放課後のテニス部部室。 窓から差し込むゆるやかな日差しを浴びながら、は1人静かに開かれたテキストとにらめっこをしていた。 苦手とする英語の羅列に悪戦苦闘の中、ガチャリと無遠慮に部室の扉が開く。 呼 称 に お け る 考 察 お よ び そ の 見 解 〜 彼 の 場 合 〜 「お、なんや今日は早いな」 「てっきり俺らが一番乗りかと思ってたのによー」 やいやい言いながら、賑やかに入ってきたのは忍足と岳人である。 部員でもなんでもないが、誰よりも早く部室に到着しているのもおかしな話だがもう今更、そんなことを気に留める者はいない。 日々確実に、テニス部部室内・日常風景の中への存在が組み込まれつつある。 もちろん本人の意思とは無関係だ。 「先輩たちこそ、ずいぶん早いですね」 はシャープペンをくるくる指で回した。 机の上のノートは、白いままである。 さきほど教科書を開いたばかりのはずだが、早くも挫折したらしい。 「そやろ、今日はまっすぐ来たんや……って、怖!回転速すぎや!!」 扇風機並みの速さでの指の上を回るシャープを、忍足は取り上げる。 なにもかも速いなお前、などと言いながら、忍足も負けじと回し始めた。 だが、気の毒なほどぎこちない。 見ていられない。 「で、は何してんだよ」 カバンをロッカーに押し込んだ岳人は、開きっぱなしのノートやら教科書を覗き込んだ。 「ちょっと予習を」 「なに?予習?なんつー勉強熱心な奴や。このマジメっ子、魔女ッ子!」 「(魔女ッ子?)いや、熱心ていうか明日あたるんです」 結局一度も回すことに成功しなかった忍足はシャープを返した。 早々に見切りをつけたようだ(諦め早い) 「どら、英語か?見してみい」 忍足は教科書を手に取り、メガネをかけ直す。 あのレンズには度が入っていないとのことだが、かけ直す意味はあるのだろうか。 「走れメロスの英文か」 「それの30ページから32ページまで、日本語訳するんですけど」 英語苦手なんですよ、とは肩をすくめる。 以前の中間テストの成績も、予想通りさんさんたる有様だった。 「よしよし、可愛い後輩の為や。俺が訳したる」 「え、やったー!忍足先輩いい人!」 「そうやろそうやろ。俺は優しいんやで。ただのメガネやないで?」 今から読み上げるからノート取りや、と言って、忍足は走れメロスを訳し始めた。 「えーと…メロスはただ走った」 カリカリカリ 忍足の訳文を、は書き取る。 「走って走って、身もちぎれんばかりに走り続けた。」 カリカリカリ 「メロスは、困難に負けそうな自分を必死で励ました。メロスよ、今一番大切なものはなんや?お前を信じて待つ、友の命やろ?そして正直に生きることや!」 カリカリ…カリ 読んでいるうちに物語に入り込んでしまったのか、忍足の朗読は徐々にヒートアップしてきた。 「体、ホンマもうしんどいわ。そやけど、あの王に見せつけてやるっちゅうねん。何よりも大事なことは互いを信じることやっちゅうことを!」 カリ…カリ 「メロス走れ、走るんやメロスゥ――――!!」 絶 叫 。 カリ・……ポキリ のシャープの芯が、力なく折れた。 手伝ってもらっといて、文句をいうのもどうかとは思うが。 無理やり関西弁で訳すのはやめろ 「侑士じゃなく跡部に聞けば良かったのによ…」 こうなることを予想していたのか、途中で書き写すことを断念したの肩をたたきつつ、岳人は同情をこめた声でそう呟いた。 「そんなことが出来るなら、とっくにそうしてますよ」 は大きく溜息をついた。 この程度のレベルの問題で、あのご主人様にすがろうものなら 『こんなものもわからねぇのか?お前の頭には脳の代わりにそば殻でも詰まってんのか?』 などと暴言を吐かれつつ、頭をこづかれるに違いない。 「いやまぁ、確かにあの跡部が素直に応じてくれるとは思えないけどな」 だが、他でもないに泣きつかれたならば、口で散々罵りつつも頼られたことに気をよくして、結局は(緩んだ顔をぶらさげて)教えるんだろうなと岳人は思った。 