は我が目を疑った。 金がない。 財布をひっくり返して覗きこむ。ない。ないですね。ないですよこれ。 一銭もないとまでは言わないが、自活をしていく人間として「ある」「ない」で分けるとしたら圧倒的後者。明日の米も買えないどころか、クエストによっては契約金すら払えないくらいに、残金が乏しい。 余裕ができたら少しずつ貯めていこうと用意しておいた貯金箱を振ってみるも、入れた記憶がないのだから貯まっているわけもなく、チャリンの音一つ響かなかった。 やはりこれが所持金の全てらしい。あまりにも寂しい事実に驚愕する。 とはいえ空き巣に入られたわけでも、煙のように消えてしまったわけでもない。 昨日、ようやく欲しかった素材が手に入ったものだから、嬉しさのあまり後先考えずに有り金はたいて武器を強化してしまったのである。 手数と遠距離が強みである弓は、もともとの攻撃力が低い。もちろんレベルに応じてピンからキリまであるが、現時点のでも扱える弓の威力はたかが知れている。ランポスやジャギィなどの小型モンスター、いわゆるザコ相手でも一発で倒すに至らない。確実に狙いを定めて、何度も急所を射る正確性を求められる。 なぜこんな地道な武器を選択したのかと疑問を抱かざる得ないが、敵に少しでも近付きたくないから、という腰ぬけな理由にほかならない。ちなみに同じ遠距離武器であるボウガンは、弾による経費が馬鹿にならないと前もって聞いていたので全力で避けた。これはいい判断だったと言えよう。弓でこれならボウガンを選択した日には今頃貧困の末、飢えて倒れてドスジャギィあたりにもりもり食われている。 それはともかく。 一撃に重さがない弓だからこそ、少しでも闘いを楽にするために、強化による底上げは重要だった。だから勇んで武器屋に赴いてしまった。ハンターとしての攻撃力は上がったが、人として生活力が大幅にダウンした。 さあどうしよう。 「稼ぐしかねーじゃん」 「ですよねー……」 実にざっくりと、しかしながら的確なアドバイスを寄越した向日は残りをぐいと飲み干し、すぐさまをグラスを手酌で満たした。続けて皿に盛られたナッツを適当につかみ、口に放り込む。ごりごりと噛み砕く音につられてが手を伸ばすと、向日は一度じろりと睨んでから、仕方ねえなという顔でこれを許した。 勝利の美酒、はたまたリタイアによるヤケ酒。日も高い内から、狩人達が仲間と交わす乾杯の音色で薄暗い酒場は今日も盛況だ。 どういうわけか、高位のハンターになればなるほど酒に強い。体がそう鍛えられていくのか獲物を狩る高揚感が酔いを上回るのかは知るところではないが、とにかく水代わりにアルコールを腹にぶちこむ猛者がウヨウヨしている。こうなると酒を飲むのに昼も夜も関係なく、狩人の格好のたまり場となっていた。ここへ顔を出せば、必ず誰か彼かつかまる。ゆえに情報を得たい時などは重宝する。 今日は店に足を踏み入れたところ、先に一杯やっていた向日に声をかけられて、カウンターの隅にこうして腰かけることになった。 「つっても稼ぎは報酬だけじゃねえだろ。高額でさばけるような素材とかねえの?」 「イャンクックの素材なら少しは」 「クックじゃたいした金にならねえなあ。あ、鉱石とかもレア度によっちゃ結構いい値に」 は無言でうなだれた。売り飛ばしても困らないほど在庫している鉱石など石ころくらいしかない。エリアによっては無限に拾える代物である。高値で売れるわけがない。 そうだ、と向日は思いついたような顔して、耳打ちをした。 「あいつなら頼めばこっそり貸してくれるんじゃね?」 原則的に金銭やレア度の高い素材の譲渡は固く禁止されている。が、駆け出しの時期はやりくりが非常に厳しい。ゆえに贈与ではなく借金として、仲間や団員から借り入れている者も少なくなかった。 「あいつ?」 「何とぼけてんだよ跡部しかいねえだろ」 跡部がに厳しいようでその実、初孫もかくやというほど甘いのは氷帝の団員なら周知の事実。ひと泣きすればポンと無利子で貸し付けるだろう。 が、は猛然と首を振った。 