とかく、鳳長太郎というのは大袈裟な男である。

 

























 アルコール消毒液の匂いが鼻を付く。
 パリパリと糊がきいている白いシーツは清潔感溢れるものだが、肌触りが良くないのであまり好きになれない。
 その硬い敷物と布団に挟まれたまま寝返りを打ったら、ズキンと鈍い痛みが後頭部に走った。
 そうかあの時頭を打ったんだなと、霞がかった記憶が戻り始め、ゆっくりとは目を開く。
 ぼやけた視界が夢の中を漂っているように頼りない。
 その時、列車が突っ込んできたような騒々しさが部屋全体を襲い、あやふやだった意識は一気に現実へと引き戻された。

 
「大丈夫ですか先輩!!」 


 親の危篤の知らせでも受けたのかという必死かつ悲壮な表情。

 「ちょ、長太郎…」

 横引きの扉が吹っ飛ぶ勢いで駆け込んできたのは、銀髪も凛々しいテニス部の後輩である。

 3年も大所帯の氷帝テニス部でマネージャーなんぞをしていると、ありがたいことに頼りにしてくれる部員達や慕ってくれる後輩などがそれなりに居たりするわけだが、その中でも彼は特別だった。
 2年生ながらこの強豪チームでレギュラー入りを果たした鳳長太郎。
 この世知辛い世の中には今時珍しいくらいに心穏やかで優しい少年である。
 だが、その思いやりの大きさは常人の認識を遙かに越えていた。
 なんというか、いちいちオーバーなのである。
 一のものを十に、いや、時に百にしてしまうような豊かな感受性を持ち合わせているらしい。

 たとえばがプリントで指を切ってしまった時のこと。
 彼女の指に巻かれたバンドエイドを見て長太郎は開口一番こう叫んだ。
 
 「な…何針縫ったんですか?!!」
 
 何針もなにも、縫い糸が登場しそうな気配ゼロ。まぎれもないかすり傷である。
 こんな傷でいちいち針を刺されていては、宍戸などとっくにツギハギだらけのパッチワークではないか。
 心配してくれるのはありがたいのだが、たかが切り傷くらいでそんなに騒がれると非常に恥ずかしい。
 だが長太郎は、その日1日「ペンなんて持ったら傷口開きますよ」だとか「危ないから送ります。鞄は俺が持ちます」などと骨折でもしたかのような扱いをしてくれた。
 迂闊に彼の前で傷などつくってはいけない、とは心底思ったものである。
 一事が万事こんな調子なので、三年が海外へ研修旅行へと旅立つ際はもう大変だった。
 
 「どうか、体に…気をつけて…」
 
 いきなりの涙目に、力強い握手である。
 今生の別れでもしているかのような振る舞いに、は苦笑いするしかなかった。
 これが別の部員ならばギャグとして受け取るのだが(日吉であれば恐怖以外の何者でもないが)相手は他でもない、いつでも本気の長太郎である。
 しかもでかい図体にはあり得ない子犬のような瞳が、敵の抵抗を許さない。

 「遠い地で大事な先輩の為に祈ってますから・・先輩が無事で帰国しますように…」

 長太郎はそう言ったまま、なかなか手を離してくれなかった。
 「てめぇにとっての大事な先輩はだけなのかコラ」と不機嫌さをあらわにしていた跡部の台詞も耳に入っていない様子で、彼の隠された肝の太さ(に戦慄)を感じ取った昼下がり。
 
 「手紙、出してくださいね」
 「え、手紙?」
 「俺、待ってます」(泣きそう)
 「う…わ、わかった」

 一応出すには出したが、エアメールの到着というのは普通郵便よりも遅く。
 の予想通り手紙より本人が帰ってくる方が早かった。
 
 
 と、まあこんな感じで、長太郎はなにかと日常をドラマチックに彩りがちなのである。
 普段からそんな彼であるからして、が倒れたことなど聞きつけた日には、黙っているわけは無い。
 天地をひっくり返すような大騒ぎで飛んできたわけだ。



