ラ ブ ア ン テ ナ 〜 ただいま「愛」受信中 〜















 「おい、電話番号登録してやるから教えろ」

 いつものように部室にて運転手へ迎えの時間を告げた跡部は、通話終了後も携帯を閉じようとせず液晶画面に視線を落としたままでそう言った。

 …ングッ」

 ジローにもらったベビースターラーメンをバリバリかじっていたは慌てて口の動きを止め、無理やり飲み込んだ。
 噛み砕いてない麺が喉に刺さって、けっこう痛い。
 詰まりそうな胸元をドンドンと叩き鳴らし、はペットボトルの水を口に含む。
   
 「ゲふっ……お、教えてませんでしたっけ?」

 知らねぇ、と面白くなさそうな跡部の口ぶり。
 知らなければ知らない方が的には助かるのだが、ここで拒否できるような恵まれた立場ではないことぐらい重々承知している。

 「そうですか、じゃあ……03-○△22−5×○3です」 
   
 渋々ながらも番号を伝えただったが、跡部は眉間に皺を寄せる。  

 「誰が自宅の電話聞いてんだよ。フツーいま電話っつたら携帯だろうが。とっとと言え。アドレスもな」
 「あー…携帯の」

 は納得したような顔で頷いた後、手の平をヒラヒラと振って見せた。   

 「それは無理です」

 その返答を聞くや否や、跡部は弾ける様に顔を上げる。
 眼力全開。
 明らかに機嫌を損ねた。   

 「俺には教えたくありませんってか……?お前いつからそんなに偉くなりあそばしたんでらっしゃるんだ、オイ」
 「え?ちょっ…違っ…」

 ユラリと椅子から立ち上がった跡部の姿を見て大いに慌てたは、すかさず防御の構えをとった。

 「教えたくないんじゃなくて、教えられないんですって!番号自体ないんですから!」
 「あ?」  
 「わたし持ってないんです、携帯」 

 停止ボタンを押されたように跡部の動きはピタリと止まり、危険回避のため頭部を守ったを固まった表情で見下ろした。
   
 「………・持ってない?」  

 必死の形相で頷くを前にしばらく無言で立ち尽くしていたが、やがて怒りとも驚愕ともつかない表情が跡部の顔全体に広がってゆく。
   
 「い……いまどき携帯ひとつ持ってないとは……一体何人だてめぇ!!」 
 「なっ……ッ日本人ですよ!現代人ですよ!

 物凄く失礼な言い草にキレかけたは身を守ることも忘れ、跡部に食って掛かった。
   
 「携帯はなんだかんだで金がかかるし、まだ中学生だからって買ってもらえないんです!」
 「金がかかるったって、馬鹿みたいに使わなきゃせいぜいひと月5、6万だろ?」

 それ、もう充分馬鹿みたいな域に達していますが。

 「1ヶ月5、6万の出費を”せいぜい”で片付けちゃうようなおたくの経済事情と一緒にせんで下さい!!」

 まったく一体どんだけ運転手に電話してんだ、とは心で舌打ちをかました。
 (跡部が誰かと仲良く長電話してるとはとても考えられない様子)

 「まさか、この俺の周りにこんなのがいるとはな……」

 跡部は力が抜けたように、無造作に置かれたパイプ椅子へと腰を下ろした。
 いちいち無礼である。
 『こんなの』を『俺の周り』に置いたのは他でもない自分ではないか。
 なんで携帯がないだけで、ここまで言われなきゃならないのかと神に問いたい。 

 「別にいいじゃないですか。携帯持ってなくたって」        

 そう口を尖らせるに、頬杖をついた跡部は一瞥をくれた。
  
 「よくねぇだろ。なんか急に思いついたときに、呼び出せないじゃねぇかよ」
 「お願いですから思いつかないで下さい」

 申し立てたられたささやかな苦情も聞こえてるのか聞こえていないのか跡部は黙ったまま、しばし何かを考え込んでいた。
 そして、思い当たったように口を開く。

 「携帯がないとすると……さっき言った自宅の電話番号は、お前専用回線かなにかか?」
 「……庶民の暮らしというものをもう少し理解してもらえませんか、跡部先輩」
   
 いい加減、富豪ぶりを見せつけるのは勘弁して欲しい。
 『この人もうやだ』と心でそっと嘆いただったが、跡部による真のリッチマン攻撃が炸裂するのはこの後のことである。  
    






 翌日の放課後、跡部はオレンジ色の紙袋を下げて部室に姿を現した。
 挨拶する部員達には目もくれずツカツカまっすぐ奥へと突き進み、眺めていた雑誌から顔を上げたの目の前に、それを押し付ける。

