私が知っているNBA以外のトリビア


このコーナーの趣旨
とにかく、私が知っているNBA以外のトリビア(NBA関連トリビアは、当サイトの「NBAコーナー」の「スラム流NBAトリビア」を参照)を
ひけらかしてみようというのが第一の目的です。第二の目的は、TV番組や音楽以外の「スラムコラム」を作るというものであります。
第二の目的というものはなくていいんですがね(笑)ジャンル別に分けてありますので、いろんなトリビアを楽しんでみましょう!

スラムが知っているトリビア〜コミック&アニメ編

☆「まじかる☆タルるートくん」のりあ・キナカーモ(りあねーちゃん)の元ネタは「中森明菜」である。
→中森さんのフルネームを平仮名にして、最初と最後の「な」をくっつけると分かりやすいです。「なかもりあきなかもりあきな」ですから。
また、同作品の「ミコタカ・ハシュー」というキャラの名前の元ネタも同じような感じです。高橋由美子さんが元ネタ(たかはしゆみこたかはしゆみこ)です。


☆「まじかる☆タルるートくん」の邪馬じゃば夫のモデルは「ジャバ・ザ・ハット」だが、タルるートのモデルは「小泉今日子」である。
→通常版単行本の質問コーナーで作者の江川達也先生がコメントしていました。じゃば夫のモデル(ちなみに、ジャバ・ザ・ハットは
『スターウォーズ』のキャラである)は予想しやすいですが、タルるートのモデルは意外です。

☆「るろうに剣心」の魚沼宇水のモデルは「ドラゴンボール」の桃白白(タオパイパイ)である。
→和月伸宏先生が単行本内でコメントしていました。「バーチャファイター」のラウではないかという意見もありました。

☆鳥山明先生が好きな音楽(よく聴いている)は、QUEENである。
→「ドラゴンボール・ランドマーク」という本のインタビュー記事で書いてありました。

☆「アウターゾーン」の原作者・光原伸先生のデビュー当初のペンネームは「さんげりあ」だった。
→同名のホラー映画に「サンゲリア」があります。現在は、「ワイルドハーフ」の浅美裕子先生の旦那様です。

☆松本人志さんはアニメの原作を手がけたことがある
→90年代に人気を博した「ダウンタウンのごっつええ感じ」の中で放送された「きょうふのキョーちゃん」という1話3分のミニアニメです。ただし、内容が過激すぎるために
抗議が殺到して、わずか7話で打ち切られました。さらに、そのアニメの第1話には故・富山敬氏も出演されていたという意外な事実もあります。


☆「ごっつええ感じ」のコント「結婚前提戦士ラブラブファイヤー」に「ルパンIII世」のルパンと銭形が実写で出演した
→「ラブラブファイヤー」は連続物のヒーローコントです。超豪華なことに、アニメで声を当てた山田康雄氏と納谷悟朗氏が実写で演じられていました。

☆江川達也・ガモウひろし・冨樫義博の3名の漫画家はアニメ化された自身の作品でゲスト声優として出演した共通点もある
→御三方とも「週刊少年ジャンプ」での連載経験があります。江川先生は「まじかる☆タルるートくん」の早稲田先生役、ガモウ先生は「とっても!ラッキーマン」の
殺意アリ役(ヒットマンから出てきた蟻のようなロボット)、冨樫義博先生は「HUNTER×HUNTER」のハンター試験の受験者のひとり役として出演されました。


☆「けいおん」の原作者のかきふらい先生は左利きであり、秋山澪はそれを投影させたキャラクターである。
→原作単行本の後書きに書かれていました。澪は軽音楽部(放課後ティータイム)の左利きのベーシストでもあります。

☆「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンディングテーマである「ハレ晴レユカイ」はフィリピンの刑務所でも踊られたことがある。
→テレビ朝日系の特番で取り上げられたことがあります。そのフィリピンの刑務所は囚人達のイザコザをなくして、刑務所内の風紀を保つ目的のための
囚人達のダンスの時間が設けられていて、そこで「ハレ晴レユカイ」が踊られました。他にマイケル・ジャクソンの「スリラー」も踊られました。