 

 「俺、もうびっくりして…急いでお見舞いに来ました」

 本当に急いできたのだろう、首のロザリオが後ろへ一回転している。
 
 「手ぶらじゃアレかな、と思って。これどうぞ」

 息を切らした長太郎が差し出したのは、見舞いの定番・花である。
 ただ、少し違っていたのは大きさだろうか。

 
「でか!!」

 何を思ったのか、長太郎はグングン育ったヒマワリを一本引っこ抜いて持ってきた。
 しかもずいぶんと逞しいのを選んだらしく、花の部分はの顔より大きい。
 茎なんかもう、ごんぶとである。
 とりあえず受け取ってみたが、ずっしりとした重みがの弱った体を更に疲労させた。

 「顔色、悪いですよ先輩。食欲ありますか?りんごとか剥きますか?」

 そう覗き込んできた長太郎の顔は本当に心配そうである。
 むしろ彼の顔色の方が良くない。
 他人のことにここまで心を砕いてくれる者はそうそういるものではない。
 親兄弟のように親身になってくれる、本当に心優しい少年である。
 ありがたいなぁ、と感じると同時に、彼へ言っておかねばならないことがあるのをは思い出した。
 
 「あ、あのね、長太郎」
 「はい」
 「私、ただの日射病だからさ」

 ついでに言うと、ここは病室でもなんでもなく、ただの保健室だ。
 休み時間中、友人がたまに様子を見に来てくれるのならば珍しくも無いが、花を持って見舞いに来たのはこの男くらいのもんだろう。
 普段の彼の大袈裟ぶりを知っているとはいえ、は結構ビックリした。
 一瞬、本気で自分は病院に運ばれたのかと錯覚してしまったほどである。

 「ただの、なんかじゃありませんよ。倒れたなんて…
担架で救急隊員に搬送されたりなんて…」 
 「え、ちょっと、それ誰の話?」
 
 保健委員に付き添ってもらって保健室へ連れて行ってもらっただけの状況が、どうしたらそんな緊張感みなぎる展開になるのか。
 日射病ごときで出動していたら救急隊員こそ過労で運ばれる。

 「ていうか長太郎、授業は?」
 「そんなもの二の次です」
 「いやいや、こっちが二の次だろ!」

 授業受けて来いよ!とは云ったが、「こんな気持ちのまま授業なんて受けてられませんよ!」と逆ギレされてしまった。
 何故だ。
 
 「もう…俺の心臓が壊れそうでした…」
 「そ、そうでしたか…」
 「駄目ですよ先輩。健康には気を配らないと」

 真剣な口調、そして潤んだ瞳で(何度涙ぐめば気が済むのか)そう説かれては、素直に頷くしかない。
 なんか釈然としない気もするが。

 「うん、まぁ…貧血気味なのもあったかなぁ…鉄分とらないと」
 
 年頃の女の子は何かと鉄分が不足がちだ。
 体の成長が安定しない思春期はその傾向が顕著である。
 も例に漏れずそのグループに分類されており、月に一回のお務めの際に体調を崩しがちだった。 
 
 「鉄分、足りないんですか?」
 「あ、や、で、でも今日の夕食でほうれん草食べるから!!うん、もうそりゃモリモリと!」
    
 長太郎がおかしなことを言う前に、は大慌てでそう付け加えた。
 彼の前で下手な弱音を吐いてはいけない。
 鉄分が不足してるなんて情報を与えたら「レバー食べなきゃ駄目ですよ」とか言って牛一頭引っ張ってきかねない男だ。
 生きた家畜を解体できる自信などにはない。

 「とにかく今日は早く帰った方がいいですよ。部活は休んでくださいね」
 「うーん…そうだね、そうしようかな」
 
 もう大分回復したが本調子とはいえない。
 珍しく妥当な長太郎の意見には頷きかけたが。
 
 「安心して下さい、俺が家までおぶって帰ります

 やっぱり長太郎は長太郎だった。

 「……1人で帰れるから」
 「大丈夫ですよ、まかせて下さい!体力には自信がありますから」
 「いや、そういうことじゃなくて………つーか長太郎は部活出なよ!」
 「こんな気持ちのまま部活なんて出られませんよ!」
 