「それはっ、ちょっと……」 いつ返せるものとも知れない金を借りるのは抵抗がある。更に言えば、これ以上、頭が上がらなくなるのは避けたい。 「俺は貸してやるほど余裕ねえかんな」 「わかってます。先輩この前、勢いで装備一式揃えて酷い目あってたらしいですもんね」 うわお前アレ知ってんのかよ、と向日は苦々しい声を出したが、すぐに先輩としての威厳を取り戻すべく咳払いで仕切り直した。 「俺はいいんだよ俺は。報酬が違うからなお前とは」 「報酬高いのはやっぱり難易度もそれなりですか」 「そりゃそうだろ」 「採取クエばっかりじゃダメかー」 これは一発でかいのを狩らねばならないのだろうか。ハイリスクハイリターン、虎穴に入りずんば虎児を得ず。 しかし相手するのは虎どころの話ではない。種によっては火も吐くし毒も投げるし放電もする。何をしてくれているんだと憤りすら感じる物騒さである。 クックを一匹ようやく倒せるようになった腕では荷が重い。はカウンターに突っ伏した。 「さっきからずいぶん景気悪い顔やなあ」 顔をあげると丸眼鏡を光らせた男がカウンターの向こうで微笑んでいる。 「おしたりせんぱい……」 「なんか飲むか?」 「金ないです」 「文無しで酒場来るとかいい度胸やな自分……」 はちら、と隣のグラスと向日を見た。 「向日先輩だって、それ跡部先輩のボトルですよね」 「げっ、お前、声でけえよ」 向日は尖らせた口に人差し指をあてて、シーッシーッと繰り返した。 「あいつ他にボトルごっそり入れてるし、あとで水かなんか入れて戻しとけば気付かねーって」 慌てて蓋をしめるも、もはや残量は半分以下だ。それを向日は、うまく誤魔化しとけ、と投げ、託された店主は店主で、しょうもないわと言いながらも、本当に水を足していた。なんだこのろくでもない店は。 「口止め料として、私にもあのピンクのボトル一口飲ませて下さいよ」 棚にずらりと並ぶ中、最上段でひと際豪華に輝くボトルを指さした。当然あれも跡部のボトルに違いない。の指はぱしーんと向日によってたたき落とされた。 「ばっか、あれいくらだと思ってんだ流石にバレんだろ」 「はいはい、キミはこれでも飲んどいてな」 そう言って忍足が置いたのはグラスではなくマグカップだった。中身は酒でも水でもなく、若干泡立った茶色い液体。 「またミロか……」 酒場には何度も訪れているが、が何をオーダーしようがミロが出てくる。ミロミロミロ、たまにヤクルト。 「上位すら届かねえひよっこにアルコールなんて百年早えんだよ」 「はよう強い子になってや」 狩りを覚えて間もないハンターに酒は少々刺激が強すぎるし、なにより自分の目の届かないところでがアルコールを摂取することなど跡部が許すわけがない。水面下での許可が下りるまで、本人の意思関係なくミロとヤクルトのヘビーローテーションは続くのである。 「酒場ではミロだし、お金はないし……うう」 ミロを煽りながら、はうめいた。金も払わず厚かましい奴だと白い目が注がれる中、別のテーブルから注文が飛んだ。 「こっちにたまご酒一杯」 「なんや風邪かいな、ちょっと待ち」 と、酒ビンを片手にカウンターの下に潜りかけた忍足が、「あ」と呟いて視線を上げる。遅れて向日も「あっ」と声を上げて、二人で顔を見合わせた。 「あるやん、楽に稼げる採取クエ」 泳ぐ魚の鱗まで見えるほど水は透き通り、下流へと続く流れはどこまでもゆるやか。ざぶざぶと無防備に踏み入れても、足を取られる危険はない。水、緑ともに豊かで温暖な気候に守られた渓流は、様々な動植物が生息しており、釣りをするにも採取をするにも、そして狩りをするにも、恵まれた環境のひとつだ。 は岩陰に隠れ餌場となる水場を伺ったが、時折虫が通り過ぎるばかりで、獲物の姿は見えない。 「そろそろ場所変えたほうがいいかな」 もう一度川のほうへと首を伸ばし、ガーグァがいないことを確認してから、は立ち上がった。 ガーグァの卵5個納品。 忍足と向日が提案したのは卵の運搬クエストだった。ガーグァは主に肉として狩られるが、不意を突いて脅かすと卵を落とす。