☆「ダイの大冒険」の三条陸先生と「地獄先生ぬ〜べ〜」の真倉翔先生は共に第5作目の「ゲゲゲの鬼太郎」の脚本を書いたことがある。
→共にそれぞれの漫画作品の原作担当です。三条先生はもともとはアニメの脚本家でした。三条先生はこれ以外にも、平成ライダーシリーズの特撮ドラマ「仮面ライダーW」の
脚本も手掛けました。真倉先生が妖怪漫画の大先輩が原作の作品に関わったとは!「ぬ〜べ〜」の劇場版は第4作の「鬼太郎」の劇場版と同時上映だったこともありました。


☆人気脚本家の三谷幸喜先生は「サザエさん」の脚本を書いたことがある。
→80年代に4本ほど書かれましたが、タラちゃんが夢の中でムキムキマンになってオリンピックで活躍する話を書いて、プロデューサーに怒られて降板させられました。

スラムが知っているトリビア〜音楽編

☆高橋ひろさんの「太陽がまた輝くとき」が9位に登場した週の1位は、WANDSの「世界が終るまでは…」である。
→トップ10内に、ジャンプアニメ主題歌が2曲登場しました。高橋ひろさんは「ミュージックステーション」出演経験があります。

☆B'zのバンド名候補に「A'z(エーズ)」というものががあった。
→実際、その名前になってしまったら、どこかの団体からクレームがつきそうです。

☆坂上二郎とユニコーンの「デーゲーム」という曲は、野球アニメのために書いた曲が没になったものである。
→作詞&作曲は、ユニコーンのギター担当だった手島いさむ氏です。歌詞には「ジョー・ディマジオ(元NYヤンキース)」が登場します。

☆布袋寅泰さんは昔、アニメ「ストップひばりくん!!」のエンディング曲「コンガラ・コネクション」にギターで参加した。
→布袋さんの意外な活動です。1983〜84年に放送されたアニメの主題歌で、BOOWYが新しいレコード会社を探していた時とほぼ同時期らしいです。

☆松本孝弘さんは昔、アニメ「クリィミー・マミ」のエンディング曲「LOVEさりげなく」にギターで参加した。
→1つ上に書いてある布袋氏の意外な仕事に匹敵するネタです。B'z結成(1988年)の前に放送されていたアニメです。

☆WANDSの第3期ヴォーカルの和久二郎さんは昔、ジャニーズ事務所にいて、光GENJIのバックを務めていた。
→「スケートボーイズ」というグループのリーダー(当時の芸名は松元治郎)で、そのグループには、後のSMAPメンバーもいました。

☆桑田圭祐さんは「ニューハーフ」という言葉の生みの親でもある
→桑田さんがゲイバーのママでもあるタレントのベティさんの曲をプロデュースしたときの会話で生まれた言葉でもあります。
2人の間に「どことどこのハーフ?」「男と女のハーフよ」「じゃあ、君は『ニューハーフ』だね」といったやりとりがあったそうです。


☆松本孝弘さんは高校時代に軽音楽部を立ち上げたことがある
→最近では「けいおん!」という軽音楽部を舞台にしたアニメが話題になっていますが、松本さんは高校時代に凄いエピソードを残しました。
松本さんはその軽音楽部で「スーパーイマージュ」という名前のバンドで活動しました。松本さんの高校の先輩に当たる人物には、所ジョージさんもいます。


☆松本孝弘さんはB'z結成前に中川勝彦さんのバックバンドのギタリストをやっていた
→中川翔子さんのお父様でもある中川勝彦さんは80年代に人気を博した美形の歌手&俳優で、1994年に32歳の若さで亡くなられました。

☆GARNET CROWの「夢みたあとで」の曲の構想はデビュー前から存在していた
→GARNET CROWで初のトップテンシングルとなった曲ですが、この曲はヴォーカル&作曲の中村由利さんが学生時代に作曲された曲が基になったとか。

☆織田哲郎さんのソロでの名曲「いつまでも変わらぬ愛を」は実の兄へ宛てて書いた曲である
→織田哲郎さんが「Dのゲキジョー」というテレビ番組にゲスト出演された時に語られました。織田さんのお兄様は若くして亡くなられました。

☆ダウンタウンの松本人志さんの兄で、実業家の松本隆博さんはテレビ番組の企画でB'zの松本孝弘さんと共演したことがある。
→共に名前の読みが「まつもとたかひろ」です。隆博さんがVTR出演されて、スタジオにいるB'zの松本さんとお話しする形式でした。

