アラファト議長 |
今は亡きヤセル・アラファト議長とチェリッシュの「てんとう虫のサンバ」をデュエットすることが目的の企画です。 松本さんが「海外の文化を研究している大学生」として、アラファト議長の事務所の中に入った記憶があります。 アラファト議長の訃報があったときに、インターネットのニュースでこのアポなしロケの話が取り上げられました。 「アラビー」を「ワラビー」と聞き間違えたり、地元の人に歌詞が書かれているパネルを読まれたりしました。 |
ハリセンシリーズ |
巨大ハリセンで敵を倒す松村さんの企画ですが、最初は、ユン・ピョウ(香港映画の大物俳優)のような 人間相手でしたが、相手が猛獣に代わり、クロコダイルやマウンテンゴリラ、コモドドラゴンになりました。 マウンテンゴリラと対決するときに、地元の村人から「マティミラ」と呼ばれたり、地元の子供と「ミスター松村! ブタ!」と言い合いながらふざけていたシーンも忘れられないです。クロコダイルとの対決では、陸上で戦って、 口にロープが結んであって、命拾いしましたが、松村さんが「こんなもんじゃねえぞ!今度はロープなしで来い! 卑怯者!」と調子に乗りまくって叫んでいました。「世界まる見え」の「日本の番組を見てくれ」という企画で、 この映像を流しましたら、海外の子供が「こんな紙切れでワニが倒せると思っているなんて」と言われました。 |
おつかいシリーズ |
国境でダジャレをかます企画で「この靴、ドイツんだ?オランダ!」から始まり、「もうタイへん!どうも、 すミャンマーせん」「チェコだけよ。あんたもスロバキアね」「スイスイスーダラダッダ、フラフラフーランス」 「ひと目会ったその日ガーナ、恋の花咲くコートジボアール」「このインドが目にスリランカ!」というギャグが 登場しました。ウド鈴木さんが逆方向からやってくるパターンが多く、相方の天野さんをあきれさせていました。 天野さんが地元の警察に捕まって、すぐ釈放されたということもありました。不審人物に間違えられた…!? ウドさんのとぼけた行動もいくつかあり、空港で誰かが食べ残したカレーを食べたり、ファーストフード店で 「ふたり合わせてミャンマーだ」と歌ったり、出発時に渡される「もしものときの封筒」を早く使いたいために さっさとお金を使ってしまうこともありました。「進め!」時代の企画の中では、1・2を争うほど好きです。 |
男を磨く旅 |
山崎さんがヘタレキャラを返上するための企画です。彼は今までに、スペインの牛追い祭りに参加したり、 タイで虎と対決したり、南米でコンドルの羽を取ろうとしたりしました。牛追い祭りに参加したときは、地元の ニュースに取り上げられて、しかも、「韓国人が空手で牛と戦っていました」という内容で放送されていました。 虎との対決では、待機&対決用の檻に入れられていて、虎が出たときに、山崎さんは失禁してしまいました。 |
世界で体を張る |
「永遠の若手」の異名をとる出川さんも「電波少年」で活躍されていました。一番印象的なシーンはやはり、 ロシアの重量挙げ選手のチェメルキンを後ろからハリセンで叩いて、怒ったチェメルキンに担ぎ上げられて、 湖に放り投げられる場面です。これを「出川投げ」と称していました。ストップ・ザ・エイズキャンペーンは、 いろんな国で怪しい人々に襲われたり、脅されたりしたという過激な企画でした。彼の絶叫も聞こえました。 |
女性の敵を退治 |
かつてはアイドルグループのCoCoの一員だった羽田さんがスリッパ(いかにも安い物)を持って、カバキや ラトーヤ・ジャクソンという標的の頭を叩く企画もありました。羽田さんの英語力には、見ていた家族全員で 驚きました。カバキ宅へ行く途中、道を聞いた男性に襲われそうになって、冷や汗で逃げた場面もありました。 標的の頭にスリッパをかました後の逃げ足の速さも天下一品!CMをする条件でホテル代を値切る場面も…。 |
ヒッチハイク |
当時は無名だったお笑いコンビの猿岩石が挑戦した壮大な企画です。印象に残ったシーンは、寺院に入って 髪の毛をすべて刈られた場面、空手ショーをやってお金を稼ぐ場面、応援歌である「旅人よ」を歌ったバンドの 爆風スランプのサンプラザ中野さんとパッパラー河合さんと会う場面があります。ある雑誌の投稿コーナーで 「私は猿岩石をプロの冒険家だと思っていた」というような投稿もありました。社会現象になった名企画です。 |
ヒッチハイク |