 
またしても逆ギレされた。
 普段は温厚なくせに、こういう時に見せる押しの強さはあの跡部といい勝負である。
 諦めの溜息を吐きながら長太郎へと向き直ったは、彼の肩に細かい葉っぱが乗っていることに気が付いた。
 よく見ると、制服や顔、髪の上にも枝や泥があちこちに付着している。
 だらしない格好を好まない彼にしては、とても珍しい。
 がそれを指摘するまで気付かなかったらしく、「あれっ」とか言いながら今になって長太郎は軽く汚れや葉を軽く払い落とした。

 「花壇からそれを引っこ抜くときについちゃったんでしょうね」

 (あ、やっぱりな)

 薄々は感づいていたが、やはり持ってきた向日葵は校庭に咲いていたものだったのかとここにきては確信する。 
 すいません、用務員の人。
 しかし、泥や枝を体中にくっつけながら自分の背丈ほどある向日葵を背負って走る長太郎の姿を思い浮かべると、妙に微笑ましくての頬はついつい緩んだ。
 笑っちゃってる場合ではないのだが。
 やってることは相当無茶なのだが。
 それにしてもどうしてこんな一番骨が折れそうな花を選んだのか。
 花泥棒を薦めるつもりはないが、あの花壇にはもっと簡単に持ってこれそうな小さい花がたくさん咲いている。

 「他にも花はあったんですけど、」 
  
 の心を察したかのように、長太郎は口を開いた。
  
 「一番、先輩が元気になってくれそうな花を持ってきました」

 朗らかに笑った彼の頬には、わずかな泥汚れ。
 その笑顔に、はどうしようもない程のいじらしさを感じてしまった。
 ああ、この子はきっと、お日様から生まれてきたに違いない。
 向日葵は太陽の花だから。
 長太郎は自分の花を手土産にここへやって来たのだ。
 他人が聞いたらメルヘンチック過ぎやしないかと噴出すかも知れないが、はその時本気でそう思った。
 大袈裟なのも当然なのかも知れない。
 相手は太陽の子だもの。
 勝負にならない。
 違うのだ、スケールの大きさが。
 ちっぽけな自分のため汚れることも厭わずに、泥と葉を掻き分けてくれた大きな光の星。
 なんてまぶしい。
 なんて愛しい。 

 「……ありがと」
 
 手の中の小さなお日様も、黄色くキラキラと光を放っている。

 「この向日葵、長太郎と同じ太陽の匂いがするね」

 照れを振り切り、感謝の想いを込めた恥ずかしい台詞を頑張って吐いてみただったが
 
 
先輩こそが、俺の太陽です!」

 
もっと恥ずかしい言葉を言い放たれ、まんまと返り討ちにあってしまった。
 
 鳳長太郎とは、大袈裟かつ手強い男である。

 
 





 

 「なぁ…この花壇の豪快な穴はなんやねん」
 「それ長太郎が掘り起こしてたやつだぜ。授業中、窓から見えた」
 「絶対保健室に持ってたんだよ!ホラさっき、倒れたからさ」
 「…ホントあいつの頭ん中だけやな!俺この前練習中にヒザパックリ割って、めっちゃ血出たときなんかアイツ何つったと思う?
『大丈夫ですか?草のツユでもつけときますか?』やて!しかもめっちゃ爽やかな顔してんねん!その偏った思いやりを半分でもいいから他に向けろ、言いたいわ」 

 どうやら、長太郎の温かい太陽光線の恩恵を受けられるのはごく一部(1人)だけであるらしい。
 さすが、一球入魂。
 彼の生き方にまで、それは反映されている。
 
 ここで訂正。
 鳳長太郎というのは、一部の者に対してのみ大袈裟な男である。





  
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