イャンクックを倒した。
火を吐き暴れまわる桃色の怪鳥、イャンクックを倒した。
あろうことか後頭部に怒りのくちばしを食らわせようとした、あの、憎きイャンクックを、は倒した。
挑みかかっては跳ね飛ばされ、追い回され、踏みつぶされ、幾度返り討ちにされたか、そしてその都度どれだけの罵声を浴びせられたことか。
1クエストにつき10は下らない「馬鹿野郎」コール。
おかげで狩りの腕はともかく耳と心は鍛えられた。
散々苦労を重ね、不名誉な黒星を延々並べ続けた末、ようやく手にした輝かしい白星である。
いつかのおこぼれに預かる形ではなく、初めてこの手で狩ったイャンクックの素材を剥ぐ感触は忘れがたい。記念すべき一瞬、感動に胸震えた。
しかし。しかしだ。
危うく亡き者にされかけた強大なる敵をついに討ち果たし、達成感に酔いしれる日々かと思いきや、そう浮かれてばかりもいられなかった。
イャンクック初討伐。
紛れもない事実である。
だが、回避や間合いの取り方などによる成果ではなく、削り削られ突つき突つかれ、本能に任せたどつき合いを死力を尽くして繰り広げた結果、最終的に立っていたのがたまたまの方だったというのもまた事実である。
いわば生命力の強さだけでもぎとったゴリ押しの勝利。正直なにが勝因なのかわからない。執念か。
内容だけみれば、狩りというより子供の喧嘩と称するがふさわしい。
しかもあわや相討ちかといった実に危なっかしいもので、先に敵が倒れてくれたから良かったものの、もう少し長引いていたらおそらく逆の展開が待っていただろう。
常に粉塵を握り締め、力の限り走り回るイャンクックとを追い続けた跡部もこの時ばかりはさすがに疲労の色濃く、珍しく肩で息をしていた。数え切れない危うい場面に、何度手が出そうになったか知れないと苦々しく彼は語る。
お守り役とはいえど、跡部が行うのはわずらわしいザコ敵の排除や注意の引き付けなどのフォローが主で、よほどでなければ積極的に攻撃に参加はしない。
自らの手で倒さねばハンターとして成長できないという跡部なりの親心である。おかげで彼の寿命は確実に縮んだ。
どれほど無様な戦いぶりでも、敵と対峙することによって必ず何かしら得るものがあるだろう。
が、この一戦でが主に得たものといえば運と根性、そして逃げ足。
もちろんそれらを無駄とは思わないが、正直もっと狩人に必須とされる判断力や立ち回りなどのスキルパラメーターを優先して伸ばしていきたいところである。
今回は運良く討伐できたが、次も同じく勝利を手に出来るかと問われても肯定できる自信はまったくもってない。逆に成敗されてしまう可能性濃厚とみた。
跡部が数秒で滅してみせたイャンクック相手にこのザマだというのに、世にも物騒なことに更なる凶悪なモンスターがまだまだひしめいているという。
なにかの間違いだと言って欲しい。命がいくつあっても足りないではないか。
命からがらせしめた怪鳥の皮をアイテムボックスにしまいつつ、長生きするためにも腕を磨かねばと今更ながらは思った。


