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History

1992年の年の瀬も押し迫った頃、Vocal&Guitarのアニー上田が
仕事の都合で東京から、金沢に赴任。
その際、当時北陸においてはあまり例がない、本格的なファンク・バンドを
結成しようと志す。
(アニー上田は、学生時代から青森県は弘前、のちに上京して音楽活動
を続け、その間ブルース、ソウルのバンドで活躍していた。
ちなみに東京での活動ではTBS『いかすバンド天国』で完奏も果たす。東京御下劣倶楽部にて)

そして、兄弟ながら一度も活動を共にしたことがない実弟、
オッジャ上田(Bass)に声をかけたことから、SOUL互助会は始まる。
「ヘイ、ベイブラ(兄さんは決まって僕のことをサザン・アクセントでこう呼ぶん
だ、 ベイビーブラザーってね!)、成功を手に入れたいなら、俺についてきな!」
というわけで、バンドの核が決まった(多少、脚色してありますw)。

次に声をかけたのが、ギタリストの飯田”切ない ”孝。
関西ブルースの本場、京都にて培われたブルースフィーリングを
持ちながらも、地元高岡のテイストを失うことのない彼のプレイが、
よりサウンドカラーをイナタイものへと導いた。
(なお、彼とオッジャとは小中高と同級生かつバンド仲間であった)

ドラムスには、知人の紹介により、地元大学の軽音楽部の重鎮、
Gyo坂巻が参加することになった。
「初めてジャムった時、体中に衝撃が走ったね。オレは
いろんなバンドでたくさんのドラマーとやってきたけど、
あんなスゲェ奴は見たこと無かったぜ。
まるでマシンガンみたいだったよ」(アニー上田談)
(多少、脚色してありますw)

キーボードには、アニーの大学時代の後輩「ゆみこはん」が加入して
93年夏、本格的に活動をはじめる。

地元のライブハウス”もみの木ハウス”を拠点として
精力的に活動するが、数年後に「ゆみこはん」が結婚さらにご懐妊により
脱退。
互助会サウンドのキーパーソンでもあった「ゆみこはん」の
脱退は手痛いものであったが、バンドは新たなキーボード・プレイヤーと
して、若手ながら上達の早い、Gyo坂巻の後輩「サリー」を加え、活動を続けた。

97年夏、バンド初のアルバム製作を計画し、
その資金捻出のため、庄川花火大会アマチュアバンド・コンテストに
出場する。
目標、優勝賞金20万円!
が、しかし結果は無念の特別賞、3万円獲得に終わる。

翌年春、念願のファーストアルバム「SOUL互助会」をリリース。
一部で高い評価を得るも、アニー上田の転勤が決まり、
バンドは惜しまれつつ解散への道をたどる。
もみの木ハウスで行われたラスト・ライブは、サポートメンバーも加わり、
大盛況のうちに終わる。

その後8年の年月を経て、再びアニー上田が高岡の地に舞い戻り、
SOUL互助会が復活することになった。
2006年春、結成当時のメンバーが集結し、活動を再開。
8月の黒部コラーレにおける24時間ぶっとおしライブへの参加を皮切りに
各地で精力的にライブを行う。

途中、ギターの飯田”切ない”孝が転勤のため、一時脱退。

そのためギターではなく新メンバーにダブルキーボードを画策してロケット牧野(Key)を迎える 。

2007年3月周囲の応援の中リリースした『高岡大佛の唄』が地元ラジオやテレビで話題になる。
高岡古城公園の桜祭りで流れたり、新聞などにも取り上げられる。
2009年高岡市成人式では1000人の前で『高岡大佛の唄』を熱唱する。

ベースがオッジャからキラさんを経てブッチャー橋本氏にチェンジしたのもこの頃。

2009年には『高岡大佛の唄』でトヨペットナイスミドル音楽祭全国大会に出場。
惜しくも優勝を逃すが、3位入賞となる。

2015年、富山オジサマーコンテスト優勝。

2017年、世界規模の音楽コンテスト『エマージェンザ』出場。準決勝で2位。

2018年7月、ヤフーニュース、LINEニュースに楽曲『米騒動は富山から』を取り上げられる。

その後も鋭意活動中!!!!



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