・・・ 愛 の 手 を ど う ぞ ・・・










 「いやーさっきヤバかった…一瞬夢見てた」
 「またか…アンタ、いっつも英語寝てない?」
 「いやぁ、でも鼻ちょうちんは避けられたよ」
 「なにを誇らしげに語ってんだ」
 「ダメなもんはダメなんだ…体が受け付けないんだ」

 ひたすら睡魔と闘わねばならない授業、毎度当たっては砕ける定期試験、油断すれば飛び出す提出課題。
 学び舎は困難渦巻く厳しいダンジョンである。
 全知全能の神・跡部ならば話は別だが、駆け出し勇者レベルのが高等呪文を唱えられるわけもなく、全力戦闘・体力ギリギリという勝負を強いられるのが常であった。
 その上魔界(テニス部)にも遠征せねばならないという大いなる使命を課せられている彼女には、精神的疲労という名の強力闇魔法が襲い掛かる。
 この分だと氷帝内ダメージ受けランキング1位に輝くのは、間違いなくその人であろう。
 だがRPGの世界に宿屋があるように、この学校の中でも傷ついた戦士をそっと癒すやすらぎのひと時が存在する。

 「ま、とにかく昼にしよう昼!」  
 
 昼休みである。
 正確に言えば、昼ごはんである。
 巷で金持ち学校と囁かれる氷帝内には学食と呼ぶのも申し訳ないリッチなお食事処(厨房には学食のおばさんではなくシェフがいる)や行列が出来そうなパンを売る購買など、やけにランチ関係が充実していた。
 お昼時には、そういう中学生とは思えない腹立たしいほど優雅な食事風景が繰り広げられるわけである。
 もちろんこの不景気を舐めきったようなゴージャスな食事ばかりではなく、自宅から弁当を持参する生徒も多い。
 当然庶民であるも、そんな生徒の1人であった。
 豪華なおかずは期待できないが、母の愛がこもったお弁当はささやかな幸せを与えてくれる。
 しかし、母親という人種は時にとんでもない行動を起こし子供の度肝を抜く、最も身近で最も危険なデストロイヤーだったりする。
 
 「あ、そのパン美味そうー」
 「なにせ新発売のカレーコロッケパン限定20個の味ですんで……ッうま!!ころもがサクサク!!」
 「ちくしょーいい匂いさせやがって……!いいもんねー私には愛情こもった手作り弁当が…」
  
 芳醇なパンの色つやと香辛料のスパイシーな香りを横目に、は鞄から弁当袋を取り出す。
 だがゴロンと転がり出てきたのは、彼女の想像を超えたものだった。

 「……ザル?」

 ザルである。
 まぎれもなくザルである。
 家庭の台所でよく見かける、水切り用品である。
 ちなみに小型の金属製である。
 
 「ザ、ザル!?なにザル持ってきてんのー!!」
 「どういう仕込みのネタなのちょっとーーー!!ギャハハハハ!!!」
 「ち…違ッッ!!これ入れたのは私じゃなくて…!指をさすな!!」

 (ぐ…なに寝ぼけてんだよ母さん…!)
 
 友人たちの爆笑を苦々しく耳にしながらも、気を取り直しては弁当袋のジッパーを開けた。
 そしてそこから姿を現した存在に、彼女の時は一瞬止まる。
 中から顔を出したのは、毎日お世話になっているお弁当箱ではなく
 プラスチックの容器の中でみずみずしく光り輝やいた。

 
『おいしいところてん』

 パッケージの表面にはそう堂々と明記されていた。

 お母さん…もしかして…今日のランチってこれですか? 
 そういえば、今朝の母の頭には寝癖がついていたような。
 寝坊か・・・寝坊したのか母!!
 弁当をつくるヒマがなかったというわけか!!

 だが毎朝ギリギリまで夢を見ている己を棚に上げ、たまに見せた母の失態を責める気などには毛頭ない。 
 そりゃ主婦といえど、うっかり寝過ごすこともあるだろう。
 弁当が作れなかった ――― それは、別に構わない。

 だが、何故それを黙っているのか
 「ごめん、今日はお昼買ってくれる?」
 どうして、そう正直に言わないのか
 なんだって、無理してこんな苦し紛れの弁当を用意するのか(そもそもこれは弁当と呼ぶのか)
 ここまで来ると、腹立たしさを通り越して一句詠みたい気持ちになってくる。
 いや、今は別に詠まないが。

