「そういえば、興味深い話を小耳にはさんだぞ」

 鍛錬も一段落ついた昼下がり。
 誰に話しかけるでもなくそう呟いたのは、軽く月まで届きそうな爽快なバッティングを終えた黄蓋だった。

 「なんですか、また兵の誰々と女官の何とかが付き合ってるとかいう下世話な話じゃないでしょうね」
 「うーん、ま、下世話っちゃ下世話かもしれんがな」

 見かけによらずこの黄蓋、一体どこで仕入れてくるのか噂話や醜聞に妙に詳しく、呉のワイドショー的存在である。
 多くは誰がくっついただの別れただのという主婦が喜びそうな色恋沙汰の話題な上、どれもこれも信憑性に欠けるものばかり。
 今まで何度もガセネタをつかまされている武将連中が本気で耳を貸すわけもなく、各自それぞれ勝手に休憩を取りだしたが、気にせず黄蓋は話を続けた。
 
 「ちょうどここへ来る途中に通りがかった庭でのことなんだが…」





  「ちょっと顔色良くないんじゃない?
  「尚香様…なんか最近よく眠れないんですよ」 
  「そりゃまた何で」 
  「どうしてか分からないんですけど、近頃ずっと夢に同じ人が現れて」
  「同じ人?」
  「そうなんですよ、こう毎回夢に出てくると気になっちゃって」
  「えーちょっとそれってさぁ、恋かなんかじゃないの!?ヒューヒュー」
  「(ヒューヒューって今時…)いやそんな、確かに親しくはさせて頂いてますけど、そういう風な間柄じゃありませんよ」
  「夢には深層心理が現れるっていうじゃない?!自分じゃ気付かないってことも…!ヒューヒュー!」
  「ヒューヒューはもうやめてください」 

 



 「ってな具合で…ん?」

 さっきまでまるで関心なさげだったはずの野郎どもは、気付けば真剣な顔つきで黄蓋の話に食いついていた。
 身を乗り出してのかぶりつきである。
 
 「なんだ?急に熱心になりおって」
 「なんだ、じゃないですよ!殿に関わることなら最初からそう言ってください!」
 「また誰だかわかんねー奴の浮気発覚とかのネタかと思ったんだよ!」
 「それで?!その後は?その後どうなったんだ?!」
 「あ?ああ」

 まくしたてるように促され、黄蓋は勢いに押されるように話を続けた。
  
 



  「ね、誰?誰?!そのオネツの相手は一体誰?!」
  「オ、オネツ…!!さっきから昭和の匂いがするフレーズを駆使してくるの勘弁してくださいよ」
  「いいから、そんなのはいいからさ!誰?誰なの?誰ダレ?!」
  「な、なんかそこまで食いつかれると言いにくいんですけど」
  「えー?!ケチ!じゃあヒントだけちょーだいよー名前の漢字一文字とか」
  「それじゃほぼ丸分かりじゃないですか」
  「うーん、それならイニシャルートークで行こう!イニシャルトークで」
  「イニシャル?」
  「そうイニシャル」
  「えーと………S…かな?」 
 
  


 「S……か」

 話を全て聞き終えた武将たちはおのおの神妙な表情を浮かべ、独り言のように呟いた。
 彼らが気にするのも無理もない。
 がその相手にホの字(またしても古い)かどうかははっきりしないものの、何らかの思いを抱いていることは間違いないだろう。
 ほんの少しの違和感や気付かなかった憧れが、いつしか恋や愛に変わるなんてのはラブストーリーによくある展開である。 
 
 「親しくさせて頂いているって仰ってたくらいですから、この国の者だということは間違いありませんね…」
 「しかし、我が国の武将でSというのは結構多いぞ?」

 そう言って、呂蒙は指折り数えつつ思いつくままに名を上げてゆく。

 「殿である孫堅様、孫策様、孫権様、周瑜殿…それとも既婚者は省くべきか?」

 ふと顔を上げ周囲を見回したが、皆一様に首を振った。

 「この際障害は…あ、いや可能性はすべて考えておくべきかと」

 思いのほか陸遜の声が低かったことに一瞬場に緊張が走ったが、とりあえず一同その意見に頷く。
 彼ほどオープンには出来ないものの、全員似たようなことを考えていた。

 「ええと他には…ああ、尚香姫と小喬様もSだな」
 (そのへんまでリストアップかよ!)

