城へ戻れたのは思いのほか早い時刻で、夕暮れの気配が近いものの空の色はまだ青かった。

「いつ見ても、村の朱雀信仰は大したもんだ」

感心したような劉備の声に、は少し苦笑いを見せた。
自他共に認める民好きな殿は視察と称して城下へ下りることがたびたびあり、その度にお供を命じられるも自動的に村を訪れる機会が多くなる。
今日もそうだが、その一行を目にした村人たちは鍬を握っていた手を慌てて止め、決まって厳粛に手を合わせる。
畑仕事に精を出す若者や年頃の娘、立っているのもやっとのお年寄りに物心もついていないような幼子。それこそその集落で生活する者全てである。
当初てっきり領主である劉備に対しての礼儀のようなものかと思っていたのだが、劉備が馴染みの店にフラリと消えてしまい、その場に自分だけが取り残された状況でも変わらずそれは行われ、彼らの拝みの対象は自分だとようやく思い至った。

多くの人から注目を浴びることすら慣れていないという小心な性質の持ち主だというのに、注目どころかいきなり神仏並みの扱い。
初めて向けられた強烈な敬いの力にはずいぶんと戸惑い、妙な罪悪感まで感じたものだったが、いつだか殿が笑いながら「拝まれるのも神様の仕事だと思って、ありがたく受けておきなさい」と朗らかに言ってくれたので、今は目の前で手を合わされる度、節くれだった働き者の掌に敬意を払って同じく心で手を合わせている。

先を進んでいた劉備は迎えてくれた兵の姿を目にした瞬間白馬から軽やかに飛び降りたが、未だ馬に不慣れなはそう簡単にいかない。落として紛失することを危惧し、馬に乗っている間は護衛に小太刀を預けているので、真似して元気に飛んだものなら着地の時点で足をくじく。下手したら折れる。
もたもたと馬の背で苦労しているに、劉備は過保護な父のように手を差し伸べた。そして「でもなあ」と思い出し笑いをもらしながら呟いた。
うちの信者の熱心さには誰も敵わないだろうなあ、と。







ぼ く の  か み さ ま









の帰宅は、大仰なお出迎えから始まる。
扉を開くと、まずアカデミー賞ですかと問いたくなるような赤い絨毯。それが私室の廊下までびしりと敷かれ、絨毯の端で片膝をついた1人の若者がから声がかかるのを待っている。ひたすら待っている。用意の周到さから考えて多分1時間位前から待っている。
そして彼はから声がかかるまで、決して面を上げようとしない。武士の如き実直さでひたすらに地に視線を落としている。

「あの…顔上げてください」

立ち上がるよう声をかけると、ようやく青年は晴れ晴れとした顔をに見せた。
毎度の事ながら、忠犬のような眼差しにくらりと来る。蜀軍一…いや、三國一敬虔な朱雀信者は今日も向かう所敵なしの爽やかさだった。

「朱雀様、お帰り心よりお待ち申し上げておりました」

信者の名は関平。
言わずと知れた軍神・関羽の息子である。

「では拙者、部屋までお送りいたしますッ」(彼のやる気が語尾の小さい「ッ」にあらわれている)

笑顔と共に輝く白い歯が眩しい。
放射される健気ビームに抵抗できぬまま先導され、観念したように歩き出すと(自室なのだから場所くらい分かるのだが)、関平の反対側に控えていた彼の護衛武将集団が待ってましたとばかりにカゴに入った花びらをの頭上に撒きはじめる。もうどんどん撒く。どこまでも付き従い、撒く。
数分後には体中花びらまみれになり、出来損ないの花の妖精ここに参上、みたいなこととなるのだが、それでも決してやめようとしない。この間違ったVIP扱いが部屋に辿り着くまで続くのである。



関羽を通じて引き合わせてもらったその時から、嫌な予感はしていた。

一目見ただけで、心がザブザブと洗われるような青年だった。本人は無意識なのだろうが、内面におさまりきらない誠実さと純粋さがマイナスイオンのように滲み出ており、近くにいるだけで癒される(通り過ぎただけの女官もいい笑顔を浮かべていた)(すごいヒーリング効果)
どれほど荒んだ環境でも、彼の周りだけは早朝の高原のように清々しい。そして尊敬してやまないであろう父・関羽を見あげる瞳はどこまでも清廉で、清水のように透き通っている。たぶんヤマメが住める。

