それはいつもは平和な(そうか?)テニス部を、見事なまでに切り裂いた。 冬 の イ ナ ズ マ 「うーさぶいさぶい」 唇が隠れるほどマフラーをぐるぐる巻いたはトナカイのように鼻を赤くし、暖房のよく効いた部室へ転がるような勢いで扉を開けた。 寒がりでいつも重装備な彼女を迎え入れる室内には、季節を無視した薄着の体育会系が溢れている。 運動神経が優れていると体温すら調節できるもんなのかと思いながらも、は半袖レギュラー陣に軽く挨拶し、そのままストーブへ近付いてゆく。 暖房のすぐそばというこの部室で二番目にあたる特等席(一番は跡部のマッサージ椅子)にが座ったのを横目で確認した忍足は、結んでいたシューズの紐を放り出して振り向いた。 「なぁ、今日はな」 「あ、日吉。誕生日おめでと」 忍足が声をかけた瞬間、たまたま奥のロッカーから戻ってきた日吉を目にしたは「おはよう」とでもいうように、ごく自然にそう告げた。 が部室にいたことすら知らなかった日吉は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに「ああ」と彼にしては珍しい和らいだ声で答えた。 お誕生日おめでとう ありがとう どうってことないやり取りとはいえ、これは大変心温まるコミュニケーションである。 しかし、その時部室を覆いつくしたのはそんな穏やかな空気ではなく、外の北風のような凍てつく気候・ブリザードであった。 「っなんでやねんんんん!」 さっきまで窓際にいたはずの忍足が渾身の突っ込み台詞を吐きながら、華麗なるジャンピングでの目の前まで降り立った。 ほどけたままの靴紐がとても気になる。 うっかり踏んづけてこっちへスッ転んで来られても迷惑だ。 「今、俺が『今日は日吉の誕生日なんやで』教えるとこやったんよ?」 「はぁ、それはどうもご親切に」 忍足は興奮すると相手の両肩を力強く掴んでくる。 当然いまもその状態、現在進行形である。 「教えでもせな、きっといつものように知らんやろ思うてたんや」 そう言うと忍足はガクッと糸が切れたように顔を伏せる。 「思うてたのに…」 そのまま蚊の泣くような声で呟いたかと思えばプルプルと震えだし、次の瞬間、忍足はメガネもずれる勢いで顔を上げた。 「なんでお前日吉の誕生日だけ覚えてんねーん!!」 天に届くかのような絶叫をかました忍足。 ミュージカル俳優もびっくり、オペラ座の怪人もびっくり。 怖い男である。 だがもっと恐ろしい存在が彼の背後にそびえたっていた。 「てめぇ…俺様の誕生日だってギリギリまで知らなかったっていうのに、こりゃあどういうことだ?」 いつもより俺様の声は低かった。 ホクロもピクピクしている気がする。 「いや、どういうことだと言われても……ねぇ?」 目の前を巨塔のように塞ぐメガネとホクロの微妙なデュオ。 その威圧感に気圧されたの同意を求めるような声に、隣に突っ立っていた日吉は歯切れの悪い感じで頷いた。 「と俺は、一年の時同じクラスでしたから」 「同じクラスだったくらいで、こいつが覚えてるとは思えねぇ」 の記憶力というものを全く信じていない跡部は、親の敵でも見るような目つきで日吉を睨み飛ばす。 だが、手はしっかりとのほっぺたをつねっていた。 割と痛い。 「ひ、ひよひの…たんびょうひは…」 「あ?」 口が微妙に引っ張られている状態では何を言ってるのかわからないので、跡部はの頬から渋々手を離す。 「で、なんだって?」 跡部は解放されたに頬をさする暇も与えず、続きを話せと促した。 「だから、深い意味はないんですって。日吉の誕生日は割と覚えやすかったんで、たまたま記憶に残ってたんですよ」 「どこが覚えやすいねんん!」 再び、怒れる忍足神の降臨である。 「長太郎みたくバレンタインデーと同じとかならわかるわ。せやけど12月5日やろ?なんもないやん!ゴロ合わせしたって、せいぜいイツゴや!五つ子や!お前が思いっきり忘れてた跡部なんてテンフォーの日やぞ!」 「てっめぇ忍足!思いっきり忘れてたとか言うんじゃねーよ!」 彼にとってはなかなかの古傷らしい。 怒りにまかせ、そのへんにあった雑誌の角で忍足の後頭部を攻撃した跡部だったが、アドレナリンが出まくっているメガネには残念ながらあまり効き目がない。 「あれやで?俺の誕生日なんて10月15日でイワイゴや!祝い子忍足君!俺の方がよっぽど覚えやすいやないか!」 それはむしろ覚えにくい。 「オレ鯉のぼりの日ー!」(多分子供の日と言いたいのだと思われる) 「俺、俺!9/12だからな!912でクイニーだからな!クイニーアマンって覚えろよ!」 「じゃあ宍戸さんは929でクニクですね!さん、宍戸さんは苦肉の策って覚えてあげてください!」 「そんな悲壮な語呂合わせで覚えられても嬉しくねーよ!」 