最初に張飛から紹介された時、あまりの表情の乏しさと遠慮のない視線に怯えに近い感情を抱いた。
 この子が笑うことなどあるのだろうか。そんな疑問がふと頭をよぎったのを覚えている。
 それほどに星彩は、年頃の娘とは思えぬ近寄りがたい存在感を漂わせていた。
 女といえど豪傑として名高い父やその義兄に付き従う猛将に囲まれ、生まれた時から武人として育てられれば、あのように眼光が鋭くなるのもやむを得ないのかも知れない。その可憐な外見に似つかわしくない矛と盾と手に勇ましく戦場を駆ける彼女は、もう既に1人の立派な武将だった。
 経験こそ足りないがこれからの蜀を背負ってゆくだけの力がある、とは幼い頃から彼女を見てきた関羽の弁である。
 それを耳にした時、皆が未来を星彩に預けようとしているのだと気が付いた。そして彼女もそれを嫌というほど承知していた。
 知らぬものが見れば、冷血とも感じるであろうあの瞳。
 だが冷たいのではない。計りようのない決意と覚悟が秘められているからこそ、人を寄せ付けぬような深い漆黒に彩られているのだ。
 

 これといった苦労も知らず、ましてや責任や重圧に苦しめられたことなどない。恵まれた元の世界の中でぬくぬくと育てられてきたことを自覚しているは、自分とそう変わらぬ歳の星彩が置かれている過酷な境遇を思い胸が痛んだ。
 抗いようのない立場に同情するなど相手に失礼だと思った。 
 彼女は泣くことすら許されない
――― 例え許されたとしても泣こうがわめこうが、取り巻く状況は何ひとつ変わらない。いつ崩れてもおかしくないであろう不安定な足場と知りながら、それでもあるかどうかすら知れない希望を見出してゆかねばならないのだ。
 そうわかっていながらも、哀しくて仕方がなかった。 


 
 少し前、2人で桜を見た。
 見頃の時期を過ぎ、咲ききった花びらは役目を終えたように一枚、また一枚と静かに地へと降り注いでいた。 
 昨年は見事満開に咲き誇る姿を拝むことが出来たのだが、今年は残念ながら少々遅かったらしい。
 例年より冬の終わりが早く桜の開花がずれてしまったせいなのだが、花見に来られなかった理由はそれだけではなかった。
 戦が、続いていた。大きな戦だった。
 蜀は大敗を喫し、甚大な被害を受けた。多くの領土を失った。そして多くの忠臣も失った。
 張飛も、その進軍の最中に帰らぬ人となった1人だった。
 彼女は泣かなかった。白い布を被って横たわる父を前にただ深く頭を垂れるばかりで、呻き声一つ漏らさなかった。 


 柔らかい土の表面は今や舞い落ちる花びらで緋色の絨毯のようだった。
 長い季節の中で華を溜め込んだ桜の木は、全て吐き出した後また深い眠りにつくのだろうか。
 ああまで未練なく花を散らせるのは、次の春を知っているからだろうか。

 潔い花ですね、とひとり言のように呟いた星彩は、桜の雨を見上げていた。
 先日の戦で受けた痛々しい傷が、彼女の皮膚の上で存在を誇示している。
 思わずは手の中に滑り込んできた花びらを強く握った。



 『武士道とは、死ぬことと見つけたり』
 
 
――― ふざけるな

 は名句とされるその言葉を口の中で罵った。

 潔く散って終える生き方は、なんと幸福なことだろう。誇りと共に冥土へと旅立てるのだ。本当の意味で己を守り通せるではないか。
 だが残され、その後を託された者はその道を選ぶことは許されない。
 突きつけられた現実がいかに容赦ないものでも、耐えられぬ屈辱を与えられても、ただ進み、守り、見届ける。それが前途を担う者の役目。
 咲き続ける花を散らすことも出来ず、切り倒してくれと願うことも出来ず、重さを増す枝を支えながら歩いてゆかねばならないその人生がどれだけ苦痛に満ちたものか。武器を握ることに慣れてしまった細い指を持つあの人は、きっと一度だって自分のために生きたことなどありはしない。生きることはおろか、死ぬことすら自由になるまい。

 例え今支えてくれている全ての人がいつか消え、ただの1人になってしまっても、彼女は目を閉じたりはしないのだろう。
 深く負った己の傷は見ずに、ひたすら前だけを向いて残されたものを守り続けてゆくのだろう。 

 そして国が滅びる時
――― 彼女はようやく死ねるのだろう

 
 


 もう、桜は全て散ってしまった。 
 星彩が負った傷はすっかり治癒し、跡も残らず消えていた。まるで何事もなかったように。
 今日も彼女は矛を振るい、浴びた返り血をぬぐいもせず進軍を続ける。
 振り返ることなく茨の道を突き進むその背中は打ち震えるほど気高く、儚い。
 

 
――― いつかこの国が消えてしまうなら、風神様、

 どうか、どうかその最後の瞬間まで私をこの世界に置いてください。
 己を守ることを知らぬあの人を、その時まで守り通したいと。せめてこの手で支え続けたいと。心から思うのです。
 例え朱雀としての力が失われただの小娘に成り下がったとしても、そう祈らずにいられないのです。
 だから、どうか。
  
 
 聞き届けられる保証などないけれど。
 は膝をついたまま、最初で最後の願い事を声が掠れるまで繰り返した。
 その夜初めて、貴き小太刀の刃を涙で曇らせた。
 








 
 無双チャンネルでありながら、無双チャンネルではありません(ややこしい)
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