それを指定数運べば、報酬が頂けるという実に単純明快、安心安全なクエストである。合間にキノコやタケノコなど精算アイテムを採取することもできるし、時にガーグァは金の卵を落とす。通常の卵より遥かに価値は高く、運良く納品出来れば更に懐は温まるという寸法だ。 今のところ金の卵にはお目にかかっていないものの、順調に四つまで納品を終えている。 残りはひとつ。 しかし卵欲しさに少し脅かし過ぎたか、気付けばガーグァは一匹残らず逃げ出してしまい、影も形もない。戻ることを期待して身を潜めて待っていても、一向に現れる気配はなかった。群れごと移動してしまったのだ。 「ここだとキャンプも近くて助かったのに……」 は次なる狩り場を求め、渋々と地図を引っ張り出した。 渓流の地理にはあまり詳しくない。 と言うと語弊があるかも知れない。他のエリアについては自信があるように聞こえる。 実際、は砂原にも沼地にも火山にも等しく無知である。例外として、森丘に関してだけはイャンクックと死闘を繰り広げる為に何度も赴いたので、多少は明るいと言えるだろう。逆にそれ以外は足元真っ暗とも言えるだろう。この経験の乏しさ、ミロを飲まされるのも無理はない。 ここ渓流へと訪れたのは初めてではないものの、いつもキャンプからほとんど離れず、ガーグァやシャギィなど小粒と格闘するばかりで、奥に足を踏み入れたことはなかった。 地図を頼りに進んでみるも、やはり不慣れな土地。歩けど歩けどお目当ては一向に現れない。気がつけば、は薄暗い洞窟のような場所に入り込んでいた。 中は湿っぽく、光が届かないせいかひんやりとしている。生き物の気配と言えば羽音を立てる虫が数匹飛びまわるばかりで、ガーグァの姿はなかったものの、代わりに岩陰にもっと良いものを見つけた。 砂利と藁をクッションにして、卵がいくつか身を寄せ合っている。これまでのものよりだいぶ大ぶりなそれを見て、はただ素直に喜んだ。大きな卵はその分買い取りも高くなると踏んだ為である。 脅かす以外でガーグァが卵を産む場面を見たことがなかったが、彼らはこのような人目につかぬ場所でこっそりと産んでいるのだろう。本来の手順で産卵すればこのような大きさになるのかも知れない。 なんにせよ、ようやく発見したお宝である。見逃す手はない。恐る恐る手を伸ばし慎重に抱えると、ずしりと重みがの全身に伝わった。 うん。なんというか。これは。見た目以上に重い。油断すると肩外れそう。 先ほどまで運んでいたのがバスケットボールなら、いま抱えているのはボーリングの球(16ポンド)だ。ずいぶんと中身が詰まっているんだな……と若干後悔。 しかし持ち上げてしまった手前放り出すわけにもいかず、はよろよろと重量に振りまわされながらキャンプを目指した。 「あれ、さん?」 一心不乱に運搬に従事するを遠方から見つけたのは同じく氷帝に属する鳳と宍戸である。 ギルドから定期的にエリア調査の依頼を託される二人は、パトロールも兼ねて様々な地域に出向いている。のお守りは跡部の役割という暗黙の了解のために、組んで狩りに出たためしこそないが、狩り場内で遭遇する事もごくまれだがあった。 鳳は気が優しく、宍戸は面倒見が良い。跡部に可愛がられながらも相当振り回されている未熟な後輩へのいささかの同情もあり、こうして見かけた際にはアドバイスや助けを惜しまず与えた。去りゆく背中に宍戸は大声で呼びかけようと宍戸は手を上げかけたが、すぐに下ろす。 「運搬クエっぽいな、声かけんのも悪いか」 「最初はみんなお世話になりますからね、ガーグァの卵」 「小遣い稼ぎにはもってこいだからな」 おぼつかない背を見送った二人は、そのまま先を進もうとして、同時に足を止めた。 「……あいつ洞窟エリアから出てきたか?」 「……ガーグァの卵にしちゃ大きすぎますよね」 顔を見合わせて一瞬の沈黙。次の瞬きには、宍戸と鳳は猛然と駆け出していた。 驚いたのは、まさに壊れ物を扱うように慎重な足さばきで卵を抱えていたである。