「バカめ!」 本日も、お得意のキメ台詞が城内に響き渡った。 黒い魔道師の前には、いままで何千回もその言葉を頂戴している少女、様がしょげたようにうつむいている。 泣いてこそいないものの、その顔は非常に悲しげな表情だ。 「…すいませんでした」 こぼれた声は今にも消え入りそうで、覇気というものが全くない。 「わ、わかればよい!…もう、下がれ」 羽扇で退室を促すと、はもう一度小さくお辞儀をして、トボトボと部屋を出て行った。 彼女がパタンと扉を閉めたのと同時に、司馬懿はイラついたように黒扇を壁に投げつけた。 バシン! 衝撃で抜け落ちた黒い羽がフワフワと床に舞い落ちる。 しばらく憮然と立ち尽くしていたが、手に何も持ってないのは落ち着かないらしく自分でブン投げておきながらいそいそと司馬懿は扇を取りにいった。 ついでに散らばっている羽も丁寧に拾ってしまう彼はとてもキレイ好きだ。 「…何故いつもこうなるのだ!!」 一通り作業が済むと、司馬懿は思い出したように地団駄を踏み出した。 そんなの、アンタが扇放り出すからじゃん。 と思うかもしれないが、そこではない。 扇の羽が飛び散ったことはこの際どうでもよくて。 彼が1人でムカムカしている理由は、に対するさっきの自分の態度である。 こんな風に叱り飛ばすのが目的で、呼び出したわけではなかったというのに。 最近の彼女は明らかにオーバーワークで、ここのところ休みもロクにとってない。 戦はもちろんのこと、盗賊や山賊退治などという朱雀が手を下すまでもないような仕事まで引き受けようとするからだ。 確かにが行ってくれれば早く片付く上に被害も少なく済むのだが、そんな事ばかりしていたら彼女の身がもたない。 疲労はあらゆる病の元だ。 が床に伏すようなことになっては一大事。 体を壊す前に休養をとれ、と。 それだけを言うつもりだった。 しかし、いざ本人を前にすると、言いたいことが全く言えず、労わるような優しい言葉をかけてやれない。 それどころかキツい説教ばかりが口をついて出てくる。 素直なは彼の一言一言にグサッと傷つき、HPを半分以上削られて帰ってゆくのだ。 意外と芯の強い彼女は、決して司馬懿の前で涙を見せたりしないが、よく下唇をかんで耐えるような表情を浮かべている。 泣き出す寸前、といったところだろう。 司馬懿とてを悲しませたいわけではない。 いつものようにニコニコ笑って欲しい、自分の前でも。 が、彼女を笑顔にするようなことをしてやれないし、言うこともできない。 憎まれ口や厭味など、他人を貶める弁を得手とする司馬懿は喜ばせる言葉など知らぬのだ。 だから、いつも最後には 「バカめ!」 と司馬懿が言い放ち、 「すいません」 とが震える声で謝る。 笑わせるどころの話ではない。 普通の会話としても大いに不合格。 そんなことを毎回繰り返し、司馬懿はその度に後悔に襲われた。 何故あんな事を言ってしまったのか、あんな顔をさせてしまったのか。 しかもシュンとして部屋から出てくるを、すかさず夏候惇やら徐晃やらの武将達が慰めたりして更に腹立たしい。 自ら、奴等に好感度上げる機会を作ってやってるようなものではないか。 彼女との距離を少しでも縮めたくて何かと呼びつけているというのに。 しかし、ハッキリ言って逆効果。 2人の距離は近付くどころか、猛スピードで遠ざかってゆくようだ。 素直になれない、というのはやはり恋愛において不利なことである。 心の奥では、もうのことが心配で心配でならないのだが、そんなことはおくびにも出さず常に不機嫌そうにしてしまうのだ。 彼女が傷を負った(指切った程度)と聞けば、大慌てで国中から名医と呼ばれる医師を15人くらい召集したり、怪しげな商人から不死の薬を高額で購入してしまったり。 