反射のように「これはいけない」との本能が告げた。
この殺伐とした時代において奇跡のような存在・関平のなにが悪いのか、と通常ならば怪訝に思うだろう。
だが、その無垢すぎる性質ゆえに生じる問題もあるのである。

が自身に鳴らした警告、その意味は


この人 信心深そう


だてに村へ赴くたびワッショイワッショイと持ち上げられていない。民が持つあの子供のような目と似通ったものを、関平の中に見つけてしまったのだ。は思い過ごしであればいいと願ったが、残念ながら予感は的中した。

「こちらは…朱雀だ。お前も知っているだろう?風神の遣い、朱雀」

関羽の言葉に、それまでの握手なんか求められそうだったにこやかな表情から一転、ハハーッと床にひれ伏した彼の姿はお裁きを受ける町人のようであった。いきなりの土下座に驚きながらも、ああやっぱりな…という悲しい諦めが静かに通り過ぎていったのをは今でもしっかりと覚えている。


常に不安定な生活を強いられている村の民が朱雀を救世主として崇めるのは致し方ないことだと思う。
今でこそ劉備軍には朱雀がいるだの、次の戦には朱雀が出るだの、と当たり前のように戦力として数えられているが、が実際ここへ来るまで朱雀は龍と同じ架空の存在だった。本気で乱世の平定を思う者らは天下を取る兵威としてその到来を信じ待ちわびていたが、軍も力も持たぬ民の間では子供に聞かせるおとぎ話のようなもので、まさか実在するとは夢にも思っていなかったのである。
それゆえ、実際朱雀としてが現れたときの民衆の反応は凄まじかった。
折りしも世間が黄巾の乱にほとほと疲れきり、黄色なんてもうしばらくカレー粉でも見たくないよという頃。絶妙なタイミングで現れた生き神様は、疲弊した民の心を潤すに充分な存在だった。いかがわしい教祖などではなく、今度はまぎれもない本物。歩いたといえばありがたい、喋ったといえばありがたい、もうなんでもありがたいのである。
そんな背景もあり、を見つめる民の目線は火山口より熱く、敬う心は海よりも深いというわけだ。

しかし、同じ軍に属する立場の武将となれば話は別。
確かに接する機会の少ない民にとっては雲の上の存在であろう。だが近くにいることが当たり前となってしまえば、どれほど稀有な存在だろうが、やがてそのことを忘れてしまうものだ。
「ありがたみ」は、いつしか「慣れ」に取って代わられるのである。
それゆえ蜀軍の日常に溶け込んだ自分を神様朱雀様と騒ぎ立てるのは、階級の低さゆえ普段接触の許されない兵卒くらいなものだったので、も実に気楽な生活を送ることが出来ていたのだが、ほぼ毎日顔をあわせながら慣れというものに全く流されずを崇拝し続ける例外的武将が出現してしまった。それが関平である。


しかし、彼もただ信心深いという理由だけでを熱く敬っていたわけではない。
聞けば、彼は関羽の養子となる前、母の口から語られる朱雀の逸話を毎日のように耳にしていたという。もともと素質もあったのだろうが、現在みられる過剰な信仰心は確実にその幼少期の影響だろう。に出会うそのずっと前から、彼の中には朱雀信仰が強く根付いていたのである。
子供の頃から敬い奉っていた神様に直接お仕え出来るのだから、張り切(りすぎ)るのも無理はない。
以前、七夕の短冊に「くにのためにたたかう ぶじんになれますように」と書いて朱雀様にお願いしたところ見事叶った、その節はありがとうございました、とお礼を述べられてしまったが、全く身に覚えのない話である。というかそもそも朱雀と七夕は関係ないという旨を彼に一応告げたのだが、まるで取り合ってもらえなかった。
人間、一度信じ込んでしまうと耳に固く栓をしてしまうものらしい。そして閉じた世界の中でどこまでも突っ走り続けて行く。





