クリスマスなんて。クリスマスときたら。クリスマスの野郎。
寒空の下、キイキイと悲しげな音を立ててブランコを揺らす。
雪こそ降っていないが12月も終わりに近い夜の空気は切れるように冷たい。ひざに乗せたケーキが箱ごと凍りついて立派なアイスケーキとして新しいスタートを切ってしまいそうだ。
今宵世間は、ジングルベルだとか恋人はサンタクロースだとかきっと君は来ないだとか一人きりのクリスマスイブだとか、勝手に盛り上がって鬱陶しいことこの上ない。街へと出向けばさぞや色とりどりに飾られたネオンがいい気になって聖夜を照らしていることだろう。知ったことかと地面を蹴る。小石と呼ぶには大きい拳大の石が向いの遊具へ飛んで行って、抗議のごとく固い金属音を響かせた。次第にそれが細くなって消える。余計に静けさと虚しさが存在感を増して、ついうなだれてしまった。
我が家のクリスマスはクリスマスではない。いやクリスマス自体なかったことにしているわけではなく、普通にケーキも食べるしチキンも並ぶ、プレゼントだってある。ただ日付は一致しない。年末忙しい両親の仕事の都合で、本来クリスマスと認識されている時期を無視し、だいたい一週間ほど前倒しで行われる。
雰囲気も何もあったものではないが、物心ついてからずっとそうしてきたせいか、特に不満も感じることなく、それなりに先取りクリスマスを楽しんで、当日はテレビでも観ながらパイの実なんかをわっしわっしと食べて過ごすものと決まっていた。今年も変わらずそれをなぞる予定だった。それなのに。ああそれなのにそれなのに。
やりきれない思いとともに吐きだした白い息が溶けるのを見ていると、じゃり、と砂を踏む音がした。
はびこる暗闇。ひと気のない公園。
眠っていた警戒心が叩き起こされたように肝が冷える。
息を呑んで振り向くと、コンビニ袋を提げた日吉が同じく不審さをべったり顔に張り付けてこちらを見ていた。
声もなく見つめ合って、否、探り合って、お互い害のない事を知ると、じり、じり、と日吉が慎重に近付いて来た。足運びに気楽さがまるで見られない。それは私も似たようなもので、知らぬ間柄でもないのに軽い緊張感を覚えてしまうのは夜が作り出す冴えた空気のせいか。単にフレンドリーさ皆無である日吉のせいか。
間合いを図るようにこんばんはと私が言うと、日吉は少し間を置いてから、とても人に気持ちよく挨拶する態度じゃないだろうという訝しげな顔でこんばんはと返した。
口に出した言葉と表情が噛み合っていない。この人こんなところで何してんだ、という日吉の胸中が見て取れた。
こういう時は先に聞いてしまうが吉。
「どうしたの日吉こんなところで」
「買い物ですけど」
「ですよねー……」
見れば誰でもわかることなので、会話は三秒で終わった。そっちこそ何してるんですかと投げたブーメランが返って来るものと思ったが、明らかに怪しんでいながら日吉はなかなかそれを口にしない。敬語のオブラートに包みながらずけすけと物を言う後輩にしては珍しく、どこか遠慮しているような節があった。
その目線を辿ると私の膝に鎮座するケーキの箱へと注がれている。
今日はクリスマス。大きなケーキの箱を抱えて一人寂しげにブランコなんぞこいでいれば、連想される状況はひとつ。
焦って声が上擦った。
「あっこれには、れっきとした理由がありましてですね!」

少しの間家を開けてくれと申し渡されたのが今朝。彼女とクリスマスの夜を二人きりで過ごしたいのだと兄は言った。寝耳に水だった。彼女を家に連れ込もうという計画も初耳ならば、兄に彼女なんてものが居た事もその時初めて知った。
もちろん私はそんなの困ると断固抗議した。話が急過ぎる。家を開けろと言われても一体どこに行けばいい?平日ならいざしらず、友人達はみんな予定を入れてしまっている。彼氏と遊びに行く子もいれば、毎年家族そろってホテルのレストランでディナーを楽しむのだという子も居た。普段忘れているが、氷帝は金持ち校なのだと実感する時期でもある。クリスマスがホテルでディナーなら正月は家族でハワイ旅行だ。違いない。それはいいとして。