 「おら」

 いきなり何の説明もなく顔の真ん前に紙袋を突きつけられたは呆気にとられ、跡部の顔をただ見上げた。   

 「……へ」

 跡部から贈り物をされるような心当たりなどには何一つない。
 頭の中で今日の日付を確認してみたが、特にめでたいこともなく、当然の誕生日でもなかった。  
 たとえ誕生日であっても跡部からプレゼントを渡されれば、同じように目が点になるとは思うが。      
   
 「早いとこ受け取れよ。いつまで持たせておく気だ」

 周囲から向けられた好奇の目や「ねーねー何それ?お菓子?」とまとわりつくジローなどを完全に無視し跡部はもう一度ポカンと自分を見上げたままのに紙袋を突きつけた。

 「あ、はい」

 なんのことやらさっぱり、という状況に変わりはなかったが、このままボケッとしていると確実に怒られそうなのではとりあえず差し出された袋を受け取ることにした。  

 鮮やかな橙色の中を覗くと、袋にぴったりと収まっている箱がひとつ。
 その箱を開けて出てきたのは、長いコードやコンセント、何かの充電器…そして。

 「こ、これ携帯じゃないですか!!」 

 真新しいプラスティックのツヤを放った、折りたたみ式の携帯電話。    
   
 「コレいっちばん新しいヤツーっ!!いいなーっ!!」

 中身が自分の望んでいたもの(菓子)でなかったので、つまらなそうにの横でしゃがみ込んでいたジローだが箱から出てきた携帯を見た瞬間に目を輝かせて飛びついてきた。

 「これねぇ、ナビとかついてるんだよ!」
 「ナビ!?」
 「繋いだらテレビでも映像とか写真とか見れんのやで」
 「テレビ!?」
 「カメラも確か200万画素とか300万画素とかのはずですよね」
 「ガソ!?」

 (ガソってなんだ?)

 次々と立て続けに与えられる最新機種の機能情報に
ノリで驚いてみたものの、さほど詳しくないは何がどこまですごいのか微妙についていけてない。 
 やれ動画がどうだとかだとか、着うたがどうしただとかと部員達が勝手に盛り上がるなか、はひとりハッと我に返った。     
    
 「て、ていうか……跡部先輩、どうしたんですかこれ?!」
 「どうしたも何も。お前にやるって言ってんだよ」

 腕を組んだままの跡部は、そう憮然と答える。

 「やると言われても……」         
   
 は携帯を握り締めたまま困惑した。
 忍足の話では、このタイプは発売したばかりで新規申し込みでも2〜3万は軽くいう機種なんだそうだ。
 そんな高価なもの、おいそれと受け取るわけにいはいかない。

 「携帯って買うときもそれなりに高価ですけど、月々の支払いが更に大変だから」

 親が承諾してくれるとは思えないし、自分で払っていける自信もない。
 が貰っている小遣いなど、たかが知れている。
 そういうわけで無理です貰えません、と手の中の携帯を跡部へ返そうとしたが。

 「別に問題ねぇ。俺が全部払う」
 「いっ?いやいやちょっと、そういうわけには!」   

 月々の支払いを肩代わり、などまるで愛人みたいではないか。
 しかも俺が払うというより、俺の親が払うというのが正しい。
 跡部家の財力はも知るところではあるが、いくらなんでもそれはまずいと思う。
 全身から「お断りします!」という空気を放ちまくるに、跡部の目元が鋭くなった。
 ヒエッと思わずは身を引きたくなったが、なんとか気圧されぬように背筋に力をこめる。
 険しい表情のまま跡部は椅子を引っ張り寄せ、の前にドカッと座った。

 「構わないって言ってんだろ。これは俺が俺の都合の為に買ったんだ。お前の意思はそこにない」
 「な、ないんすか?!」
 「あるわけねぇだろ。これは命令だ」
   
 相手はご主人様である。
 命令と言われてしまうと、これ以上逆らえない。   
 というか、これ以上怒らせるのは危険だ。

 「は、はい……ではありがたく頂戴致します」 
   
 弱ったなぁと思いながらも、は高機能満載の最新機種に心惹かれ今まで閉じたままにしておいた携帯を開いてみた。
 なんだかんだ言っても、初めての携帯デビュー。
 やはり色々といじってみたいのである。

 ……パチン

 だが、すぐには画面を閉じた。
 疲れ目が生み出した錯覚かと思い、目薬を浴びるほどぶっかけた後もう一度開いて見る。
 しかし何度開け閉めしようが、現れる映像に変わりはなかった。
   