背後から砂煙を上げて狩人二人が何事か叫びながら駆け寄ってきたのだから。は卵を支える腕に更に力を込め、首だけで後ろを振り向いた。 「ちょっ、な、なんですかふたりして! 」 ぎょっとしつつも、歩く足は決して止めない。 「卵運んでるんですからそういうのやめてくださいよ!」 「ばかお前! 運んでる場合かとっとと捨てろ!」 「いまなら間に合うから!! 投げて! 放り投げて!」 なにを言ってるものかさっぱりわからない。 彼らが必死の形相で口々に制止の言葉を吐いているのは理解ができるが、なぜそんな事を言われねばならないのか。ここまで苦労して、ようやく残り一個というところまでこぎつけたというのに、捨てるなんてそんな馬鹿な。 「はあ!? なんで捨てなきゃならないんですか!」 「いいから早く!」 「良くない! ガーグァ探しに奔走した果てにやっと見つけた最後の一個なんですよ!」 が噛み付くと、宍戸は大きく息を吸いこんだかと思えば、全身から振り絞るように叫んだ。 「だから! お前のそれはガーグァの卵じゃねー!」 「えっ」 リオレイアの卵だ! 風が触れた。 刹那、頬を撫でるのみだったそれは、瞬く間に全身を圧する強風となって三人を襲う。かろうじて踏ん張ることができたものの、態勢は大きく崩れた。それでも卵を落とさなかったのは根性の一言である。 風の中心は、平穏そのものだった渓流を揺さぶり、ハンター達の背後に悠然と姿を現した。新緑よりもくすんだ色彩。それを全身にたたえた巨躯が地響きをともなって地へと降り立つ。惜しげもなく広げた両翼が、注がれていた太陽の光をやすやすと遮って、草木に影を落とした。 初めてイャンクックが間近に迫った時、はその大きさに驚き慌てた。だが、今目の前にあるのは、そのイャンクック三体分はゆうにあろうかという巨大な飛竜。大人と子供という表現ですら生ぬるく思える差があった。 一応言っておくが、が飛竜と呼ばれる種とまともに対峙したのはイャンクックのみである。リオレイアの名は何度となく聞き及んでいたが、まだまだやり合うのは先の話と遠く感じていたし、事実これまで猟場で見かけることなど一度もなかった。 それが、いきなり、この、距離感で。 卵を抱えたまま口もきけずにいると、リオレイアは頭部をじわりともたげて、らを睨めつけた。金色の瞳が敵意に濡れて光る。次の瞬間、大気は雌飛竜の獰猛な咆哮に震えた。 宍戸は走れ! と声を荒げ、鳳は逃げて! と悲痛に叫んだ。 は両者の声が飛ぶ前から駆け出していた。 「やだー! リオレイアいるなんて聞いてないー!」 「聞いてるも聞いてないもあいつらの繁殖エリアだろ!」 「渓流ガイドブック読んだ!? 飛竜種の飛来についてちゃんと書いてあるよね!?」 「読んだ! 2ページ目まで!」 「2ペ……それ読んだ内に入らないよー!」 「レイアももっと安全な場所で卵産めばいいのに…!」 「そんなん知るかよレイアに伝えとけ! 泣くな!」 三人横並びでの全力疾走。 その後ろを世にも恐ろしい雄叫びを上げて巨体が迫る。飛竜の代表格リオレウスが空の王者なら、対の存在であるリオレイアは陸の女王だ。その発達した脚力を駆使して執念の限り獲物を追いつめる。 幸いにも全員が体力スタミナともにフルの状態であったため、即座にその爪と牙の餌食になることはなかったが、持久戦ともなればたかだか人間風情が真っ向から挑んでかなうわけもない。スタミナが尽きれば、そこで終幕だ。 段々と息が上がっていく中、宍戸は並走する鳳に目で合図を送った。鳳も得たりとばかりに頷く。 掛け声と共に身を翻した宍戸と鳳は、それぞれ得物を手にして迫るリオレイアに斬りかかった。 「俺たちが食い止めるからさん早く!」 「ふ、ふたりとも……!」 「構わず先にいけ!」 二人のハンターランクを鑑みれば、レイアはさほど手ごわい敵ではない。討伐準備を万端に整えてはいなかったが、かわいい後輩(に身の危険が及んだ場合の、可愛くない団長から発せられる殺意)を思えば、戦闘は当然の選択であった。 