行くところなんてないと言う私に、俺だって行くところがない!と兄は倍の声量を持って打って出た。二人ともバイトが重なってたからまさか急に休みが合うなんて思ってなかった、今から予定を組もうにもどこも予約でいっぱいで、ろくな店は空いてない。こんな日に居酒屋なんか男としてやるせないし、何より初めてのクリスマスがこれでは彼女にも申し訳がない。だからせめて家で二人で彼女の手料理でも味わって幸せを感じたいのだと切々と訴えた。泣き落としとは古い手だが、だからこそ効果は馬鹿にできない。懇願に近い兄の言い分を聞いてる内に、自分に非がないはずがだんだんと恋人同士の仲を裂かんとする悪役の立場にあるような気がしてくる。更に相手は軽く土下座の姿勢である。押し切られつつありながら、それでも私がうんと頷かずにいると、ただとは言わんと兄は折りたたんだ千円札を三枚すっと前に出してきた。最終的に金で解決しようとするのは大人の悪い癖だとは思うが、一番手っ取り早い策ではある。これで漫画喫茶でも行ってて下さいという兄の賄賂に私は結局手を伸ばした。
「金に目が眩んだんですね」
「人聞きの悪い。兄の幸せを思って身を引いた妹の優しさだよ」
寒さで赤くなった鼻をすすりあげる。
「ごはん食べてひと段落したら駅前のクリスマスツリー見に行くって言ってたし。まあいいかと思ったんだけど」
約束は三時間程度だったから、言われるまま漫画喫茶で時間を潰し、いい頃合いだろうと帰ったところ、家の明かりが煌々とついているのが見えた。玄関前には彼女のものであろう、自転車もある。まだ二人が家にいるのは明白だ。無論自宅なのだからカギは持っているものの、勝手に開けてずかずかと入っていけるほど野暮ではない。私は本当に行き場を失って、わびしくブランコをこぐ羽目になった。
「電話とかしなかったんですか」
憐みを湛えた日吉の目が見下ろしてくる。呆れた顔は見慣れているが憐憫の視線はつらい。
「したよ。メールもした。でも気付いてないのか無視なのか音沙汰なし」
はあ、と私は息をもらした。とんだクリスマスになったという後悔の塊を吐き出したかった。
虫が盛んに鳴きわめき、開け放たれた窓から生活の声が漏れ零れるにぎやかな夏と比べると、音までが凍てつく冬の夜は寡黙だ。私がほんの少し立てた靴裏と砂の擦った音すら盛大に響く。
しばらく立ったままだった目の前のグレーのコートがかすかに動いた。おもむろに取り出した携帯を開き、すぐにまた閉じてコートにポケットに押し込む。
日吉は明後日の方角に目を遣って、それからぼそりと言った。
「うちに来ますか」
ものすごく不本意そうに。恐ろしく不機嫌そうに。
さっきといい、何故に台詞と態度が合致しないのか。その顔面を言葉として忠実に再現するなら「のたれ死ね」とかそのあたりだろう。
私は一瞬受け止めきれず、へっ?と素っ頓狂な声を出してしまった。日吉の顔はますます歪む。
「聞こえなかったんですか」
「聞こえてました、けど。こんな時間にいきなりお邪魔するのは、その、非常識?」
意思がともなっていない反射のような返事は、頼りなくも疑問形になる。遊具の方を向いた顔はそのまま、目だけが動いて私を一瞥した。
「こんな時間のこんな場所に一人置き去りにするほうがよほど非常識だと思いますが」
さきほど背後に人の気配を感じた時、寒さとはかけ離れた冷たいものがざっと背を走った。日吉だったから良かったものの、相手によってはもっとたちの悪い展開に転がる可能性はいくらでもあったろう。うなだれながら立ち竦む明かりは細々として、狭い園内を照らすにも足らない。兄への恨みですっかり霞んでいたが、取り囲む状況がずいぶんと物騒であることは間違いなかった。
