君 み た い に き れ い な 女 の 子












 「ね、これはどう?!」
 「あ、それ可愛い。さっきのよりそっちの色の方が似合いますよ、尚香様」
 「ホント?じゃ、あれはやめて、これとこれとこれとー…あっ!その白もいいな」
 「まだ買うんですか!一体いつ着るんですかそんなに」
 「基本的にそんなに着ないわ」
 「意味無っ!」
 「買った後、部屋でファッションショーをするのが楽しいのよ!」
 「それわかりますけど、何か違います!」

 山ほどの衣装と山ほどの宝石を抱えているのにも関わらず、その山を更に増やそうと眉間にシワを寄せて品物を食い入るように眺める尚香の姿に、は苦笑いをこぼした。
 女の子はやはりどの時代でも着飾るのが好きらしい。
 尚香の買い物は激しさはいつものことであるが、今回はまた凄まじい。
 このところ呉では小規模とはいえ戦が続き、なにかと慌しかった。
 しばらくこうしてゆっくりと装飾品など見るヒマもなかったように思う。
 きっと今、その反動が訪れているに違いない。

 金の豪華な腕輪と吸い込まれそうに大きな青い玉があしらわれた指輪をはめ、腕を上げたり手の平をひっくり返したりと尚香は真剣に品定めを繰り返す。
 どちらも、溌剌とした彼女によく似合うデザインだ。
 やはり戦場を駆け回る(そしてかき回す)お転婆はとは言え、名家の姫。
 高価な品々が、まるで彼女のために作られたように溶け込んでおり、全く装飾品の価値に食われていない。
 尚香の魅力が宝石に負けていないからこそ、きっとここまで映えるのだろう。

 「さすが姫様、お目が高い。その玉は5年に一度出るか出ないかの上物ですぞ」
 「えっそうなの?」
 「ええ、それほど大きさのものはなかなか手に入るものではありません。細工も一流の職人が1ヶ月かがりで手がけたものです」
 「なんかそう言われるとますます良く見えてきた…」
 「そこまでの品はもう二度と入ってこないでしょうね」
 「えー!?じゃあ今買っとかないと!」

 月に2、3度やってくる出入りの商人は実に巧みなセールストークで、姫の購買意欲をかりたてゆく。
 今も昔も商売人というのは変わらないものだな、と思いながらは尚香が散らかした着物を拾って畳み始めた。
  
 「ねぇ!、これは?!」
 「うん、結構いいんじゃないですか?」
 「違わよ!私じゃなくてに!」
 「え?私ですか!?い、いや私はいいですよ」
 「なんでー?これ可愛いじゃん」
 「や、可愛いですけどね。わたしはこの前孫堅様に買って頂いたばかりだし」
 「それはそれじゃない。また買ってもらえばいいじゃない」
 「そんなに沢山あっても…あ、ほらこれ尚香様に似合いそう」
 「え、どれどれ?!あ、素敵!」

 上手く尚香の注意をそらすことに成功したは、気付かれぬように小さく安堵の息を吐いた。
 彼女や大喬小喬の買い物に付き合うと、毎回必ずにも何か買うよう勧めてくる。
 もちろんだってれっきとした女の子であるので、お洒落に関心がないわけではない。
 可愛いものは好きだし、艶やかな着物は綺麗だと思う。
 だが、根が庶民なので贅沢品をどっさりと買うことがどうしてもできない(なにしろ居候の身だし)
 そしてまた、彼女達のように美しく着飾ることにわずかながら抵抗があった。
 
 あの姫君たちは本当に綺麗だ。
 その美しさはまるで神に祝福されたごとく、である。
 どんな衣を纏ってもその美貌が内から天女のように輝き、同性でも思わず見惚れてしまう。 
 美しいものがより美しくなるのは純粋に嬉しいものだ。
 綺麗なものが嫌いな人というのはいないだろう。 
 無論も、呉の花々が豪華絢爛にめかしこんだその姿を見るのはとても楽しい。
 1段下に下がって舞台女優に憧れる観客のように賞賛の声を上げ、うっとりと眺めたい。
 だが彼女達は、下から惜しみない拍手を送る観客をその舞台にの上に引っ張りあげようとするのである。
 道端の草(花ですらないと思っている)が大輪の花と同じ場所に立つのはかなり勇気が要る。
 舞台の上で女優の横に立っていいのは同じように美しい女優か、もしくは黒子くらいだ。 
 女優と黒子。どう贔屓目に見ても、自分のポジションは後者であろう。
 そう、だから美しい姫君のように沢山の衣装は手に余る。なにしろ黒子は目立たないのが仕事。
 着飾る必要も理由も、ないのだから。