☆倉木麻衣さんのシングル曲「冷たい海」の歌詞のモチーフは「少年犯罪」だった。
→重たい雰囲気も感じさせるバラードでありますが、これは知って驚きました。

☆THE ALFEEの初トップテン入りシングルの「メリーアン」の仮タイトルは「ベルリンの露」だった。
→「メリーアン」は元々はアルバム用の曲だったが、シングル曲となった。このシングルは1983年の発売で、同年の「紅白歌合戦」でも歌唱された。

☆THE ALFEEの「メリーアン」の歌詞は、50年代のフランス映画「わが青春のマリアンヌ」がモチーフとなっている。
→「マリアンヌ」を英語風の表記にすると「メリーアン」となる。その映画のヒロインは「銀河鉄道999」のメーテルのモチーフのひとつでもあります。

☆長渕剛さんの「巡恋歌」は特撮ドラマの敵の怪人も歌った曲である
→1993〜94年に放送された「五星戦隊ダイレンジャー」の最初の悪役である「紐男爵」が歌いました。声は故・野本礼三氏が当てられました。

☆大学や地域のサークルで「さだまさし研究会」なるものが実在する
→検索サイトで調べると早稲田大や京都大のような有名な大学の「さだまさし研究会」のサイトが出ます。某ギャグ漫画でもネタにされたことがあります。

スラムが知っているトリビア〜バラエティ番組編

☆林家ぺーさんは「お笑いウルトラクイズ」の初代優勝者であり、皆勤賞でもある。
→ぺーさんは「お笑いウルトラクイズ」に初回から出演しているツワモノです。本人によると「ぺー」は「ひらがな」です。

☆「生でダラダラいかせて」で、石橋貴明さんが「セーラームーン」のモノマネをしたことがある。
→名台詞「月に代わってお仕置きよ」とか言ってました(笑)福澤アナが「抗議の手紙きてますよ」と突っ込みを入れたこともあります。
2010年に「とんねるずのみさんのおかげです」や「ザ・ミュージックアワー」で水樹奈々さんと共演された時はキュアブロッサム(ハートキャッチプリキュア)の台詞を真似ました。


☆永井美奈子さんは、所ジョージさんを「所ちゃん」と言ったことがある。
→ある回の「マジカル頭脳パワー」で「所さん」と言おうとしましたが、間違って「所ちゃん」と言ってしまいました(笑)

☆「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の探偵コントのボスの声は、TBSのスタッフである。
→このコントはボスの「私だ」という声で始まりますが、その声の主はディレクターだった副島恒次さんという方です。

☆「お笑いウルトラクイズ」には粘着ゾーンに落ちたときに貰える手当てがある
→このことは「お笑いウルトラクイズ」のDVDの座談会(特典映像)で知りました。時代劇の斬られ役の人が池に落ちたときに貰う手当てのようです。

☆タモリさんは80年代に「根暗(ネクラ)」という言葉を流行らせたことがある
→タモリさんがパーソナリティをされていたラジオ番組の中で発明された言葉で「ネアカ」という正反対の意味の言葉もあります。
私は高校1年の時の文化祭のクラス展示のために「流行語の歴史」について調べましたが、そこでタモリさんが「ネクラ」を流行させたことを知りました。


☆「マネーの虎」は海外版がいくつもあり、イギリス版などには「竜の穴」という意味のタイトルである。
→イギリスやオーストラリア、カナダなどで「マネーの虎」をフォーマットとした番組が放送されました。英語では「Dragons' Den」という名前。

☆「笑ってコラえて」の看板企画「ダーツの旅」の第1回目は栃木県栗山村だった。
→栗山村は現在、平成の大合併によって日光市の一部となりました。第1回目は1996年に放送されました。

スラムが知っているトリビア〜地理編

☆オランダに「スケベニンゲン」という街があるが、東京都内には「スケベニンゲン」というレストランがある。
→検索サイトで「スケベニンゲン」と入れますと、その店のサイトが出ます。また、オランダには「フロニンゲン」という地名があります。

☆中国には「チチハル」という街がありますが、それが「ジャンプ放送局」のネタになったことがある。
→ロシアの国境近くにある街です。「横山智佐さん(貧乳ネタが多かったレギュラー陣)にオススメの地名」として紹介されました。

