ブラッド・ミラーのキャリアハイライト

キャリアハイライト



1年目(1998-99シーズン)
ロックアウトでNBA選手が不参加だった1998年の世界選手権のメンバーに選出され、銅メダルを獲得する。
ロックアウト期間中は、イタリアでプレイした。そこでは、平均15.8点&8.7リバウンドのアベレージを残した。
なぜか彼はドラフト指名されておらず、ドラフト外選手としてシャーロット(現ニューオリンズ)・ホーネッツに入団する。
エルデン・キャンベルやデリック・コールマンの控えを務めあげ、ルーキーイヤーの最終戦では、32点をあげる活躍をした。
このシーズンは38試合出場(全試合ベンチスタート)で、アベレージは平均6.3点&3.1リバウンドだった。

2年目(1999‐2000シーズン)
このシーズンは55試合に出場し、うち4試合はスタメン出場をした。アベレージは、7.7点&5.3リバウンドを記録。
チームはプレイオフに進出し、キャリア初のプレイオフを経験する。
また、このシーズンはチームメイトのボビー・フィルズの死という悲しい出来事も経験する。オフにはFAとなる。

3年目(2000‐01シーズン)
シカゴ・ブルズに移籍し、キャリアで初めてレギュラーポジションを獲得した。
出場57試合中45試合をスターターとして出場し、アベレージは8.9点&7.4リバウンドを記録した。
出場時間は25.2分へグンと増えた。しかし、チームの成績は振わず、プレイオフを逃した。

4年目(2001‐02シーズン)
このシーズンは、今でも印象に残るロサンゼルス・レイカーズのシャキール・オニールとの乱闘があった。
2002年2月に故郷に近いインディアナ・ペイサーズにトレードされる。
ペイサーズにトレードされると、背番号を40番から52番へ変更した。
ペイサーズでもスターターのセンターとして起用され、キャリア2度目のプレイオフを経験する。
このことで、主軸のパワーフォワードであるジャーメイン・オニールの負担を減らすことが出来た。
アベレージはブルズ在籍時の48試合では12.7点&8.4リバウンド、ペイサーズ在籍時の28試合では15.1点&7.9リバウンド、
シーズンを通して13.6点&8.2リバウンドという数字を記録した。このシーズンで初めて2ケタ得点アベレージを記録した。

5年目(2002‐03シーズン)
このシーズン、初めてオールスターゲームのメンバーに選出される。コーチ推薦での選出であった。
オールスターゲームでは、17分間の出場で5点&6リバウンドの活躍をした。
キャリア3度目のプレイオフ進出を果たすが、1回戦で敗れてしまう。
アベレージは、13.1点&8.3リバウンドを記録した。また、平均2.6アシストはNBAのセンターの中で3番目に高い数字である。
他に、フリースローはキャリアハイの81.8%を記録して、多才なところを見せつけた。
オフには、サンアントニオ・スパーズと絡んだ三角トレードでサクラメント・キングスへ移籍する。

6年目(2003‐04シーズン)
ウェスタンの優勝候補であるサクラメント・キングスに移籍。キャリア初のトリプルダブルを達成するなど、
キャリアハイと呼べる数字を残した。クリス・ウェバーがシーズンの前半を欠場し、ブラデ・ディバッツというセンターがいるため、
パワーフォワードのスターターに入った。2度目のオールスターに選出され、10分出場した時点で怪我を負ったが、
8点を入れるというなかなか良い活躍だった。怪我から復帰した直後に、ウェバーが復帰したため、キャリアでは久々の
ベンチスタートとなったが、先発と遜色ない活躍を見せた。プレイオフは、キャリア初の緒戦突破を果たしたが、
カンファレンス準決勝第7戦で、ミネソタ・ティンバーウルブズに敗れ去ってしまい、彼等のシーズンはそこで終わった。

7年目(2004‐05シーズン)
キングスでの2年目のシーズンを迎える。10月には中国でロケッツとプレシーズンを行い、シーズンに入ると得点とリバウンドで
キャリアハイを記録する。3年連続オールスター出場はならなかったが、昨季に匹敵する順調なシーズンを送っている矢先に、
3月ごろにふくらはぎを痛めて、プレイオフまで試合を欠場するという屈辱を味わうことに。故障から復帰したプレイオフの相手は、
6位のキングスに対して、3位のソニックスだった。第1・2戦はベンチだったが、第3戦からスターターで出場して奮起したが、
第3戦に1勝するのがやっとで、ソニックスの前に1勝4敗で敗れ去った。オフのキングスは積極補強なので、彼の8年目が気になる。


前にもどるホームにもどる