 ついに両手の両指に指輪をはめてしまった尚香に笑いを堪えつつ、は混沌とし始めた自分の回りを片付けようと手元で折り重なっている帯を掴んだ。 
 両手でやっと抱えきれる束の帯を持ち上げると、カシャンと繊細な音がした。
 慌てて手の中の帯を隅に寄せると、髪飾りがひとつ落ちていた。
 全体が華奢な銀細工で出来たそれは、派手さはないが妙心惹かれるものだった。
 中央には小さな紅い玉が雫のようにぶら下がり、光を受けるたびに艶やかに光る。
 豪華絢爛と呼べるような雰囲気ではないがよく見ると細かい細工があちこちに施され、シンプルながらも実に上品なつくりだ。

 「なかなかいい品でしょう?」

 てっきり尚香に付っきりだと思っていた商人は、髪飾りを凝視していたに微笑みかけていた。

 「一見地味に見えますが、実に細工が丁寧でしてね」

 キラキラと控えめに輝く赤い玉。
 それはまるで太陽のようにまばゆく、美しい。
 本当に良い品だ。身に付ければきっともっと艶やかさを増すことだろう。
 
 「きっと、朱雀様にお似合いになりますよ」









 その小さな庭園は、彼女がこちらに来てからすぐに作られたものだ。  
 こぢんまりとした屋根つきの卓と腰掛の周りをぐるりと花が取り巻いている。
 庭園というより、花畑と呼んだ方がふさわしいのかも知れない。
 派手で豪華な花はないが、小さく可憐な花が寄り添うようにあたり一面咲き誇っている。
 の部屋の裏庭にあたるその場所は、いつ訪れてもうららかな気分にさせる空間だ。
 おそらく室内よりも落ち着くのだろう。
 晴天に恵まれた暖かな日は、大抵いつも彼女はその庭にいた。
 
 赤い霧ような花の中でしゃがみこんでいるの姿を見つけた陸遜は、無意識に目を細めた。
 一見にこやかであるが、滅多なことでは綻びず一部のつけいる隙も与えないその氷のような表情は、この瞬間に溶ける様に崩れる。
 鋼の心臓と神経を持つ彼に、この上ない喜びをもたらすのはいつもである。
 そして同様に、陰りをもたらすのもまた他でもない彼女であった。
 
 「殿」
 「陸遜様、いつの間に?」

 陸遜の来訪に全く気付いていなかったは、驚いたように顔を上げる。
 今さっきです、と答えた陸遜はごく自然にの隣へとしゃがみこんだ。
 
 「新しい花を植えたんですね」
 「わかりますか?この赤い花、昨日整えたばかりなんです」

 目の前のその花は、ひとつひとつの花びらが小さく地味だがとても清楚で魅力的だ。
 しなやかなその茎は風が吹くたびにゆらゆらと揺れるが、何事もなかったように元の位置へと戻ってくる。
 頼りなく見えるが、根は強く張っているのだろう。

 この花は彼女のようだと陸遜は思う。
 盗み見た横顔は普段と変わらず、穏やかで柔らかい。
 一瞬たりとも気を抜くことを許されない戦乱の中、こういってはなんだが彼女はいつも気が抜けまくりである。
 ピリピリと張り詰めた空気を纏っていることはほとんどなく、この殺伐とした世界でふわふわ笑う姿は、あまりにものどかである。
 乱世の渦中に置けばすぐさまかき消されそうな、か細く弱々しい、小さな灯り。
 だが、ささやかであるその温かさに幾度救われたことか。
 流されるままあればどこまでも冷えていったであろうこの身は、いまや彼女の声を聞くだけで熱を持つ。

 ああ、この優しい人は自分などよりもずっと強いのだと。
 自己防衛でもなく、媚びるわけでもなく、ただ感情のままに微笑むことの出来る彼女はとても強いのだと。

 
 ふわりと流れる赤い花びらを眺めながら、陸遜は懐に忍ばせた赤い実を握った。
 とても、美しい花だと思う。
 手折ることをためらってしまうくらいに、尊い花だと思う。
 とても綺麗で綺麗で綺麗だから、そっと愛でるのが精一杯なほど。

 だがしかし、その花の方にはなんの自覚もないのだ。
 美しさはおろか、花である自覚そのものが。





 
  
―― ええ、お似合いですよって、勧めたんですよ


  ―― でも朱雀さま「私には勿体無い」なんておっしゃられてねェ


  ―― 「もっとふさわしい人に手に渡った方が」って


  ―― 本当に、きっと朱雀さまにお似合いになると思うんですがね 

  
 

 

 「殿」

 淀みなく響くその声は、いつもより幾分力がこもっていた。 
 名を呼ばれるまま顔を上げたに向けられるそのまなざしは貫くように、強い。

 「わたしは、美しいと思います」
 「は?美し…?」
 「この世で一番美しいと思います」
 「あの」
 「ありとあらゆるもの、生きとし生けるもの、その中で一番美しいと思います」
 「り、陸遜様」
 