 「………ちょっと……水飲み場、行って来る」

 姿が消える一歩手前の幸薄さをにおわせつつ、は四角い容器と小さなザルを握り締めて席を立った。

 「うん…いってらっしゃい」
 「…笑ってごめん…」
 「ちょっ…やめてよ!謝んないで!!(余計つらいっつーの!)」

 
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 ・

 ・

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 じゃっじゃっじゃっじゃっ



 廊下の一角 ――― ひっそりと佇む水飲み場で、は1人ザルを振っていた。
 ハサミを持ってこなかったので、ビニールのパッケージは歯でこじ開けた。
 けっこう痛かった上に、開いた瞬間勢い余って飛び出した汁が顔にかかったりと、不快この上ない。
 楽しいはずの昼休みに、なぜ私はひとりでところてんの水切りを…
 大変理不尽な心境である。
 自分のことなのに意味がわからない。
 いつもであれば回復アイテムが入っているはずの宝箱が、今日に限っていきなりミミック。
 癒しどころか、大ダメージというわけである。
 なんだかは、ひどく切ない気分に陥ってきた。
 鬱である。激しくブルーである。
  
 くやしいが、現在胃袋を満たしてくれるのはこのところてん以外には、ない。
 別に嫌いなわけではないが、育ち盛りのこの世代のお昼ご飯がところてんのみというのは考え物だ。
 母も憎いが、油断して財布を持ってこなかった自分も憎い。
 水を切る音が静かな廊下にやけに響く。

 (とりあえず今は誰にも会いたくない)

 そう、彼女が強く思っていたというのに。

 「……
 「ひィ!」

 振り向けば、日吉である。

 「何してんだ」

 一体いつ背後をとられたのだろう。
 さすが古武術の男、気配をまったく感じなかった。
 いらんところでそんな能力を見せ付けないで頂きたい。
 
どうしてお前はいつもいつも、そんなタイミングで…!! 

 彼女の心の叫びなど知る由もない日吉は、ザルを握り締めたままのを怪訝そうに見つめている。 
 
 「何を…してんだ」

 二回も聞かれた。
 よほど不審に感じたのだろうか。

 「…ところてんの水切り、を」

 日吉の時間が一瞬、ピタリと止まった気がした。

 「…なんの為に」
 「なんの、って、昼ごはんに食べるんだよ」

 真面目に答えるのも馬鹿らしい。
 問いたくなる日吉の気持ちもわかるが、それに口にせねばならないこちらの身にもなって欲しいものだ。
   
 「お前、そんなにところてん好きなのか」
 「べ、別にそういうわけじゃ…(この野郎!)い、色々と複雑な事情があるの、私にも」 

 頼むからそれ以上見ないでくれ。
 浴びせられる疑念満載の視線に耐え切れずに、は思わず顔を伏せた。
 下げられた目線の先には、磨かれた廊下の床と向かい合った二足の上履き。
 俯いたはいいが、特にやることもないのは「どっちの方が汚いか」などと考えながらそれぞれの上履きを見つめていた。
 一度下を向いてしまうと、状況が状況だけにきっかけがないと顔を上げられないものである。
 そのまま汚れ具合のチェックが最終段階に入る頃、上履きのひとつがの視界から消えていった。
 当然、の上履きではない。
 日吉がようやくこの場から立ち去ったのである。 
 とりあえず、粘り勝ちだ(ちなみに、上履きは日吉の方が綺麗だった)(このへんは負けている)
 どうにかやり過ごせたか、と安堵しつつ顔を上げたは再びザルを握り締めた。
 最後の一振りである。
 もう十分水切りできたことだろう。
 むしろの方が乾ききってしまいそうだ(内面的な疲労で)
 これ以上、面倒なことになるのは厄介である。
 さっさと教室へ帰ろうと、ところてんを抱えては振り向いたが。 

 「ギャァ!」
 「いちいち騒々しい奴だな」

 再び、振り向けば日吉。 

 「な、なにアンタ舞い戻って…」

 さっき帰ったのは、なんのためのフェイントか。
 忍び足もたいがいにして欲しい。
 ところてんを滑り落とす勢いで驚くとは対照的に、やけにどっしりと悠然とした日吉。
 冷静な面持ちのまま、未だ顔が大慌てのまま戻っていないに何か差し出した。

 「……へ?」

 なんとなく受け取ってしまったの手には、アルミでくるまれたおにぎりが一つ。 

 「それだけじゃ流石に足りないだろ」
 
 わずかな水滴が滴るザルを一瞥した後、日吉はふいとそっぽを向いた。

 「空腹で倒れられたら、迷惑だからな」

 そう言い残して、のお礼の言葉も待たず、日吉はさっさときびすを返して足早に廊下へと消えてしまった。

 
 
日 吉 …………!!!! 