久し振りに訪れた訓練所は、相変わらず無骨な狩人達で賑わっていた。
闘技場から戻ってきた者とこれから乗り込まんとする者とが、そう広くはないフロア内をひっきりになしに行き来している。施設の性質上、顔ぶれの多くは初々しいルーキー達であるが、難易度の高い訓練に挑む熟練の姿も見受けられる。
演習を行うには、まず教官に会わねばならない。
受付を目指して脇目もふらず歩き出したら、足が床ではない感触を知らせ伝えた。勢い余って、思い切り誰かの足を踏んづけてしまったらしい。
すいませんと言いかけて、顔を上げた途端に謝罪の文言が立ち消える。
「あれ日吉」
「……足をどけろ」
頑丈そうな軍靴の遥か上に乗っかった仏頂面。はやあごめんと足を持ち上げたが、表情はひとつも和らがない。
とはいえ足を踏まれて不快感を露にしているわけではなく、元々景気が良いとはいえないご面相なのである。いつどこでどう出くわしても、この日吉という男がご機嫌麗しかったためしがない。
「訓練所で顔合わすの久し振りだね。演習受けてきたとこ?」
いま来たところだと日吉は答え、冷ややかにを見下ろした。
「会わないのはお前がサボってるせいだろ」
「心外!サボるどころかこちとら大忙しなんだよ!」
日吉の言う通り、足繁く通わねばならぬ駆け出しの身でありながら、このところ訓練所からとんと足が遠のいていたのは事実だ。
しかしとて別に遊び呆けているわけではなく、専属の教官ともいうべき某G級ハンターによる”マンツーマン狩り教室”(申し込んだ覚えはない)に時間のほとんどを割かれ、とても訓練所まで手が回らなかったのである。
ちなみにその某G級ハンターは本日緊急に舞い込んだアカムトルム討伐依頼をこなすべく、ランス使いの樺地を伴って火山へと旅立った。去り際に、さっさとぶっ潰して戻るから、1人で勝手な真似しておかしなクエストに行くんじゃねえぞこの野郎と大変お上品な忠告を残すことも忘れない。
グラビモスをも蹴散らして暴れ回る覇竜を歯牙にもかけぬ絶大なる自信と、心配がただの脅しに聞こえる不器用さは流石の一言である。
「おや珍しい組合せだ」
団体を二つ演習へと送り出したばかりの滝が、こちらに気付いて軽く手をあげた。
いかつい空間にそぐわぬ優美な笑顔。しかしその微笑みの人こそがここ訓練所の主、すなわち教官である。
一段落ついたのか、滝はカウンターから体を滑り出し二人の方へと歩み寄った。
「日吉はともかく、こちらはずいぶん久し振りのお出でだね。あんまり見ないから顔忘れちゃうところだったよ」
近頃のご無沙汰をにこやかに責められ、は額に汗した。すると隙のない完璧な笑みが、ふっといたずらっぽく崩れた。
「ごめんごめん、ちょっと意地悪言ってみただけ。色々聞いてるよ、毎日頑張ってるみたいだね」
どこから何をどんな風に聞いてるというのか。
噂の出所にうっすら不安を感じたものの、怠けていたと誤解されるよりはよほどマシだったのでは少しばかりほっとした。
「それで今日は?」
「俺は個人演習でキリンを」
「あ、私もイャンクック受けたいんですけど」
それぞれ希望を告げると、滝はおや、という具合に前髪をかきあげた。
「残念。個人演習は今のところ満員だよ」
間が悪かったのか、どこもさっき埋まったばかりだという。
待てばいずれ空きが出るだろうが、いつ回ってくるかも知れない順番を待つのは時間を無駄にしているようで歯がゆい。
明らかに落胆の色を見せた二人に、閃いたように滝は手を打った。
「せっかく二人いるんだから、集団演習やってみれば?」
「集団演習?」
思いがけない提案を受け、日吉とは揃って顔を見合わせた。
「日吉は熱心だし、いい記録も出してるけど、いつも個人しか受けてないよね。複数の狩りを覚えるいい機会じゃないかな」
はなんの異論もなくほうほうと前向きに受け入れたが、一方の日吉にとっては限りなく後向きな申し出だったらしく、苦虫を三年分噛み潰したような顔面を惜しげもなく晒していた。
笑えとは言わないが、礼儀として少しくらいオブラートに包んだらどうかと思う。
「なにその露骨に嫌そうな顔は。別にいいじゃん演習くらい」 
溢れ出すNOの意思には口を尖らせたが、日吉はそれを捨て置き教官を見据えた。
「つるんで狩りなんて御免です。俺は協力や援護よりも、あらゆる敵を一人で仕留められる力が欲しい」
多くの者がパーティを組んでモンスター討伐に挑む中、社交性をかなぐり捨てている男・日吉は訓練所の演習のみならず、実戦も常に単独行動を貫き、目つきの悪い一匹狼として猟団内で異彩を放っている。
人嫌いというより、己のペースを乱されたくないのだろう。いつも貪欲なまでに上を目指し、一秒でも早く這い上がらんとぎらぎらしている。
強すぎる上昇志向の前では、人付き合いなんぞに割く労力すら惜しく思えるのかも知れない。
「もちろん1人で何も出来なきゃ話にならないけどさ」
噛みつかんばかりの日吉に対し、滝は全くひるむことくゆったりと笑って見せた。
「二人とか三人だとか団体限定の依頼だってないわけじゃないんだ。1人の時と複数の時じゃ立ち回りも変わってくるし、位置取りなんかもずいぶん重要になってくる。いくら単独で功績を立てても、チームでの狩り経験がないんじゃハンターとして潰しがきかないよ。本気で一流を目指す気があるなら、どんな状況にも対応できるようになっておくべきだと思うけど?」
語り口こそ穏やかだが、ねじ伏せるに充分な凄みがあった。伊達に歴戦の勇者達を叱咤激励し、育て上げてきたわけではない。
迫力の微笑に言葉を詰まらせた日吉はしばし黙した後、その不服そうな顔を隣に立つに向けた。八つ当たりする気かと一瞬身構えたが、引き結ばれた口元は受けるぞと低く呟いた。
「え?あ?」
半ば置いてきぼりにされたの困惑に構わず、日吉はさっさと歩き出し、滝はというと早々に演習の手続きを始めている。
「今ならイャンクックの集団演習あいてるよ」
「じゃあそれで。構わないだろ」
「は、はあ構いませんが」 
ハイいってらっしゃいと子供を送り出す母のごとき笑顔で滝はひらひらと手をふった。