 は動揺を隠せずに口をパクパクさせながら俯いたり陸遜を見上げたりと忙しない。
 陸遜が暗に何を言わんとしているか、気付いてしまったからである。
 
 「う、美しいとか不似合いな言葉、言わないで下さい…」

 自分が抱く幼くて粗末なコンプレックスを前に、恥ずかしくてたまらなくなったは首まで赤くなった。
 壊れ物でも扱うように、そんな彼女の頭をそっと撫でる。
 きっと彼女の頭の中には、絶世と謳われる自国の姫君達の煌びやかな姿が溢れているのだろう。 
 そうして、その隅の方で小さくなっている自分を見ている。

 「……あなたが笑うと嬉しくなります。喜んでくれるならば、どんなことでもしたいと思います」

 はふいを突かれたような顔になった。  

 「それって、とても美しいことだと思いませんか?」

 しばらくは陸遜を見上げていたが、だんだんと眉が八の字になってゆく。
 やがてそのまま抱えていた膝へと沈んでいってしまったが、それでも小さく「はい」と頷いた。 
  
 「はい、よくできました」

 消え入るような返事を逃さず聞いた陸遜はもう一度彼女の頭を撫でた。
 手のひらの中を滑るような、心地よい感触。
 名残惜しむように指をそっと離し、懐にしのばせていた髪飾りをその柔らかな髪へとさし込む。 
 
 「ご褒美です」 
 「え?」 
 
 状況が飲み込めていないが慌てて顔を上げた。
 オロオロとするたびに、赤い雫が髪の上で緩やかに揺り動く。

 「どうか、もう勿体無いなんて思わないで下さい」

 玉のように赤くなったの目が、弾ける様に大きく開かれる。
 自分の髪を飾っているのが先ほどの髪飾りだと気付いたようだった。
 
 
「……ごめんなさい」

 髪飾りの銀がシャラリ鳴る。

 「…ありがとう陸遜様」

 を真似るように赤い花が風に揺れてお辞儀をした。
 なんて素直な可愛らしい花だろう。
 通常、こんなきれいな花には棘がある。
 でも彼女は棘を持とうとしないから。

 「…私がトゲとなって守ればいいだけの話ですよね」
 「はい?」

 突然意味の分からない発言にキョトンとしているをよそに、陸遜はすっくと立ち茂みの方へと何かを吹いた。


 プッ!!

 
 
ヒィ――――

 
 途端に響き渡る男の悲鳴。
 何事かと思えばワサワサと茂みから数人、知ってる顔が現れた。

 「いきなり毒針かよ!!いつから口に含んでたんだてめぇ!」
 「か、甘寧様…呂蒙様…周泰様…いつからそこに!」
 「いやぁ、さっき商人が来ててよ!に似合いそうなもんがあったから、ちょっと」
 「偶然だな、俺もだ」
 「俺もだ…」 

 見れば、それぞれなんらかの装飾品を握っている。
 しかし茂みに隠れて様子を伺う偶然とは一体。 
 陸遜は葉っぱだらけで突っ立っている3名に一瞥をくれたあと、鼻でハンとあしらった。 

 「丹精込めて育てた花に勝手に近寄らないで下さい。私という名のトゲが黙っていませんよ」
 「おい!花のトゲってのはあくまで身を守るもんで、積極的に攻撃はしてこないぞ!!」
 「新種改良したと思ってください」
 「そんな改良いらん!!ギャー!!おまっ…!もう毒針吹くなァァ!!」
 「新しい攻撃覚えてんじゃねぇよ!」
 「人間は毎日進化してるんです」  
 「お前はもう充分だ!」

 プッ!

 
「ヒー今ちょっ・・刺さった!!」
 「動くと毒がまわるぞ!」
 「とにかく逃げ・・!」

 
「・・・っ!」
 「っ・・・!!」




 ひたすら毒針を放ちながら、逃げてゆく3名を追い回す陸遜の後姿をはなすすべもなく見送った。
 嵐が過ぎ去った後の庭園には先ほどの喧騒が嘘のような静けさが訪れ、いつもの穏やかな姿を取り戻す。
 とてもこの空気の中で毒針が飛び交っていたとは思えない優美な風景である。 

 なぜ毒針を…と少しばかりの戸惑いをふるい落としながら再び座り込んだの視界を覆うのは赤い花びら。
 もしかして、いつものように火を使わないのはこの庭園を気遣ってのことなのだろうか、とふと思い当たった。
 これもきっと、彼がいう美しいことのひとつなのかも知れない。

 ――陸遜様が戻ってくる前に、この前買ってもらったばかりのあの赤い着物を着てみよう

 ただひっそりと隠れるように身に纏っていた黒子の衣を脱ぎ捨てる小さな勇気を。
 綺麗で尊い言葉を曲げす受け取れるほんの少しの健やかさを。
 誓いを立てるように髪飾りを指でなぞったら、紅色を溶かした蕾がゆるやかに微笑んだ。
 


   




 「容姿」という根深い呪縛に翻弄されるこの世の女の子全て(自分も含め)に捧ぐ。
 一応20万ヒット企画作品です。