管理人特選・スラムの名言集(NBA&バスケットボール編)
NBA&バスケットボール編
「ブルズには、スーパーマンとバッドマンとロッドマンがいる」
シャロン・ライト(元NBA選手、当時フィラデルフィア・76ersに所属)
→1995−96シーズンの強かったシカゴ・ブルズを形容したひとことです。この台詞をネタにしたTシャツが出たとか・・・。
「チャンピオンチームを甘く見るなよ!」
ルディ・トムジャノビッチ(元ヒューストン・ロケッツ監督)
→初優勝を成し遂げた次のシーズンである1994−95シーズン開幕前に言った言葉です。
クライド・ドレクスラー効果で、その結果どおりになりました。
「オペラは太った女が出るまで終わらない」
ディック・モッタ(元NBA監督、当時ワシントン・ブレッツ監督)
→1978年のファイナルで出た名文句。オペラの最後には恰幅の良いシンガーが出るらしく、
モッタが「勝負は最後まで分からない」という意味で言いました。
「シュートを外したことは1000回以上ある。試合に負けたことは300回近くある。
ウィニングショットを外したことは26回ある」
マイケル・ジョーダン(元NBA選手、当時シカゴ・ブルズ所属)
→マイケル・ジョーダン自身が契約しているスポーツメーカーのCMで言った台詞です。
渡瀬マキさんの言葉に近いようですが、こちらは実際のデータに基づいています。
「ファウルは6回まで出来るんだから、した方がいいんじゃないのかな」
ロン・アーテスト(当時インディアナ・ペイサーズ)
→ディフェンス王になったアーテストの言葉ですが、「スラムダンク」の桜木が聞いたらどう思うでしょうか(笑)
「あれは、マイケル・ジョーダンの姿をした神だ…」
ラリー・バード(元NBA選手、当時ボストン・セルティックス所属)
→当時ブルズの2年目のマイケル・ジョーダンが、プレイオフでセルティックス相手に63点入れたあとのバードのコメントです。
「お前はマイケル・ジョーダンを見たことがあるのか!ビデオでなく、生でだ!」
ボビー・ナイト(元インディアナ大学ハスキーズ監督)
→来日した時に「アメリカは負けるのではないか?」と質問した日本人記者に対する怒るナイトの答えです。
「僕が最もよく聴くアメリカの音楽は『国歌』だね」
ヤオ・ミン(ヒューストン・ロケッツ)
→中国出身のNBA選手であるヤオのインタビューのコメントです。国歌は試合前に必ず流れます。
「ケビンがいなけりゃ、俺達は今ここにはいないんだ!奴が苦しんでいる時に
ブーイングするような客は、もう試合になんか来ないでくれ!」
チャールズ・バークリー(元NBA選手、当時フェニックス・サンズ所属)
→1993年のファイナル第2戦で、不調だったケビン・ジョンソンを救った当時のエースの力強い言葉です。
「おいおい、まだ81ゲームも残っているんだぜ」
カリーム・アブドゥル・ジャバー(元NBA選手、当時ロサンゼルス・レイカーズ所属)
→マジック・ジョンソンがルーキーだった時の開幕戦で勝利して歓喜するマジックに対してのジャバーの言葉です。
「今日は、俺とマイケルで55点入れたぜ」
スコット・ウィリアムズ(当時シカゴ・ブルズ、現クリーブランド・キャバリアース所属)
→1993年のNBAファイナルでブルズに所属していた頃のウィリアムズが放ったコメントです。
ちなみに、この試合でマイケル・ジョーダンは54点入れました。個人的にお気に入りな台詞です。
「俺は先週、3度も『タイタニック』を見たぜ」
チャールズ・バークリー(元NBA選手、当時ヒューストン・ロケッツ所属)
→「NBAの名言の宝庫」と呼べるバークリーのコメントです。彼のチームは、前の週に低迷しているチームと3度対戦しました。
「俺に殺される前に、護衛でも雇っておいた方がいいぜ」
チャック・パーソン(現インディアナ・ペイサーズアシスタントコーチ、当時インディアナ・ペイサーズ所属)
→2005年夏にペイサーズのアシスタントコーチになったパーソンが現役時代に、ラリー・バードに放ったトラッシュトークです。
「準優勝おめでとう」
ラリー・バード(元NBA選手、当時ボストン・セルティックス所属)
→オールスターのスリーポイントコンテスト決勝で、相手に言ったひとことです。この言葉で、相手は調子を崩しました。
「優勝すればマジョルカ島へ行けるが、負けるとミノルカ島へ送られる」
チャック・デイリー(元NBA監督、バルセロナ五輪のアメリカ代表監督)
→ドリームチームの初顔合わせ時に、監督のデイリーが選手に言った言葉。マジョルカ島は観光の名所、ミノルカ島自殺率が高い島です。
「まるで自分を鏡で見ているかのようだ」
マジック・ジョンソン(元NBA選手、元ロサンゼルス・レイカーズ)
→デビュー当初のアンファニー“ペニー”ハーダウェイのプレイを見たマジックの一言。そのペニーは後に怪我で泣かされることに…。
「友達をNBAファンにしたければ、キングスの試合を見せることだ」
バイロン・スコット(元NBA選手、現ニューオリンズ・ホーネッツ監督)
