どう考えてもただの子供にしか見えなくて、俺はしばらく戸惑った。

 「ずいぶんと…幼いな。13くらいか?」

 思わず口を滑らすと、と名乗ったその少女は目玉が落っこちそうな程目を見開いた。
 相当、ショックだったらしい。
 後で歳を聞いて、驚いた。
 17歳といえば、然るべきところへ嫁ぎ、子供の1人や2人産んでいてもおかしくない年頃ではないか。
 しかし目の前のこの娘は、結婚どころか化粧もしていない。
 魏の命運という仰々しいものを背負わせるには彼女の肩は小さすぎて、いささか気の毒な感じがした。

 当初俺はその言動と眼帯のせいで、どうもから避けられていたらしい。
 「怖そうな人」
 そう思われたんだろう。
 慣れている。いつものことだ。
 ひょうきんな人などと言われたほうが困る。
  
 明らかに俺を見る目が少しビクビクしているので、怯えさせないようしばらく距離をとって接するようにしていたのだが。
 …どうにも、放っておけなかった。
 ちょっと目を離すと、とんでもない騒動に巻き込まれていることが多々あったからだ。
 この世界に不慣れなあいつは、小太刀を持たずに出歩いて、野生の虎に襲われかけたり、暴れ馬に追いかけられたり張コウに追い回されたりと毎日何かしら事件の渦中にいた(※最後のは可愛がられていただけらしいが、
変態なので夏候惇的に事件としてカウント)
 その中でも一番度肝を抜かれたのは、やはりあれだな。
 自分で起こした風に巻かれて、が上空に吹っ飛ばされた時の話だ。
 信じられないことだが、事実なんだから仕方ないだろう。
  
 日も暮れるというのになかなか戻って来ない、と女官が騒いでいるので見に行ったんだが、どこを探しても見つからない。
 途方にくれながら空を見上げたら、あいつが木の枝にぶら下がっていた。
 …今思い出しても、冷や汗が出る。
  
 大体なんで、朱雀様が風でぶっ飛ばされるんだ。

 どうもという娘は、俺が抱いていた「予言の救世主」という神々しいイメージとは、かなり違っていた。
 呂布のように屈強でもなければ、司馬懿や蜀の孔明のように機知に富んでいるわけでもない。
 本当に、ただのどこにでもいるような普通の小娘だった。
 木の上から短刀を落としたせいで下りられなくなったを、俺はどうにか助けてやった。
 怖かっただろうに、泣き出すことよりも先に「ごめんなさい」と何度も謝る彼女の顔には、枝の引っかき傷が沢山ついていて。
 俺はその時初めて思い知らされた気がする。
 こいつだって不器用ながらも毎日必死に戦っている、ということ。
 朱雀だって万能ではないのだ、と。
 その頃くらいからだろうか、が怖がらずに近付いてくるようになったのは。
 顔色を窺うような接し方ではなく、ごく自然に。
 よく笑うようになったあいつを見て、俺はなんだか安堵した。

  
 「あ、夏侯惇様」
 「…か、どうした」

 考え事の途中に、その本人から声をかけられるのは、なかなか心臓に悪い。 

 「今日は、そっちより奥は行けませんよ」    
  
 いつの間にか林に向かって歩いていた俺を、は制した。
 はて、立ち入り禁止区域なんてものがこのへんにあっただろうか?
 そう思って俺が首を傾げると、は悪戯っぽく微笑んで、林の奥を突付くように指で示す。

 「ははぁ…今日は貸切か」

 視線の先には、仲良く弁当を広げている曹丕・甄姫夫婦。

 「さっき通ったとき、甘酒もらっちゃいました」

 甘酒一杯で、こんなにニコニコできるのだから安上がりな奴だ。
 人懐こい笑顔につられて、俺も少し頬が緩む。
 が、次の瞬間、あることに気付いてしまった。

 「甘酒?…アルコールが入っているな…」
 「そりゃあ酒っていうくらいだから…?」

 が、あ!というような顔をしたその時、象でも暴れているような物凄い破壊音が響いてきた。
 樹齢何百年という馬鹿みたいに太い樹木が2、3本倒れていくのが見える。
  
 「遅かったか…」
 「…曹丕様、ご武運を…」

 酒が入れば最後、魏のリーサルウエポンなどと囁かれている甄姫が、景気よく真・無双乱舞を最愛の夫に食らわせている場面が視界に入る。
 明日は曹丕の出仕は絶望的だな…
 否、明日どころか向こう1週間は無理かも知れん。
 さっきまで小鳥のさえずりが聞こえるほど平和だった昼下がりが、
 一瞬にして血で血を洗う
バイオレンスアクションへと一変したことに畏怖を覚えた俺は、たまらず視線をはずした。  
 はというと、とうに現実逃避して花なんか摘んでいる。
 目は完全に泳いでいたが。
  