 本当にすべての可能性を上げ始める正直な男、呂蒙。

 「まあ、これでこの場にいない者の名はすべて上がったな……問題はここからだ」
 
 呂蒙が言葉を切った瞬間、全員のゴクリと息を呑むその音が合唱のように響いた。

 「この中に、何名該当者がいるか」

 皆、急に黙りこくってしまった。
 顔はそれぞれ妙に強張っており、硬直しているというよりはお互いを威嚇しているような緊張感である。
 その中を、一陣の風が闘争心剥き出しの彼らを宥めるように軽やかに吹いていった。

 「ふうむ」
 
 予想に反して緊迫しはじめた事態を(言いだしっぺのくせに)他人事のように見守っていた黄蓋は、ピリピリと殺気立った連中が見守る中、おもむろに己の武器を手にし地面を削るようにして一本の線を引き出した。
 作業を終えた黄蓋は、よし、と呟きながら引いたばかりの線の右側に立ち、

 「Sじゃない輩はワシの方。Sの該当者はあっちな」

 と、指をさした。
 それは、向き合いたくない現実をむざむざと見せ付けるあまりに冷酷無比な振り分け。
 惨い真実を認めたくなくて口を閉ざしていたというのに、それを一目瞭然にしようというのだからなかなかシビアな男だ。とんだクール黄蓋(クールガイ)だ。
 しかしここまでされて従わないわけにもいかないので、武将たちはノソノソと移動し始めた。


 

  ・


  ・


  ・ 




 明らかにイニシャルSから外れている凌統は、自ら黄蓋組(失恋組)に赴くことに対して激しいダメージを受け、しばらく暗くしゃごみこんでいた。だが、線の向こう側が視界に入った瞬間、
 
 「…ちょっと待てってェェェ!!!」

 いきなり甘寧仇討ち時より激しい怒声を上げた。 
 凌統同様深い絶望に突き落とされ「の」の字を地面一杯に書いていた陸遜と甘寧も、その声につられて思わず顔を上げる。
  
 
 黄蓋組
 ・陸遜
 ・凌統
 ・甘寧

 S組
 ・周泰
 ・太史慈
 ・呂蒙


 
 「周泰はともかく、なんだその2人!!」
 「オッサンと太史慈はこっちだろーが!!」
 「まったく図々しいにも程があります…!さあこっちへ来てください!さあさあ、早く!ちんたらせずにとっとと来やがれ!」 
 
 S組にちゃっかり入っている2人へギャアギャアと抗議の声を一斉にぶつけ始めたが、決して線を越えようとしない黄蓋組3名。
 土の上の傷に過ぎないただの線だというのに、大河の如き隔たりを感じるらしい。
 これが勝者と敗者の深い溝というものか。
 しかしいくら罵られようと、呂蒙と太史慈にそこを動く気配はなく、浴びせられる罵詈雑言に焦るどころかむしろ余裕のようなものがそこはかとなく滲み出ている。
 普段が普段なだけに、自信に満ち溢れた彼らの今の姿は余計に際立って見えた。要するに腹が立った。

 「なんだあの勝ち誇った顔…」
 「なんかスゲーむかつく…!その半笑いをやめろ!」
 「ホントいい加減にしないと火矢いきますよ、火矢」

 さすがに火矢は困ると思ったのか、慌てたように呂蒙はひとつ咳払いをし、

 「俺と太史慈は…ほら、なあ?」

 太史慈が頷き、そのまま続ける。

 「字が…な」


 呂蒙 子明(しめい)
 太史慈 子義(しぎ)

 
 「だから一応S組の資格はあるわけだ」

 「…ち…ちくしょう…」

 凌統と甘寧はガクッと肩を落とし、悔しそうに地面を叩きつけた。
 こんな屈辱、敗戦でも味わったことがない。
 一気に冬将軍が訪れてしまい、もう冬眠にでも入ろうかという凍えそうに寒い黄蓋組だが、その中でひとりまだ冬支度をしていない者が1人いた。
 若さと暴走の象徴、陸遜である。
 仁王立ちで線の向こうを見つめていた彼は、挫けきって地面に突っ伏していた凌統と甘寧を横目に、何を思ったかずんずんと歩き出した。向かっている先は、勝者の楽園S組である。