「関平様これは一体」

あくる日朝餉をとるべく卓についたを出迎えたのは、山盛りの果物と覆い尽くすような花束だった。
他の武将の食卓はいつもと変わらぬ様子であるのに対し、の席だけお誕生日状態である。まばゆい。殿の劉備より華やかだというのは立場的にいかがなものだろうか。
しかし横で給仕のように背筋を伸ばして立っている関平は、実に真摯な面持ちでこう言った。

「本日のお供えです」

ついに来るとこまで来たという感じである。
拝まれたりありがたがられたりすることは今まで多々あったが、直接供物を捧げられたのは初めての経験だ。本人の意思とは無関係に、の神レベルは日々確実に上がっている。しかもわざわざ「本日の」と言った所をみると、今日だけで終らないのか。これからも続いてしまうのか。

「…関平様あの、こういうのはちょっと…」
「も、申し訳ありません、拙者朱雀様のお好みを存じ上げていなかったもので…!桃はお気に召しませんか!?」
「あ、いや桃は大好きです」
「それは良かった…!沢山お召し上がりになってください」

断るタイミングを完全に逃した。一歩踏み込む勇気のない自分がとても憎い。
だが生まれたての赤子より更にピュアなこの笑顔を前にして、きっぱりNOと言える猛者がいるならお目にかかりたいものである。
あっさりと敗北を認めたは静かに桃の皮を剥き始めた。昨日もいできたばかりだという桃は大層甘く、不覚にも頬がゆるんだ。途方に暮れつつも、関平様が嬉しそうだからまあいいかと無理矢理自分を納得させるべく、手をベタベタにしながら果肉を飲み込んだ。

しかし自分を取り巻く周辺の歯車がこの日から狂い始めることを、彼女はまだ知らない。



数日後、まだ眠たい目をこすりながらはいつものようにへ食堂へむかった。
卓の上は、またしても山のようなお供え物で埋まっている。前回と同じような光景に見えるが、何かが違った。前も充分だったが今回はまた、やけに量が多い。
ぼんやりとその光景を眺めているへ、恒例のあの声が
―――


「朱雀様、本日のお供え物です」

「お供えであります」



信者が増えていた。



「な、な、な、何してんですか姜維様…!」

何故。どうして。なんなの。
激しい動揺の波とともに大量の疑問符がに押し寄せて来る。
関平の傍らでにこやかに微笑むは、負けず劣らず純白の背景が似合う知将・姜維伯約。
関平とともに左右対称のポーズでかしずくその姿は、まるで神社の狛犬のようである。いつの間に結成されたのだ、この奇妙なコンビは。最近組んだばかりとは思えない2人の妙な安定感が、見る側を逆に不安に追い込んでゆく。

「今まで私はわかったつもりでいました…ですがそれはあくまで「つもり」でしかなかったのです。本当にはなにも理解していなかったのです」

なんの話だ。
人の質問などまるで聞いていない風情で勝手に呟き始めた姜維は苦悩するように目を伏せたが、次の瞬間には満面の笑みが浮かんでいた。

「これからは私も心を入れ替え、例えこの身が朽ち果てようとも全力で殿を崇め奉る所存であります!」

どういうわけか、大層盛り上がっている。
勢いだけで発せられた姜維の言葉ではまったく意味が通じないので簡単に説明すると、姜維はへの崇拝ぶりを行き過ぎだと感じ、それを咎めるべく関平を元を訪れたはいいが、逆に彼の純粋かつ熱い思いに心揺さぶられてしまったいう話である。

きょうい が なかまに くわわった!