本人の耳にでも入っては厄介なので、口には出さないけれども。 「ん、跡部といえば」 大いに盛り上がって満足気な忍足は、英語テキストをパシンと閉じる。 「今日はまだ来てないんか?」 今更ながら部長の姿がないことに気付いた。 「あ、跡部先輩は生徒会の方に」 そう言いながらが書きかけのノートから顔を上げると、忍足のメガネの奥がキラリと光る。 「ふ〜ん、なんや跡部おらんのか」 ニヤニヤ笑いながら、忍足は椅子を引っ張り出しての脇へと座り込んだ。 「そんなら急いで部活の支度することもないわ。もうちょっとここでに遊んでもらおうや」 「おい侑士、それヤバいぜ!」 「大丈夫やって。跡部に見つからんかったらええやん!なぁ?」 異常なまでに慌てふためく岳人と、カラカラと笑い飛ばす忍足。 2人が何のことを言っているのかにはさっぱり分からない。 部員たちが部室でサボるのはよくあることだし、岳人だっていつもダラダラ雑誌を開いていたりする。 なんだかんだいって、部活開始の定刻になればみんなちゃんと練習をはじめるのだしそんなことでは跡部は目くじらをたてるまい。 が不可解そうな顔をしているのに気付いた忍足は、椅子ごとのほうに座りなおした。 「…なんや。もしかして知らんのかいな?」 知ってるも知らないも。 今の会話で何を判断すればいいのか。 は黙って首を傾げる。 「ブッ、あいつ本人には黙ってるんか。アホやな。ええわ、こっそり教えたる」 楽しくて仕方がないというような、輝いた笑顔の忍足。 岳人が後ろでヤべエってやめとけって!と騒いでいるが、完全に無視である。 「あいつ跡部なぁ、を捕まえたあの後、テニス部のレギュラー呼び出して変な条例発令したんや」 「変な条例?」 ※ 忍 足 の 脳 内 再 現 V T R ※ 『なんやねん跡部、こんな休み時間に部室に集合さして』(忍足) 『今日呼び出したのはほかでもない。先日俺の付き人になったの件についてだ』(跡部) 『あー俺らが必死になって捕まえたあの子ね、俺らが』 (岳人) 『(無視)今後、このテニス部部室に出入りするようになると思うが…』(跡部) 『出入りするが了承しろってことか?』(宍戸) 『そんなわけねーだろ。なんでお前らの許可とらなきゃなんねーんだよ。最後まで聞けコラ』(跡部) 『じゃあ何なんですか?』(長太郎) 『あれを呼ぶ際は全員””で統一だ。苗字で呼べ。それ以外は不可だ』(跡部) 『は…?なにそれ?』(岳人) 『お前、こないだって下の名前で呼んでなかったか?』(宍戸) 『俺はいいんだよ俺は』(跡部) 『俺は仲良く、って呼びたーい!』(ジロー) 『部のマネージャーはなってもらうのはもう諦めたけど、呼び方くらいは別にこっちの勝手やろ』(忍足) 『俺は今までものことは苗字で呼んでましたから問題はありませんが…どう呼ぼうが個人の自由なんじゃないんですか?』(日吉) 『うるせーな……所有権のある俺は「」と呼んでも何ら問題ねぇが、その他は別だ。お前らはウチの母親に対してオフクロと呼ぶか?呼ばねーだろ?それと同じだ』(跡部) 説得力があるような ないような!! 『分かったな?以上だ、解散!!』(跡部退場) ※ V T R 終 了 ※ 「…つうワケや!俺らがいつもて呼んでるのは上からの命令やねん!」 語り終えた忍足は耐え切れない、とでもいうように声をあげて笑い出した。 「おかしいやろ、下らんやろ!爆笑やろ!!!」 「お、忍足せんぱ……」 「ガキ並の独占欲や!お子さまランチや!アホや!!」 「侑士笑い過ぎだって!!メガネずれてるって!!」 何かが弾けてしまったのか、ネジを巻きすぎた人形のように、腹を抱えて笑い続ける忍足。 日頃溜めに溜めている鬱憤を、こういう形で晴らしているのだろうか。 「自分だけが名前呼び捨てにしたいだけやん!