☆日本には「のぞき」という駅名が実在する。
→漢字で「及位」と書きます。山形県にあります。ゲームボーイの「桃太郎電鉄」のあまのじゃくの鉄道クイズで知りました。

☆群馬県には「なんじゃい」という駅名が実在する。
→群馬県富岡市にある私鉄の駅名です。「炎のチャレンジャー」の電車を使った企画で登場した記憶もあります。

☆イタリアのディアノ・マリーナ市で「美人でない女性はビキニを着てはいけない」という条例があった
→私が10年ぐらい前にある日本テレビ系の特番で知ったトリビアです。今では条例を考えた市長が交代したことによりなくなったようです。

☆茨城県は新幹線停車駅がないにも関わらず、新幹線が通っている。
→栃木県の小山駅と埼玉県の大宮駅の間の新幹線の線路の中には茨城県内に掛かっている場所があります。地理的な都合でしょうか!?

スラムが知っているトリビア〜生物編

☆「オジサン」や「ババア」と呼ばれる魚類がいる。
→両方とも「特ホウ王国」で紹介されました。オジサンはヒゲが長く、海底をうろつく魚です。ババアは「タナカゲンゲ」という魚の別名です。

☆「ヨダレカケ」と呼ばれる魚類がいる。
→岩などにへばりついて生活できるという変わった魚です。口の下にある吸盤がよだれかけに似ているのが名前の由来です。

☆「ムカシトカゲ」というトカゲがいるが、野生のムカシトカゲの写真撮影に成功した唯一の日本人は、坂崎幸之助(THE ALFEE)さんである。
→ムカシトカゲは「生きた化石」のひとつで、ニュージーランドに分布しているたいへん貴重な生き物です。これを「音楽編」に入れるか「生物編」に入れるか迷いました。

☆ウニには「カシパン類」なる仲間の生き物が存在する
→平べったい姿をしているウニの仲間です。中川翔子さんがキャラクター化した「スカシカシパン」が特に有名です。

☆哺乳類の有袋類には「クスクス科」なる科がある
→コアラに近い仲間の動物で、インドネシアやパプアニューギニア、オーストラリアに分布しています。

☆植物には「フトモモ科」という科がある
→東南アジア原産のフトモモをはじめとして、ユーカリやグアバなどもこの科の植物です。

☆「インターネットウミウシ」なる海の生き物がいる
→このウミウシの名前の由来は体の模様がインターネットの構成図のように見えたから。

☆淡水に生息可能で、川を遡るサメがいる。
→「オオメジロザメ」という名前のサメであり、日本では沖縄近海にいて、海外では数千Kmも川を遡った報告もあります。

スラムが知っているトリビア〜バスケットボール以外のスポーツ編

☆NHLのエドモントン・オイラーズの名前の由来は、石油の街だということから。
→カナダにあるプロアイスホッケーのチームです。「oil」に「er(〜の人)」をつけました。エドモントンは石油産業で栄えた街です。

☆NFLのグリーンベイ・パッカーズの名前の由来は、スポンサーが缶詰工場だったことから。
→「packer」という英単語には「缶詰職人」という意味もあります。スポーツチーム名の由来は、面白いものもあります。

☆日本ハムファイターズにはかつて、同姓同名の選手が2人在籍したことがある。
→1986〜89年にかけて「田中幸雄」という名前の選手が内野手と投手で2人いました。投手の方は「オオユキ」、内野手の方は「コユキ」というニックネームがつけられました。

☆夏季オリンピックには「芸術競技」も存在した
→1912〜48年までの夏季オリンピックで開催されました。五輪の舞台で絵画や音楽、彫刻などが行われました。

☆夏季オリンピックには「綱引き」の競技も開催された
→1900〜20年までの夏季オリンピックで実際に開催された競技です。近代五輪では過去にモーターボートやクリケットなども行われました。

☆さだまさしさんの実弟の佐田繁理さんは昔、台湾のプロサッカーチームでプレイしたことがある。
→繁理さんは台湾に留学したことがあり、その時の1975年に台湾のプロチーム「東方足球隊」に所属して、小遣いの名目で報酬を貰っていた。

スラムが知っているトリビア〜ゲームソフト編

☆データイーストは椎茸栽培を行っていたことがある
→「スラム式路傍の立て札」でもネタにしたトリビアです。ゲームメーカーでありながら、他にもマイナスイオン発生装置やガスマスクなどの販売も行っていました。