 「お、おい、陸遜!」

 「血迷ったか?お前の居場所はそこにねえぞ」
 
 制止しようとする二人の言葉に立ち止まり、

 「いえ、居場所はあちらでいいんです」
 
 そう呟いた後、陸遜は晴れやかに振り返った。

  「何故なら、RIKU 
ON だからです」


 
 
苦  し  い  



 この男はイニシャルトークの法則を根底から覆そうというのか。
 納得する要素が一つもないこじつけではあるが、どれほど小さな穴だろうが全身全霊のゴリ押しで割り込もうとするその執念には恐れ入る。
 可能性を引き寄せるというか、無理矢理ねじ伏せるというか、とにかく相変わらずの無茶苦茶さはさすがとしか言いようがない。
 しかし、ミスター力技の陸遜にばかり目を奪われている場合ではなかった。
 
 「それなら…KOU 
EKI の俺も立派なSだ!」
 「凌統お前まで!」
 
 どうしてこんなに、呉の武将は負けず嫌いなのだろう。 
 
 「どいてください!私こそが可能性濃厚なSなんですから」
 「その自信の根拠がわからん」
 「入れろ!このKOUSEKIをそっちのゾーンに入れろっつの!」
 「その切ないローマ字表記はよせ!周泰、めいっぱい押し戻せ!」 
 「……うむ」

 グイグイと強引に線を渡ろうとする陸遜と凌統、それを入れまいとする呂蒙と太史慈と周泰。
 ハタから見ると楽しそうなおしくらまんじゅうに過ぎないが、その実は男としてのプライドがかかった決死の一戦だ(全員独身だし)(いろいろと必死なのである)

 理不尽パワーに苦戦しつつも、3対2ならばなんとか凌げるだろうと楽観視していたが、突然強力な力が加わり呂蒙らは一瞬のけぞってしまった。 

 「うわっ!!なんだ、急に…って甘寧!!

 さっきまで屍と化していた甘寧までが押し寄せる波に加わっていた。
 他の二人に比べ、無駄に腕力のある甘寧の援護は正直キツい。 

 「お、お前はこっちに来る要素がひとつもないだろうが!!」
 「あるぜ!俺もこっち側の男だ!」
 「なんだそれは」
 「俺はなんせ鈴の甘寧だからな!
UZU の!」
 
「いよいよ苦しいわー!!」

 どんどんと勝手に基準をゆるくされているの想い人候補「S」。
 無理矢理その「S」に仲間入りしようがしまいが、まったく展開に影響をもたらすことなどないというのに、彼らは気付かず全力で戦い続けていた。
 せめぎ合っている中心のやや後ろで、

 (…黄蓋……マッスルな黄蓋の、S・・・)

 などと考えているベテラン武将が参戦してくるのも時間の問題である。
 
 



 その頃、噂の尚香とは ―――


  「もーわっかんないわよー!」
  「そうですか?」
  「Sってウチの軍にいっぱいいるじゃん!!」
  「まあ確かに多いですもんね、Sって」
  「そろそろ教えてよ、誰?周泰?それとも権兄?まさか策兄じゃないよね?!」
  「えー誰にも言わないで下さいよ?」
  「言わない言わない!」
  「そのSの人は…」
  「Sの人は…?」
  「水鏡先生です」 
  「…………は」
  「近頃よく護衛武将の方が仕官してくるんで、自動的に1日に何回もお会することになるんですけど、最近夢の中でもその評が続いて…」 
  「……………バ、バカらし…」 
  「アララ、ひどいですね。自分で聞いといて」
  「…まーとにかく、あの連中の耳に入らなくて良かったわ。こんなの聞いてたら絶対揉めてるわよ」

 姫様のご想像通り、耳に入れちゃったあの連中は未だ揉めに揉めっ放しであり、そろそろ止めないと怪我人が出そうな雰囲気である。
 果たして、彼らが事の真相を知り、自分たちの諍いがいかに無駄だったか思い知るのは一体いつのことだろう。