器の小さい奴やであの泣きボクロ!」 「先輩、あの、」 「ん?なんやなんや?そんな青ざめてどうしたんや?」 「う、後ろ……」 「へ?」 鼻の下までメガネがずれている忍足の背後には、いつから居たのか腕を組んだ跡部が立っていた。 「器の小さい泣きボクロってのは、誰のことだ?」 忍足、そのまま硬直。 振り返ることも出来ずに、毛穴から汗を噴出させている。 あわわわわわわ……・!! そうして、と岳人の目の前で、忍足はお星様になった。 「お前ら……今なにか聞いたか?」 テンカウントを取るまでもなく忍足をマットに沈めた跡部は、低い低ーい声で2人を振り返った。 「聞いたか?」と質問しているというより「忘れろ」という脅しにしか感じられない。 「えっ?い、いや俺達なんにも聞いてねえよなあ?」 「きっ聞いてません聞いてません。暑さでヤられた忍足先輩が世迷い事を口走っていただけです」 この荒ぶる神には逆らってはいけない。 と岳人は必死で首を振り、メガネとは無関係であることを猛アピール。 生贄は、彼の逆鱗に触れてしまった忍足1人を捧げれば充分だ。 「よし」 跡部は絶対服従の精神をみせた2人の態度に納得したらしく、腕を組んだままソファへと腰を下ろした。 しかし、その表情はかなりの不機嫌レベルである。 刻まれた眉間のシワが、異常に深い。 十円玉が差し込めそうだ。 (忍足先輩…アンタなんてことしてくれたんですか……!!) 小動物なら死んでしまうような、王様の怒りと苛立ちが充満した雰囲気の悪い部室で2人はもう居たたまれなくなっていた。 息が詰まりそうである。 とにかくなんでもいいから、これ以上状況が悪化することなくこの時間が早く過ぎますように……とと岳人が心から祈ったそのとき。 「おっはよー!今日は遅れずにちゃんと来ちゃった!」 能天気なテンションとともに、開かれた扉。 「えらくない?俺えらくない??ねぇ、!!」 ((ギャ――――!!))←と岳人、心の絶叫。 今、この場で最もやってはいけない行為に及んだ芥川慈郎。 先日部長から申し渡された規則など、彼はすっかり忘れている。 いや、最初から人の話など聞いちゃあいない男だった。 「ジロー……てめぇ」 2人の願いもむなしく、再び燃え上がった王の怒りを前に『平和』という二文字は幻のように消えてゆく。 殺伐とした室内の空気などまったく感じないジローは、ウキウキとに走り寄っていった。 「部活始まる前に目が覚めるなんて珍Cー!今日授業中、ぐっすり寝たからかな?いつもだけど!そーだ、俺夢見たんだよ!が出てきたの!!夢でも跡部にいじめられてたよ!かわいそう!でも大丈夫!俺が跡部を退治しておいたからね!これで安心!自由!」 と岳人は、もう怖くて跡部を見ることが出来ない。 「ねー!なんで無視するのー!?」 「え?だだだだ、誰のことですか?って?私はメロスと申します」 「なに言ってんの?ってばー!!」 「…ジロー……歯ァくいしばれ」 「ワァ!カイザーナックルはやめて下さい跡部先輩!つーかなんで持ってんですかそんなもん!!」 「もうやめろお前ら!たまには平穏に過ごさせてくれよ!」(岳人半泣き) そんなこんなで、テニス部内の混乱はおさまるどころか激しさを増し。 すぐ後にやってきた腕に覚えのある日吉が、自慢の古武術で跡部に挑んだり(テニスで挑めよ!)その乱闘によって吹っ飛んでいったホワイトボードが遅れて到着した宍戸・鳳コンビに直撃したり、それを見た通りすがりの一般生徒が警察に通報しようとしたりして、あわや新聞沙汰になるところであった。 肝心のテニスの腕はどうか知らないが、氷帝テニス部レギュラー陣の格闘レベルは確実に日々進歩してゆく。 翌日、英語の授業で開いたのノートには、関西弁の訳文と数滴の血痕が残されており、いつまでも憂鬱な気分にしてくれるのであった。 ひと夏の思い出……である。 いらん。 |