振り下ろされた片手剣と大剣の刃が固い甲殻を裂き、レイアの鈍い悲鳴が木霊した。猛獣の凶暴性は脅威でもあるが単純でもある。荒っぽく横槍を入れて足止めしてしまえば、攻撃対象は簡単にすり変わるだろう。 案の定レイアは足を休め、物騒な眼をぎらりと宍戸らに向けた。よし、と胸の内で安堵しつつ、更に追撃しようと踊りかかった宍戸の切っ先は、標的に届くことなく空を切った。 「だめです宍戸さん! レイア止まりません!」 さすが母は強しとでもいうべきか。翼と鱗に及んだ傷を歯牙にもかけず、再びレイアは我が子を奪ったひよっこハンターの背をどたばたと追い始めた。 「まじかよ! おい! こっち向け! レイア!レイアアー!」 と、宍戸が別れ際の恋人か、という熱量の呼びかけで引き止めても、レイア嬢は鼻にも引っ掛けない。 悪あがき承知でしつこく手持ちペイントボールを全て投げてみたが、命中したところで効果はなく、無駄にピンク柄のカラフルなモンスターが出来上がるばかりで、突進は止まらないのであった。 この世界には、ひと吹きすれば確実にモンスターの注意をひく角笛という便利なアイテムが存在する。ただ、所持数が限られるポーチに、わざわざ入れて持ち歩くかと言えば、大方の場合ノーである。薬や食料などの命をつなぐアイテムは多少荷物を圧迫しても置いていったりしないが、そんな危なっかしい笛、アイテムボックスに居残り決定だろう。 つまり、足止めの手立てはない。 宍戸と鳳は武器をおさめて、とレイアの追いかけっこを追いかけた。ややこしい。 逃げ続けているはで、それなりに頑張りを見せていた。 自分を助ける為に、ハリウッド映画さながらの盛り上がりで華々しく二人が戦いに消えていったわけだが、数分も経たずに重量級の足音が背後から聞こえだしたのだから、様々な意味で背筋が凍る。まさかあの二人はもう……と悪い想像がよぎるのも無理はない。 抱える卵が手の中で少しずつ重量感を増していく。 疲労もあるが、仲間二人分の命がこもっていると思うとその重みはずしりとにおいかぶさっていくのだった。やがてそれは、せめてこの卵だけでも無事運びきらねばという使命感に変わりつつあった。が。 「ー!無事か!!」 リオレイアの鳴き声に混じり、聞き覚えのある声がの鼓膜を揺すった。 「し、宍戸先輩ー!」 「なんだ!」 「生きてたんですねー!」 「死ぬかー!!!」 必死で走り抜いた宍戸と鳳はようやくリオレイアに追いついた。脇目もふらず獲物を追うモンスターは迷いがない分、迅きこと風のごとし。しかしその風に迫られつつも先を行く背中がある。 「ていうかお前足早えな!!」 特別なスキルでも発生してない限り、しつこく食い下がるリオレイアの追撃から逃げ続けるのはよほど猛者である。その上、卵を抱えているとなると最速で走ることすら困難だ。 普通ならとうにスタミナが尽きるか、逃げ足のスピードに陰りが見えるかだが、はそのどちらでもなく、ぎゃあぎゃあとわめきながらも何とか逃げおおせている。その瞬足を見込まれて強引にハンターに採用されただけはある。 しかし所詮は生身の人間、無限に走り続けられるはずもない。消耗しつつあるは、散ったと思われた仲間の生存を知るや、途端に力が抜け始めた。 「もう私、そろそろ、きついですー!」 弱音にしてはずいぶんと大きな声で訴えると、励ましの声が背後から飛んだ。 「あともうすこし頑張って!」 「諦めんな!」 「だって卵が重くて……!」 「まだ卵持ってたの!?」 「捨てろバカ!!」 励ましから一転、同時に二人から罵りを受け、それでもは卵を抱える手を離さなかった。 卵と命、どちらか大事か。当然命である。クエストに挫けても、ほんのわずかな契約料を失うだけだが、今リオレイアの爪にひっかけられたら人生にエンドロールが流れる。 宍戸と鳳が無事だったとわかった今、二人の命懸けの意思をそこに見出して後生大事に抱えている意味もない。未練もない。だが。 「捨てたら、割れますよね!?」 そりゃそうだろ、と宍戸の声。は首をひねって迫る巨体を一瞥した。 