第八章 現役時代
 

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 勤 務 校 PDFファイル(クリックしてください) 
 新 任 校 秩父市立秩父中学校第二中学校時代  1Genekijidai-thithibunityuu.pdf へのリンク 
高校一校目   埼玉県立杉戸農業高等学校時代 2Sugitonougyou.pdf へのリンク 
高校二校目   埼玉県立春日部高等学校時代  3kasukabekoukou.pdf へのリンク 
最後の勤務校   埼玉県立杉戸高等学校時代 4Sugitokoutougakkou.pdf へのリンク 
亡き母の23回忌
2021年12月5日は、亡き母の23回忌です。
この世情ですが、法要を行いたいものだと願っています。
母は埼玉県秩父郡伊古田村の庄屋の蘭方医、伊古田純道の家系の長女として生まれまれました。
埼玉女子師範学校を卒業し、秩父郡小鹿野町出身の埼玉師範学校卒業の亡父小菅武雄と結婚し、
共に教師として長年勤務しました。三男・二女をもうけて明るく幸せな家庭生活を築きました。
母の葬儀は長姉が住む志木市で行われました。
私が小学校1年の時、台所にいる母に「大きくなったら岩崎さんお嫁にもらうの」と話したそうです。
又幼い頃に「お前には気品がそなわっている。気品がなくならないように努めなさい」とも言われました。
父は書道家として名を馳せました。父の影で、母は「自分の人生は何だったのか」と悔いる一面を持っておりましたようです。
日本の家庭で過ごす女性は、みな、そのような心の悩みをもって、生きているのでしょうか。


亡き母の葬儀当日、私の勤務校から田村敬学校長をはじめとする63名の先生方から香典を頂いております。
大変ありがたく、今でも感謝の念がたえません。
秩嶺のこと                    母 小菅キク
このページは父小菅秩嶺について、母小菅キクが綴った文章を掲載しています。
   
この写真は
父 小菅秩嶺の17回忌法要の後の食事会
 前列:左から
 小菅隺邨(久雄)真木子、母小菅キク、私と貴史、小菅章雄と妻よし子
 後列左から
  志貴子、静華、姉廸代、、美貴雄、美也雄、妻時子、姉賀子、祥代



叙勲記念
昭和41年10月13日


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   第9回 毎日書道展出品作
毎日書道展は内容、規模とも、日本最大の書道展です。
書道文化の向上と、書道芸術の相互錬磨のため、
昭和23年に書壇を結集して「全日本書道展」を発足したのが
始まりで、昭和26年から「毎日書道展」と改称されました。
 
   第6回日展出品作
日展は文明国として世界に誇れる芸術文化を育成を目的に明治39年、
第1回文部省美術展覧会(略して文展)がに開催されたのが始まりです。




第7回回瀾会書道展出品作
回瀾会は廻狂瀾於既倒(狂瀾を既倒に廻す)によります。
「衰えて亡びかけているものをもとに戻す」の意味から「回瀾書道会」となり、
清眞にして新鮮、時代にふさわしい書道の興隆とその普及理念としています。









   

1957年(昭和32年)正月撮影

前列左から
次女廸代、母キク、父秩嶺(武雄)、長男章雄
後列左から
三男隺邨(久雄)、長女賀子、次男泰雄





1963年11月に新築完成した新居
背景の桜の木とヒマラヤスギは秩父高等学校
山は別所の山