☆1998年2月にパイオニアLDCから発売されたゲームソフト「NOeL 〜La neige〜」は水樹奈々さんの声優デビュー作である
→ジャンルは恋愛シュミレーションで、奈々さんは門倉千紗都というキャラの声を当てていました。奈々さんの高校卒業の直前に発売されたソフトでもあります。

☆テクノスジャパンのゲームソフトシリーズ「くにおくん」の主役の名前の元ネタは社長の名前から
→1986年から始まったゲームシリーズで、最初はアクションゲームでしたが、くにおくんが主役のスポーツゲームも多く作られることになりました。

☆ナムコの「貝獣物語」や「じゅうべえくえすと」のBGMの作曲者はロックバンド・安全地帯のメンバー
→その方の名前は「六土開正(ろくどはるよし)」で、安全地帯のベーシスト(キーボードも演奏する場合もあり)でもあります。

☆ファミコンソフト「貝獣物語」には「涙の密書」なる封筒のような形のオマケがついていた
→他に主人公キャラ4人組のフィギュアも付属していました。ゲームのある地点まで行くまで開けてはならないというルールがありました。

☆ファミコンソフト「がんばれゴエモン2」が発売された年は「昭和64年」である
→昭和64年はわずか1週間(1989年1月1日から7日まで)しかなく、その期間に発売されたファミコンソフトはわずか3本だと分かりました。

☆「ストリートファイター」シリーズのディージェイのモデルはアクション俳優のビリー・ブランクスである。
→日本でのビリー隊長ブームが起こる以前にこういったことがあるとは…。アメリカ人の方がデザインしたキャラでもあります。

☆エニックス(現スクウェアエニックス)から発売された「街 〜運命の交差点〜」にはブレイク前の窪塚洋介さんが出演していた。
→実写を取り込んだサウンドノベルだったこのゲームでは、窪塚さん(当時は『ヨースケ』名義)はドジなAD役を演じられていました。

スラムが知っているトリビア〜声優編

☆「ドラゴンボールZ」でヤムチャの声を当てた古谷徹氏は、原作者の鳥山明先生に抗議したことがある。
→その抗議の内容というのが「どうして、ヤムチャがふられちゃったんですか!?」です。寝耳に水だったんでしょうね(笑)

☆水樹奈々さんは中学2年生のときにカセットテープを自主制作で出したことがある
→「つがざくら」というタイトルの演歌のカセットです。奈々さんは子供の頃、両親がやっている歌謡教室で演歌を歌われていました。

☆千葉繁さんは「オレたちひょうきん族」の「懺悔の部屋」に顔出し出演したことがある。
→千葉さんは「ひょうきん族」のナレーションでNGを出した後、判定が×だと水をかけられる人気コーナー「懺悔の部屋」に出演しました。結果は、あえなく×でした。

☆日高のり子さんは「タミヤRCカーグランプリ」のアシスタントのひとりだった
→1984〜99年までテレビ東京系で放送されたラジコンカー関連の番組でした。当時の出演者には、ブレイク前のはしのえみさんや、今では「笑点」の大喜利レギュラーとなった
春風亭昇太さん等も出ていました。日高さんは笑福亭鶴光さんのラジオ番組のアシスタントもされたことがあります。落語家との共演が意外に多かったようです。


☆坂本真綾さんはV6の岡田准一さんとドラマで共演されたことがある
→2003年10〜12月までにTBS系で放送された「末っ子長男姉三人」というドラマでその共演がありました。真綾さんの役どころは主演の岡田さんのモトカノ役でした。

☆平野綾さんは大御所女優の岩下志摩さんとCMで共演されたことがある
→1999年に放送された日清食品の「ごんぶと」のCMで、当時は平野さんは11歳の子役で、ブレイク前の栗山千明さん(当時15歳)と共に舞妓役をやられていました。

☆富沢美智恵さんは元日本ハムの内野手だった田中幸雄氏(通称:コユキ)からユニフォームをプレゼントされたことがある
→富沢さんは熱狂的でファン歴が長い北海道日本ハムファイターズのファンでもあり、雑誌の企画で田中幸雄氏と対談したことがあります。