 「でも仲いいですよね、あのお2人は」

 はそう言って、作り終えた小さな花冠を手でもてあそぶ。
  
 「まぁ時々アレだが、仲はいい夫婦だろうな。今のところ第二夫人もおらんようだし」

 俺は何の気なしにそう答えたが、から何の返答もない。
 どうかしたかと隣を見ると、あいつはこの世の終わりみたいな顔で固まっていた。
 な、なにをそんなに衝撃を受けてるんだ?
 俺は何かマズいことを言ってしまったか?

 「第二夫人て……第二……そんな」

 は見ているこっちが落ち込んでしまいそうなほど、ガクーっと肩を落とした。
 が言うには、彼女の国では一夫一妻制が当たり前で、結婚相手を永遠に愛すると神前で誓うらしい。
 ちゃんと相手がいるのに、浮気なんて許されない、ましてや第二夫人や後宮なんてもってのほかだと。
 そんな世界から来たのでは、ここの習慣にはついていけないだろう。
 妻や妾は財産のように扱われる時代だ。
  
 「万が一帰れなくても…こっちで誰かと結婚して、子供は3人ぐらいで幸せな家庭を築いていくのもいいなって思ってたのに…」

 子供の人数まで計画済みなのか。
 い、意外としっかりとした人生設計をしているな。
 戸惑う俺を尻目に、は沈み込んだままポツリポツリと呟いた。

 「一夫多妻制なんて絶対いやだあ……やっぱり、何が何でも元の世界に戻」
 
「俺は生涯1人の妻しか持たんぞ!!」

 ハッ何を言っているんだ俺は…  
 突然の見当違いな発言に、はキョトンとした顔で、俺を見上げている。
 いや今のは、となんとか弁解しようと口を開きかけたとき、はゆるゆると微笑んだ。

 「そうですね。夏侯惇様みたいな方もいますもんね。ここの男の人全部がそんな人じゃありませんよね!」

 晴れ晴れとした笑顔を取り戻したを見て、俺は突然、理解した。
 ああ、そうか。
 そんな答えを待ってたわけか、俺は。
 参ったな。
  

 どうやら、俺はこいつに惚れてるらしい。

  
 道理で帰らせたくなかったわけだ。
 いつまでもこっちの世界に留まって、それが当たり前であるように暮らし続けて欲しい。
 このままずっと、自分のそばで。
    
 いきなり自分の中に降ってわいた恋心という存在に、どうしていいものかと俺は苦笑いするしかなかった。
 いや、本当のところ突然なんかではないのだろう。
 恐らくずっと前から潜んでいたはずだ。
 どうして自分の片目が常にあいつの姿をさがしていたか、その理由がようやく分かった気がした。
  
 「何かいいことでもありました?」

 1人で笑っている俺を、小さな朱雀様が覗き込む。
  
 「ちょっとな」

 新たな発見があった、と言いながら俺はの手から冠を取り上げ、頭の上にかぶせてやった。
 真っ白な花がぐるりと、彼女の頭の周りを囲むように咲いている。
 不思議なほど、よく似合っていた。そして何かによく似ていた。

 「何だ、その。そうしてるとまるで…」
 「まるで?」
 「……子供みたいだな」
 「また言いますかそういうこと!」 

 初めて会った日と会話の内容は同じだというのに、あの時よりずっと近い距離感を、たまらなく嬉しく感じてしまう。
 子供って言わないで下さい!と頬を膨らませるを見ながら、俺はただただ笑っていた。
 こんな風にこいつが怒るたび、泣くたび、そして笑うたび。
 少しずつ少しずつ俺の中にあった正体不明なものが膨らんでいったのだと、ぼんやり思う。
 こうまで育ちきらねば気付かないとは、俺も相当鈍い男だな。
 まあ、ゆっくりやるさ。
 気長に待つのも、悪くない。

   
 
「まるで、花嫁みたいだな」


 お互い成長するまで、言いかけた本音は当分黙っておくとするか。
   

  


  



 タイトルはマイ青春時代BGM・小沢健二の曲から。