それでも私にはいくばくかの遠慮があって、なかなかそこから立ち上がれずにいると、しびれを切らしたように日吉がケーキの箱を取り上げた。そして黙ってすたすたと歩いて行く。呆気にとられた後、私は日吉とケーキの箱に置いてかれまいと慌ててブランコを放った。前を行く後ろ姿は早足で、こちらを決して振りむかない。
その不自然なまでの大きな歩幅と速度に、私は「ああそうか」と腑に落ちた。
なんだ、照れていたのか。



夜の帳が下りてから、わざわざ日吉が何を買いに出かけたのか、私はすぐに知ることになった。
日吉家が寒い。
正確には日吉の部屋が寒い。家に上がった時も節電なのか方針なのかあまり温かい空気は感じなかったが、部屋に足を踏み入れた瞬間、更なる冷えに目を剥いてしまった。刺すような夜風から逃れ、助かったと思ったのも束の間、まさかの落とし穴。
相手が日吉で古武術で下剋上であるため、さては修行か、とも疑ったが、単に暖房器具が故障しただけらしい。屋根があるだけましでしょうと言われ、確かにその通りだとは思ったが、古い建物なのか隙間風が威勢よく入り込み、野外並みの気温に思えた。
なるほど、道理で日吉母(和風美人)が出迎えてくれた際、膝かけと毛布を何枚か日吉に手渡しながら、せっかく来て下さったのにごめんなさいね、と申し訳なさそうに私に微笑んだわけだ。上がり込んだのはこちらの方なのにとその時は恐縮するばかりだったが、なるほどこんな寒さ際立つおもてなしでごめんなさいねと言う意味だったのか。ちなみに日吉がうまく言ってくれたおかげで、私の立場は、私の不在に気付かないまま家族がでかけてしまい締めだされてしまったということになっている。必要以上に身内の恥を晒すのは避けたかったので助かった。
「二個くらいで足りますか」
「一個でいいよ」
私の返事を無視して、日吉はコンビニで買ってきたカイロの袋を割いて、ふたつ寄越した。畳んだ毛布を畳の上に敷き、大きなブランケットを体に巻きつけてカイロを両手に握る。なんだこれは遭難か。
日吉はというとフリースの上着にウールの膝かけを足元にかけているだけだ。私に比べて防寒対策が手薄のようで気になったけれど、日吉は割と慣れているのでと涼しい顔だった。今日ほどではないにしろ、この家は普段から温かいとは言い難いようだ。修行というのもあながち間違っていないのかもしれない。それはそれとして今はただ寒い。
ブランケットにしがみつきながら見回すと、日吉の部屋は思ったより狭い。ただ物は少なくごちゃごちゃとしておらず、そこは予想から外れていなかった。壁には読めない掛け軸がぽつんとぶらさがっている。残念ながら下剋上ではない。何かの有名な書かと尋ねたら、祖父が適当に書いただけで、壁に穴があいているのを隠すのに貼ったという肩すかしなエピソードが語られただけだった。しかしそこでアイドルなどのポスターに出番がまわらないあたり日吉らしいと思った。
カイロのどちらかを服の下に入れようかどうしようか迷っていると、ほどなく扉というかふすまがノックされ、紅茶と綺麗にカットされたケーキがお盆に載せられてやってきた。
「いいのかしら、私達も頂いて」
「あ、いいんですいいんです。とても大きくて食べきれないので。どうぞ皆さんで」
じゃあお言葉に甘えて、とはにかみながら目を細めたお母さんはお盆ごとテーブルに置くと、上品な所作で立ち上がって部屋から出て行こうとした。そこへ日吉が思い出したように声を投げる。
「そういえば今日、兄さんは」
「飲み会があるとかで遅くなるそうよ」
日吉はただそれに軽く返事をしただけだったがほっとした風だった。
「兄弟いるんだね」
足音が遠のいてからなんとはなしに聞いてみると、日吉はええまあと素っ気なく答えた。
「似てる?」
「どうですかね」
目を伏せたまま日吉はカップへと手を伸ばす。
もともとべらべらと喋る性質ではないにしても、お兄さんの話題に対してずいぶんと言葉少なというか、どこか居心地が悪そうに見えた。
「あんまり仲良くない……?」