戦場ではの様子ばかりが気になり、策の成功がどうとかは二の次だ(ダメ軍師) しかし意地っ張りな彼はおおっぴらに兵に聞くことも出来ないので、緑の兵卒服で蜀軍になりすましコソコソ戦地へ彼女の安否を確かめに行ったこともある(ちなみに黒扇を持ったままだったのですぐ敵にバレた) 「あやつは鈍い!何故に私の気持ちに気付かんのだ!」 なんという勝手な男だろう。 好きな子にはつい意地悪しちゃう、という心理はわからないでもないが、それを相手に汲み取ってくれというのは都合が良すぎないか? 大体そんな行動をとってしまうのは小学生、遅くても中学生くらい。 給食年齢までしか許されない行為だろう。 いい歳過ぎた、しかも一国の軍師を務めているほどのキレ者があんな幼稚な愛情表現しか出来ないなんて、一体誰が思おうか。 普通思わない。 気色悪いじゃないか。 司馬懿が抱くへの募る想いは、毎度むなしく空を切る。 自分のせいなんだから仕方が無いといえば仕方ないんだが。 ひとしきり当り散らして、司馬懿は肩で大きく溜息を吐いた。 何の気なしに脇の机に視線をやると、金の短刀が置かれている。 が忘れていったのだろう。 朱雀の小太刀を置き去りにするなど、無用心な…。 司馬懿はそれを見つめながら、さっき部屋を出て行った彼女の後ろ姿を思い出した。 大事な小太刀の存在を忘れさせてしまうほど、落ち込ませたのは誰か。 あの小さな頭を伏せさせてしまったのは、誰か。 「…」 しばらく考え込んだ後、何か決心したように司馬懿は短刀を手に取った。 「おい、司馬懿」 「司馬懿殿」 廊下をさっさか足早に歩く司馬懿を、憮然とした顔で待ち構えていた夏侯惇と張遼が呼び止めた。 しかし、司馬懿は止まらない。 しかもめっちゃ歩くの速っ!もしかして浮いてんじゃねーの?と疑うほどだ。 「おい!止まらんか司馬懿!!」 完全シカトされた夏侯惇はややキレ気味に叫んだ。 パッと見、いつもと変わらないように見える張遼の穏やか顔にもちょっとした青筋が浮いている。 「…何用だ?」 低血圧な長渕剛ぐらい(見たことないが)不機嫌な表情で、司馬懿は2人の方へ振り向いた。 「さっきが目を赤くして戻って行ったぞ。お前、またあいつに辛くあたったな?」 「彼女は朱雀として一生懸命やっているように思いますぞ。責め立てたりするのは感心しませんな」 どうやら、説教部屋(シバ部屋)から出てきたを目撃したらしい。 彼女のことを可愛く思っている2人は、事あるごとにイビリまくる司馬懿(やはりそう見えるらしい)に物申すつもりである。 「どういうつもりか知らんが、もう少し柔らかい対応をしてやれ。朱雀といってもは幼い女子なんだぞ」 夏侯惇は渋味ボイスで、司馬懿にそう詰め寄った。 隣の張遼もうんうん、と頷いている。 「…フン」 司馬懿は目の前の2名を一瞥し、鼻であしらった。 感じ悪い。さすがキングオブ偏屈軍師。 先を急ぐので失礼する、と吐き捨てるように言い残してその場を立ち去った司馬懿に 「あんの毒むらさき!」 と怒りを隠せない惇・遼コンビであった。 そんなことは言われなくても分かっている! 夏侯惇の言葉に司馬懿は苛立ち、歯軋りをした。 ――― だからこそ、今ここにいるのではないかっ 司馬懿が立っているのは、部屋の入り口前。 部屋の主は、だ。 彼の手には、彼女が置いていった小太刀がある。 司馬懿は神なぞ信じてはいないが、この忘れ物に関しては天からのお恵みだと感じた。 彼女に会う理由がまたひとつ、自分に与えられたのだと。 言い過ぎたことを詫びる最後のチャンスとして。 これ以上同じ過ちは繰り返すものか もう、自分の不器用さで彼女を傷つけるわけにはいかないのだ。 扉の前で、1人は司馬懿はにかける優しい言葉をシミュレーションしてみた。 曹操のような威厳を漂わせ、夏候惇のように男らしく、張遼のように思いやりを込め、徐晃のようにまっすぐに、許チョのように警戒させず、張コウのように華麗に… …いや、最後のはいらん とにかくそんな風に彼女に接すれば良い。 