→キングスのアップテンポなバスケットを表現した一言。スコットはキングスのアシスタントコーチを務めた経験もあります。
「I'm back」
マイケル・ジョーダン(元NBA選手、当時シカゴ・ブルズ)
→ジョーダンが2度目の現役復帰(1994年3月)に残した声明より。この言葉はアメリカの流行語になりました。
「小さな大学の痩せた少年にチャンスを与えてくれたチームに感謝したい」
ケビン・マーティン(当時サクラメント・キングス)
→マーティンがキングスと再契約した際に行った記者会見での発言より。雑誌「DUNK SHOOT」2007年11月号の記事にもありました。
「俺を指名しなかった9チームは後悔することになるだろう」
ポール・ピアース(ボストン・セルティックス)
→ピアースが1998年に全体10位指名された後のインタビューでの発言です。その約10年後にファイナルMVPとなりました。
「(大量得点して)とても気持ちよかった」
トニー・デルク(当時フェニックス・サンズ)
→バスケ雑誌の雑学コーナーで知りました。サンズの控えガードだったデルクが、2001年1月2日の試合で自己最高の53点を入れた後の
残したコメントで、その雑学コーナーによりますと「流行語大賞を約4年ほど先取りした発言」と書かれていました。
「チームのためならゲータレード運びだってやる」
トニー・アレン(メンフィス・グリズリーズ)
→トニー・アレンがセルティックスからグリズリーズに移籍した当時の言葉。ディフェンスの名手でも彼はプレイオフ進出に貢献しました。
「俺達のことをHEATLES(ヒートルズ)と呼ぶことにした」
レブロン・ジェームズ(マイアミ・ヒート)
→ヒートの新たなBIG3が結成された後のレブロンの言葉で、ビートルズ(BEATLES)とヒート(HEAT)をかけています。
「『ラリー・バード条項』のように『ヴァンガンディ・ルール』となることを望む」
スタン・ヴァンガンディ(オーランド・マジック監督)
→監督の服装は襟の付いたシャツでないといけない規定が出来た時のタートルネックがトレードマークのヴァンガンディの言葉です。
「他の子供達がアニメを見ている間に僕はバスケのビデオを見た」
ケビン・ラブ(ミネソタ・ティンバーウルブズ)
→雑誌のインタビューより。2010−11シーズンにリバウンド王とMIPになったラブの子供時代の思い出話です。
「高校時代は州のオールスターにも選ばれなかった僕が
NBAのオールスターに選ばれるとは…」
ダニー・グランジャー(インディアナ・ペイサーズ)
→グランジャーが2009年に初めてオールスターに選出されたときに語った言葉です。
「俺にパスしろというのは、ベーブ・ルースにバントをしろと言っているのと同じことだ」
エルビン・ヘイズ(元ワシントン・ブレッツ他)
→得点力も備えたビッグマンでしたが、どこか利己的なイメージも付きまとったヘイズの言葉です。
「リック(バリー)を国連本部に送れば、第三次世界大戦が起こるだろう」
マイク・ダンリービー・シニア(元ヒューストン・ロケッツ他)
→リック・バリーとチームメイトになったことがあるダンリービーの言葉で、バリーの熱い性格を物語るような台詞です。
「俺達は5本の指だ。固めて拳にすれば強くなる」
ベン・ウォーレス(デトロイト・ピストンズ)
→インタビュー記事から知ったベン・ウォーレスの言葉で、ピストンズが優勝争いに絡んだ時期に言ったようです。
「バスケはフィギュアスケートじゃない。いくら派手なプレイをしたからといって
10点も貰えない。俺は凄いムーブやダンクはできないけど仕事はきっちりやるぜ」
マーク・ジャクソン(元インディアナ・ペイサーズ他/現ゴールデンステイト・ウォリアーズHC)
→大学入学当初のジャクソンの言葉で、後にアシストやゲームメイクの名手としてNBAに名を残す彼らしい台詞です。
「ディフェンスは子供の義務教育みたいなものだ」★
メッタ・ワールドピース(ロサンゼルス・レイカーズ)
→ロン・アーテスト改めメッタ・ワールドピースがインタビュー記事で語ったディフェンスとは何かの答えです。
「シックスマンの役割を受け入れるのに3年かかった」★
ジェームズ・ハーデン(オクラホマシティー・サンダー)
→2011−12シーズンのシックスマン賞を受賞したハーデンの言葉です。上位指名でシックスマンとなり、3年目での受賞でもあります。
「この賞は僕らの賞です。このトロフィーは家の暖炉に飾りたいです。
このトロフィーに照明を当てて、家中にトロフィーの光を輝かせたいです」★
カイリー・アービング(クリーブランド・キャバリアーズ)
→2011−12シーズンの新人王となったアービングの言葉です。アービングは男手一つでお父様に育てられました。
「トニー(パーカー)のゴーグルを曇らせてやる」★
マヌ・ジノビリ(サンアントニオ・スパーズ)
→国際舞台での初対戦前のジノビリの意気込みです。トニー・パーカーは目の怪我のためにゴーグルをかけていました。
前にもどる/ホームにもどる