☆花澤香菜さんは子役時代に「やっぱりさんま大先生」の生徒役だった。
→明石家さんまさんが司会の「さんま大先生」シリーズのバラエティ番組で、1996〜2000年まで放送されました。

☆福井裕佳梨さんは「スーパージョッキー」の「熱湯コマーシャル」にチャレンジしたことがある。
→グラビアデビューとほぼ同時期から声優活動をしていて、当時16歳だった頃に出演して、そこで惜しげもなく水着姿を披露しました。

☆福井裕佳梨さんと倉木麻衣さんは生年月日がまったく同じである。
→両者共に1982年10月28日生まれです。共に10代の頃から芸能活動を始めた共通点もあります。

☆丸山詠二さんはスピッツの「空も飛べるはず」のPVで老人役を演じた
→数多くのアニメや特撮で悪役から中高年キャラまで声を当てられた大ベテラン声優で、わりと新しいところで「けいおん」の琴吹家の執事(斎藤)の声もやられました。

☆悠木碧さんは子役時代に「あっぱれさんま大先生」シリーズの生徒役を演じられたことがある
→子役時代の芸名は「八武崎碧」であり、どことなくお嬢様っぽいキャラでした。同じ声優で他に日高里菜さんも「さんま大先生」の生徒役でした。

☆花澤香菜さんは子役時代に堂本剛さん主演のドラマ「ガッコの先生」の生徒役で出演された
→「ガッコの先生」は2001年にTBS系で放送されたドラマで、花澤さんは当時12歳でした。堂本剛さんの堀越時代の同級生に水樹奈々さんがいて、声優と縁がありそうです。

スラムが知っているトリビア〜NBA以外のバスケットボール編

☆東海大学男子バスケ部監督の陸川章氏は昔、ウエンツ瑛士さんにバスケを教えたこともある。
→ウエンツさんは10代の前半に「天才てれびくん」のレギュラーであり、バスケをやる企画の中で当時は日本代表選手だった陸川氏からバスケを教わりました。

☆元全日本のセンターだった岡山恭崇氏は「電波少年」のアポなし企画に出演したことがある。
→松本明子さんが「あの背が高い人に会いたい」と思って、調べてみたら岡山氏だったことが判明。実際に会って、日本一の高い高いもしてもらいました。

☆リンク栃木ブレックスの田臥勇太選手は中学3年生の頃にテレビCMに出演したことがある。
→当時15歳だった田臥選手は「進研ゼミ中学講座」のCMに出演して、パトリック・ユーイング(元ニックス他のNBAのスター選手)とバスケ対決をしました。

☆トヨタ自動車アルバルクの岡田優介選手は公認会計士の試験に合格したことがある。
→岡田選手は日本を代表するロングシューターであり、公認会計士に合格したことは自身のブログでも報告されました。

☆「ロメイン・サトー」という日系人っぽい名前のヨーロッパリーグの選手がいる。
→名字の英語表記は「Sato」であり、中央アフリカの出身です。2004年ドラフト2巡目52位でNBAのサンアントニオ・スパーズにドラフト指名されたことがあります。

☆bjリーグの東京アパッチの応援の中には、小島よしおさんのギャグのパロディもある。
→東京アパッチのブースターの方には当たり前の知識かもしれませんが、小島さんの「そんなの関係ねえ」のパロディの応援コールもいくつかありました。

☆東京アパッチに所属する中村友也選手は元モーニング娘。の矢口真里さんの義理の兄となった。
→中村選手の弟さんで俳優の中村昌也さんが2011年5月22日に矢口さんとの婚姻届を出したことにより、そうなりました。

☆ダウンタウンの松本人志さんの兄で、実業家の松本隆博さんは大阪エヴェッサの応援歌のCDを出したことがある。
→大阪エヴェッサは隆博さんが役員を務める会社のヒューマックスが運営していて、その関係でリリースされました。

☆JBLがまだ「スーパーリーグ」と呼ばれていた頃、公式戦で1勝も出来ずに解散したチームがある。
→そのチームは2005−06シーズンに活動した福岡レッドファルコンズ(bjリーグのライジング福岡の前身)で、経営不振によりシーズン中に解散する憂き目に遭い、
成績は0勝14敗でした。公式戦以外では天皇杯で1勝したのが唯一の勝利です。当時の所属選手には現リンク栃木の田中健選手や竹田謙選手らがいた。



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