ブツブツとしばらく呟き、フッと司馬懿は自嘲気味に笑った。 らしくない。 本当にらしくない。 誰かのようになど、普段なら絶対に考えもしないことだ。 この、司馬懿仲達がともあろう者が。 恋慕という馬鹿げたものに振り回される自分に呆れながらも、司馬懿は心に焼きついている愛しい少女の顔を思い浮かべた。 …というか、自分の真下にその顔があった。 「司馬懿様…?」 長い間司馬懿が妄想を繰り広げている内に、が部屋から出ようと扉を開けていた。 「…!」 彼女の突然の登場に、用意していた行動や台詞、全てが司馬懿の頭からスッ飛んだ。 だ、第一声は、どうするつもりだった? 私は何を言うつもりだったのだ? 何も言葉が出てこない。 慌てつつ、場を取り繕う為口を開きかけたがハッとした顔をして司馬懿は閉じた。 こんな状態で何か言うと、大抵ロクでもない発言になる。 心にもないことを言ってしまい、を傷つける。 いつものパターンだ。よく知っている。 不用意に喋ることも出来ず、汗をダラダラかきながら司馬懿はをただ見下ろした。 無言でミスター神経質にじっと見つめられるというのは、下手に何か言われるより怖い。 『ま、まだ何か叱り足りなかったのかな…』 そんな事を思いながら、はヘビに睨まれたカエル状態でその場を動けずにいた。 しかし、目線を合わせ続けるのはキツいものがあるらしく、彼女は下へと視線を落とす。 そんなを見て、司馬懿は更に動揺した。 早く何か言わなければ、と気は焦るばかり。 あれだけ練習(?)したというのに、けっこう本番に弱い。 どうでもいいところで繊細である。 「…あ」 目の前でうつむき加減だったかが、何かに気付いたように短く声を上げた。 彼女の視線は、司馬懿の左手あたりに注がれている。 じっくり彼に握られている小太刀を眺めてから、は遠慮がちに司馬懿を見上げた。 「届けようとしてくれたんですか…?」 未だ口を利くことができない司馬懿は、ひきつった顔のまま、黙って頷いた。 「ありがとうございます、司馬懿様」 は嬉しそうに、今取りにいこうと思ってたんです、と続けた。 …笑った…! が、笑った。 その事実は、司馬懿にとって大事件であった。 の笑顔は何度も見ているが、それは全て自分に向けられたものではない。 彼女が誰かと、または誰かに笑いかけている場面を見かけたことがあるだけで。 しかし今、自分の事では笑った。 自分の為だけに彼女が笑顔になってくれた。 ――― こんな簡単なことだったのか 胸中にあった混沌としたものが、霧が晴れるように消えうせる。 司馬懿を行動不能に陥らせた、混乱も麻痺も石化も全て解除された(何重ものステータス異常) 握り締めていた小太刀を、司馬懿はにそっと手渡した。 「……次の戦、お前は出るな」 「え…な、なんでですか…?」 は驚き、小太刀を受け取った姿勢のまま、ガチンと固まった。 かなり不安そうな眼差しを向けてくる彼女を、司馬懿はまっすぐ見つめ返す。 「お前は働きすぎだ。たまにはゆっくり自分を労わってやれ」 口を開けたまま自分を見上げるに、黒扇を向けてやる。 「…これは命令だぞ?」 その時、自分が笑っていたのを司馬懿は気付いていただろうか? それだけ言い終えると、彼は踵を返し、自分の私室へと戻っていった。 …下っ手クソな鼻歌交じりに。 明日も…笑ってくれるだろうか? その時運悪く、ハミング中の上機嫌軍師と廊下ですれ違ってしまった他の文官・武将達は、「魏は終わりだ」と囁きあったという。 一方、部屋の前で突っ立ったまんまの朱雀様は 「…司馬懿様が笑ってくれた…」 とドキドキしながら、返してもらった小太刀を握り締めていた。 …明日も笑ってくれるかな? 2人とも、ようやくスタートラインに立てたらしく。 まだまだ、恋はこれからである。 |