が暮らす呉の国にも、雪が降りつもる季節がやって来た。
 暖房設備の整っていないこちらの環境は、冷え性の彼女にはいささかこたえる。
 決して冬が嫌いなわけではないが、この寒さはどうもいただけない。
 その日も朝からかなり冷え込んでいて、室内だというのに妙に肌寒い。
 寒いな、熱いお茶でも淹れようかな。
 鼻をすすりながらぼんやりそう思っていると、部屋の扉が叩かれる。
 控えめなノックの音でを呼んだのは、ここ1、2週間ほど姿を見せなかった周泰だった。
  
 「なんだか久しぶりですね、周泰様」

 しばらく姿を見てなかったので、突然の彼の訪問には無意識に顔がほころぶ。
 周泰の性格からして、こんな風に直接私室を訪ねたりすることはあまりない。
 だが、常に無い彼の行動を不思議に思う気持ちより、久々に会えた嬉しさの方が勝っていたのでは何も尋ねなかった。
 立ち話もなんだろうと、とりあえず部屋に招き入れようとしたが、周泰は静かに首を振る。
  
 「入らないんですか?」

 代わりに彼は、を招くように手をコイコイと振った。
     


 何を聞いても答えてもらえないまま後をついて行くと、彼の足は一つの扉の前で止まった。
 周泰の私室だった。
 そういえば、周泰様の部屋に入るのも久々だなぁ。
 初めて足を踏み入れたときは、何も無くてビックリした。
 机が一つ、と簡素な棚が一つ。
 棚の上には、ズラリと同じ兜が何個も並んでいて。
 さりげなく取り替えてたんだ!!
 地味なこだわりを発見して、もっとビックリした。
 部屋の入り口で、そんな事をしみじみと思い出していると周泰が中へと促す。

 「…入れ」
 「あ、はい。お邪魔しま…」
      
 あれ?

 部屋の印象がずいぶん違う。
 以前は武人らしい厳粛な雰囲気だったのが、今日は…
 なんというか、入った瞬間に懐かしさを感じてしまった。
 微妙にアットホームな匂いがする。 
 思わず「ただいまー」などと口走ってしまいそうな。

 「あっ!!」

 は以前は無かったものの存在に気がついた。
  

 
「こ、こたつ!!」


 部屋の中心に、こたつ。 
 妙に家庭的な気持ちが湧いてくる原因はこれか。
 こたつだ、こたつ、とが騒いでいると、周泰がボソリと一言。

 「…こたつでは、ない」

 彼はこたつ布団をベロリとめくる。

 「こっ、これは!」

 
 掘りごたつだった。
 

 ゴソゴソと身を沈めながら、彼は本日二度目の台詞を呟く。
  
 「…入れ」

 こたつへ。  

 「は、はい、お邪魔します」

 こたつ…いや、掘りごたつに。

 戸惑いながらも、冷たい足を入れ肩まで布団を被ると、じんわりとぬくもりがこみ上げてきた。
 あたたかい。
 ゆっくり芯から温められてぐにゃり、と体中の筋肉がとろけてゆきそうだ。
  
 「ポカポカですねぇ」

 暖かさと幸福感で、すっかりはの顔は緩みきっている。
 猫背な彼女とは対照的に、こたつに入りながらも不自然なほど正しい姿勢を崩さない周泰。
 しかし、その表情はいつもよりも穏やかだった。

 「…これで冬も寒くない」

 その彼の言葉で、はハッと思い出した。
 いつだったか、寒さに弱いことを周泰に洩らしたことがある。
 「こたつがあれば乗り越えられるのになぁ」
 と、軽い気持ちで呟いたの頭を、ポンポンと彼は優しく叩いた。
 たったそれだけ。
 口走った本人でさえ忘れかけていた、たわいもない日常の会話の一端だった。

 「もしかして、2週間かけてこれ…作って…?」

 周泰はしばらく黙っていたが、やがてゆっくり頷いた。

 「周泰様…ありがとうございます」

 感極まって泣きそうになってしまったが、はなんとかこらえた。
 冷静に考えれば、ポツリと洩らした呟き一つで、ここまで大掛かりな改造に踏み切ってしまう彼の行動はちょっと怖いものがあるが、そこは2人を取り巻く
「愛」という名のカーテンでシャットアウトである。
 無粋なことを言ってはいけない。
 
 コタツの上には、ご丁寧にミカンまでカゴに盛られている。
 周泰は無言のまま、その一つに手を伸ばした。
 小さいミカンだ。
 いや違う。
 周泰の手が大きいのだ。
 孫権を守ることを務めとする傷だらけの手は、意外にも器用に動き、丁寧に白い筋を取り除いてゆく。
 すっかり裸にされた果実は柔らかい橙色で、とても美味しそうだ。
  
 「綺麗にむけましたね」

 気の効いたことの言えないは、見たまんまの感想を述べた。
 周泰は剥き終えたそれを、へと差し出した。

 「え、くれるんですか?」

 周泰はひとつ、頷いた。
 どうやら初めからの為に剥いていたらしい。
 食べるのが勿体ないな。
 手渡されたミカンを見ながら、そう思った。
 本当に綺麗に皮が剥かれている。  
  
 「いつも孫権様にも、こうして剥いてあげてるんですか?」

 あんまり手馴れているので、は思わず尋ねてしまった。

 「…いや」
 
 周泰は軽く頭を横に振った。

 「お前にだけだ」
   


 
 周泰は無口な男だ。
 意思を言葉にするのが苦手な男だ。
 いうなれば、不言実行。
 だから、は彼からはっきりと想いを告げられたことはない。
 からも気持ちを伝えたことがない。
 だが、本気で耳を傾ければ、大切なことが聞こえてくる。
 短い言葉の中に含まれた、沢山の優しさ。
 「好き」や「愛している」なんて台詞は聞けないけれど、その代わり彼には偽りの言葉がない。
 口に出す言葉は、すべて本当の気持ち。
 それはとても尊いことだ。

 いつもはひんやりとしているはずの足先には、冷たさがない。
 かじかむ手も、今は子供のような高い体温で満たされている。
 掘りごたつは、暖かい。
 心の奥までがしびれるほど溢れる、この幸福感。
 彼の言葉は、温かい。

  
 一粒つまんで、は口に放り込む。
 掌ですっかり暖められたミカンは、少しぬるかった。
 そして、とても甘かった。
  
 「…周泰様の分、私が剥いてあげますね」
  
 カゴのミカンをひとつ手に取って、は微笑んだ。
 頷いて、周泰も目を細めた。
 窓の外には、ちらちらとと降りはじめた雪が見える。
 冬の寒さも悪くないなあ。
 はミカンの皮をむきながら、そんなことを思った。