これも無名コメディアンを使った企画で、当時無名だったドロンズを起用しました。印象に残ったシーンは、 基礎的なスペイン語を覚えるためアルゼンチンの小学校に入った話(体育の時間はヒーローになっていた)、 ペルーのバラエティ番組に出演して、共演者の女性タレントと恋に落ちた話、アメリカ合衆国入りした後に、 キャンピングカーに乗っている粋なおじさんにお世話になった話などです。応援歌は前田亘輝さんでした。 |
3部作のラスト |
日本人俳優の伊藤高史さんと香港出身のDJのチューヤンさんが「朋友(パンヤオ)」というコンビを組み、 アフリカ最南端の喜望峰からノルウェーまでを旅しました。ヒッチハイク3部作のラストです。印象に残った シーンは、砂漠の仕事で伊藤さんが倒れたときに、チューヤンさんが水を汲んで一生懸命に助ける場面、 行く先に盗賊団が出没する地帯があったり、戦争している地帯があったりして、それを知った伊藤さんが 「道がねえんだよ!」と泣いた(飛行機で移動)場面などがあります。応援歌は久保田利伸さんでした。 |
牛のゲップを吸う |
初期のアポなし企画のひとつでした。新聞に「地球温暖化のひとつに牛のゲップがある」ということを知り、 松村さんが牛のゲップを吸って、地球温暖化を食い止めるという話でした。この企画は、想像するだけでも 気持ち悪い事なのに、それを本気で実践する姿は敬意を表したいです。(上の3つに比べてこれは一体?) |
この人が出演! |
「電波少年」シリーズには、古今東西・有名無名を問わずいろんな方々が出演されましたが、バスケ界から 元全日本選手の岡山恭崇さんが出演されていました。松本さんが「日本一の高い高いをしてもらう」という 企画に出ていました。岡山さんは日本で最も背が高いといわれる身長230cmで、1981年にウォリアーズから ドラフト7巡目指名されたといった逸話がある人物です。さらに、岡山さんのあだ名は意外にも「チビ」です。 |
松村邦洋さんが「アボリジニ(オーストラリアの先住民族)の役に立って王様になりたい!」といったロケでの アボリジニが住んでいる場所へ自動車で移動している途中に「神の怒り」と思われるような事件がありました。 目的地の村に近づくにつれ、雨が強くなっていき、さらに車が横転してしまいました。横転した最中もカメラが 回っていました。松村さんやスタッフが無事だったことが不幸中の幸いでした。やはり、神の怒りは怖いです。 |
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砂漠で遭難 |
アメリカで行った「アポなしで訪ねた豪邸のプールで泳ぐ」企画が松村さんにとって良かったので、続編である アラブの豪邸のプールで泳ぐ企画が行われましたが、その企画での移動中に事件が…それは車で砂漠を 移動するときに車が故障してしまい、松村さんとスタッフが砂漠で遭難してしまいました。彼等は丸1日ほど 砂漠に取り残された状態であり、助けが来るまで生死の境を彷徨いました。脱水症状で唇が乾いた場面や 松村さんが水入りペットボトルを前にして「鬼・悪魔と呼ばれてもいいです。やはりこの水を飲みたいです」と 言った場面は今でも忘れられないです。DVD化された際のインタビューでもこの遭難の話題も登場しました。 |
更正大作戦!? |
番組は放送された当時には「チーマー」という名前の不良グループのような集団が話題になっていましたが、 松村さんはその集団を更正させるために立ち上がったそうです。変装してばれないようにチーマーの皆さんと 話をする場面がありましたが、変装がばれてしまい、松村さんがどこかに連れてかれそうになりましたが、 手を振り払ってロケ車輌へ逃げ帰ってきました。ある番組で松村さんが言っていましたが、実際に怖い人に 絡まれているときは「テレビのロケだろう」と思われてしまい、助けてもらえなかったと語っておられました。 |
借りる企画 |
「牛のゲップを吸う」や「渋谷のチーマーを更正させる」などと共に初期の代表的な松村さんがチャレンジした 企画のひとつです。この企画をやる際には、松村さんは弁当を食べた後に下剤を飲みます。下剤によって 起こった便意に耐えられずにギブアップしたことがありましたが、3度目の挑戦で峰竜太・海老名美どり夫婦の 豪邸のトイレを借りることに成功しました。松村さん本人にとっては特に思い入れが強い企画のひとつであり、 その豪邸のトイレを借りる企画のみのDVDを出してもらいたい(第1・2弾のDVDに収録)と願ったほどです。 |