さっきもいなくて良かったっていう感じがした、と私が遠慮がちに言うと、いやそういうんじゃなくと日吉の顔は若干焦ったものになった。
「こういう状況を知ったら、悪気なく乱入してきそうな人で……」
外見はともかく内面については似てない事がはっきりした。
頭の中でまだ見ぬ日吉兄の顔部分に日吉とそっくりな顔をつけて愛想よく振舞う姿を想像してみる。ちょっと怖いものがあった。
私の勝手なイマジネーションを知ってか知らずか、決まり悪そうに日吉は紅茶を飲みほした。私もカップに口を付けたが、部屋の冷気に負け、紅茶はすっかり冷めていた。
「そういえばこれ」
日吉が目の前のケーキと私を順に見る。ちょうど私はてっぺんに飾られた苺にフォークを指しているところだった。
「やけ食いでもするつもりだったんですか」
「私もそこまでやけなってません」
早々に苺を片づけて、せっせとスポンジと生クリームを口に運ぶ。甘くておいしい。しかしすでに数日前、同じものをたっぷりと食べているだけにやや新鮮さに欠ける。
「漫画喫茶出る時に、クリスマスイベントだかなんだかでクジやっててさ。引き当てたんだよ……見事に……」
ありがた迷惑だし心からご辞退申し上げたかったが、サンタのコスプレの店員がおめでとうございますと叫ぶわベルは鳴らすわ、居合わせた客までつられて拍手する始末で、笑顔笑顔笑顔。つられて笑顔。心で涙。
クリスマスに弾かれたのに、その象徴でもあるクリスマスケーキを手にしている皮肉が余計に寂しい気持ちにさせ、私をひねくれさせた。それと、誰がこの量を食べるんだと純粋に途方に暮れもした。その意味でも日吉家に拾ってもらって良かったと思う。
「日吉の家ではクリスマスにケーキ食べないんだねえ」
玄関でケーキの箱を渡した時の、あらクリスマスケーキなんて久しぶりねえという嬉々とした声。
「昔はクリスマスらしいこと多少はやってたんですけどね。兄が大学入って家をあけることが多くなってきて、最近ではあんまり」
そう言いながら日吉もケーキをフォークを入れて食べ始めた。私の記憶が確かならば、好物とまではいかずとも、日吉は甘いものは嫌いではないはずだ。
「来年はクリスマスケーキ買ってあげたら」
先に食べ終わった私はフォークと皿をお盆の上に戻して、また体にブランケットを巻き付けた。
「お母さんちょっと嬉しそうだったよ」
そうですね、と日吉にしてはずいぶんと素直に応じた。

壁にかけられていた古風な時計がボオンボオンと音を立てて時刻を知らせた。日吉家に足を踏み入れてからゆうに一時間は経とうとしているのに、一向に連絡が来ない。諦め半分で携帯を開くも、電話はならず、着信の履歴も残っていなかった。
どうでしたと目で問う日吉に首を振って、いくつ目かわからない溜め息を吐く。この調子で何時間放置されるかわかったもんじゃない。
あの時日吉に会わなかったら、私は今頃どうなっているのかと思うとぞっとするやらぐったりするやら腹立たしいやら。あのホールのケーキ、腹になんかおさめずに顔面にくれてやれば良かった。必死な形相でお願いされたから(そして現金をつかまされたから)仕方なく折れてやったのに。
歯ぎしりしながら体育座りになって、ブランケットの中にすっぽりと隠れた。
もう一度連絡してみたらどうですと促され、電話をかけてみるもやはりコール音が聞こえるだけだったので、まぶしく光る液晶を睨みながら、五度目のメールを送った。
最初のメールはもう帰っていい?二度目は帰るよ?三度目はとにかく連絡して、四度目はどうなってんの?今は一言「三千円では済まさん」。
これで三十分、反応がないようならまたかけようと心に決め、携帯を閉じる。
今頃あははうふふといちゃついてんのかなあ、プレゼント贈り合ってにやにやしたりしてんのかなあ、クラッカー鳴らしまくってんのかなあとぼんやりと考える。よそでやれよとしか言いようがないが、反面せっせと家中を片づけて、何度も鏡の前で身だしなみを整えていた兄の張り切りぶりを思うと、少し微笑ましくもあった。もちろん98%は殴りたい、の気持ちが占めている。
