「と、とにかく、これからは出かけるときもちゃんと持ち歩くようにしますんで」

 殊勝そうにがそう言うと、話が逸れた事に安堵したのかいつもの跡部が復活した。

 「当たり前だ。次はねぇぞ」

 別になくても困らない。
  
 「必ず電話出ろよ。すぐ出ろ。即出ろ。3コール以内に出ろ」
 「3コール!?」 

 しかもさりげなく新たな法律が追加されてしまった。
 校則以上に厳しい、跡部則に支配されつつあるの日常。
 まさに俺がルールブックだ状態。
 しかし、そんなにも味方は存在する。 

 「それじゃがかわいそうー。電話に出れない時って結構あるじゃん!」

 跡部の俺様バリアをものともしない空気を読まない(読む気がない)男・ジローは、氷帝の数少ない勇者のひとりである。
 (しかし時に、その勇者が戦火を広げる場合も多々ある)

 「電話に出れない時ってなんだよ、いくら俺だって授業中にかけたりはしねぇよ。つうかジローてめぇ、って呼ぶなって言ってんだろうが」   
 「学校じゃなくてさぁ、ほら、えーと寝てるときとか」(跡部の後の方の台詞は完全スルー)
 「そりゃお前じゃねぇか」
 「あとは、うーん、あ、お風呂の時」   
 
 人差し指をピン!と立てたジローは、元気よくを振り返る。

 「ね!お風呂の時は無理だよね?お風呂じゃ聞こえないしね?!お風呂好き!?どこから洗う人ー?」
  
 同意を求めてるはずが、いつのまにか逸れている。
 しかもそのオッサンのような質問はどうしたことだ、芥川慈郎。
 
 「俺は膝の裏からや」
 「聞いてねぇよ」

 要らない情報を得てしまい、宍戸はものすごく損をした気になった。
 もうどうでもいいから彼は早くテニスがしたい。 
 
 「俺はねぇ、首から!」
 「あ、私も首から洗います」

 ジローにニコニコ微笑まれ、はついつい素で答えてしまう。
 無邪気な笑顔は本当に可愛らしいが、その有無を言わさぬ雰囲気に底知れぬものを感じなくもない。
 そんなことより携帯の話はどうなったんだとが思った矢先、跡部が口を開いた。

 「ふ、風呂の場合は……30分以内にかけ直せば許してやる」
 「お前なんで顔赤らめとんねん」 

 珍しく寛大な跡部の処置の裏には、色々と青少年らしい事情が渦巻いているのである。

 「あーはい!まだ電話に出れない状況がありました」

 が思いついたように手を挙げた。 
 
 「言ってみろ」

 さっきまで赤面してたくせに大層偉そうである。

 「えーと、電車」
 「それは降りたらかけ直せ」
 「あと病院とか。電源切らないとならないし」
 「病院だぁ?!」

 驚いたように、跡部が大げさに繰り返した。
 そして、なにやら1人納得したように頷く。
  
 「ははぁ……アレか…改造した足のメンテナンスにでも行くのか?」
 「ははぁ……じゃないですよ。まだ言いますかそれを」

 未だ疑われているの足。
 科学のメスが入っているという前提で話をするのはやめて欲しい。

 「お見舞いとかじゃないですか?」
 「ああそうやな、の家族誰か入院しとるん?」
 「いえ、みんな健康ですが」
 「人間ドックとかじゃねーの?」
 「まだ受けるには早すぎませんか、それ」

 部員達の予想を全て否定したに、跡部は険しく眉をひそめた。
 
 「わかんねーなー、じゃあお前一体病院に何の用があるんだよ」
 
「一応私も人間ですからね。風邪くらい引きますよね」

 失礼甚だしい連中である。
 人を超合金か何かだと思っているのか。
 病院くらい行かせてくれ。
 の密かな憤りに対して、跡部は「チッしょうがねぇ奴だな」と不満顔を浮かべた。
 舌打ちしたいのはこちらの方である。
 
 「よし、じゃあ病院の場合は…」 

 一瞬考え込むように天井を見上げた跡部は、すぐにへと視線を戻した。  
 
 「行く前に俺に連絡しろ」
 「え?」
 「で、病院から出たらまた電話で知らせろ」
 「え?!」
 「その時に、病状とか薬何日分出されたとかも報告しろ」
 「ええー!!?」
 