「一応聞いとくが、イャンクックは狩り慣れてるんだろうな」
「……この前ようやく一頭狩った」
黙々と装備一式を整えていた日吉の動作が一旦ぴたりと止まる。
はっと短い息が吐き出されたあと、乱暴にアームの留め金をはめる音がした。
「……そもそも、なんでお前がハンターに」
「それは言ってくれるな」
自立を早く求められるこの世界では、まだ身をたてるすべを持たぬ若者を集め、独り立ちできるよう育てる養成所がある。
そこで基本的な体力や最低限の知識を養い、ハンターやギルドや刀鍛治などおのおの志す道へと巣立ってゆくのが通例で、かつて日吉とは共に学んだ同期だった。
入学当初からモンスターを叩き伏せる気満々だった日吉とは違い、はハンターになる気などサラサラなかった。
卒業後は古龍観測所に就職して、きままに気球をあげたり乗ったりしようかしら、と地味ながらも手堅そうな将来を思い描いていたのである。
しかし現実はそう甘くはなく、計画は大きく狂った。
いざ就職せんと履歴書握りしめて観測所に飛び込んだはずが、研修中に行われた体力テストでの100m走タイムが逃げ足の速さとして高く評価され、なんの前置きもなくある日突然『狩人認定通知』を満面の笑みを浮かべた上役から渡された。おめでとうと祝福されたが全くなんの話か見当もつかずしばらく茫然としたものである。
この”受けてもないのにハンター合格”のエピソードは今となっても心から意味不明であり、納得のいかない屈指の消化不良メモリアルとして心に深く刻まれている。
もちろん、全く狩りに関心がなかったといえば嘘になる。
とはいえ、己が手で倒したいというよりは、気球の上という安全なリングサイドから観戦しておきたい程度の遠巻きな興味に過ぎず、狩り場のど真ん中に身を置くことなど夢にも思わなかった。しかしまさかのリングイン。現実という奴は本当にハムラビ法典のように容赦がない。
おかげでまっすぐハンターとして歩んでいった者に比べ、まわり道をする羽目となったはかなり出遅れたスタートとなった。
加えて元々ハンターを志望してなかったものだから、当然狩猟絡みの授業や講義などロクに聞いてるはずもなく、狩りに対する知識はど素人に近い。乏しい経験、頼りない知識、目的も不明。
半分は自業自得とはいえハンターライフはなかなかどうして厳しいものである。
「足引っ張るなよ」
「う、ういっす」
口だけの返事になるだろうと双方薄々予感しつつ、おのおの武器を担いで闘技場へと飛び出した。


「お帰り」
一点の曇りもない笑顔がもうひとつ増えて、二人を出口で待ち構えていた。
猛烈に嫌そうな顔の日吉からいつ来たんですかと問われ、お前らが闘技場に入ってすぐやと忍足はウィンクしてみせた。
集会所で酒場を切り盛りしているこの元ハンターは、よほど暇なのか猟団の溜まり場やここ訓練所に頻繁に顔を出しては若手を茶化したり気まぐれにアドバイスをしたりと日々フラフラしている。
「見てたで、ひどいもんや!」
あはははといっそ清々しいほどの笑い声が、肩を落とした二人に容赦なく突き刺さる。
ぎりぎりと穏やかでない歯ぎしりの音が日吉の口元から漏れ始めたが、フォローする気も起らず、はよろよろとカウンターに突っ伏した。途端に後頭部をがしりと掴まれ、低い声が唸る。
「お前は……何回人の頭を的にすれば気が済むのか……」
「あれはわざとじゃ……ていうかガンガン撃ってる時にわざわざ射程圏内に入って来る方が、」
「こっちは部位破壊まで考えて攻撃してるんだ。お前が遠慮しろ」
「えええー充分遠慮してましたけど」
「遠慮してる奴がいきなり爆弾置くかよ」
「支給品に爆弾あったら普通置くわ!」
「まあまあ落ち着いて落ち着いて、はい二人とも深呼吸」
すかさず滝に割って入られ、仏頂面を晒しながらも一旦両者は身を引いた。
ぶつけ損なった苛立ちのやり場に困り、互いに納得いかない表情で再び目線を合わせたが、相手の揚げ足ばかりとるのも虚しい気がして、結局脱力したように大きなため息のハーモニーを奏でた。