 遠のく日吉の背中を見送りながら、は感激のファンファーレを鳴らした。
 
 こんなに日吉がいい奴だったとは……!
 心でいろいろと罵ったりしてすまん……!
 ごめんね日吉!ありがとう日吉!見直したよ日吉!
 日吉バンザーイバンザー
イバンザーイ…(フェードアウト)


 思わぬところで遭遇した好意に、ついつい両手を合わせて拝むような気持ちである。
 人の情けというものにいたく胸を打たれたは、思わず綺麗な三角のおにぎりを強く握った。
 

 
 


 そんな感動的なエピソードで締めくくれらた昼休みであったが、その放課後、事態は思いがけない展開を迎える。

 芥川慈郎の場合。 
 (珍しく起きて)部活へ行く途中の彼はを見つけた途端方向を変え犬のように走り寄って、 

 「ーこれあげるー」

 ポケットから色とりどりのキャンディーを取り出した。

 「あ、りがとうございます…?(飴?こんなに?)」
 「明日はもっと沢山もってきてあげるからね?今日はこれだけでごめんね?」

 小さな子をあやすように顔を覗き込むジローに、は両手にいっぱいの飴を抱えたまま、ただ困惑。
 


 
 鳳長太郎の場合。
 コートを目指して走っていた彼はを見つけた途端、大きな瞳にウルウルと涙を溜め、

 「あっさん…これ」

 胸ポケットから『おこめ券』を取り出した。

 「え?(なぜにおこめ券!?)」
 「俺、こんなことしか出来なくて…」
 「お、鳳君!?一体な…」
 「困ったことがあったら、なんでも言って……くっ!!」  
 「あっ、待っ、ちょっ…!
言いたいことだけ言って消えるなコラァアァ――!!

 何かに酔いしれるように声を震わせて駆け出していった長太郎についてゆけない、ひとり呆然。


 (…なんなんだ・・今日は)

 その後も宍戸に買ったばかりのポカリを貰い受けたり、岳人に学食のチケットを譲ってもらったりと、次々にの身に襲い掛かる意味不明な親切の数々は続く。
 それだけでも十分気味が悪いというのに、どうにか辿り着いた部室でトドメをさされた。

 「おい、、なにが食いたい」

 いつものように偉そうに椅子でふんぞり返っていた跡部が偉そうに放った、いつもとは毛色の違う台詞。
 理解が出来ずに、アホ面のまま口が開きっぱなしになってしまったとしても仕方ない。
 
 「は??」
 「寿司か?焼肉か?それとも中華か?」
 「いきなりなにを」
 「うるせぇな、今日の帰りに何でも食わせてやるッつってんだから、とっとと考えろよ」
 「えっ、わーい!…って急にどうして!!(なんか怖い!)」

 跡部からこんな突然ご褒美、にわかに信じがたい。
 果たしてその裏に隠された真意とは?などと、余計な勘繰りが働くのも無理はなかろう。
 
 「人の好意に甘えとくもんやで…食える時に、しっかり食っとかな」

 跡部の隣で雑誌をめくっていた忍足も、普段のようなからかう素振りをみせずに妙に優しい声である。

 「なんなんですか、今日はみんな…」

 不信感をあらわにしつつ怯えながら机にしがみつくに、2人は軽く顔を見合わせて。 

 「なんかおまえのウチ、昼飯もロクに食えないくらい貧乏なんやろ?」
 「ところてん一つで飢えを凌いでんだろ?」





  
 
日 吉 ィ ………!!!





 
 昼とはまるで違うニュアンスでは奴の名を心で絶叫した。

 「ちがちがちがっ……ゴフッ(むせた)ちっ、違います!別に金がなくてところてん食べてたわけじゃなくて今日はたまたま…!」
 「無理すんなや、貧乏は別に恥ずかしいことやないで」
 「恩に着ろよ」
 「話聞いて下さ…!」
 「だから携帯持ってなかったんだな」
 「未だストラップ無しなのも、つけへんのやなくて買えないからやったんな」
 「違うんだッつの!」
 
 いわれなき同情を買うのは御免だとばかりには必死で否定の声を上げ続けたが、彼らはすっかり「哀れ!米も買えない極貧一家」(週刊誌見出し風)的な誤った境遇をどっぷり信じており、誤解を解くのは相当な労力を要した。
 まさか軽く受けた親切がこんな結果になろうとは。
 もう何を信じていいかわからない世の中である。
 とりあえずは、日吉が部活に来るのを今か今かと爪を研いで待ち続けるのであった。 
 
 ちなみにその日部活に現れた榊監督に、学費の方は大丈夫か」とこっそり気遣われ、彼女は更にキレることとなる。 


 

 



 そして真実。