WWUにおいて、ナチスドイツ(ドイツ第三帝国)は、アメリカを主軸とする連合国に対して日本、イタリアを含む枢軸国(日独伊三国軍事同盟)の中で最も強大 かつ独裁的な国家であった。少なくともWWUで敗れた国家で最大の勢力であったのは間違いないだろう。事実、WWUの発端のなった要因であるし、ヨーロ ッパ全土をほぼ手中に収め、大英帝国イギリスを敗戦直前まで追い込んだその軍備力は多くの点で連合諸国(正確にはソ連は連合国ではないが)に勝って いた。特に印象深いのはドイツの兵器の個々の戦闘能力は非常に高いことだ。しかし意外に知られてないことだが、かの有名なタイガー戦車(6号戦車E型 ティーガー)、キングタイガー(6号戦車B型ケーヒニスティーゲル、ティーガーU)のような強力無比な兵器が登場したのはむしろ戦争の末期で、大戦初期の 戦車群は他国と比較しても決して優秀なものではなかった。この点に着目して順に紹介してみることにする。 ☆I号戦車 第一次大戦の敗戦国であるドイツはベルサイユ条約の下、軍備の保有を著しく制限され、戦車の保有は禁じられていた。1号戦車はこうした状勢の中で表面 上は「農業用トラクター」として開発された6tクラスの軽戦車であった。35年に再軍備宣言によって表立って主力のV号戦車やW号戦車の量産に入るまで、 主に戦車運用の演習、訓練用として34年から生産されている。機銃2丁、最大装甲厚13mmという貧弱な戦車で、大戦初期(ポーランド戦、フランス戦)こ そ相当数が投入されたが、その時点ですら対戦車戦闘はからきしであった。実戦でこそ振るわなかったが「電撃作戦」に代表されるドイツ軍における戦車の 組織的な運用法を確立させた意義は大きい。 ☆U号戦車 榴弾も装備可能な20mm機関砲と、7.92mm機銃を備えた軽戦車。一号戦車に比べれば火力装甲共に上回っているといえるが、やはり対戦車戦には不向き だった。大戦緒戦では生産が追いついていなかったV号戦車に代わって、その高速性を活かし電撃作戦の主役を担ったと言える。それでも武装の貧弱さか ら第一線にとどまるには役不足で、後方支援や車体を改良し、自走砲や火炎放射戦車などに転用されることになる。 ☆V号戦車 T号やU号とは異なり初めから対戦車戦を想定した主力戦車として開発された20トンクラスの中戦車。しかしヒトラーの思惑よりも大戦が早く始まってしまっ たため、大戦初期の時点では充分な配備数に満たなかった。初期の生産型では37mm短身戦車砲を備え、フランスやイギリスの戦車とも真っ当な戦闘が可 能(個々の戦車としては不利であったが)であった。対ソ連戦(東部戦線)が始まると強力な防御性能をもつソ連の新型戦車には歯が立たず、より強力な 50mm長身砲を備えた型が登場している。それでも火力装甲ともに不利であることは変わらず、また車体の制限からこれ以上の大型の砲身を乗せることも 不可能であった。大戦中期以降はU号戦車と同じく戦車から改造され、突撃砲として活躍することになる。 ☆W号戦車 V号戦車を補助する支援戦車として開発されたW号戦車は対戦車戦闘より火力支援に重点が置かれていた。そのため75mm短身砲を装備してはいたが、 ソ連戦以降は車体に余裕のないV号に代わって75mm長身対戦車砲を装備した型(F2以降)が登場し、ドイツ機甲師団の主軸を担うようになる。対戦車戦で は後発のパンターやティーガーに劣るが、反面拡張性、信頼性、生産性に優れており、A型から最終生産型であるJ型、その派生を含めてドイツ軍で最も生 産された戦車である。大戦前から終戦まで生産が続けられ、戦後も一部中東で運用されるなど非常に息の長い戦車でもあった。 ☆X号戦車(パンター) X号、とあるが実際にはY号ティーガーよりも後に開発された戦車。カテゴリ的には中戦車ではあるが、重量45トンと重戦車とほとんど変わりはなかった。 ソ連戦初期、それまでの兵器がソ連戦車(T-34、KV-1重戦車など)に全く通用せず(Tショック)、鹵獲したT-34の傾斜装甲、強力な火力などを取り入れた戦 車でそれまでの垂直装甲であったドイツ戦車とは一線を画する車両である。