 
鮮やかな液晶画面上で、不敵な笑みを浮かべるカメラ目線の跡部景吾
 



 は体全体の力が抜けていくのを感じた。

 「……先輩……これ、待ち受けの画面……」
 「俺からのサービスだ」

   
 なに考えてんだこの人   


 どうだ、と言わんばかりに跡部はパイプ椅子の限界までふんぞり返っている。
 そこまで堂々とされては反論する気にもならない。

 「…うわぁー…ありがとうございます」    
   
 地を這うようなテンションの低さで、はただただ画面を見つめた。

 ガソが300万だとかいう高性能カメラの記念すべき一枚目があなたの笑顔ですか。

 しかも他人が持つことになる携帯の待ち受けにそれを設定するのだから恐れ入る。
 こんな心躍らない待ち受け画面は嫌だ。
 「待ち受け」というより、「待ち伏せ」に近い殺伐さが漂っている。
 開くたびこの顔とご対面とは、始終見張られているようでなんとも息苦しい。  
 今まで様々なサービスと名のつくものを受けてきたが、これほど嬉しくないサービスと出合ったのは初めてである。
   
 「おい跡部、これガイドみたいなのついてへんの?」

 紙袋の中身を探っていた忍足(勝手になにしてんだ)のその台詞に、脱力していたも思わず顔を上げた。
 そういえば、箱からたくさんの付属品が出てきたが説明書の類は一切入っていなかった。
 支給されたものの、これでは使いようがない。
   
 「説明書は俺が預かってる」
 「なんでやねん。それじゃ、使い方わからんやん」
 「わからなくていいんだよ」

 そう言った跡部は、ジロリとへ視線を投げつけてきた。      
    
 「変に詳しくなったら着信拒否とか余計な設定しそうだもんな、お前」
 「そ…そんな、滅相もない」
      
 とは口では言いながらも、
「そんな便利な機能があるのか」と抜け目なく記憶に刻み込む
 ホントにやったら本気パンチで殴られそうだが、覚えておいて損はない。
  
 「あの、でもですね、基本操作くらい知らなきゃ使えないと思うんですよ」

 心に芽生えたミジンコほどのささやかな反抗心を悟られぬよう、はなるべく控えめな態度で跡部に意見を差し出した。
 もちろん他人様の懐で使用させて頂くこの立場で、ネットやダウンロードなどを楽しむつもりなどにはサラサラない。   
 だが手の中の文明の利器は思ったよりもずっと多機能で、番号のボタン以外にも矢印キーがあったりメールボタンがあったりと、あてずっぽで使うには限界がある。
 既に携帯を所有している友人達でさえ機種交換した後はすぐに使いこなせないとこぼしていた。
 操作に慣れている彼女達でさえそうなのだから、まるっきり携帯初心者のなど手引書なしでは完全にもうお手上げである。
 だからどうか説明書下さい、とがお願いしてみたところ、何が知りたいんだよ、と王様は怖い顔を更に歪めて答えた。
   
 「えーと、電話の受け方かけ方はまあ分かるんですけど、他は全部…」
 「それじゃメールの使い方はあとで教えてやる。最初はそれで充分だろ?初めて携帯持つ奴がそんな機能あっても使いこなせるワケねーんだよ」
    
 だったらそんな最先端モデルを買ってくるなよ、と言いたいところだが立場上には何の発言権もない。

 「はぁい…」

 仕方なく一旦は覇気のない返事を返しただったが、その後「あ、」と思い出したように短く声を上げ、再び跡部の顔を見た。
   
 「そういえば、アドレス帳の登録の仕方も聞いときたいんですけど」

 メモリ機能あっての携帯である。
 はパカリと新品のそれを開き、跡部の言葉を待っていた。
 だが、跡部の口から飛び出したのは予想外の台詞だった。

 「もう使うことないから教えても無駄じゃねぇか」
 「は?」

 思わずは点目になった。
 そんな彼女の様子など構わずに跡部は続ける。  

 「俺の番号とアドレスはそれに入ってるって言ってんだよ。だからもう必要ねぇだろ?アーン?」

 久方ぶりに聞いたアーン?をちょっと懐かしく思いながらも(もう半ば蝕まれてる)は真っ白になった頭を必死に稼動させた。

 えーと……それはつまり……?
      
 「俺以外との通話を認めない、と言いてぇんだろうな」
 「……やっぱり、そういうことですよね」
   
 は憂いを含んだ声でそう呟きながら、代わりに答えてくれた傍らの宍戸を見上げた。
 彼の目に浮かぶ深い同情の色が『お前も大変だよな』と雄弁に語っている。

 「あ、間違っても他の奴に電話番号なんか教えんなよ」
 「そ、それもだめですか」
 「駄目に決まってんだろ」
      
 せっかく世界と繋がる可能性無限大のアイテムを手に入れたのに、繋がる相手がただ1人というこの手狭さ。
 跡部様との結びつきが一層強まること請け合いである。
 あまりのやるせなさに、溜息を通り越してエクトプラズムが出そうだ。
   
 「電話かけて跡部、かかってくるのも跡部……いつでも相手は跡部限定ちゅうことか」
   
 項垂れ、力なくソファに腰掛けているの傍に寄ってきた忍足は、するりと携帯を取り上げた。


 「要するにこれ、長い糸電話やん
   

 はいっそう深く項垂れた。