「目の前で割れたら、レイアますます怒り狂いません!?」 奪われただけでこの激高である。その眼前で無残にも砕けた日にはどうなってしまうことか。未だが卵を抱いているのは、それを危ぶんでの逡巡なのだが。 あれだけ間髪入れずに返ってきた返事が、途端に途絶えた。沈黙に割って入るように、飛竜の低い足音が地を蹴って響く。 リオレイアの足にして約十歩。誰もが無言で走り続けたあたりで、ようやく鳳が声を張り上げた。 「……ない、とは言い切れないかも知れない!」 やっと口を開いたかと思えばこれである。卵を捨てろ捨てろと散々に煽っておきながら、回答があまりに曖昧すぎて、とてもじゃないが放り出す決心がつかない。ますますは強く卵を抱えた。 「そんなんじゃ捨てるに捨てられないよ!」 体全体にのしかかる卵の重みが、長時間の疾走による疲労が、それぞれ積み重なり、に限界を教えようとしていた。一方、追い続ける女王の追跡は未だゆるむ兆しがなく、またその野生に忠実な双眸にも諦めの意思は浮かんでいない。 これ以上は走れない。 誰か、と思わず神にもすがる思いでは助けを求めた。大抵の場合それは願うだけむなしい結果となる。 が、奇跡的に天は求めに応じた。 「てめえ何一人でクエスト来てんだコラア!」 何も追いかけてくるのはリオレイアだけではない。の身辺につきまとうことにかけては右に出る者のいない、跡部景吾を忘れてもらっては困る。 いくら小遣い稼ぎの取るに足らないクエストだとしても、無断で、更に単独で繰り出すなど許すわけがなかった。発覚した時点でエリアまで飛んでくる。機体に名前入りのマイ飛行船で。 上空から華麗に飛び降りて、開口一番怒号を放ったものの、跡部はその光景に目を疑った。ひた走るを、リオレイアと宍戸と鳳が必死の形相で追いかけている。どどど、と皮膚が震える足音がいくつにも重なってやって来た。 「……なんだ、どうなってんだ?」 どれが敵だ。 先頭走者として向かってくるが、跡部を見るなり涙目になって、あうあうと口を動かす。どうみても、危機に瀕しすがるにも似た必死さで助けを求めていた。 「団長…!」 「!」 「団長おお……!」 状況がさっぱりわからないにしても、流れと勢いと雰囲気的に胸に飛び込んで来るパターンと察した跡部は、本能に従ってを受け止めるべく両手を広げた。 途端、その腕に飛び込んできた。 卵が。 「あとはお願いします!」 「えっ」 「走って!!」 「走れ跡部!」 「走ってください跡部さん!」 「えっ……」 投げつけられた三つの声はどれも非常に切迫しており、団長といえど抗えない何かがあった。 口を出す猶予も与えられず、押しきられるようにして、跡部は卵を抱えてキャンプへと走り出す。 リオレイアは狂ったように空に向かって吠え、捕食者たる眼光を跡部に差し向けた。屈強な脚が卵を目指し、再び大地を踏みつけた。 一人と一頭の背が砂煙に隠れて消えるのを見送ってすぐ、力尽きたようにはその場に崩れた。宍戸と鳳も倒れ伏した。メロスより走ったと自負のある三名は完全に燃え尽きていた。 さながら戦い抜いた戦士の死体。 しばらく動きたくない。 レイアを恐れたジャギィなどの小型モンスターが雲隠れしていたおかげで、横たわったままでも肉をつつかれることはなかったが、その代わり抜け目ない黒猫共に目をつけられ、マタタビや薬草を散々掠め取られた。 わけもわからず唐突にたすきを託された最終ランナー跡部は無事レイアの追撃を免れ、卵を納品することに成功した。 三名の思いは見事報われた形になるが、指定されたガーグァの卵ではないため依頼自体は失敗に終わり、高額買取りのリオレイアの卵にしても、納品したハンターにその代金が支払われる仕組みなので、の懐は特に潤わないままクエストは幕を閉じた。 村に帰ってこっぴどく叱られ、踏んだり蹴ったりだとは思う。 しかしただ巻き込まれる形になった上、とばっちりで一緒に説教をくらい、アイテムまでメラルーに盗まれた宍戸と鳳のほうこそ、真の踏んだり蹴ったりなのだった。 本日のハンターメモ:楽に稼ごうと思うな |