形状はほぼT-34を大型化したようなスタイルでティーガーを上回る火力、防御力 、機動力と、攻守走バランスの取れた優秀な戦車でもあった。ただ実戦投入を急ぎすぎたため、初期のD型は動作不良が多く、稼働率が著しく低かった。後 に改良型であるA型が登場するまで満足のいく活躍はできなかった。 ☆Y号戦車E型(ティーガー) 後のT34の影響を受けたパンター、ティーガーUとは異なり、従来のドイツの思想に基づいて設計された重戦車。88mm対空砲を戦車用に改造した88mm戦 車砲(kwk88flak36)はT-34の射程外から撃破できたし、その正面装甲はT-34の至近弾を跳ね返すことが出来た。シャーマン戦車は1台のティーガーに対し ては6台を持って当たれという指令まであるくらいだった。反面57tに及ぶ重量では渡れる橋などにも制限され、燃費も悪かった。またパンターに比べると操 作系が幾分複雑で、そのためにティーガーの乗員はベテランが多く、少数で多数の戦車隊を撃退したなど、ティーガーはしばしば派手な戦果を残している。 ☆Y号戦車B型(ティーガーU、ケーヒニスティーゲル) 連合軍側からはキングタイガーと呼ばれ、71口径88mmはあらゆる連合軍の戦車を撃破することが出来た。最大180mmの装甲を撃破するのは非常に困難 であったが、その巨大な車体はヤーボ(戦闘爆撃機)の格好の餌食だった。また燃費も最悪な上に故障も多く失われたティーガーUのほとんどは戦闘による 損失ではなく、燃料切れかマシントラブルが原因だった。 最も装甲と火力は比類がなく、単純な戦闘力は第二次世界大戦最強に相応しい。 生産は45年3月から始まっていたが、既に劣勢は如何ともしがたく、死神のように恐れられたティーガーUも500輌に満たない数ではドイツを守りきることは出 来なかった。 *野砲、自走砲・・野戦用の大砲。射程が長く、遠く離れた敵(敵陣)に攻撃を加える。火力支援に用いられ戦車以上に重要な存在ともいえる。通常は馬や 人、トラックなどに牽引されて移動するが、自身に機動能力を持つものを自走砲という。自走砲は戦車と比べ射程が長く、移動しながらの砲撃は出来ないの が普通。歩兵が強固な歩兵陣地や要塞などに直面したときなどは野砲に支援要請するのが常。大概装甲が薄く近接戦闘には向かない。対戦車戦に特化し た対戦車自走砲なども存在する。 *対戦車砲・・その名のごとく対戦車を主眼に置いた大砲。野砲よりも小型で射程も短いが戦車には脅威であった。野砲と同じく移動には何かしらの牽引手 段が必要で、砲撃のためには位置固定しなければならない。その特性のため主に待ち伏せに適しており、侵攻側にとっては戦車よりも対戦車砲や野砲を潰 すことの方が価値があるといわれた。 *対空戦車・・対空戦闘に主眼を置いた戦車で2〜4基の対空機銃を備えるが射程が短く、低空に侵入してくる攻撃機くらいにしか効果はなかった。空から の爆弾は直撃すれば装甲はほとんど意味をなさなかったということもあり、防御はほとんど考えられていない。ドイツでは様々な対空戦車が開発されたもの の、対空戦の決定打にはならなかったようだ。 *高射砲 *突撃砲・・旧式化した戦車の車体を流用し、歩兵と行動をともにし火力支援を行う自走砲として開発された。戦車ではないので搭乗員は戦車兵ではなく、砲 兵科の人間である。低姿勢で待ち伏せに適しており、充分な火力と機動性を持ち合わせていたため、兵士からの人気は高く、各地で切望された。ほとんどの 場合短身砲であったが、対戦車戦闘もこなすことができた。 *駆逐戦車・・車体を流用し、上に大砲を乗せた非旋回砲塔のスタイルは突撃砲とほぼ同じだが、こちらは主に対戦車戦を想定している。突撃砲や駆逐戦 車のメリットは構造が比較的単純で、砲塔を別に用意する戦車よりも生産工程が短く、コストも安いことである。戦車不足に悩む前線では特に重宝された 。 *装甲車・・戦車とは異なり、移動手段が無限軌道軸ではなくタイヤ。まさしく車に装甲を施した程度のもので過酷な戦闘には向かないシロモノ。悪路には向 かないが路上のスピードは戦車より格段に早かった。偵察、警戒、警備などに用いられることが多く、指揮官などが登場することもあった。長距離無線機を 搭載する型もある。地味ながら戦争には必要不可欠な存在。 *榴弾・・弾に大量の炸薬を詰め、爆風と破片によって目標を破壊する弾。主に対歩兵戦や陣地など非装甲目標に効果がある。 これを人の手で投げれれるサイズのものを手榴弾。対非装甲の榴弾に対して戦車などの厚い装甲を貫くことを目的とした弾を徹甲弾と呼ぶ。 通常、戦車が搭載してる弾薬は榴弾と徹甲弾の2種類。 *T−ショック・・ソ連戦初期、ドイツにはソ連の新型戦車T-34の正面装甲を貫ける戦車、対戦車砲は存在しなかった。T-34は前面装甲45mmと、当時の水準 でも特別厚い装甲ではなかったが、理想的な傾斜装甲は敵の砲弾のベクトルをうまく逸らすことが出来た。 数値上では60℃の傾斜装甲は垂直装甲に対して2倍の効果がある、とされる。 当時の対戦車砲の主力であった、37mm対戦車砲(37mmPak36)では至近距離でもT-34の装甲に傷つけることすらかなわず、「ドアノッカー」のあだ名を頂戴 した程である。 唯一例外なのが88mm対空砲を水平射撃したもので、本来の兵器の用途とは異なる使用法で効果をあげたユニークな例だ。 ただ、兵器として優秀なT-34も戦術がまだ未熟で兵の質も低かった独ソ戦初期では各個撃破され、敗退を繰り返すハメになるのだが。 ヒトラーの思惑・・大戦が始まる以前、ナチスドイツの急進的な成長はイギリス、フランスをはじめとする各国列強の警戒を呼び起こしたが、第一次世界大戦 の惨状から厭戦思想が蔓延していたため、直接ナチスドイツに刺激を与えることを避けていた。 これを英仏の弱腰とみたヒトラーは次々と条約を破棄し、36年3月非武装地帯ラインラント進駐、38年3月オーストリア併合、38年9月チェコスロバキアのズデ ーテン地方の接収など、ヒトラーの領土的野心は凄まじいものであった。 チェコスロバキアは英仏と友好関係にあり、彼らの後ろ盾があればドイツと開戦することになっても充分対抗が出来ると信じていた。 が、英仏はチェコスロバキアを裏切る形でドイツと譲歩し、領土拡張はこれが最後という条件の下、ズデーテン地方が分譲されることになった。結局ヒトラー はこれすらも破棄しチェコスロバキアを併合、さらには英仏は介入しないとみて39年9月ポーランドに侵攻開始、これを見た英仏もついに独に対し宣戦布告、 WWU世界大戦が勃発する。 大戦以前、ヒトラーの政治的宣伝(プロパガンダ)によってナチスドイツはあたかも強大な軍事力を持つ強国とみられていたが、実は36年から大戦が始まるま ではむしろ準備期であり、ヒトラーとしては早すぎる開戦であった。ラインラント進駐の時点で英仏が開戦に臨んだとすればナチスドイツも即時敗北は免れな かっただろう。結局、列強の厭戦思想がナチスという一大暴力組織を増長させたと言える。もっとも、英仏がポーランド侵攻すら見送っていたとすれば強国ド イツの虚は実となり、より破滅的な事態になっていたであろうことが想像できる。 フランス・・当時のフランスはWWTの戦勝国であり、ドイツにしてみれば長年の仇敵であった。フランスはドイツの報復を恐れて終始戦争に対して消極的であ ったとされる。70億フランを投入し建造されたマジノ要塞はまさにそれで、ドイツ・フランスの国境に設置された大要塞はフランスにとって防御の要であった。 40年、要塞の設置されていないルクセンブルク領アルデンヌの森をドイツ戦車群に突破(当時、戦車で森は踏破不可能と言われていた)され、裏をかかれた マジノ要塞は無力化され、活躍どころか自軍の精鋭をコンクリートに閉じ込める結果となった。