忍足が評したように二人のイャンクック討伐は惨憺たるものだった。協力など夢のまた夢。
日吉が危惧した通り、初心者丸出しのが本能のまま動いて場をかき回したのは事実だが、釘をさした日吉もまた、サポートに回るでもなく仲間の存在を無視して立ち回り、複数での狩りに不慣れな面を存分に披露する結果となった。
どちらも相手の位置など頭に入れずに、己の都合の善し悪しのみでの攻撃が基本。
標的しか見ていないものだから、が放った矢はたびたび日吉の脳天を直撃し、その都度おい!ごめん!のやり取りをして二人揃って逃げ遅れる。日吉は日吉で、攻撃範囲の広い斬り下がりを多用しては、切っ先をに引っかけて何度も転ばせた。自分で尻もちをつかせておきながら、馬鹿なにしてんだと慌てて引っ張り起こし、またしても逃げ遅れるを繰り返すという、持ちネタとして充分やっていけそうな黄金パターンであった。
当然アイテム使用のタイミングなど確認するわけもなく、同時に投げる閃光玉、睡眠ビンでイャンクックを眠らせた途端に日吉が攻撃して叩き起こすなど、見事に無駄のオンパレードで、それの最たるものが爆弾の起爆ミスだろう。
イャンクックの注意が日吉に向いている隙に、はこそこそと支給されたシビレ罠を張り、連射で突いて罠へと誘った。
そこまでは良かった。
問題は罠にかかったその後だ。
絶好の機会とが支給用タル爆弾を設置した直後、同じく絶好の機会と捉えた日吉がやる気満々の悪い顔で斬りかかって来たのである。
説明しなくてももうおわかりかと思うが、爆発した。爆弾が爆発するのは結構なことだが、本来爆発してはいけない狩人もろともドカンと散った。イャンクックにも相当なダメージを与えられたであろうが、と日吉が受けた威力はその更に上を行き、闘技場は静かに幕を閉じた。
互いが互いの足を懸命に引っ張り合う、悪い見本の総決算としか言いようがなかった。

素人に毛が生えた程度と気遣いレベル1が組んだところで、すぐに上手くいくはずがないのは誰もが予想していたことだが、まさかここまで無様に散るとは。
己の腕にそれなりに自信があったであろう日吉にとっては屈辱に違いない。
失敗に慣れているでも、爆死でフィニッシュは初めての経験であり、なかなかどうしてショッキングだった。狩り場においてのミスは常だが、いつも陰ながら(かどうか微妙だが)跡部がカバーしてくれていた為、これまで大きな被害に至ることはなかったのである。
萎れたの肩に滝が慰めるようにして手を添えた。
「どう?跡部のありがたみが身に沁みたんじゃない?」
に語りかけるにしては、その声は少しばかり大きすぎる気がした。
「はい……」
力なくが頷くと、少し離れたところでガタッと物音がした。
聞えよがしに滝は続けた。
「サポートは重要だよ。まわりを見る余裕と咄嗟に判断できる技量がないとなかなか完璧にはこなせないけどね」
「まあ跡部はそれが出来るから団長っていう立場が務まるんだけど」
「そう気を落とさないで。仕方ないよ、跡部以上に君を上手く助けてあげられる人なんてそうそういないんだから」
忍足がにやにやと何やら見ていることに気がついて目をやれば、日吉が物騒な目つきでこちらを睨んでいる。
先ほどの悄然とした様が嘘のように、らんらんと光る目には生気が戻り、気のせいか背後には冷たく燃える炎が見えた。
一瞬で元の姿を取り戻す様は、さながら水に浸した高野豆腐。
高野豆腐は立ち上がるなり、殺気をまき散らしながらの方へと歩み寄った。
「おい」
「う、うん」
「行くぞ」
「え」
どちらへ?と問う暇もなく、は強引に腕をとられて闘技場へと連行された。
「さっきのは油断で汚点だ。次は、10分かからず倒す」
「10分!?」
ぎょっとして見上げたが、二度とあんな醜態をさらしてたまるか、と呟く日吉の闘志みなぎる横顔には届きそうもない。それどころか、彼は空恐ろしい事を言った。
「お前がどれだけヘボだろうがクックごときに遅れを取る俺じゃない。最低でも10分は………いや」
―――― 5分代で倒すまでは帰れると思うな
青ざめたを引きずり、日吉は闘技場への扉を押し開いた。


「相変わらず焚きつけるんが上手いなあ」
「若者には頑張ってもらわないと」



本日のハンターメモ:渡る世間は鬼ばかり