 何を言い出すのかこの男。 
 次々と発せられる跡部条例に、もうは驚きの声を上げるしかなかった。
 
 「えー、じゃねぇよ。ホウレンソウだホウレンソウ。報告連絡相談だ」

 そんなベテラン上司みたいな台詞、中3男子の口から聞きたくない。 
 大体、報告連絡はまだいいとして、相談って一体何を相談しろと。

 「跡部お前、その口煩さはほとんどオカンやぞ!」
 「そーだぜ跡部。あんまり干渉しすぎると、子供ってのは鬱陶しがるように出来てんだよ」
 「心配する気持ちはわかりますけど、ここはひとつ娘を信用して」

 何を言い出すのかこの部員達も。
 浴びせられる(誤った)野次に黙っているわけもなく、跡部はこらえきれないように立ち上がった。

 「馬っ鹿てめぇら!!親が心配して何が悪いんだよ!!」

 
そこを否定かよ。
 跡部による突っ込みポイントの思わぬズレに、も驚愕である。
 もっと先に気にとめねばならない部分があったと思うのだが。
 しかし、妙なスイッチが入ってしまった跡部の見当違いな主張は止まらない。  

 「親ってのはよ……親ってのは、ウザいくらいの愛情で接するのが役目ってもんだろうが」

 そうだろ?!と机を割れんばかりにたたき付けた。 

 「子供は飢えてんだよ、ぬくもりってやつに……!」

 苦しそうに眉間に皺を寄せ、跡部は絞り出すような声で呟いた。
 完全に、酔っている。
 もう誰か止めてやれよ、といった感じのご乱心部長だが、周囲は止めるどころかガガーンと衝撃を受けたように突っ立っていた。 

 「「……っ跡部……!」」
 「……部長……!」  
 
 3名は声を震わせ、感極まったように跡部の名を口走った。
 おのおの肩を小刻みに揺らし、目には涙。 


 
 
え?なに?


 これ感動するところ?



 一体どのへんに心を打たれたのか判断に苦しむ。
 部長と部員達が一体感に酔いしれているところ申し訳ないが、何ひとつの心には響いてこなかった。
 つーか、頭おかしいんじゃないかとか正直思う。

 「ど、どうしたらいいですかこれ……ねえ宍戸せんぱ…」
 
 すっかり置いてきぼりを食ったは唯一正常な判断が出来る宍戸に助けを求め振り返ったが。

 「ぬくもり、か……」
 
 
(え――――!?)

 宍戸までもが涙ぐんでいた。
 
 あれですか。
 熱い男・宍戸としてはこれ系の話には涙もろいんですか。
 頼れる味方まで雰囲気に取り込まれてしまい、いよいよは一人ぼっちである。
 (ジローは疲れたのか、とっくにソファの上で眠っていた)
 取り残された寂しさと、でも絶対にあちらの世界には染まりたくないという意地が絡み合う複雑な心境の中、どうしてこの場に日吉がいないのかとは思った。
 奴ならばきっと、このしょうもない場の空気を冷徹に一蹴してくれただろうに。
 こんな時に限って法事で休んでいる日吉を勝手に恨みながら、目の前の馬鹿馬鹿しい盛り上がりを見つめるばかりである。

 「厳しいのも、口やかましいのも、みぃんなお前を思ってのことや……わかるやろ…?」
 「全然わかんないです。意味わかんないです」

 諭すように語りかける忍足が薄気味悪い。

 「、ウチは放任主義なんてもんは存在しねぇからな。ビシビシいくぞ」  
 「いやちょっと、ウチってなんなんですか。一体どこの家庭の話ですか。いくってどこ行く気ですか」
 
 いまや、部室内はヒューマンドラマのような嘘クサイ温かさに満ちており、との体温差は広がるばかり。
 それにしても、どうして跡部はの親でもなんでもないという基本的かつ一番重要な部分を誰も突っ込まないのか。 
 
 「門限は6時だからな」
 「っ早!!って昨日、部活7時までやってましたよね?」
 「俺と一緒のときは別にいい」
 「……」

 携帯というアイテムを手に入れたと思ったら、芋づる式になぜか暑苦しい保護者までついてきてしまった。
 返品したい。
 こんなお母さんいらない。
 しかもの本物の親より過保護で、実に迷惑だ。

 結局、インチキ家族愛に酔った部員達はその日1日目を覚ますことなく「親心というものはな、」とにえんえんと説き続けた。
 携帯なんかやっぱりもらわなければ良かった、と今更ながらは激しく後悔するのであった。

 明日はいいことありますように。