ソミュア中戦車、ドボワチン戦闘機などハードウェア面ではむし ろドイツより有利であったともいえるが、ドイツの無線による連携、陸空一体の新戦術、戦車群による一点突破戦術(電撃戦)や兵の士気、質などソフト面で は圧倒的に不利であった。個々は優秀な兵器でも集団としての軍隊としてはドイツに対抗できなった、というのが実情だろう。 イギリス・・伝統ある大英帝国は世界中にちらばる植民地を統制するという役割から海軍については先進国であった。最もその目的のため、航続距離こそ長 いものの戦闘能力そのものは日米の水準よりも低かった。実際、太平洋戦争とはことなりヨーロッパ戦線では大規模な海戦の機会は稀で、空母や艦載機も 質、量ともに日米とは比べようもなく劣っていた。戦車のカテゴリには2種類あり歩兵と行動を共にする歩兵戦車と機動性を重視する巡航戦車に分類される。 いずれも初期に限ってはドイツに対して有利であったが、次第に重火力化、重装甲化していくドイツ戦車の進化についてゆけず、対戦車戦闘でティーガーら 重戦車を撃破することは困難であった。空軍はスピットファイア、ランカスター、モスキートなど傑作機が多く機体の性能はドイツ空軍に勝るとも劣らない。 日本・・基本的に海軍は対米、陸軍は対露を想定していたため、太平洋戦争が始まる時点では陸軍は大きく整備が遅れていた。産業力、工業力が致命的に 欠如していた日本ではあるが、海軍は優秀で、海戦当初での戦艦や空母、潜水艦などの軍艦、及び艦載機の保有数は米国と同等、質では勝っていた。反 面、陸軍の戦車、野砲、歩兵いずれも装備が不十分で性能は論じるにあたわず、弾薬も常に不足していた。歩兵の自動化も先進国では最も遅れており、兵 隊は40キロの装備を生身で担ぎながら一日何十キロもの行軍を強いられた。 エルヴィン・ロンメル 正式にはエルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル。ドイツ国防軍元帥。DAK(ドイツ・アフリカ軍団)を指揮し、少数の機甲師団と弱小のイタリア軍団を引きい て優勢なイギリス軍を圧倒した。常に裏をかく戦術に「砂漠の狐」の呼ばれた。常に前線で指揮を執り、状況にあわせ的確な戦術をとることの出来る指揮官 であったが、彼の最も評価が高いのは不利な材料で最大限自分の有利な条件を整える能力である。作戦指揮能力で彼に並ぶドイツ将校は他にはマンシュ タインくらいであろう。 また、彼は傑出した作戦能力や状況把握能力だけでなく部下に無茶を強いず、捕虜を人道的に扱うことで敵味方ともに尊敬を受けていた。 ユダヤ迫害も支配下の町に物資接収することもなく、ときにそれは不利な状況を招いたが名実ともにWWUで最も優秀な司令官と言える。ヒトラー暗殺計画 に関与したという疑惑をかけられ服毒自殺している。イギリス首相チャーチルですら彼を評価している程だ。 ヤーボ ヤクトボンバー(戦闘爆撃機)のこと。大戦中期以降での戦車は各国で性能がはっきりしていて、アメリカ、イギリスの戦車ではティーガーやパンターを撃破す るどころかW号戦車ですら不利であった。そこで、戦車は爆撃に弱いという欠点をつき、連合軍側は空爆支援によってドイツ戦車隊を撃破する作戦にでた。 戦車に限らず陸上兵器は一方的な空爆に対抗できる手段が限られており、制空権は最も重要な要素であったが、43年以後はドイツ領内の工場や資源帯に も徹底的に爆撃が加えられ、ヨーロッパの制空権は連合側のものだった。戦車が活躍できるのも制空権があってこそ、である。 無限軌道軸・・要するにキャタピラのこと。ちなみにキャタピラは商標名です。 ハーフトラック・・無限軌道軸とタイヤの両方をもつ兵器。速度が速く、悪路にも強いという特性があり、弾薬、兵員輸送的な役割のものが多い。ドイツでは非常 に多くのハーフトラックが存在する。 バイク・・ドイツ軍といえばバイク兵などが印象に残るが、歩兵の機械化(移動手段を人力以外に頼ること)のための兵員輸送トラックの配備数が足りてなかった ため、その穴埋め、または苦し紛れに用意されたもの。