「一大イベントなんだろうね……」
私のぽつりとした呟きに、日吉がわずか眉を上げて視線を寄越す。
「何がですか」
クリスマスと言うと、日吉はああというように小さく頷いた。兄は勿論のこと、彼氏と過ごすのだと実に嬉しそうに頬を染めていた友人の顔も同時に思い出される。一年で一番鶏肉とケーキ屋が忙しい日くらいにしか考えていなかったけれど、世の恋人たちには欠かせない、絆を深めるにふさわしい行事なのだろう。
「初めての彼女だし嬉しくて浮かれちゃうのも、まあわかるんだけどね」
「わかるんですか」
途端、日吉の目が棘を持った。
「えっ?……そう言われると、ごめん正直わからん」
もぞもぞと尻つぼみに告げる。わかるような気がするだけで、実際どれほど浮かれてしまうのか未経験者には計りかねる。
「クリスマスにそんな相手なんかいたことないんでね」
「クリスマスに……?」
「はいすいませんずっといませんね」
日吉の切れ味が急に鋭くなったのは気のせいだろうか。そこのへんはいつものクールさを持って流してくれてもかまわないだろうに、何かとあげ足をとってはちくちくと攻撃してくる。
私は最初のあの公園での、腫れものに触れるかのような眼差しを思い出した。
「日吉さ、あの時私が男にクリスマスすっぽかされて落ち込んでるとでも思ったんでしょ」
「別に」
「うそつけ。ものすごい何か言いたげな目してたくせに」
「……こんな日にああいう姿見たら、誰でもそう思うんじゃないですか。あんな辛気臭い背中さらしておいて」
間違いなくしょぼくれていた自覚はあるが、第三者からそう指摘されると改めて堪える。言い返す材料もないので、私は開き直ったのと諦めたのと半々にした微笑みを浮かべるしかなかった。
「ふ………誤解にせよ、私が振られたとか一瞬面白がっただろうよどうせ」
私のいじけたような物言いに日吉はすぐに答えず、ゆっくりと視線を逸らした。
ふん、と不貞腐れたように鼻をならす。
「少しも面白くなかったですよ」
日吉はケーキの箱を取り上げた時と同じ、苦み走った渋い顔をしていた。とはいえ吐かれたのは思ったよりもずっとかわいい台詞で、私はちらりともこちらを見ない横顔を瞬きしながら見つめてしまった。ええと、と返事に口ごもる。
「どうも、ありがとう……?」
受け答えとして成り立っているのかは自信がない。でもそれが今の私には精いっぱいだ。思えばこの日を家族以外の誰かと一緒に過ごすのは生まれて初めてだと、何もこのタイミングで気付かなくてもいいのに気付いてしまう。
「どういうありがとうなんですか」
「いやなんとなく」
もう一度日吉はふんと鼻を鳴らして、手元に見ずにカップを手に取った。
「それもう入ってないよ」
「……っ、わかってますそんなこと」
じゃあなんで口付けたんだよと思わずにいられないが、気付くと自分も助けを求めるかのように無意識にフォークを握っていたので何も言えなかった。冷えた空の食器がカチャカチャと音を立てて嘲笑う。気まずさを呑みこんだ日吉が、お茶飲みますかとなどと幾分大きな声を出しながら立ち上がろうとしたので、私は身振り手振りを交えて遠慮した。
「え、そんなおかまいなく、」
そろそろ連絡が来るかもしれないし、としどろもどろ続けたところで、ついに携帯が震えながらメロディーを奏でた。なんという素晴らしいタイミング。色んな意味で助かった。
待ちかねた着信に安堵の息をもらしながら(日吉もどこかホッとしていたよう見えた)携帯を開く。兄からのメールが一件。

『修羅場なう 一時間延長願う』

無言で向けられた携帯の画面を無表情で見詰めた日吉は、今度こそすっくと立ち上がった。
「……お茶、淹れてきます」
「いただきます……」
クリスマスなんてクリスマスなんてクリスマスなんて……
呪文のように弱々しく繰り返した私は、これから始まる長い夜を思い悩みながら更にブランケットを深く被った。