どうしてこの部活はこういう一致団結が得意なのだろうか。 誕生日の猛烈な売り込みによって飛んでくるツバをなんとか避けながら、は必死でストップをかけた。 「ちょっ、頼むからちょっと待って…!」 気付けば全員の顔が近い。 頭から食われそうな危機感を覚えたは、どうどうと部員をなだめるように両手で距離をとった。 「あのですね、別に私、語呂合わせで覚えてたわけじゃないですから」 「じゃあ何だよ」 「もっとこう、印象に残る……それこそジロー先輩とか鳳君みたいにその日自体に意味があるような」 「…なんかあったか?12/5?」 「バミューダ・トライアングルの日ですよ」 そんなマニアックな日知るか!!!! 「えーと、1945年にフロリダ・バミューダ・プエルトリコの3点を結ぶ海域で」 「説明はいい!」 「アメリカ軍機が突如行方不明に…」(日吉) 「いいっつってんだろ!お前まで詳しいのかよ!」 断りもなくいきなり続きを語りだした日吉にキれる跡部。 忍足に至っては自分の誕生日が大西洋海域以下だったことにショックを受け、暖房の前で丸くなっている。 こんなことでそこまでいじけないで欲しい。 そもそも、誕生日を忘れていた方面でのお叱りは致し方ないとしても、なぜ覚えていたことに対してこんなに責められるのだろうか。 跡部と忍足のBDでの件で、どうもこの部は「付き合って一年目の女」ぐらいに誕生日に重みを置いているらしいということを学習したは今度はしくじらないようにしようと細心の注意をはらった結果、この有様である。 一体どうしろというのか。 「ねー、それで日吉にプレゼントは?」 「あっ、そうでしたそうでした」 おめでとうの祝辞ひとつでこの騒ぎだっので、すっかり贈り物の存在を忘れていた。 は鞄の横に置いた紙袋から、薄っぺらい大きな箱を取り出す。 一瞬、部室に緊張が走った。 箱入りのプレゼント……!!! なにその丁寧な扱い?! 包装紙と違ってあれは箱代とられるんだぞ?! お前いつラッピングなんて高等技術覚えたんだよ!?(※箱入りなだけで別に綺麗に包まれてはいない) 背後に充満する部員達の心の声に気付く様子もないは呑気に日吉の前でその箱をあけて見せた。 「はい日吉、誕生日おめでとさん」 箱の中身を見せられた日吉は、盛大に驚いていた。 しかし、それはお世辞にも歓喜に満ちた表情とは呼べるものではなく、いきなり不可解なもの出くわしたような怪訝な顔だった。 明らかにコメントに詰まっている日吉は、あまり味のしないものを食べさせられたリポーターのように非常に微妙な面持ちでしばし黙りこくった後、やがて何かを吹っ切るように大きく頷いて箱に手を伸ばした。 「…ありがたく貰っておく」 「あれ、一個だけでいいの?」 「充分だ」 「じゃ、残りは…ひぃふぅみぃ、ああ、間に合う間に合う」 箱の中を覗き込んでブツブツと呟いた後、は「はいこれ、ジロー先輩の分」とそばでちょろちょろしていたジローに何かを手渡す。 そして箱を抱えたままのはぼんやり事態を見守っていた集団へと近付き、主従関係かはたまた役職順か、一番最初に跡部へそれを献上した。 されるがまま静かに受け取った跡部は、手の中にある存在をたっぷりと見つめ、 「……雷おこし?」 疑問系で力なく呟いた。 「きのう浅草行ってきたんです」 箱の中には4つ分のスペースを開けて、浅草かみなりおこしがずらりと並んでた。 ちなみに3つではなく4つ分開いているのは、昼休みにが自分で一個食べたからである。 「全員分ありますんで、お一つずつどうぞ」 「マジー?じゃ、オレこの緑の貰おうっと」 「じゃあ俺は…あ、この白いのを」 「どうせなら人形焼の方が良かったんやけどな」 「ああ、うん、人形焼もおいしかったですよ。昨日食べちゃったんでもうないですけど」 「買ったんか!そして食い終ったんか!お前にとって浅草ってなんやねん!日吉の誕生日ってなんやねん!そしてお前にとって俺ってなんやねん!」 人形焼のご相伴に預かれなかった忍足は、雷おこしをガリガリ食いながら(結局食ってる)によくわからない方向性の説教を始めた。 今日の忍足は興奮してばかりである。 そんなやり取りを眺めつつ、これは誕生日プレゼントというか旅土産のおすそ分けにすぎないのではないだろうか、と複雑な心境で貰った菓子の封を切る日吉。 一方、間に合わせでロウソク(しかも校内調達)渡されるよりはよっぽどマシじゃねぇかよこの野郎、とかなり低レベルな嫉妬心を燃やしながら雷おこしを噛み砕く下克上跡部。 そして周囲が雷おこしをかじる音を聞きながら、なんでこんな時に俺だけいつもこうなんだよ、と固いものが食えない虫歯治療真っ最中の宍戸。 素晴らしく不協和音気味な祝福の音が鳴り響く、めでたい日吉の誕生日であった。 日吉おめでとうおめでとう。 イナズマ=雷おこし。 |