途中まで(珍しく)非常にいい働きを見せてくれたというのに、ああ姜維伯約。そう簡単に賛同してしまわず、平穏な日々ためにもう少し頑張って欲しかった。
姜維の行動は結果として、衰えさせるどころか新たな仲間を加え、朱雀信仰の一派の勢いを増す手助けとなったわけである。しかし一夜にして心変わりとは恐るべし、関平の若き青年の主張。ミイラ取りがミイラに…という言葉の意味を、したくもないのに身をもって実感してしまった。

「…ッ朱雀様、どうなされたんですか?」
「具合でも悪いのですか殿!?」

二匹に増えた忠犬にワンワンと取り囲まれ、思わず顔を覆った。
似ている。確かにこの2人はよく似ている。イノシシ並みにまっすぐなところとか、特定の相手へみせる妄信さとか、そっくりではないか。
どうして出会ってしまったのあなたたち…と三流ドラマみたいな台詞が浮かんでは消え浮かんでは消え、そのうち消えなくなって増えるばかりで。積み重なってゆく嘆きにが押しつぶされそうになってきた頃、背後から涼やかな声が響いた。

「先ほどから何をしているんです、あなた達は……」

優雅な朝をぶちこわす騒がしさを見咎めたのか、諸葛亮は説教を垂れながらしずしずとこちらに向かって歩いてきたが、の前に盛大に盛られている存在に目を留め「なんですかこれは」と立ち止まった。それに対し、「お供えであります丞相!」とまるでお手柄といわんばかりの誇らしさで姜維は答える。
お供え物…と呟きながら、しばらく諸葛亮は卓上の有様を眺めていたが、やがて溜息を付きながら大きくかぶりを振った。

「こういうのは感心しませんねぇ」
「ど、どうしてですかッ」

「よくお聞きなさい、本当に殿を思うならば…」

諸葛亮は狼狽している信者たちの肩に手をそえ、確固たる自信と力強さを持って言い放った。


「供物を捧げる祭壇くらいご用意して差し上げなければ」


は静かに天を仰いだ。
最初から諸葛亮がまともな意見を言ってくれるとは思っていなかったが、そう来るとも思っていなかった。
そういうことじゃない、そういうことを言いたいんじゃないんだ、と訴えようとしたが扇で口をふさがれた。

「ああなるほど…!」
「流石です丞相!」

若者たちは更に輝きを増し、今にも開かれた新たな扉の向こうに全力で走り出しそうなオーラをみなぎらせていた。羨ましい限りである。自分もそちら側の人間ならば、どんなにも世界は美しく見えることだろう。
とんでもない引き金をひいてくれた問題の諸葛亮は何を企んでいるやら、その後もどんどんと彼らをあおる様な発言を繰り返した挙句、最後には「私も力となりましょう」という世にも恐ろしい言動を吐いた。2人は、心から歓迎すると暖かく迎え入れていた。しかも我々の力で三國全土に名を轟かせてみせましょう、とか凄いことをのたまっていた。

こうめい が なかまに くわわった!

勝手に盛り上がる破壊力に満ちたパーティーとは正反対にの体力ゲージはどんどんと減少してゆく。
むしろゲージのバーそのものが短くなってゆく気がした。大切にされているはずなのに、どうしてこんなに辛いのだろう。心で呟いても返事は永遠に帰ってこない。

すざく は のろわれている!




その後、使命感にかられた諸葛亮が普段見せない頑張りを発揮し、あちこちで熱心に布教活動を行ったおかげで、今まで静けさを保っていた城での朱雀信仰は一気に広がりをみせた。
しかしさすが諸葛亮といったところか、手から砂金を出せるだの触れるだけで病が治るだのとあることないこと織り交ぜた得意の適当トークをして回ったらしく、何かあればとりあえず拝んで来い、という万能薬的なノリでの元を訪れる信者があとを絶たないという。

「髭の抜け毛が最近気になるんだが」

「逃げた犬が三日ほど帰ってきません」

「阿斗様のかんの虫が…!」

もう神様なんだか便利屋なんだか怪しくなってきたが、切れ目なくやってくる(何かを勘違いした)信者たちの相談事で大忙しの日々である。行列の出来る朱雀様、なんだかわからないまま大繁盛。
こうなったらいっそ社とか建てちゃう?と劉備から半分冗談半分本気で提案されたが、最後の砦を守るべく頑として拒否した。
城でフィーバーしている迷惑な神様ブームがいち早く沈静化することを心から願いつつ、今日も花びらをかみ締め、赤い絨毯の上を歩くである。


「朱雀様、呉から新婚二組が子宝祈願にと訪ねてきましたが…」
「いい加減にしてください」




星彩が猫なら関平は犬。
どっちも飼い主のこと大好き。